専修大学国際コミュニケーション学部日本語学科

2024(令和6)年の元日に発生した能登半島の地震、翌1月2日の羽田空港での事故は、ともに新年のお屠蘇気分を帳消しにして余りあるほどの衝撃的なものでした。被害に遭われたかたがたに御見舞い申し上げますとともに、一日も早い復旧・回復をお祈り申し上げます。

専大日語・コラム

専大日語の教員による、月替わりのコラムです。

2024年1月:私のオタク度は多分 100% !?

「素浪人 月影兵庫」

かつて「素浪人 月影兵庫」というテレビ番組がありました。私が小学生だった頃かと思います(注:1965年~1968年放映)。 月影兵庫は剣の腕が達者な素浪人で猫が苦手、行動を共にする渡世人焼津の半次は蜘蛛が嫌いという設定の、弥次喜多珍道中的な時代劇。 「水戸黄門」と同じように毎回の結末はわかっているのですが、月影兵庫と焼津の半次のやりとりが漫才のような面白さもあって、人気番組の一つではなかったかと思います。

その焼津の半次はいろいろな意味で「曲がったこと」が大嫌い。 正義感に燃えているというだけでなく、通りがかりの茶店の幟旗などが斜めに立っているとそれが気になって仕方がない。 まっすぐに直すのですが、またすぐに傾き、またまっすぐに直すのですがすぐに傾き…の繰り返し。 置かれているものがまっすぐになっていないと気に食わないその仕草が笑いの一つのツボでした。

最近感じるのは、私にもどうやらそんな焼津の半次的なところがあるように思えるというようなことで、今回はそんな話です。 (前置キガ ナゲーナ。)


(C)東映

「城南信用金庫」の表記

専修大学神田キャンパスのすぐ近くに城南信用金庫九段支店があります。写真1はその行名が建物に設置されている部分を撮影したものです。


(写真1 城南信用金庫九段支店 横書き)

神田キャンパスに通勤するようになってからずっと気になっているのですが、この文字の並び方、「金」と「庫」の間にもう少し隙間がほしい。 さらに言えば、「庫」の位置はこのままにして、「用」と「金」にそれぞれほんのもう少しずつ左に寄ってほしい。 字と字の間隔が均等になっていないことが気になって仕方がないのです。 地下鉄の神保町駅から地上に出て交差点で信号待ちしているたんびにそう思っています。 (焼津ノ半次ガコノ看板ヲ見タラ、絶対共感シテクレルニ違イナイ。)

写真2は同じ支店の建物に設置されている縦書きの看板です。


(写真2 城南信用金庫九段支店 縦書き)

こちらは写真1ほどには気にならないのですが、それでも「南」をほんのちょっとだけ上にずらして、他の文字もその分それに合わせてそのまま上にあがってほしい。 (コノ看板見テソンナコト考エテル人ハイナインダロウナァ~。)

最近はさらに細かいところが気になってきました。 写真3は写真1から「城」だけを切り取ったもの、写真4は写真2から「城」だけを切り取ったものですが、二つの「城」が同じ形状でないのは明らかです。


(写真3 横書きの「城」)

(写真4 縦書きの「城」)

例えば、土偏の2画目の縦棒の太さが違いますし、「城」の旁(「成」の部分)の1画目の「ノ」の最後の部分の長さも違っていて、写真3のほうが下まで伸びています。 その次の「南」にも違いがあります。


(写真5 横書きの「南」)

(写真6 縦書きの「南」)

1画目の横棒の入り方が違いますし、2画目の縦の線の長さも違います。 (アンマリ細カイ話ダカラ、コノクライデヤメトイタホウガイイダロウナァ。)

拡大写真は示しませんが、他の「信」「用」「金」「庫」も写真1と写真2でそれぞれ比べると違いがあることがわかります。 つまり、この看板文字は縦書きか横書きかで一度書いた「城南信用金庫」の文字を使い回しているのではなく、縦用・横用それぞれ別に書かれたものであることがわかります。 信号待ちでこういうことを考えているうちに、この銀行の他の支店はどうなんだろうかと気になり、まずは五反田にある本店営業部に行ってみました。

写真2と写真7の2枚を比べると、文字を形作る材質は違いますが、どうやら同じ文字がもとになっているようです。


(写真2 城南信用金庫九段支店 縦書き)

(写真7 本店営業部 縦書き)

写真7の「庫」の字の最終画が左から右に流れているところが気になります。 また、写真7の「庫」はもうほんの少しだけ下に位置してほしいと感じます。

写真8は稲城支店の駐車場案内の看板で、ここまでの写真の文字と書き手は同じだろうと推測されますが、字の姿そのものは同じではありません。


(写真8 稲城支店 縦書き 駐車場案内看板)

写真8は、七つの文字全体が微妙に右上から左下に斜めに流れている印象です。 いったい何種類の「城南信用金庫」があるのだろうかと頭と首をひねりながら、しかし何も考えが浮かばずじまいで帰ってきました。 (注1

銀行名の表記

話は変わって、私の出身地に八十二銀行という金融機関があります。 1931年に第十九国立銀行と第六十三国立銀行が合併して、行名数字を足して八十二になってできた銀行ですが、 子どもの頃に見た八十二銀行には、何となく古風な行名板が掲げられていた記憶があります。 手元にその写真はないのですが、 このサイトに当時の行名文字の写真がほんの小さく載っています。 私は後日、これが隷書体という書体で書かれたものだと知るのですが、私の記憶にある「八十二銀行」はこのサイトの看板です。 (ォォ~、懐カシイ…。)

現在では、そもそも金融機関の看板に毛筆で書かれた文字が使われていること自体が珍しく、 八十二銀行も現在はゴシック体の看板に変わっていますし、みずほ、三井住友、三菱UFJ、りそな、などもゴシック体が使われています。 (注2

その他、金融庁のサイトにある、地方銀行62行、第二地方銀行37行のリストをもとに各行のネット上のサイトを確認してみましたが、 計99行のホームページを見る限りでは、山梨中央銀行、福井銀行、但馬銀行、阿波銀行、佐賀銀行、琉球銀行、愛媛銀行の7行以外は ゴシック体または明朝体の文字によって行名が表示されていました。 山梨中央銀行は、以前実際に甲府市の本店営業部を訪れて撮影しました(写真9)。 この文字が看板でも使われているようです。(ウン、コレモ隷書ダ。)


(写真9 山梨中央銀行)

書道の無形文化遺産登録

またまた話は変わりますが、2023年(令和5年)12月18日付 読売新聞オンラインに 以下の記事が掲載されました。(2024年1月5日確認)

文化審議会が18日、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)無形文化遺産に新たに提案する候補に「書道」を選んだ。 政府は関係省庁連絡会議を経て、2024年3月末までにユネスコに提案書を出す。

実際にユネスコに登録されるのは2年後の秋になるようです。 今までに日本の無形文化遺産として「和食」などすでに22件が登録されていますが、 ここに新たに「書道」が加わることになります。

これは、2015年(平成27年)4月に発足した日本書道ユネスコ登録推進協議会が 「つなごう日本の書道文化 ユネスコの無形文化遺産に」をスローガンとしてユネスコ登録に向けた活動を続け、多くの人々の尽力によってようやくその成果が実りつつあるものです。 この協議会の「概要」には以下のように書かれています。一部分を引用します。(2024年1月5日確認)

4.申請名称案 日本の書道文化 ―書き初めを特筆して―
・(前略)ユネスコが審査時に最重要視する申請案件の社会的役割や社会的効果という観点を考慮し、申請名称を<日本の書道文化-書き初めを特筆して->に改め進むことにしました。
・芸術としての書道、学校教育や生涯学習での書道、生活文化の中に連綿と続く書道、書道に必要な道具等を製作する職人の技術、協議会はこうした「日本の書道文化全般」を保護継承し、ユネスコの無形文化遺産への登録を目的として運動を行っています。漢字書・仮名書・漢字仮名交じり書を含めた日本の書道全体を対象としています。
・関係する社会や集団、地理的位置と範囲については、地域を問わず、年齢を問わず、日本国民全体で構成。これには、書道団体はもちろんのこと、家族、地域コミュニティー、教育現場、カルチャー、書道愛好者グループ、社寺、美術館や博物館、書道用品・表具・設営の関連業者が含まれます。

「焼津の半次」的な関心として書き始めたこの文章、世の中の動きとあえて関連付けるとすれば、「書道の無形文化遺産登録」につながるのかもしれません。 ただ、ユネスコへの登録に直接関わりがあるのはあくまでも「毛筆で文字を書くこと」であって、 私(オタク)(注3)が街の中の看板を見て、へぇ~、ほぉ~、と感慨にふけることとは距離がありますが、 それでも、書道の裾野を広げ、「書道の無形文化遺産登録」への関心を高めていくことにはつながるのかもしれません。 (イヤイヤソンナ難シイコトハサテオイテ、街ノ中ノ看板ヲ見テ歩クコトハトニカク楽シイ。 ソノ意味デ、今・藤森(1987)ヤ楠見(2023)ノ世界ニツナガルモノナノカナト。ダカラ→) 以下に今・藤森(1987)と楠見(2023)それぞれの文庫本のカバーに書かれている紹介文を引用して、今回の話を終えることにします。

震災後の東京の町を歩き、バラックのスケッチから始まった<考現学>。その創始者・今和次郎は、これを機に柳田民俗学と袂をわかち、新しく都市風俗の観察の学問をはじめた。ここから<生活学> <風俗学> そして <路上観察学> が次々と生まれていった。本書には、「考現学とは何か」をわかりやすく綴ったもの、面白く、資料性も高い調査報告を中心に収録した。 (今・藤森 1987 のカバーより)
誰かがなにかの目的で立てたはずなのに、雨風や紫外線などの影響で文字が消えてしまった街角の看板たち。そんな “もの言わぬ看板”=「無言板(Say Nothing Board)」を、作り人知らずのストリートアートとして鑑賞する。美術評論家である著者が、まち歩きの道すがらに発見、収集した路上の芸術をカラーで約200点収録&解説。これを読めば、いつものさんぽ道がまったく新しい美術館に見えてくる! (楠見 2023 のカバーより)

備前徹


<参考文献>
  1. 今和次郎・藤森照信(1987)『考現学入門』 筑摩書房 [OPAC]
  2. 楠見清(2023)『無言板アート入門』 筑摩書房 [OPAC]

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