古代東アジア世界史年表(849〜926)

西暦 月日 日本 中国 朝鮮 日本年号 中国年号 朝鮮年号 渤海年号
事項 出典史料 事項 出典史料 事項 出典史料
849 2・1 少内記県犬養貞守・直講山口西成らを存問渤海客使に任じ、能登国に派遣。 続後紀         嘉祥2 大中3 文聖王11 咸和19
3・14 存問渤海客使県犬養貞守ら、渤海王書・中台省牒等の案文を奏上する。渤海王書・中台省牒ともに、年期未満だが、隣好を修めるために使者を派遣する旨を述べる。 続後紀        
3・21 存問渤海客使、馳駅。違期来朝詰問の問答文を奏す。 続後紀        
3・28 存問渤海客使、領客使を兼任。 続後紀        
4・28 領渤海客使、渤海使王文矩らを率いて入京する。良岑宗貞を派遣して慰労し、鴻臚館に安置させる。宣命して、違期入朝ではあるが、苦難の末に来朝したことを考慮し優遇する旨を告げる。 続後紀        
4・30 渤海使に時服を賜う。 続後紀        
5・2 渤海使王文矩ら、八省院で国王の書・信物等を献じる。渤海大使が時康親王(後の光孝天皇)の「拝起之儀」をみて、天皇になる相があることを語ったのは、同日も含めた賜宴中のことと考えられる。 続後紀        
三実光孝天皇天皇即位〔元慶8・2・4〕前紀        
紫明抄巻1桐壺        
河海抄巻1桐壺        
5・3 天皇臨席のもと、豊楽殿で渤海使らに宴を催す。大使王文矩に従二位、副使烏孝慎に従四位上、大判官馬福山・少判官高応順に正五位下、大録事高文信・中録事多安寿・少録事李英真に従五位下を授ける。この他の品官・首領にも授位。 続後紀        
5・5 渤海使、武徳殿での騎射の儀に列席。薬玉を渤海使に賜う。藤原衛が応接し、儀範を称賛される。 続後紀        
文実天安1・11・5条        
5・10 公卿を遣わして朝堂に渤海使を饗す。詔して、国王と王文矩らに物を賜う。 続後紀        
5・12 小野篁・藤原春津・藤原春岡・橘海雄・大窪益門・安野豊道らを鴻臚館に派遣。渤海王宛の書・中台省宛の太政官牒を渤海使に授ける。書・牒ともに、年期違反への意見を述べる。この日、王文矩ら、帰国の途につく。 続後紀        
6・7 雲叙、かねて日本僧恵蕚によってもたらされた在日唐僧義空の書への返書を作り、帰国する恵蕚に託す。 唐人書簡        
8・4 大宰府、馳駅。唐の商人53人の乗る船が、多くの貨物を携えて来着したことを報じる。 続後紀        
閏12・24* 来日中の唐商人徐公祐、かねて受け取った在日唐僧義空からの書状に返書。恩を謝し、白茶垸・越垸子・青瓶子・銅匙筋を、義空の使者に託す。 「唐人書簡」        
元亨釈書巻6        
この年 参議滋野貞主、上表して、大宰府の重要性を強調。近年、有用な人物が登用されず、大宰府の官吏は不正を見ても糺さなくなっているなどの府官堕落の現状を嘆き、大宰少弐小野恒柯と筑前守紀今守を名指しで批判する。 文実仁寿2・2・8条        
850 この春 天台宗の僧円珍、夢に山王明神より入唐求法を勧められる。 智証大師年譜         嘉祥3 大中4 文聖王12 咸和20
5・15 延暦の遣唐使、橘逸勢に正五位下を追贈。 文実        
11・6 従四位下治部大輔興世書主、没(73歳)。百済系渡来人の裔。和琴を能くし、新羅人沙良真熊に新羅琴を学び、その秘道を得た。 文実        
この年 唐人崔勝、「帰化」する。 三実元慶1・6・9条        
851 2 大宰府に来着の「唐国商人」張友信、この月に」帰国する。 円珍奏状(平遺4492)         嘉祥4 大中5 文聖王13  咸和21
この春 円珍、入唐求法を勧められる夢告を再度受ける。両度の夢告を録して奏聞。入唐を許される。 智証大師年譜        
4・15 円珍、入唐のため大宰府に出発。5月24日、大宰府着。便船を待つ。 行歴抄        
智証大師年譜        
円珍奏状(平遺4492)        
4・28 仁寿に改元           仁寿1
この年         入朝使元弘、新羅に仏牙・仏経を持ち帰る。 史記11
三国遺事3
852 5・22 蘇州衙前散将徐公直、日本より帰国の弟徐公祐から届いた義空よりの書状に返書を作り、日本に向かう弟公祐に託す。 唐人書簡         仁寿2 大中6 文聖王14 咸和22
閏8 円珍、唐の商人欽良暉に会う。 智証大師年譜        
円珍奏状(平遺4492)        
11・7 承和の遣唐使判官菅原善主、没(50歳)。 文実        
853 2・11 大宰府、円珍の申請により、商人王超の帰国船に便乗して入唐することを許可する公験を発行。 「大宰府牒」(平遺102)         仁寿3 大中7 文聖王15 咸和23
3・28 紀椿守、没。隷書に秀で、渤海に答える書を2度担当し、朝廷の称賛を得た。 文実        
4     日本、王子を遣す。 冊府111    
冊府972
6・2 承和の遣唐知乗船事、侍医菅原梶成、没。 文実        
7〜8* 7月1日、円珍、大宰府に従者と物資などを記した牒を進め、公験を請う。5日、大宰少監藤原有蔭、下付する。15日、円珍ら一行、博多で王超らの船に乗る。8月15日、福州連江県に着。 行歴抄        
大師帰朝請弘伝官牒款状        
智証大師年譜        
「円珍牒」(平遺103)        
9〜12 円珍、福州、温州、台州等をめぐり、経論・詩巻等を得て目録を作る。 行歴抄        
大師帰朝請弘伝官牒款状        
智証大師年譜        
「円珍牒」(平遺104)        
「円珍牒」(平遺105)        
「円珍牒」(平遺106)        
「円珍牒」(平遺107)        
「円珍牒」(平遺108)        
「円珍牒」(平遺109)        
「唐国台州牒」(平遺110)        
「僧円珍求法目録」(平遺4475)        
854 9・2 円珍、福州・温州・台州で求めた経典等の目録を作る。 「僧圓珍求法目録」平遺4476         仁寿4 大中8 文聖王16 咸和24
9・20 円珍、越州開元寺に到る。 「唐国越州都督府過所」(平遺121)        
11・30 斉衡に改元           斉衡1 大中8
855 1・22 藤原松影、没(57歳)。松影、承和の遣唐使判官となるが、母老を口実に再三固辞し、許される。 文実         斉衡2 大中9 文聖王17 咸和25
3・19 円珍ら、越州都督府から過所を発給される。 「唐国越州都督府過所」(平遺121)        
7・20 大宰府、入唐留学僧円載の上表を伝進する。 文実        
11・15 円珍、長安の青竜寺で求めた経典・仏像等の目録を作る。 僧圓珍求法目録(平遺4467)        
11・15 円珍ら、唐朝から尚書省司門過所を発給される。 唐国尚書省司門過所(平遺122)        
856 3・9 大宰府が報じた漂着新羅人30人に粮を支給し、帰国させる。 文実         斉衡3 大中10 文聖王18 咸和26
9・7 円珍、天台山国清寺に止観堂を建てる。唐の商人・景全・劉仕献、渤海商主季延孝・英覚ら、日本より唐に帰り、円珍と会い、止観堂建立費用を施す。 円珍牒(平遺124) 日本僧円珍、天台山国清寺に止観堂を建立する。 国清寺止観堂記    
日本高僧伝要文抄2    
この秋 開成5年以来五台山に住していた日本僧円覚(田口氏)から、商人李・英覚・陳太信(泰信)らに託して円珍に天竺貝多樹柱杖・広州班藤柱杖・瑠璃瓶子・白芥子が届く。 「円珍入唐求法目録」平遺4480        
この年         円朗禅師、賀正使に随って入唐。 「月光寺円朗禅師大宝禅光塔碑」
857 1・17 現行の大衍暦に替えて五紀暦を用いることを求める暦博士大春日真野麻呂の請いを議し、大衍暦と五紀暦との併用を許す。 文実         斉衡4 大中11 文聖王19 大虔晃1
三実貞観3・6・16条        
三代格17貞観3・6・16官符        
2・21 天安に改元           天安1
9・3 承和度遣唐使准判官長岑高名、没(64歳)。長安に到った際、副使小野篁不在のため、とくに上殿を許される。 文実        
9         文聖王死去。憲安王に即位。   憲安王1
10 円珍、長安・福州・温州・台州や国清寺・禅林寺等で求めた経論などの目録を作る。 「僧円珍求法目録」平遺4477        
858 2     渤海王彝震卒、弟の大虔晃を渤海王とす。 旧唐書18下     天安2 大中12 憲安王2 大虔晃2
資治通鑑249
閏2〜4・1 円珍、再三にわたって貞元の例に准じて、教典類の国外持ち出し許可の判印を請う牒を台州刺史に提出する。 「円珍牒」平遺124        
「円珍牒」平遺125        
「円珍牒」平遺126        
「円珍牒」平遺127        
4・8 台州刺史、円珍の請いにより、判印を給す。 大師帰朝請弘伝官牒款状        
「台州刺史厳修陸牒」平遺4478        
4・9 円珍が国清寺に牒。 「僧円珍牒狀案」平遺4479        
5・15 円珍、各地で求めた経典等の目録入唐求法惣目録を作る。 「円珍入唐求法目録」平遺4480        
智証大師年譜        
6・8 円珍、台州を辞し、商人李延孝の船で帰国の途につく。 智証大師年譜        
大師帰朝請弘伝官牒款状        
日本高僧伝要文抄2        
6・19 円珍ら、肥前国松浦郡に着き、22日、鴻臚館に入る。8月14日、上京の勅命が伝えられる。円珍、大宰府周辺に滞在し、10月には、帰国便の乗員の唐人らと詩文を交歓する。12月、大宰府を発し、27日、入京。洛北の出雲寺に滞在する。 智証大師年譜        
大師帰朝請弘伝官牒款状        
行歴抄        
円珍伝        
日本高僧伝要文抄2        
寺門伝記補録巻1        
寺門伝記補録巻8唐坊記目録        
唐人送別詩并尺牘        
この年     日本僧慧鍔(萼)、五台山で観音像を得て帰国しようとする。 仏祖統紀巻43    
        了悟(順之)和尚、入朝使に随って入唐。 祖堂集20
「瑞雲寺了悟和尚真原塔碑」
859 1・16 円珍、参内し、唐より将来した金胎両部曼荼羅を献じる。 行歴抄         天安3 大中13 憲安王3 大虔晃3
円珍伝        
大師帰朝請弘伝官牒款状        
寺門伝記補録巻1        
寺門伝記補録巻8        
1・20 円珍、延暦寺に入る。 行歴抄        
1・22 能登国、馳駅し、渤海使烏孝慎ら104人が珠州郡に来着したことを報じる。 三実        
1・28 少外記広宗安人・大内記安倍清行を領渤海客使とする。 三実        
2・4 渤海使、能登に到着。詔して加賀国に遷す。 三実        
2・7 直講苅田安雄(のち紀安雄)を領渤海客使とする。広宗安人の辞退によるもの。 三実        
三実仁和2・5・28条        
2・9 春日宅成を渤海通事とする。 三実        
3・13 領渤海客使を存問兼領渤海客使と称させる。安倍清行ら、京都を出発。渤海副使周元伯が文筆に堪能であるため、島田忠臣を仮に加賀権大掾に任じ、応接唱和させる。 三実        
4・15 貞観に改元           貞観1
5・10 存問兼領渤海客使安倍清行ら、渤海王大虔晃の書と中台省牒及び信物等を奉る。朝聘の年期が近付いたので使者を遣わす旨の趣旨。渤海大使烏孝慎、大唐の新用経である長慶宣明暦経を進上する。 三実          
三実貞観3・6・16条          
三代格17貞観3・6・16官符          
6・23 渤海使に渤海王宛の慰労詔書・信物等を付す。文徳天皇の諒闇中であることや、災害が頻発し、人民を煩わすことはできない等の理由により、烏孝慎らを入京させずに帰国させることを述べる。中台省宛の太政官牒もほぼ同趣旨。大使烏孝慎に東絁50疋・綿400屯を賜う。 三実          
7・6 渤海使烏孝慎ら、加賀国より帰途につく。21日、存問兼領渤海客使苅田安雄、渤海使帰国を復命する。 三実7・21条          
8     宣宗死、懿宗即位。        
この年 円珍、園城寺に唐房(唐院)を建立し、請来した経書を収蔵する。 智証大師年譜          
860 2・25 承和の遣唐請益僧真斉、没する。承和3年に出発したが逆風に遭い太宰府に帰着。不吉として交替させられる。 三実         貞観2 大中14 憲安王4 大虔晃4
紀家集        
11     咸通へ改元       咸通1
12・8 「釈奠式」1巻を作り、諸国に頒つ。大唐開元礼を参考に作成。 三実        
三代格10      
大中年中*     「日本王子」来朝し宝器・音楽を献じる。王子、囲碁を善くし、唐の名人と対局。(新羅から派遣された王子か) 冊府111     承和14〜貞観2 大中1〜大中14 文聖王9〜憲安王4 咸和17〜大虔晃4
冊府869
冊府972
冊府997
學津討原所収杜陽雑編下
玉海巻108
861 1・20 出雲国、渤海使李居正ら105人が隠岐を経て島根郡に着いたことを報じる。 三実         貞観3 咸通2 憲安王5 大虔晃5
1・21 渤海使への穀舂支給を出雲国司に命じる。 三実        
1・28 藤原春景・葛井善宗を領渤海客使、春日宅成を通事に任じる。勅して、使事を終えるまで、藤原春景を但馬権介、葛井善宗を因幡権掾と称させる。 三実        
1・29         憲安王、死去。景文王、即位。   景文王1
2・7 遣唐使者、攝津国住吉神社に向かい、神宝を奉じる。 三実        
3・29 太政官、符を山陰・山陽・南海・西海道諸国に下して、西国に巡礼求法する真如が通過する際には安置滞在させ、必要な費用を正税から支給すべきことを命じる。 扶桑略記元慶5・10・13条        
東寺要集3        
3・30 真如に南海道に向かうことを許す。一説に、入唐許可。 三実        
入唐五家伝4「頭陀親王入唐略記」        
入唐記真如親王      
4・14 渤海使李居正、唐大中6年書写の仏頂尊勝陀羅尼記を齎す。 石山寺所蔵仏頂尊勝陀羅尼記奥書        
5・10     沈懽、国清寺止観堂記を記し、止観堂建立に対する円珍の功績を称える。 国清寺止観堂記    
5・21 存問兼領渤海客使らに、年期違反の渤海使李居正らに対し、炎旱が続き農業の妨げになるため入京を停止すること、渤海王の書・信物等は受け取らず、中台省牒だけを進上すべきこと、出雲国の絹145疋・綿1225屯を渤海使105人に頒つことを告げる。 三実        
5・26 渤海国中台省に送る太政官牒を出雲国に下す。また、大使李居正に絁一十疋・綿四十屯を賜う。 三実        
6・16 長慶宣明暦を施行。貞観元年に渤海使烏孝慎によって唐から伝えられたもの。 三実        
三代格17        
6・19 真如、池辺院を発する。7月11日、難波津に到る。 入唐五家伝4「頭陀親王入唐略記」        
7・13 真如、難波津で大宰府に向かう貢綿船に乗る。8月9日、大宰府鴻臚館着。9月15日、壱岐島に向かう。さらに肥前国松浦郡の柏島に移る。 入唐五家伝4「頭陀親王入唐略記」        
10・7 真如、唐通事張友信に船1隻を建造させ、翌年5月、完成。再度大宰府鴻臚館に到る。 入唐五家伝4「頭陀親王入唐略記」        
この年 長安大興善寺の智恵輪、円珍宛の書状等を唐商人・景全に託す。 「僧圓珍書状」(平遺4541・4542)        
862 4・25 僧師静、円珍宛の書状を草す。 唐人送別詩并尺牘         貞観4 咸通3 景文王2 大虔晃6
7・23 大宰府に勅し、来朝の唐商人李延孝ら43人を安置供給させる。延孝、唐僧師静の円珍宛状を齎すか。 三実        
唐人送別詩并尺牘        
7 真如ら、僧俗60人とともに乗船し遠値嘉島に向かう。8月19日、遠値嘉島着。9月3日、唐に向かう。 入唐五家伝4「頭陀親王入唐略記」        
三実元慶8・3・26条        
入唐の真如親王、右大臣(藤原良相)に巴子國劒を贈る。時期は貞観3年以前とする説あり。 相應和尚伝        
明匠略伝        
        唐に遣使し方物を貢ず。 史記11
8 讃岐永直、没。80歳。生前、興原敏久らが刑法難義数十事を抄出し唐に質問しようとした際、永直が解答し、唐に送ることを止める。 三実        
        入唐使富良等、溺死する。 史記11
9・7 真如ら、明州着。12月、勅符が到着し越州に向かうことを許される。 入唐五家伝4「頭陀親王入唐略記」        
863 1・4 唐商陳泰信、円珍に書状を送る。京から大宰府の鴻臚館に使者が来て唐物を購入したことを知らせる。 陳泰信書状(平遺4539)         貞観5 咸通4 景文王3 大虔晃7
4・21 博多津に来着していた新羅僧元著・普嵩・清願ら3人を鴻臚館に安置して粮食を支給し、唐人船の来航をまって放却すべきことを大宰府に命じる。 三実        
4 真如に同行した賢真・恵蕚・忠全と小師・弓手・柂師・水手ら、越州に向かう真如と別れ、明州より帰国。 入唐五家伝4「頭陀親王入唐略記」        
8・4 円珍、唐僧智恵輪への書を唐商人・景全に託す。 「僧圓珍書状」(平遺4541・4542)        
9・1 大宰府鴻臚館に滞在中の唐人陳季方、円珍への返書を作る。 唐人送別詩并尺牘        
11・17 丹後国竹野郡松原村に漂着した細羅国人屎鳥舎漢ら54人と、因幡国荒坂浜に来着した新羅人57人に糧を支給して帰国させる。 三実        
都氏文集4        
この年 新羅人30余人が、石見国美乃郡の海岸に漂着する。死者10余人、生存者24人。 三実貞観6・2・17条        
この頃 このころ、唐商・景全・徐直・李達ら、書状を円珍に送るか。 「・景全書狀」(平遺4488)        
「徐直書状」平遺4489        
「李達書状」平遺4490        
864 1・14 円仁、没する(72歳、一説では71歳)。 三実         貞観6 咸通5 景文王4 大虔晃8
2・17 石見国司に詔。昨年、美乃郡漂着の新羅人に路粮を支給し放却させる。 三実        
4         日本国使、至る。 史記11
5・21 真如一行、長安に着、西明寺に滞在する。皇帝、円載の奏聞により真如到着を聞き感嘆する。真如、さらに求法のため、天竺に向かうことを請い、勅許される。 入唐五家伝4「頭陀親王入唐略記」        
8・13 太政官、大唐通事張友信が不在の間、唐僧法恵を通事とする太宰府の請いを許す。 三実        
この年 唐商・景全、来航。景全の報告により、前年、円珍が智恵輪に託した書状を渡すことができなかったことを知る。翌年帰国。 「僧圓珍書状」(平遺4541・4542)        
865 1・27 真如、広州から天竺に向けて出発する。随行の宗叡らは6月、福州から帰国。5日4夜で値嘉島に到る。 入唐五家伝4「頭陀親王入唐略記」         貞観7 咸通6 景文王5 大虔晃9
2・15 真如に従って入唐した賢真が、明州開元寺に贈る銅鐘1口を鋳造。開元寺滞在時、同寺に鐘の無いことを嘆く長老の言を聞き、帰国後の送達を約すという経緯を銘文(都良香作)に記す。 「大唐明州開元寺鐘銘一首幷序」(都氏文集3)        
4         唐懿宗が胡帰厚らを派遣。先王を弔祭し賻一千匹などを贈る。景文王を新羅王に冊封する。 史記11
「初月山崇福寺碑銘」
7・27 勅して、宗叡らとともに来着した李延孝ら63人を鴻臚館に安置させる。 三実        
10・26 和邇部大田麻呂、没(68歳)。承和の遣唐使の一員として入唐し、帰国時に、南海の賊地で殺された良枝(大戸)清上に師事して笛を学ぶ。 三実        
866 2・7 信濃国水内郡三和・神部両神に忿怒の心あり、兵疫の災をいたすことを神祇官が奏す。国司・講師に潔斎して奉幣すること、あわせて金剛般若経般若心経を転読すべきことを命じる。 三実         貞観8 咸通7 景文王6 大虔晃9
2・14 神祇官、肥後国阿蘇大神に怒気あり、隣境兵疫の前兆である由を奏す。国司に潔斎して奉幣すべきこと、あわせて金剛般若経般若心経の転読等を命じる。また、大宰府にも転読を命じる。さらに16日、摂津国住吉神社に11人の僧侶を遣わして金剛般若経般若心経を転読させ、兵疫の消伏を祈らせる。 三実        
三実2・16条        
2・21 丹墀真人貞峯ら、姓多治真人を賜る。これは先に、天平6年(734)遣唐大使多治比広成が入唐の時、丹墀と改姓し、復命ののちもその姓を用い、その後、天長9年(832)には一族の多治比貞成らが丹墀に改姓を請い許されているが、多治比は由緒ある姓であるので、旧姓に戻し、多治真人の姓を賜らんことを請う上表文を提出したことによる。 三実        
4・16 山城・若狭両国に兵事の恐れがあるので、警戒することを命じる。 三実        
4・17 京師に頻りに怪異出現。陰陽寮は、これを隣国来寇の危険ある由と言上する。この日、大宰府に下知して警戒させる。唐人(任仲元)、過所を持たずに入京。このことにより、豊前・長門の国司及び関司を譴責し、今後警急の事態が生じた場合には厳罰に処すべきこととする。 三実        
5・21 過所を持たずに入京した唐人任仲元に譴詰を加え、大宰府に送り返し、重ねて長門国及び大宰府に関門を厳重にすべきことを命じる。 三実        
7・6 伊勢太神宮に応天門の火炎のことを告げた際、大幣帛に唐物(綵帛錦綾)を用いる。 三実        
7・15 大宰府、馳駅して、新羅人珎賓長が、新羅に渡った肥前国基肆郡擬大領山春永・藤津郡領葛津貞津・高来郡擬大領大刀主・彼杵郡の人永岡藤津らに武器製造法を教え、対馬島の奪取を企てていることを奏言する。并せて射手45人の名簿を進める。 三実        
9・1 唐商人張言ら41人の乗る船1艘、大宰府に来着する。 三実10・3条        
10・3 大宰府に、唐人張言らを鴻臚館に安置し、例に従って供給することを命じる。 三実        
11・17 この頃しきりに現れる怪異は新羅の賊兵が間隙をうかがう予兆であるとして、能登・因幡・伯耆・出雲・石見・隠岐・長門の諸国及び大宰府に、管内の諸神への班幣、鎮護祈念と兵士の訓練を命じる。 三実        
この年 前隠岐守越智貞厚が新羅人と共謀して反逆を企てている旨を、隠岐国の浪人安曇福雄が密告する。貞観11年に誣告であることが判明する。 三実貞観11・10・26条        
867 5・26 四天王像各1舗を伯耆・出雲・石見・隠岐・長門等諸国に頒ち安置させ、像の前で最勝王経四天王護国品を春秋二季七日間転読させる。諸国が新羅と境を接するため。また、隠岐国は新羅に近いため、特に警戒を厳重にさせる。 三実         貞観9 咸通8 景文王7 大虔晃10
三代格5・貞観11・3・7官符        
6・11 入唐僧恵運、安祥寺資財帳を勘録する。資財帳には、恵運らが将来した唐物・新羅物が、多数著録される。 安祥寺伽藍縁起資財帳(平遺164)        
小右記永祚1・5・1条        
6・21 近江国滋賀郡比良山妙法・最勝両精舎を官寺とする。入唐僧賢真の請による。 三実        
10・4 承和度遣唐使准判官藤原貞敏、没する(61歳)。 三実        
この年 入唐の円珍と交流のあった、温州の徳円、則天皇后縫繍の極楽浄土変1幅・仏舎利などを唐婺州人・景全に託して円珍のもとに齎らす。・景全自らも付法蔵の高僧影像二幀を贈る。 円珍伝        
寺門伝記補録巻8唐坊記目録        
智證大師年譜        
869 3・7 隠岐国の史生1人に代えて、弩師を置くこととする。 三代格5         貞観11 咸通10 景文王9 大虔晃12
5・22* 新羅海賊船2艘が博多津に来着し、豊前国の年貢絹綿を掠奪して逃亡する。6月15日、大宰府、兵を発して追討したが捕らえることができなかった旨を報告する。 三実6・15条        
三実12・29条      
三実貞観15・12・17条      
三実貞観18・3・9条      
寵壽申状案(平遺4902)      
7・2 管内諸国の貢調使は同時に出発すべきであるにもかかわらず、豊前貢調使を先発させたため、新羅海賊の被害を受けるに至ったとして、大宰府司を譴責する。 三実        
7         王子蘇判、金胤等入唐・謝恩。馬・麩金・銀・牛黄・人参・大花魚牙錦・小花魚牙錦などを貢じる。学生李同等3人を金胤に随行させ、修学させた。 史記11
10・26 貞観8年に越智貞厚が新羅人と共謀して反逆を企てている旨を密告した安曇福雄を、誣告の罪で遠流に処す。 三実        
11・29* 長門国の史生1人に代えて、弩師を置くこととする。 三代格5        
三実12・2条        
12・5 大鳥の怪異を卜筮した大宰府より、兵寇の兆しがあること、鴻臚中島館と津厨が離れていることから生じる非常事態への不備に備えるべきこと、そのため、諸国に散在する夷俘を要所に配置すべきことを要請する。これを許す。 三代格18        
三代格18、寛平7・3・13官符        
三実        
12・14 伊勢大神宮に奉幣して、今年起こった新羅海賊来襲のこと、12月5日の大鳥の怪異、肥後の地震風水害、陸奥の大地震のことなどを告げ、平安を祈願する。 三実        
12・17 最近の新羅海賊の来襲や大宰府における大鳥の怪のことを、神祇官・陰陽師が占卜すると、隣国の兵寇の前兆であるという。また肥後国に風水害、陸奥国に地震の災等あり。この日、諸国に命じて、国内諸社に奉幣して、後害を防がせる。 三実        
12・25 諸国に、地震・風水の災を謝し、隣国の兵寇を避けるため、3日間金剛般若経を転読することを命じる。 三実        
12・28 新羅海賊の来寇を防ぐために、13日に坂上滝守を大宰権少弐として派遣。大宰府と鴻臚館とがわずかに2駅の近距離であるため、不虞に備えて、選士40人・甲冑40具を鴻臚館に移置する。また例番の選士100人の外に、さらに統領2人・選士100人を増員する。 三実        
三実元慶5・11・9条        
三代格18        
三代格18、貞観12・1・15官符        
12・29 石清水神社に奉幣。新羅海賊の来寇、諸国の災異のことを告げ、平安を祈る。 三実        
870 1・13 甲はあるが冑がないため、非常事態に備えて支給するよう求めた壱岐島の請いを認め、冑・手纏各200具を壱岐島に配置することを命じる。 日本三実         貞観12 咸通11 景文王10 大虔晃13
1・15 甲冑と手纏・足纏各110具を鴻臚館に移し置く。 三代格18貞観12・1・15太政官符        
2・12 これより先、大宰府、新羅が大船を建造し、兵士を調練して対馬島奪取を企てているとする卜部乙屎麻呂(対馬島下県郡の人)の言を報告する。この日、大宰府に、縁海の諸郡に警固をさせることを命じる。また因幡・伯耆・出雲・石見・隠岐等の国に兵具の調修をさせ、山陰道諸国に、弩師に適当な人物を選定させる。 日本三実        
三代格5貞観12・7・19        
2・15 八幡大菩薩宮及び香椎廟・宗像大神・甘南備神に奉幣して、新羅海賊の来寇・諸国災異のことを告げ、平安を祈る。また使者を諸山陵に遣わして、新羅海賊の来寇のことを告げる。 日本三実        
2・20 大宰府に、新羅海賊の貢綿略奪に関与した嫌疑で身柄を拘束した潤清ら30人と、以前から管内居住の新羅人を上京させることを命じる。これより先、大宰府、漂着新羅人は粮を支給して帰国させるべきであるが、新羅が来襲した場合、他の管内居住新羅人とともに内応する恐れがあるため、天長1年8月20日の格旨に准じて、日本渡来の新旧を問わず新羅人を陸奥国の空地に移し置くことを請う。この日、太宰府の請いを認める。 日本三実        
2・23 大宰大弐藤原冬緒、4カ条の起請を奏し、烽燧の試験を行うことなどを請い、許される。 日本三実        
2         沙湌金因、入唐し宿衛となる。 史記11
5・19 出雲国の権史生鴈高松雄を弩師とする。 類聚三代格5        
6・7 大宰府に、対馬島に選士50人を配置することを命じる。 三実        
6・13 隣兵を警戒すべきとの大宰府のかねてからの報告をうけ、筑前国・肥前国・壱岐島・対馬島に警戒を命じる。大宰府、身柄を拘束した新羅人潤清ら30人のうち7人が逃亡したことを報らせる。 三実        
7・19 因幡国の史生1人に代えて、同国の人黄文真泉を弩師とする。 三代格5        
8・28 これより先、対馬島新羅の侵掠を防ぐため、弩師1員を置くことを請う。この日適当な人物を選び、補任することを命じ、永く恒例とする。 三実        
9・15 新羅人潤清ら20人を武蔵・上総・陸奥3国に各々配置する。口分田・営種料を給い、先例によって秋の収穫にいたるまで、公粮を支給する。この内、僧・沙弥は定額寺に安置する。また潤清ら3人は造瓦の技術に長けているため、特に陸奥国修理府料造瓦事に預からせ、その技術を伝習させる。 三実        
11・13 筑後権史生佐伯真継、新羅国牒状を奉進し、大宰府少弐藤原元利万侶が新羅国王と共謀して国家を害そうとしている旨を告げる。 三実        
11・17 大宰府に命じて、藤原元利万侶及び前主工上家人、浪人清原宗継・中臣年麿・興世有年ら5人を捕らえさせる。また、内記安倍興行らを推問密告使として大宰府に派遣する。 三実        
11・26 防援のため筑後權史生佐伯真継を大宰府に下向させる。 三実11・26条        
この年         遣使金緊栄に随い、朗空大師入唐。 「太子寺朗空大師碑銘」
871 1 太元宗第二阿闍梨寵寿、恒例の太元師法を修していた際、勅使が至って、新羅海賊を平伏させるため祈るべきことを伝える。 太元帥法縁起奏状         貞観13 咸通12 景文王11 大虔晃14
寵壽申状案(平遺4902)        
8・16 伯耆国の史生1人に代えて、同国の人高市金守を弩師に任じる。 三代格5        
12・11 加賀国に、渤海使楊成規ら105人が来着する。 三実        
三実元慶1・4・18条        
872 1・6 少内記菅原道真・直講美努清名を存問渤海客使に、園池正春日宅成を通事とする。 三実         貞観14 咸通13 景文王12 大玄鍚1
尊卑文脈四ノ58菅家御伝        
1・20 京で咳逆病によって死亡するもの多数にのぼり、来朝した渤海使のもたらした毒気によるといわれる。この日、建礼門前において大祓を行う。 三実        
1・26 菅原道真の母の死去にともない、道真にかえて、少外記大春日安守を存問渤海客使に任じる。 三実        
3・14 存問渤海客使に領客使を兼任させる。 三実        
3・23 この春以来の怪異頻発により賀茂両社・松尾・梅宮・平野・大原野・石清水・稲荷の各神社に奉幣する。渤海使が年期を守って来朝したので、入京させるために、この間の無事を祈る。 三実        
4・13 存問渤海客使、渤海王啓・中台省牒などを調べ、違例を詰問した問答記と加賀国に向かう道中の消息を奏上する。 三実        
4・16 少内記都言道・式部少丞平季長を掌渤海客使に、常陸少掾多治守善・文章生菅野惟肖を領帰郷渤海客使とする。 三実        
古今和歌集目録        
5・7 掌渤海客使都言道、良香に改名。外国使に応接するため、「姓名相配」の義に合うように改めることを請い、許されたもの。 三実        
古今和歌集目録        
5・15 右少将藤原山蔭を郊労使として山城国宇治郡山科村に派遣し、領渤海客使と共に渤海使楊成規・李興晟ら20人を率いて入京させる。左官掌狛人氏守が体軀長大で、容儀に優れているため、仮に玄蕃属に任命し、渤海使の饗宴・応接にあたらせる。氏守の請により、姓を直道宿祢と改める。 三実        
5・17 右馬頭在原業平を鴻臚館に遣わして渤海使を労問する。この日、渤海使に時服を賜う。 三実        
三十六歌仙伝在原業平        
5・18 左中将兼備中権守源舒を鴻臚館に派遣し、渤海王の書・中台省牒と信物を受領させる。渤海王大玄錫、旧例に准じ年期が満ちたので善隣の使者をおくる旨を述べる。中台省牒も同様の趣旨を述べる。 三実        
5・19 参議左大弁兼勘解由長官近江権守大江音人を鴻臚館に遣わし、渤海使に位記を授ける。また、去年陰陽寮が蕃客来朝により不祥のことあるべき由を占したため、謁見せず鴻臚館より帰国させる。 三実        
菅家文草8「賜渤海入覲使告身勅書」        
5・20 内蔵寮、渤海使と交易を行う。 三実        
5・21 京師の人が渤海使と交易することを許可する。 三実        
5・22 市人が渤海使と私交易することを許す。この日渤海使に官銭40万貫を賜い、召集した市廛人から日本の産物を購入させる。また前筑後少目伊勢興房を領帰郷渤海客使通事に任命する。 三実        
5・23 大学頭兼文章博士阿波介巨勢文雄・文章得業生越前大掾藤原佐世を鴻臚館に派遣。渤海使を饗し、禄を賜う。 三実        
5・24 渤海使大使楊成規、天皇・皇太子に私的に品物を献じる。渤海使に曲宴・御衣を賜う。客主、詩文を唱酬。少内記菅原道真に渤海国王に答える勅書を作らせる。都氏文集に、都良香の「贈渤海客扇銘」と題する漢詩あり。 三実        
都氏文集3        
都氏文集4        
菅家御伝記        
菅家文草8「答渤海王勅書」        
5・25 鴻臚館に遣使し、渤海王宛の慰労詔書と中台省宛の太政官牒を渤海使に付す。慰労詔書に、年期を守って遣使してきたことを嘉賞する旨を述べる。太政官牒も同趣旨。この日、渤海使楊成規ら、領帰郷客使多治守善らとともに鴻臚館を出発し、帰途に就く。掌客使都良香、見送る。 三実        
菅家文草8「答渤海王勅書」        
873 3・11 渤海人崔宗佐・大陳潤ら60人の乗る舶2艘が薩摩国甑島郡に漂着する。薩摩国司の問いに、徐州の乱平定を賀するため唐に派遣された渤海人と称し、波浪が険しく漂着した旨を答える。国司、宗佐らが公験等を所持していないため、新羅人が渤海人と詐称しているのではないかと疑い、2艘を率いて大宰府に向かう。途中1艘逃れ去る。大宰府これを朝廷に報告する。 三実5・27条         貞観15 咸通14 景文王13 大玄鍚2
3・28 木工寮と右京職に鴻臚館の監守を命じる。 三実        
5・27 先に薩摩国甑島郡に漂着した崔宗佐らが渤海人であれば食料を支給して帰国させ、もし新羅人であれば拘禁して言上すべきこと、及び管内諸国に警戒を厳重にさせるべきことを大宰府に命じる。 三実        
6・21 武蔵国、貞観12年に大宰府より遷された新羅人3人が逃亡し、所在不明であることを報せる。諸国に捜索を命じる。このうち2人は元慶3年時点でも依然として所在不明。 三実        
三実 元慶3・4・2条        
7・8 先に漂着した崔宗佐らの申状等を検討したところ渤海人であることが明らかになったので、衣粮を支給し、封函・封書を開封しないこと、乗船2艘を修理すべきことなどを命じる。 三実        
三実元慶1・4・18条        
都氏文集4        
7・18     懿宗死、僖宗即位。⇒日付確認      
9・8* 甲斐国、貞観12年に大宰府より上総国に遷された新羅沙門伝僧・巻才の2人が山梨郡に寄留していることを報せる。上総国に帰らせる。 三実        
9・25 新羅人32人の乗る船、対馬島に漂着する。対馬島司、使者とともに大宰府に送る。彼らを鴻臚館に安置する。 三実12・22条        
11・14 在原善淵ら、入唐した高丘親王が期限が過ぎても帰国せず、存亡も不明であるので、その封邑の返収を請うが、これを許さず。 三実        
12・17 大宰府、貞観11年の新羅海賊襲来以後、警備費用増加のため、100町の警固田を置き、その地子を雑用に充てることを請い、許可される。 三実        
12・22 大宰府に命じて、9月25日対馬島に漂着し鴻臚館に拘禁されていた新羅人32人を重ねて捜検した上で帰国させる。 三実        
874 4         唐の僖宗が使を派遣して宣諭する。 史記11 貞観16 咸通15  景文王14 大玄鍚3
5・28 鴻臚館の監護を右京職と木工寮で共同して行わせ、破損などがあった場合は、寮職長官の交替の際、解由を拘することとしていた制を、主典以上もともに監護し、問題があれば長官と同じく解由を拘することに変更する。 三実        
類史107木工        
6・3 唐商人崔岌ら36人の乗る船が肥前国松浦郡に着岸する。 三実7・18条        
6・4 これより先、渤海人崔宗佐ら56人、石見国に漂着する。食料等を与えて本国に還す。 三実        
6・15 大宰府に、僧以船の入唐に際し、管内国の正税稲1000束の支給を命じる。 三実        
6・17 伊予権掾大神巳井・豊後介多治安江らを唐に派遣し、香薬を購入させる。また藤原山蔭、大神巳井に黄金を託し、白檀の香木を買得させる。後にこの香木で千手観音造を造り、摂津国島下郡に総持寺を建立し、安置する。 三実        
長谷寺霊験記13      
朝野群載1      
7・18 大宰府に、先に来着した唐人崔岌らを、帰化の例に准じて安置供給するよう命じる。 三実        
8・8 かねて大宰府から報告のあった対馬島への漂着新羅人金四、金五ら12人の来着の事情を問わせ、本国に還させる。 三実        
11     乾符へ改元する       乾符1
この年         在唐の崔致遠が科挙に及第する。 史記11
史記46
875 1・22 津守稲利を石見国の弩師に任じる。 三代格5貞観17・11・13官符         貞観17 乾符2 景文王15 大玄鍚4
7・8         景文王、死去。憲康王、即位。   憲康王1
6     黄巣の乱(〜884年6月)      
876 3・9 肥前国松浦郡庇羅・値嘉両郷を合わせて上近・下近2郡とし、値嘉島と名付ける。大宰権帥在原行平の起請によるもの。同島は、来日の唐・新羅人および日本遣唐使らが必ず経由する要地。唐人は同島で香薬採取、海岸の奇石鍛錬などをおこなうという。 三実         貞観18 乾符3 憲康王2 大玄鍚5
3・13 参議太宰権帥在原行平の起請により、対馬島の防人94人を停止する。 三代格18寛平6・8・9官符        
7・14 唐商人楊清ら31人の乗る船1艘が筑前国荒津海岸に来着したことを大宰府が報じる。 三実8・3条        
7         唐に遣使し方物を貢じる。 史記11
8・3 大宰府に命じて、唐人楊清らを帰化の例に准じて安置供給させる。 三実        
9・13 渤海国中台省が日本国太政官宛牒状を作る。そのなかで楊中遠ら105人を派遣し、渤海遣唐使が日本に漂着した際に受けた恩を謝すことと、日本の使者の派遣を請うことをのべる。 都氏文集4        
12・26 渤海使政堂省孔目官楊中遠ら105人、出雲国に到り嶋根郡に安置される。出雲から京への報告は翌元慶元年1月16日。 三実元慶1・1・16条        
三実元慶1・4・18条        
都氏文集4        
この頃 唐天台山国清寺の僧清観の書と詩が円珍に届けられる。円珍と台洲開元寺の僧常雅ら唐の僧俗との間に詩文の贈答等が行われる。 智証大師年譜貞観18年条        
陳泰信書状(平遺4539)        
唐僧常雅書状(平遺4540)        
877 2・3 少外記大春日安名・前讃岐掾占部月雄を存問渤海客使に任じる。通事に園池正春日宅成。 三実         貞観19 乾符4 憲康王3 大玄鍚6
閏2・17* 入唐求法を志す僧斉詮・安然・玄昭・観漢ら4人に、駅馬を利用して大宰府に向かわせる。唐人の商船に乗船するが、玄昭ら、心中不安を感じて下船。斉詮ひとり渡航を企て賊のために殺される。後人、玄昭の先知の明を称する。 三実        
円珍伝        
阿娑縛抄明匠等略伝玄昭律師        
入唐記        
扶桑略記        
智証大師年譜貞観18年条        
3・11 存問渤海客使に領客使を兼ねさせる。 三実        
4・16 元慶へ改元           元慶1
4・18 存問兼領渤海客使、渤海王大玄鍚の書と中台省牒を写して上奏する。大玄鍚、日本に漂着した渤海の遣唐使門孫宰らへの厚遇を謝するために年期未満ではあるが遣使することをのべ、日本使の派遣を請う。中台省牒も同趣旨。 三実        
都氏文集4      
6・1 商人崔鐸ら、自船に「貴国使」多安江らを同乗させて、台洲を出発する。 三実元慶1・8・22条        
6・9 唐人崔勝に、貞観13年の太政官処分以来寄住していた伴中庸の没官地を賜う。日本に帰化して28年になる崔勝の宅地給付の請いによるもの。 三実        
6・18 太政官、渤海国中台省へ牒を送り、漂着の渤海人を保護することは礼にはおよばないこと、また年期未満の来朝は遺憾であり、年期が満ちた後に来朝すべきこと等をのべる。 都氏文集4        
6・25 渤海大使楊中遠ら、出雲国より帰国する。朝廷、王啓と信物及び、中遠が天皇に献じた酒杯等を受け取らず還らせる。 三実        
8・22 大宰府に命じ、7月25日に多治安江らを乗せて筑前国に来着した唐商人崔鐸ら63人を例に従い安置供給させる。 三実        
三実貞観16・17        
12・8 大宰府の財資・蕃客・遣唐使留置・返上等の四帳簿に記録されている貢綿を、沙金572両に替えて永貯とすることを許す。太宰府の請いによるもの。 三実        
12・16 遣唐留学僧道昭が創建し、和銅4年に平城京に移建された禅院寺を元興寺別院とする。 三実        
12・21* 10月、留学僧円載、釈典・儒書数千巻を儲え、入唐求法僧智聡らとともに、商人李延孝・・景全らの船に乗り、日本へ向かう。途中、海上で遭難し、円載・李延孝・・景全ら、溺死する。智聡は唐温州に漂着し、唐人駱漢中らに随って帰国。智聡、漢中へ優恤を加えることを請う。この日、大宰府に命じて、漢中らに衣粮を賜う。悉曇蔵によれば、智聡は久しく長安に住んでいたため、日本に新しい漢字音を伝えたという。 三実 西住寺居住の日本僧円載、在唐40年の後、帰国する。帰国の際、紫衣を賜る。また皮日休・陸亀蒙・顔萱ら、送別の詩を贈る。 大宋僧史略    
円珍伝 全唐詩614    
僧圓珍書状(平遺4541・4542) 全唐詩626    
悉曇蔵5 全唐詩629    
智証大師年譜 全唐詩631    
元慶初年頃   円珍、唐天台山に送る砂金の喜捨を募る。延暦寺から100両、高向公輔から10小両を得て、唐の商客に託す。 円珍書状(平遺4548)        
878 4         唐の僖宗が遣使し新羅王を冊封する。 史記11 元慶2 乾符5 憲康王4 大玄鍚7
7・13 隣敵が隙を窺っているという卜占の結果がでたため、大宰権少弐藤原仲直に命じて、警固に努めさせる。 三実        
7         唐の黄巣の乱を聞いて唐への遣使を中止する。 史記11
8・14 唐人崔鐸との貿易で大宰府司が借用した庫物の代金砂金361両の返済を免除する。 三実元慶3・10・13条        
8         「日本国使」至る。朝元殿にて引見する。 史記11
879 2・5 肥前国の史生1人を、弩師にかえる。 三代格5         元慶3 乾符6 憲康王5 大玄鍚8
3・13 丹後国、異国船1艘が竹野郡に漂着したことを報じる。破損し、調度もなかったという。 三実        
10・13 太宰府庫物の代として、砂金633両・水銀175斤を官帳に記載することを命じる。唐人貿易にあたっての帳簿と現実の不一致への対処策。 三実        
閏10・3 高丘親王帰国の時期が不明につき、在原安貞らの先年の請いを認め、親王封邑を返納させる。 三実        
11・10 散位従四位上良岑長松、没。承和の遣唐准判官として入唐する。弾琴の才があったため、遣唐使に任命されたという。 三実        
880 8・7 佐渡国の史生1人に代えて、出雲・隠岐国等に准じて弩師1人を置く。 三代格5         元慶4 広明1 憲康王6 大玄鍚9
8・12 越後国の史生1人を、弩師1人と代える。 三代格5        
この年 巨勢金岡、唐本をモデルに大学寮の先聖・先師・九哲等の廟像を描く。 江家次第5        
881 7     中和へ改元       元慶5 中和1 憲康王7 大玄鍚10
10・13 所司に高丘親王遷化を頒下する。在唐僧中瓘がもたらした、真如(高丘親王)が唐から流沙に向かう途中、羅越国で死去したとの報による。 三実        
入唐記        
入唐五家伝4        
扶桑略記        
12・5 従五位下丹波介ト部平麻呂、没(75歳)。ト術を善くしたため、承和の遣唐使に加えられる。 三実        
この年 唐婺州の人李達、張家の商船に付して、円珍に依頼された一切経の欠本120余巻を送る。 円珍伝        
智証大師年譜        
僧圓珍書状(平遺4541・4542)        
寺門伝記補録巻8唐坊記目録        
882 4         「日本国王」遣使して、黄金300両・明珠10箇を進める。 史記11 元慶6 中和2 憲康王8 大玄鍚11
7・15 円珍、長安大興善寺の智恵輪三蔵宛に闕経340余巻を求める書状を書き、帰国する唐商人李達らに託す。また使として弟子三慧を同行させる。 僧圓珍書状(平遺4541・4542)        
扶桑略記寛平2・12・26条        
円珍伝        
智証大師年譜        
寺門伝記補録巻8唐坊記目録        
11・27 加賀国、今月14日に渤海使裴頲ら105人が来着したことを報らせる。 三実        
11・28 太政官府を加賀国に下し、渤海使を便処に安置し例によって優遇すべきこと、渤海使のもたらした貨物を勝手に交易してはならないことを命じる。 三実        
この年         入朝使金直諒、黄巣の乱に遭遇し楚州に上陸する。僖宗の行幸先である蜀の西川まで押送される。 史記46 崔致遠
883 1・1 少外記大蔵善行・式部少丞高階茂範を存問渤海客使に、前筑後少目伊勢興房を通事に任命する。 三実         元慶7 中和3 憲康王9 大玄鍚12
1・26 渤海使の入京路にあたる山城・近江・越前・加賀等の国に、官舎・道橋の修理、路辺の死骸埋葬を命じ、越前・能登・越中国に、渤海使に供する酒・肉・魚・鳥などを加賀国に送るよう命じる。 三実        
2・21 渤海使に林邑楽を見せるため、大安寺で楽人に練習させる。同日、存問渤海客使に領客使を兼任させる。 三実        
2・25 弁官史生を加賀国に派遣し、渤海使に賜う冬の時服を届けさせる。 三実        
3・8 存問兼領渤海客使、内裏に参じて辞見する。御衣袴各1襲を賜う。 三実        
4・2 右衛門大尉坂上茂樹・文章得業生紀長谷雄を掌渤海客使に、民部大丞清原常岑・文章生多治有友を領帰郷渤海客使とする。 三実        
4・21 渤海使を饗するため、一行在京の間、諸司の官人らに禁物の帯用を許す。また大使裴頲の応接のため、臨時に式部少輔兼文章博士加賀権守菅原道真を治部大輔に、美濃介島田忠臣を玄蕃頭とする。 三実        
菅家御伝記
政事要略22年中行事
扶桑集7
4・28 右近衛少将平正範を山城国宇治郡山階郷付近に派遣し、渤海使を迎えさせる。ついで領客使と共に使節を率いて、鴻矑館に安置させる。 三実        
4・29 右大史家原高郷を鴻矑館に派遣し、渤海使を慰労させる。 三実        
5・1 右近衛佐源元を鴻矑館に派遣して、渤海使を慰労させる。 三実        
5・2 渤海使裴頲、朝堂で国王の啓・信物を進める。所司がこれを受け取り、内裏に進める。 三実        
5・3 天皇、豊楽殿に御し、渤海使に宴を催す。大使裴頲以下、判官・録事らに叙位し、位階に従って朝衣を賜う。雅楽寮鼓鐘を陳し、内教坊女楽を奏す。渤海大使ら、起座して拝受する。客徒に禄を賜う。 三実        
三実5・14条
5・5 天皇、武コ殿に御し騎射及び貢馬を覧る。渤海使も同席。伊勢守安倍興行を座に就かせ、供食させる。大使以下録事以上に続命縷、品官以下に菖蒲蘰を賜う。 三実        
5・7 渤海大使裴頲、別貢物を進める。内蔵頭和気彝範、内蔵寮の官人を率いて鴻矑館に向かい、渤海使と交易する。 三実        
5・8 内蔵寮、渤海使と交易を行う。 三実        
5・10 朝集堂で渤海使を饗す。また、大使裴頲の才と風儀を賞し、右馬助藤原恒興を派遣して御衣1襲を賜う。 三実        
5・11 菅原道真・島田忠臣・坂上茂樹・紀長谷雄ら4人、鴻臚館において渤海使裴頲らと4月以来,詩の贈答・唱和を行う。 菅家文草7鴻矑贈答詩序        
菅家文草2
田氏家集巻中
扶桑集7
5・12 渤海使、帰国する。渤海王宛の慰労詔書と中台省宛の太政官牒を付す。ついで領帰郷渤海客使清原常岑ら、渤海使を率いて鴻矑館を出発する。 三実        
扶桑集7
5・26 神泉苑に白鹿が生まれる。渤海使来朝による吉祥とされる。 三実        
9・15 河内国観心寺縁起資財帳成る。唐聖僧像、唐白瓷湯埦、唐椅子、唐鎰などが記載される。 河内国観心寺縁起資財帳(平遺174)        
10・27 唐人崔勝の右京五条一坊の宅地を32分の2増加して、32分の10とする。 三実        
三実元慶1・6・9条
10・29 渤海使が北陸道沿岸に来着した際の帰国船を能登国羽咋郡福良泊山の木材で造るため、同山の大木伐損を禁止する。 三実        
この年     唐商人栢志貞、大宰府に到着する。国清寺の諸僧らが円珍に宛てた書信をもたらす。 円珍伝        
智証大師年譜
884 3・26 入唐僧宗叡、卒す(76歳)。真如(高丘親王)に従って入唐し、五台山・天台山などを巡礼する。 三実         元慶8 中和4 憲康王10 大玄鍚13
6     黄巣の乱、平定。      
この年 新羅国使、日本に漂着する。粮を給い、帰国させる。 三実仁和1・6・20条        
885 1・17* 貂裘の着用を禁止する。参議以上は禁制の対象外とする。 三実         元慶9 中和5 憲康王11 大玄鍚14
政事要略67
延喜弾正式
2・21 仁和へ改元           仁和1
3     新羅使、帰国する。金仁圭とともに崔致遠も同行して帰国。また、これより前に崔致遠が「新羅探候使朴仁範員外」を作る。 「祭巉山神文」(唐文拾遺) 崔致遠、唐から帰国。この時、朗空大師も同行して帰国するか。 史記11
「謝賜弟棲遠錢狀」(唐文拾遺) 史記46
「上太尉別紙五首」(唐文拾遺) 太子寺朗空大師碑
「新羅探候使朴仁範員外」(唐文拾遺)
3     光啓へ改元       光啓1
4・12 新羅使判官徐善行・録事高興善ら48人、肥後国天草郡に来着する。大宰府の問いに対し、前年日本に漂着した時、官粮を支給され、本国に帰ることができたことの答礼に来たと語る。国王の書がなく、所持する新羅執事省牒も故実に違っていたため、牒状の写し及び積載の貨物を記録して言上する。6月20日に放還を命じる。 三実6・20条        
8・1 北陸道諸国及び長門国・大宰府に警固を厳重にさせる。陰陽寮が北境・西垂に兵賊があると言上したため。 紀略        
10・20 大宰府司に、王臣家の使人や管内の吏民が私に不当な高値で競買することを禁じる。 三実        
10         唐に遣使し、黄巣の乱平定を賀す。この時、新羅は表を進め、唐の皇帝はこの表に対して詔書を与える。新羅、この詔書へ謝意を述べる(「謝賜詔書両函表」)。 史記11
「謝賜詔書両函表」(東文選33)
この年         年限の満ちた学生の帰国を請う。 「奏請宿衛学生還蕃状」(東文選)
この年     日本の僧宗睿、入唐する。 宋史491    
886 6・7 石清水八幡宮に怪異があったため、陸奥・出羽・大宰府に下知して、厳重に警固させる。勅して、唐僧湛誉への毎日及び節ごとの食料の供量を定める。 三実         仁和2 光啓2 憲康王12 大玄鍚15
略記延長3・10・7
7・5         憲康王、死去。定康王、即位。   定康王1
887 7・5         定康王、死去。真聖王、即位。   仁和3 光啓3 定康王2/真聖王1 大玄鍚16
888 2     文徳へ改元       仁和4 文徳1 真聖王2 大玄鍚17
3     僖宗死去、昭宗即位。      
889 10・1     青州節度使王敬武卒。制して青州刺史・平廬軍節度観察・押新羅渤海両蕃等使等に特進。 旧唐書20上     仁和5 龍紀1 真聖王3 大玄鍚18
資治通鑑258
4・27 寛平に改元           寛平1
890 10・3 隠岐国が新羅人35人の漂着を言上する。 紀略寛平3・2・26条         寛平2 大順1 真聖王4 大玄鍚19
12・26 円珍、揚州の人からの写経50巻贈与への返礼として砂金を送る。 扶桑略記        
          崔承祐、入唐する。 史記46
891 2・26 昨年隠岐国に漂着した新羅人35人に人ごとに米・塩などを賜う。 紀略         寛平3 大順2 真聖王5 大玄鍚20
3・1     青州権知兵馬留後の王師範を検校兵部尚書・兼青州刺史とし、平廬軍節度観察・押新羅渤海両蕃等使に充てる。 旧唐書20上    
資治通鑑258
10・29* 円珍、没。 紀略        
略記
円珍伝
この年         入唐した宿衛らの待遇について状を提出する。 「遣宿衛学生首領等入朝状」(東文選47)
この年         先覚大師、新羅の入朝使とともに入唐。 「無為寺先覚大師遍光塔碑」
892 1・8 出雲国に渤海使が来着する。 紀略         寛平4 景福1 真聖王6 大玄鍚21
1・11 少内記藤原菅根・大学大允小野良弼を渤海客存問使に任じる。 紀略        
6・24 渤海王宛の勅書を左近衛少将藤原敏行に書かせる。 紀略        
6・29 渤海国に太政官牒2通を賜う。藤原敏行と文章得業生小野美材がそれぞれ清書する。牒状で、年期違反の来朝により入京させずに帰国させること、出雲国司に造船・給粮を命じたこと、期が満ちたならば来朝すべきことをのべる。 紀略        
本朝文粋12        
8・7 存問渤海客使、帰京する。 紀略        
この年         甄萱は武珍州を落とし、自ら王となったが、公然と王とは言わず、「新羅西面都統指揮兵馬制置持節都督全武公等州軍事行全州刺史兼御史中丞上柱國漢南郡開國公食邑二千戸」と言った。 史記11
史記50 甄萱
三国遺事2甄萱
高麗史1
893 3・3 長門国に新羅僧神彦等三人が漂着する。事情を確認し、問題がなかったため、食糧を支給し、帰国させる。 紀略         寛平5 景福2 真聖王7 大玄鍚22 
3 唐商人王訥らに託された在唐僧中瓘の書状が届く。唐の衰退状況や温州刺史朱褒の活動等について詳細に書かれている。 菅家文草9寛平6・9・14奏状        
菅家文草10寛平6・7・22太政官牒
5・22 大宰府より飛駅使が到着し、5月11日、新羅賊が、肥前国松浦に来襲したことを報告する。その日に勅符を与え、大宰帥是忠親王・大貳安倍興行朝臣等に追討を命じる。 紀略        
閏5・3 大宰府より飛駅使が到着し、新羅賊が肥後国飽田郡を襲い、人家を焼いたのち、肥前国松浦に逃亡したことを報告する。勅符を与え、追討を命じる。また、農務に励むべきことを命じる。 紀略        
小右記寛仁3・5・3条
閏5・7 大宰府より飛駅使が到着する。 紀略        
閏5・15 これより先、日本僧好真、師良とともに唐に到る。好真、長安崇聖寺の僧弘挙に日本へ渡航し、伝法することを依頼。弘挙、許諾。数百巻の経典を携えて日本に向かうにあたり、この日、好真、日本の朝廷に宛て、この間の経緯を述べた牒を草し、弘挙に付す。 入唐五家伝真如        
6・6 大宰府飛駅使に勅符を与え、帰らせる。 紀略        
6・20 大宰府飛駅使が新羅賊徒のことを報告する。勅符を与え、帰らせる。 紀略        
7・23 大宰府、唐商人周汾ら60人が今月21日に博多津に到着したこと、貨物の子細については追って申上すること、貨物帳を進覧すべきこと等を太政官に報じる。 入唐五家伝真如        
8・16 在唐日本僧好真の牒を受け大宰府に官符を下し、好真の依頼で伝法のために来日した唐僧弘拳に衣粮を支給させる。 入唐五家伝真如        
10・25 長門国阿武郡に新羅人が漂着する。事情を確認し、直ちに報告させる。 紀略        
この年         崔承祐、科挙に及第する。 史記46
この年         旌節を納めるために渡唐した金処誨が溺死する。替わって槥城郡太守であった金峻を告奏使、富城郡太守であった崔致遠を賀正使とした。しかし、盗賊が横行していたため、結局行くことが出来なかった。 史記46
史記11
この頃         この頃より、新羅が唐に対して賀正表を送る。 「新羅賀正表」(東文選31)
894 2・22 大宰府飛駅使が新羅賊のことを報告する。同日に勅符を与え、追討させる。 紀略         寛平6 乾寧1 真聖王8 大瑋1
3・13 大宰府飛駅使が、近隣の島に新羅賊が侵入したことを報告する。勅符を与え、追討させる。 紀略        
4・10 大宰府より飛駅使が到着する。大宰府管内の諸神に幣物を献上することを命じる。 紀略        
4・14 大宰府飛駅使が対馬島に新羅賊が侵入したことを報告したため、同日勅符を与える。 紀略        
4・16 大宰府飛駅使が新羅賊追討のために、将軍の派遣を請う。参議藤原国経を権帥に任じ、派遣する。 紀略        
公卿補任
4・17 大宰府に勅符を与え、新羅賊の討伐を命じる。また北陸・山陰・山陽道諸国に、武具を整え、精兵を選び、警固に勤めることを命じる。大宰府、少弐清原令望を討賊使として対馬に派遣する。 紀略        
小右記寛仁3・4・18条
三代格18寛平6・8・9官符
4・18 東山・東海道の精鋭を招集する。 紀略        
4・19 新羅賊討伐祈願のため、伊勢神宮に幣物を献上する。 紀略        
4・20 石清水以下の十二社にも新羅賊討伐祈願のため幣帛使を派遣する。陸奥・出羽国に警固を命じる。 紀略        
師守記貞和3・12・7条
4・22 山陵使を派遣する。 紀略        
4 新羅の賊が来て、人、物を損なう。 扶桑略記24裡書延喜18・10・15条        
5・7 大宰府飛駅使が、新羅賊が逃走し、捕獲出来なかったことを報告する。8日、勅符を与え、厳重警固を命じる。 紀略        
5 渤海使裴頲等が来朝する。 紀略        
扶桑略記22
7・22 太政官、在唐僧中瓘に送る返牒の案を作成する。次期遣唐使の派遣までには、年月を要することを述べ、砂金150小両を添える。これより以前、中瓘は■(舟+畄)源茶を送る。 菅家文草10        
紀略
8・9 貞観18年に停止された、対馬島の防人を復活させる。 三代格18        
8・21* 遣唐使を任命。大使に参議左大弁菅原道真、副使に右少弁紀長谷雄、判官に藤原忠房、録事に阿刀春正ら。また源昇を遣唐装束使に任命する。能登国の史生1人に代えて、越後・佐渡等の国の例に准じて、弩師1人を置く。 紀略        
扶桑略記
公卿補任寛平6年条
公卿補任寛平7年条(源昇)
古今和歌集18
古今和歌集目録藤原忠房
菅家御伝記
三代格5
9・5 対馬島が、新羅の賊船45艘が来襲したことを、大宰府に報告する。9日、大宰府は京へ向けて飛駅使を送る。 扶桑略記        
9・13 太宰府の請いにより、史生1員を減じて弩師を置くことを認める。 三代格5        
9・14 遣唐大使菅原道真、遣唐使の派遣について再考を求める奏状を提出する。在唐僧中瓘の書状を引き、渡航の危険や唐の政情不安を述べる。 菅家文草9        
菅家御伝記
9・17 対馬守文室善友が郡司・士卒等を率いて新羅の賊と戦う。賊の殆んどを殺し、船11艘、武器・武具を奪う。近年新羅は不作で、飢えに苦しんだ結果の来襲であった。賊の将軍の1人は唐の人であった。のちに文室善友に賞を与える。 扶桑略記9・5条        
小右記寛仁3・6・29条
9・18 大宰府より飛駅使が到着する。 北山抄4飛駅事        
9・19 大宰府より飛駅使が到着し、新羅賊200余人を殺害したことを報告する。先後の飛駅使に禄を与え、勅符・位記等も授ける。また、隠岐国の申請により、延暦年中に廃止された烽燧を、出雲・隠岐両国に復置させる。 紀略        
扶桑略記
北山抄4飛駅事
三代格18
9・23 新羅賊徒の来襲により、山陵に幣物を献上する。この他、御祈があるため、小野美樹が宣命草を作る。 紀略        
西官記7「裏書」(故實叢書版)
小右記寛仁3・4・24条
9・30 大宰府より飛駅使が到着し、新羅賊20人を殺害した旨を報告する。勅符を与え、警固させる。またこの日、対馬島の和多都美神等の神位を進める。 紀略        
9* 遣唐使の派遣を停止する。 紀略        
菅家文草9
扶桑略記
菅家御伝記
10・6 大宰府飛駅使が、新羅賊船が退却したことを報告する。同日勅符を与える。 紀略        
10         弓裔は新羅の何瑟羅に侵入し、その兵は600人に達し、自らを将軍と称す。 史記11
史記50弓裔
12・29 渤海使105人が伯耆国に到着する。その前日である28日に、渤海使の応接にあたらせるため、橘澄清を伯耆権掾に任命する。 紀略        
公卿補任延喜13年条
895 1・22 備中権掾三統理平・明法得業生中原連岳等を存問渤海客使に任命する。 紀略         寛平7 乾寧2 真聖王9 大瑋2
3・13 新羅賊に備えさせるため、博多警固に夷俘50人を増置する。 三代格18        
3・19 遣唐副使兼右少弁紀長谷雄・遣唐録事兼右少史阿刀春正、東大寺に送る太政官牒に署名する。 寛平7年3月19日付太政官牒(東南院文書)        
5・4 鴻臚館を巡検させる。 紀略        
5・7 渤海使が公卿らの差し出した馬に乗り,鴻臚館に到着する。 紀略        
扶桑略記延喜8・4・26条
5・11 宇多天皇が豊楽院に行幸する。渤海使らに饗し、位階を授ける。 紀略        
5・14 朝集堂で渤海使らを饗す。 紀略        
5・15 菅原道真・紀長谷雄らを鴻臚館に派遣し、渤海使に酒饌を賜う。道真・長谷雄および道真の門下生10人、大使裴頲らと詩文を交歓する。なお、扶桑略記と菅家御伝記には、唐使の入朝を止むとある。 紀略        
菅家文草5
北野天神御伝
菅家御伝記
扶桑略記
扶桑集7
5・16 渤海使が帰国する。 紀略        
7・20 沿岸警備のため、越前国の史生1人に代えて、弩師を置く。 三代格5        
8         弓裔は新羅の猪足・狌川二郡を侵略する。また、漢州管内夫若・鐵圓等十餘郡縣も奪う。 史記11
史記50弓裔
9・27 大宰府が、壱岐島の官舎等が賊によって焼失してしまったことを報告する。 紀略        
11・2 沿岸警備のため、伊予国の史生1人に代えて、弩師を置く。 三代格5        
12・9 越中国に弩師を置いていなかったため、史生1人に代えて、弩師を置く。 三代格5        
896 3・4 唐人である梨懷(寛平御遺誡の「李環」か)が、召によって入京する。 紀略         寛平8 乾寧3 真聖王10 大瑋3
寛平御遺誡
この年         真K大師、入浙使崔芸熙に同行し、入唐する。 「広照寺真K大師宝月乗空塔碑」
897 5・26 菅原道真、太政官符の署名に「遣唐大使」の称号を用いる(文献史料上の最終所見)。 政事要略60         寛平9 乾寧4 真聖王11 大瑋4
6・1         真聖王、太子に譲位する旨を唐に申し出る。 史記11
「譲位表」(東文選)
7・3 宇多天皇は皇太子敦仁親王(醍醐天皇)に譲位する。譲位に際して、天皇、皇太子に政務の心得などを書いて贈る。その中で、外国の人を召見する場合には、簾越しに会見すべきであり、自分はかつて李環に対して、直接面会してしまったので、慎むべきことを述べる。 寛平御遺誠        
紀略
7         新羅・渤海の席次争い。新羅が渤海より上席を確保することに対して、感謝の意を伝える。 「謝不許北国居上表」(東文選)
9月頃 蔵人藤原後蔭が、唐物使として大宰府に赴くか。 古今和歌集8-385        
古今和歌集目録藤原後蔭
12         真聖王死去。孝恭王即位する。   真聖王11/孝恭王1 大瑋4
          新羅が謝恩表を提出する。 「謝恩表」(東文選33)
887〜897           王の季子良貝、遣使として渡唐。唐帝が賜宴。 三国遺事2 仁和3〜寛平9 光啓3〜乾寧4 真聖王1〜孝恭王1 大玄鍚17〜大瑋4
898 4・26 昌泰に改元           昌泰1 乾寧4 孝恭王2 大瑋5
7         弓裔は新羅の浿西道と漢山州管内の三十余城を取り、国都を松岳に定める。 史記12
史記50弓裔
8     光化と改元する。       光化1
10・5 阿刀春正が太政官牒の署名に「遣唐録事」の称号を用いる。 昌泰元年10月5日付太政官牒(東南院文書1)        
899 4・5 海賊警固を強化するため、肥後国の史生1員を減らして弩師を置く。 三代格5         昌泰2 光化2 孝恭王3 大瑋6
900 10         國原・菁州・槐壤の盗賊の賊帥である清吉・莘萱等が弓裔に投降する。 史記12 昌泰3 光化3 孝恭王4 大瑋7
史記50 弓裔
高麗史1
11・21 三善清行、明年の辛酉革命の議を奏す。          
この年 連雀、多発。天下に大咳癘起こる。古老曰く、この鳥は新羅の鳥で、大群飛来すると大咳癘が発生する、と。 元亨四年具注暦裏書所引江記寛治7・10・21条     㼼萱、後百濟王と称し、官署を設置する。 史記50
三国遺事2甄萱
901 4     天復と改元する。       昌泰4 天復1 孝恭王5 大瑋8
7・15 延喜と改元。この後まもなく唐人廬知遠、三善清行を訪ね、辛酉の年1月、唐の宮中で劉庸均の乱があり、死者数千に及んだが、数ヶ月で平定され、元号を天福(天複)と改めたとのことを語る。 善相公奏状(大日本史料第1編-2補遺9頁)

        延喜1
1〜7月         弓裔、自立し、王を称す。 史記12 光化4/天復1
史記50 弓裔
8         後百濟王・㼼萱は新羅の大耶城を攻めたが落とせなかった。そして錦城の南に移動し、週辺部落を略奪していった。 史記12 天復1
史記50
10・28 紀長谷雄、太政官牒に「遣唐副使」の肩書きを署する(最終所見)。 延喜元年10月28日付太政官牒(東南院文書1)        
11・27 安祥寺、恵運の伝記を進上する。 入唐五家伝恵運        
902 10・20 三善清行、天台宗延暦寺座主円珍伝を書く。 円珍伝         延喜2 天復2 孝恭王6 大瑋9
11・19 延暦寺衆徒、円珍の伝記を国史所に進上する。 円珍伝        
寺門伝記補録15
903 2・25 菅原道真、没。これより先、道真、通事李彦環から唐製の竹床子を贈られ、返礼の作詩。 紀略         延喜3 天復3 孝恭王7 大瑋10
菅家後集501
8・1 大宰府に、院宮王臣家による唐物の私的買い入れや、富豪による唐物の高価購入を禁じさせる官符を下す。 三代格19        
11・20 唐人景球ら、羊1頭・白鷲5隻を献じる。 紀略        
扶桑略記裡書
904 2・20 松山村大寺の鐘、鋳造される(大分県宇佐市宇佐神宮蔵)。 宇佐神宮蔵朝鮮鐘銘         延喜4 天復4 孝恭王8 大瑋11
閏4     天祐と改元する。       天祐1
8     昭宗死去。哀帝が即位する。      
この年         弓裔は国号を摩震と改称し、年号を武泰元年とする。新羅の浿江道十餘州縣が弓裔に投降する。 史記12
史記50 弓裔
905 7         弓裔は国都を鉄円に移す。聖冊元年に改元する。 史記12 延喜5 天祐2 孝恭王9 大瑋12
史記50 弓裔
8         弓裔の侵略が新羅の竹嶺東北に至り、それを聞いた孝恭王は各城主に、城を出ずに固守するよう命じる。
史記12
906 3         唐で科挙に及第した金文蔚が冊封使として帰国する。 史記12 延喜6 天祐3 孝恭王10 大瑋13
6・10     節度使らに、部内停住の新任官を任地へすみやかに監送するよう命じる。 冊府65    
7・13 隠岐国、新羅賊船の帆柱等流着を報じる。 紀略        
この年         在唐留学生崔彦ヒが科挙に及第する。渤海宰相烏炤度の子・光賛と席次を争う。 高麗史92
907 4・22     18日、唐の哀帝、帝位を朱全忠に譲位する。全忠(後梁太祖)は即位し、22日に国号を大梁とする       延喜7 天祐4/開平1(唐/後梁) 孝恭王11 譔1
4     契丹が朝貢する。 五代会要29 契丹     開平1(後梁)
5 新羅の牒状が到来する。文章博士菅原淳茂らに命じて大宰府の返牒を作らせ、新羅に送る。 異国牒状記        
5     渤海王子大昭順が、海東の物産を朝貢する。 冊府972    
五代会要30 渤海
11・15 延喜格完成。(施行は翌年12月27日)          
この年 唐商人、熾盛光仏頂大威徳銷災大吉祥陀羅尼(熾盛光経)1帖を朝廷に進上する。 青連院吉水蔵「熾盛光経」跋文     後百濟王・㼼萱に一善郡以南を奪われる。 史記12
熾盛光仏頂大威徳銷災大吉祥陀羅尼(平遺題跋479)
908 1・8* 左大臣藤原時平、渤海大使裴璆らの来着を伝える伯耆国からの知らせを奏す。 紀略         延喜8 開平2(後梁) 孝恭王12 譔2
紀略6月某日条
扶桑略記
1・25     後梁に渤海が朝貢する。 新五代史2    
五代会要30 渤海
2     唐・哀帝殺害される。      
2     契丹が朝貢する。 五代会要29 契丹    
3・20 存問渤海客使大内記藤原博文・直講仮大学権允秦維興らの伯耆国発遣を奏す。 扶桑略記        
4・2 式部大丞紀淑光と散位藤原淳茂を存問渤海客使に、兵部少丞小野葛根と文章生藤原守真を同領客使に任命する。 扶桑略記        
4・8 藤原博文ら、斐璆らを存問する。 紀略        
4・21 渤海領客使、今来川辺で曲宴を催す。 紀略        
4・26 渤海使入京の際の馬を、寛平の例に准じて公卿に提供させる。 扶桑略記        
*4 醍醐天皇、渤海王に書を賜う。 紀略4月某日条        
5・5 天皇、南殿で、渤海使のための馬各20匹を覧る。7日には同じく陽成上皇と大臣・参議らが進めた馬を覧る。 扶桑略記        
扶桑略記5・7条
5・10 渤海使、王啓と信物等を献じる。 貞信公記抄        
5・11 渤海使を豊楽院に宴す。大使裴璆に別貢答物を賜う。 貞信公記抄        
醍醐天皇御記
河海抄12藤裏葉所引醍醐天皇御記
北山抄2所引延喜8年渤海客賜宴日御記
5・12 宇多法皇、渤海大使裴璆の帰国にあたって大使の父、裴頲に宛てた書を贈る。 紀略        
本朝文粋7
扶桑略記
5・14 朝集堂での渤海使饗が、雷雨のため翌日に延期される。 扶桑略記        
醍醐天皇御記        
5・15* 朝集堂で渤海使を饗し、渤海国王らに物を、大使裴璆に御衣1襲を賜う。使者を鴻臚館に遣わし、勅書等を付す。 扶桑略記        
醍醐天皇御記  
紀略4月某日条  
5     契丹朝貢する。 五代会要29 契丹    
5     契丹王阿保機が高頎を派遣して、後梁に冊命を求める。 通鑑266    
6* 渤海掌客使と文人ら、鴻臚館で餞別の宴を催し、詩文を贈答する。大江朝網、この時の詩巻の序を作る。その中の「前途程遠、馳思於雁山之暮雲」云々の一句は名句と称えられる。ついで裴璆、帰途につく。この時越前権掾都在中、帰国途中の裴璆に会い、別離に際し詩を贈り、裴璆を感嘆させる。のちに勅命を受けずに蕃客に詩を寄せたとして咎められるが、裴璆が称賛したため許された。 記略        
本朝文粋9
古今著聞集4
帝王編年記
和漢朗詠集
江談抄
909 2・17 在唐僧中瓘に送る太政官牒に請印し、外記、これを函に入れて封じる。 記略         延喜9 開平3(後梁) 孝恭王13 譔3
扶桑略記裡書
3・6     渤海王・大譔が、女及び物・貂鼠皮・熊皮を献じる。 新五代史2    
冊府972
五代会要30 渤海
6         弓裔は部将に命じ、兵船を率いて珍島郡を降伏させ、皐夷島城を落とす。 史記12
閏8・9 来着中の唐商人に対する唐物使を派遣せず、太宰府に検進させる。蔵人所牒で進上すべき品目を指示。 扶桑略記        
閏8     契丹が朝貢する。 五代会要29 契丹    
11・27 太宰府、孔雀を進上する。 記略        
扶桑略記
扶桑略記
この年*         在唐留学生である崔彦ヒが帰国する。 高麗史92
910 この年         後百濟王・㼼萱は三千の兵を率いて羅州城を攻める。弓裔は水軍を出してこれを襲撃したため、㼼萱は撤退する。 史記12 延喜10 開平4(後梁) 孝恭王14 譔4
史記50 㼼萱
史記50 弓裔
911 1         弓裔は国号を摩震から泰封と改称し、年号を聖冊から水コ万歳と改元する。   延喜11 開平5(後梁) 孝恭王15 譔5
4     契丹朝貢する。 五代会要29 契丹    
5     乾化と改元する。       乾化1(後梁)
8・17     渤海が遣使して朝賀する。 新五代史2    
冊府972
この年 唐商の来着の年期を定める。 貞信公記抄天慶8・7・29条        
帥記治暦4・10・23条
小右記長元1・11・29条
912 4         孝恭王が死去。神徳王即位する。   延喜12 乾化2(後梁) 孝恭王16/神徳王1 譔6
5・9     渤海王・大譔が、王子・大光贊を派遣して方物を献じる。 新五代史2     神徳王1
冊府972
五代会要30 渤海
6     後梁の太祖死去。      
この年         後百濟王・㼼萱と弓裔とが、徳津浦に戦う。 史記50 㼼萱
913 この年 入唐僧智鏡、帰国し、招来した後梁開平2年(908)泉州開元寺僧惟憤書写の熾盛光経を献上。 青連院吉水蔵「熾盛光経」跋文「或本」         延喜13 乾化3(後梁) 神徳王2 譔7
914 3         弓裔は年号を水コ万歳から政開元年とする。   延喜14 乾化4(後梁) 神徳王3 譔8
8・8 信濃国の「唐人田」2町4段の地子稲を正税に混合することとする。 別聚符宣抄        
915 2     高萬興を渤海王に進封する。 旧五代史8     延喜15 乾化5 神徳王4 譔9
7     唐が高麗を滅ぼす。 通鑑270    
11     貞明と改元する。       貞明1(後梁)
916 8         後百濟王・㼼萱は新羅の大耶城を攻めたが、落とせなかった。 史記12 延喜16 貞明2(後梁)神冊1(契丹) 神徳王5 譔10
史記50 㼼萱
この年     大契丹国(のちの遼)建国       貞明2(後梁)神冊1(契丹)
917 7         神徳王死去。景明王が即位する。   延喜17  貞明3(後梁)神冊2(契丹) 神徳王6/景明王1 譔11
918 2     渤海、高麗が契丹に遣使する。 遼史70属国表     延喜18 貞明4(後梁)神冊3(契丹) 景明王2(新羅) 譔12
3     高麗及び西北諸蕃いずれもが契丹に遣使する。 遼史70属国表    
6・15*         弓裔の部下が裏切り、王建を王に推戴する。弓裔は逃亡中に殺害される。建(太祖)は即位して、国号を高麗、年号を天授に改元する。この年の8月に後百濟王・㼼萱が祝賀の言葉と孔雀扇と地理山を贈る。 史記12
史記50 弓裔
史記50 㼼萱
三国遺事2甄萱
高麗史1
高麗史節要
7         尚州の賊帥である阿玆蓋が、太祖に使者を出して投降する。 史記12
919 1         高麗、都を松岳郡に遷す。 史記12 延喜19 貞明5(後梁)神冊4(契丹) 景明王3(新羅)天授2(高麗) 譔13
高麗史1
高麗史節要
7・16 孔雀等を内裏に献上。午後、仁和寺で孔雀と交易の唐物を御覧。 紀略        
扶桑略記
11・18 若狭国がもたらした渤海使来着の由を奏す。 扶桑略記        
貞信公記抄
11・21 渤海使牒状がもたらされるが、一行は着岸せず、人数等も子細は不明。宇多法皇、若狭国解文を宇多法皇に覧ず。 扶桑略記        
11・25 渤海使のための行事を定め、左中弁藤原邦基を行事弁とする。渤海使を若狭国より越前国に遷し、入京させることなどを定める。 貞信公記抄        
扶桑略記
12・1* 存問渤海客使に橘惟親・依知秦広助、通事に阿波権掾大和有卿を任じる。饗宴の日の酒部を延喜8年度の半数とする。 紀略        
貞信公記抄
扶桑略記
12・16 渤海使饗宴の内教坊舞人等を選定する。また、音聲の定員を延喜8年より削減する。 扶桑略記        
12・24 渤海使105人を越前国松原駅館に送ったが、同駅館に行事の官人なく、薪炭の備えもないこと等を言上した若狭国の解文を奏し、越前掾維明を蕃客行事国司とする。 扶桑略記        
920 1         景明王は、高麗王・太祖と使聘を交わし友好を修めた。 史記12 延喜20 貞明6(後梁)神冊5(契丹) 景明王4(新羅)天授3(高麗) 譔14
高麗史1
2*         新羅・康州の将軍である閏雄は高麗王・太祖に投降する。 史記12
高麗史1
3・22 渤海使に時服を支給するための使者を越前国に派遣する。 扶桑略記        
朝野群載11
4・2 民部大丞藤原季方と文章得業生大江朝綱を渤海掌客使に任命する。 貞信公記抄        
4・20 渤海使裴璆らの来日理由などを存問する。 紀略        
4     渤海王高萬興を延安王に封ず。 旧五代史10    
5・5 渤海使の入京の日と在京の間、禁物を着用することを許す。渤海使在京中、毎日鹿2頭を供することを命じる。試楽を行う。左右馬寮の馬を御覧。 扶桑略記        
貞信公記抄
5・7 大蔵三常を渤海通事に任命する。陽成上皇と公卿らの進めた馬を御覧。 扶桑略記        
貞信公記抄
5・8 渤海使裴璆ら20人、山科の勧修寺の近くを通って入京し、鴻臚館に到着する。掌客使藤原季方・大江朝綱に御衣を賜う。 紀略        
貞信公記抄
扶桑略記
勧修寺縁起
勧修寺旧記
5・10* 右大臣藤原忠平、渤海国牒状を覧る。渤海大使裴璆に正三位授位。宇多法皇の進めた馬を御覧。 紀略        
貞信公記抄  
朝野群載20
5・11 渤海使裴璆、八省院で王啓と信物等を進める。 紀略        
貞信公記抄
扶桑略記
5・12 醍醐天皇、豊楽院で渤海使に宴を賜う。 紀略        
貞信公記抄
扶桑略記
5・15 掌客使藤原季方、大使裴璆の別貢物を受領して、蔵人所に進める。 扶桑略記        
5・16 朝集堂で渤海使を饗宴し、渤海王への答進物等を賜う。 紀略        
扶桑略記
貞信公記抄
5・17 宇多法皇書状を渤海大使裴璆に送る。領帰郷客使等を発遣。 紀略        
5・18 渤海使裴璆、帰国の途に就く。渤海宛ての太政官牒を付す。帰国に先立ち、鴻臚館や越前国松原客館で文人らと詩文を贈答する。 紀略        
本朝文粋9
扶桑集7
6・14 渤海掌客使大江朝綱、蔵人所を通じ、渤海使の書状と贈物を奏す。返書を送り贈物は返却すべきことを仰す。 扶桑略記        
6・22 大江朝綱、渤海使への書状を奏上するが、裴璆は既に帰国。裴璆が贈った帯裘を進める。 扶桑略記
       
6・26 右大臣藤原忠平、権右少弁藤原元方に、領帰郷渤海客使坂上恒蔭らが申した、渤海使の内4人が一行と別れて日本に留まる由を奏上させる。 扶桑略記        
6・28 日本にとどまった渤海人を大同5年の例に准じて越前国に安置させる。 扶桑略記        
9         後百濟王・㼼萱が高麗王・太祖に孔雀等を献ず。 史記50 㼼萱
三国遺事2甄萱
高麗史1
10         後百濟王・㼼萱は兵一万を率いて大耶城を攻め、陥落させた後、進礼城に進軍する。景明王は金律を遣わして高麗王・太祖に援軍を求める。太祖は援軍を派遣したため、㼼萱は撤退した。 史記12
史記50 㼼萱
高麗史1
この頃* 越前権掾大江朝綱、大使裴璆との別離に際し詩を贈り、裴璆を感嘆させる。のちに勅命を受けずに蕃客に詩を寄せたとして咎められるが、裴璆が称賛したため許された。 江談抄4        
921 1         新羅の三宝の一つ、聖帯の話を高麗王・太祖から聞きだし、探し出す。 史記12 延喜21 貞明7(後梁)神冊6(契丹) 景明王5(新羅)天授4(高麗) 譔15
2         黒水酋長の高子羅が170人を率いて、高麗へ投降する。 高麗史1
2         靺鞨の別族である達姑衆が北方に侵入。高麗の将軍堅権がそれを全滅させる。新羅景明王がそれを聞いて喜び、太祖に礼を述べる。 史記12
  高麗史1
5     龍徳と改元する。       龍徳1(後梁)神冊6(契丹)
922 1         下枝城将軍元逢と冥州将軍順式が高麗に帰附する。 史記12 延喜22 龍徳2(後梁)天賛1(契丹) 景明王6(新羅)天授5(高麗) 譔16
2         契丹が高麗に、駱駝とけむしろを献ず 高麗史1
6・5 新羅甄萱(後百済王)の使者輝嵒ら陪臣の朝貢を認めず表函・方物ともに返却させる旨の官符を太宰府に下す。 扶桑略記裏書        
扶桑略記延長7・5・21条  
本朝文粋12  
9・2 越前国、渤海客を安置したとする解文を進める。 扶桑略記裏書        
この年     躬乂が自立して高麗王を名乗る。 通鑑271    
延喜中   この頃、唐僧長秀、父と共に波斯国に向う途中、漂流して日本に到り、香薬の調合法を伝える。 扶桑略記         延喜1〜23 天復1〜龍徳2(後梁)天賛1(契丹) 孝恭王5〜景明王6(新羅)天授5(高麗) 大瑋8〜大譔16
拾遺往生伝巻中 大法師浄藏
今昔物語集24ノ10
薫集類抄下
923 延長年中 大江維時、入唐し、承平のはじめに帰朝か。 大江氏系図維時尻付         延喜22 龍徳2(後梁)天賛1(契丹) 景明王6(新羅)天授5(高麗) 譔16
閏4・11 延長と改元する。           延長1 同光1(後唐)天賛2(契丹) 景明王7(新羅)天授6(高麗) 譔17
5     李存勗は唐皇帝(荘宗)を名乗って唐(後唐)を建国し、更に後梁の首都を攻め落とし、後梁を滅ぼした。      
7         新羅、金楽と金幼卿を後唐に派遣し方物を貢ずる。後唐の荘宗は、宝物を与える。 史記12
11・18*記年校異     新羅王が金朴英を派遣して、朝貢する。 新五代史5    
冊府972
五代会要新羅
この月     後梁の末帝が死去。      
924 1・11     新羅王・金朴英が朝貢使を送る。 旧五代史31  新羅が後唐に遣使し、朝貢する。泉州節度使の王逢規も使臣を後唐に遣使し、朝貢する。 史記12 延長2 同光2(後唐)天賛3(契丹) 景明王8(新羅)天授7(高麗) 譔18
新五代史5
冊府972
1・16     渤海王子、朝貢する。 旧五代史31     
新五代史5
冊府972
五代会要30 渤海
3     契丹が新城を攻める。 五代会要29 契丹    
4     新羅朝貢使に授官。 冊府976    
5・19*     渤海王、方物を貢じる。 旧五代史32    
新五代史5
冊府976
冊府972
五代会要30 渤海
5     契丹の刺史長秀実、渤海に殺さる。 遼史2太祖下    
6・2 天皇、平伊望を藤原忠平のもとに遣わし、唐人のことを問う。 貞信公記抄        
この月     新羅、後唐に遣使し、朝貢する。荘宗は遣使・金岳に朝議大夫試衛卿を授ける。 冊府972 新羅、金岳を後唐に派遣して朝貢する。後唐荘宗、金岳に朝議大夫試衛卿を授ける。 史記12
五代会要新羅
7・25     契丹が渤海を攻める。 旧五代史32    
7     契丹が渤海を攻める。 通鑑273 後百濟が高麗を攻めるが、退却する。 高麗史1
五代会要29 契丹 史記50 㼼萱
8         後百濟が高麗へ絶景島の馬一匹をを献ず。 史記50 㼼萱
三国遺事2甄萱
高麗史1
8*     渤海の朝貢使に授官する。 冊府976 景明王死去。景哀王即位する。高麗・太祖が弔問の使者を送る。 史記12
五代会要30渤海 高麗史1
8月ごろ     契丹が渤海を攻めるが、何ら功績を上げられなかった。 通鑑273    
9・7     契丹が渤海より兵を引く。 旧五代史32    
9         新羅景哀王、高麗の太祖に使を送る。 史記12
11・11 唐人の貨物、京に到る。12日、醍醐天皇、内裏において唐物を御覧。 貞信公記抄        
12     契丹が嵐州を攻める。 五代会要29 契丹    
925 2・18     渤海王、裴璆を遣して人参等を貢じる。 旧五代史32     延長3 同光3(後唐)天賛4(契丹) 景哀王2(新羅)天授8(高麗) 譔19
新五代史5
冊府972
五代会要30 渤海
2     契丹幽州を攻める。 五代会要29 契丹    
5・24     渤海入朝使裴璆に授官する。 冊府976    
五代会要30 渤海
5     契丹、後唐へ朝貢する。 五代会要29 契丹    
9・6         渤海将軍申徳ら500人が高麗へ投降する。 高麗史1
10・7 日本に漂着の唐僧平秀(一説では長秀)に、同湛誉・智jらの前例に准じ衣服・食料を支給。 貞信公記抄        
扶桑略記
10・21     日本国、契丹に来貢。 遼史2    
遼史70属国表
10・22     高麗、契丹に来貢。 遼史2    
10・28         能文が高麗に投降すると、太祖は能文を慰諭して帰らせた。 史記12
高麗史1
11・18     高麗が朝貢する。 旧五代史33    
新五代史5
11・20     新羅、契丹に来貢。 遼史2    
遼史70属国表
11月     後唐へ高麗より朝貢。使者である韓申一に授官する。 五代会要高麗 後百済・甄萱は10月より、騎兵三千を率いて曹物城を攻め、高麗・太祖も応戦する。なかなか決着がつかず、太祖は和親をするために、従弟の王信を人質にすると、11月に甄萱は甥の真虎を人質として高麗に送る。これを聞いた景哀王は、高麗に遣使し、後百済と和親を結ぶべきではないと注告する。 史記12
史記50 㼼萱
三国遺事2甄萱
高麗史1
12・29         渤海より高麗へ投降する。 高麗史1
12         後百済・甄萱は、後唐に使者を送る。 史記50 㼼萱
三国遺事2甄萱
926 1・9     契丹が渤海を攻める。 旧五代史34     延長4 同光4(後唐)天顕1(契丹) 景哀王3(新羅)天授9(高麗) 譔20
1・21     契丹が渤海・女真を攻める。 旧五代史34    
通鑑274
五代会要契丹
1     高麗使・韓申一に、朝散大夫等の官職を与える。 五代会要30 高麗    
2*     契丹が渤海を攻め、扶余城を落とす。これにより、渤海が滅亡する。阿保機は渤海を「東丹国」とし、また唐に遣使し渤海平定を報告する。 遼史2太祖下    
遼史2太祖下
遼史70属国表
通鑑275
五代会要契丹
五代会要30 渤海
3     元渤海王・大譔の一族を移動させる。 遼史2太祖下    
4・28     渤海、朝貢する。 旧五代史36    
新五代史6
冊府972
五代会要30 渤海
4     荘宗死去。明帝即位。年号も天成へ改元。   後百済・甄萱の甥・真虎が死亡する。甄萱は、高麗が故意に殺したと疑い、王信をすぐにとりことし、以前贈った馬を返却するよう高麗に抗議し、高麗王・太祖は笑って返却する。また、甄萱は真虎の死を理由に高麗に対して挙兵。新羅王、高麗に遣使して後百済戦を促す。 史記12 天成1(後唐)天顕1(契丹)
史記50 㼼萱
三国遺事2甄萱
高麗史1
5・21 興福寺の僧寛建の入唐求法、五臺山巡礼の請いを許し、黄金小100両を賜う。寛建の請により、唐国に流布させるため、菅原道真・紀長谷雄・橘広相・都良香ら4人の家集と小野道風の書を付す。左大臣藤原忠平に寛建入唐にかんして大宰大弐藤原扶幹に書状を送らせる。 扶桑略記        
和漢合符6
6・7 宇多法皇、寛建に黄金50両を賜う。 扶桑略記        
7・6     契丹、遣使。渤海、朝貢。 旧五代史36    
新五代史6
冊府972
五代会要30 渤海
7・17     元渤海王・大譔を皇都の西に衞送する。 遼史2太祖下    
7・27*     契丹の阿保機が扶余城にて死去。 通鑑275    
遼史2太祖下
五代会要契丹
8     述律后は少子である安端少君に東丹を預け、長子である突欲とともに喪に服すために、枎余城を兵を連れて離れる。 通鑑275    
10     契丹が告哀の使者を送る。 五代会要29 契丹