専修大学国際コミュニケーション学部日本語学科

専大日語・コラム

専大日語の教員による、月替わりのコラムです。

2022年9月:神田古書店街の思い出

2022年3月に東京大学を定年退職し、4月から専修大学の特任教授になりました。神田キャンパスに通っていることを友人や元同僚に伝えると、異口同音に神田界隈はおいしい店が多いからいいね、という反応でした(前任校の駒場キャンパスの周りはおいしい店が少なく、神泉や下北沢に行く必要があったためか)。実際は、専修大学に来て5か月ほど経った今も神田界隈のグルメを楽しむ余裕はまだありません。しかし、たまたま昼時に入ったキャンパス付近の料理店がおいしかったので、それ以降、時々お昼に利用しています。その料理店は魚を中心としたメニューが昼でも多くある上においしいので、昼時になるといつも店内がいっぱいで、外ではオフィスワーカーが行列を作って待っているほどです。神田の飲食店のレベルの高さを物語るような店です。今後落ち着いたら、おいしい店をゆっくりと探索していければと思っています。

とはいっても、私にとって神田はグルメの町というよりも、スキー用品店や楽器店、そして何よりも古本屋が立ち並ぶ学生街という印象が強いです。ちなみに神田キャンパスの留学生たちに神田の町はどんなイメージかと聞いたところ、上述のような町であるということを知らない学生が多数でした。もしかすると今どきの大学生は1980~1990年代の大学生ほど、スキーに行ったり、ギターを弾いたりしないのかもしれない。また、今のインターネットによる情報化社会ではそもそも教科書以外で紙媒体の本を読む若者は多くなく、ましてや古本なんて関心がないのも当たり前かもしれません。

さて、私と神田の古本屋との縁ですが、実は筑波大学の博士課程に在学していたころからのものでした。当時、半年に一度は上京して神田の古本屋を散策するのが何よりの楽しみでした。茨城の学園都市に位置する筑波大学はいまでこそ便利になりましたが、当時はつくばエクスプレスや直行の高速バスもありませんでした。まずバスで荒川駅か土浦駅まで行き、そのあと常磐線に乗り換えて上野まで行き、それから当時はまだ国鉄だった山手線に乗り換えて、やっと御茶ノ水駅にたどり着くので、片道だけで二時間ぐらいかかっていました。あまりにも不便なもので、当時の筑波大学の学生の間では上野駅から帰る大変さを揶揄して、石川さゆりの『津軽海峡冬景色』の替え歌が流行るほどでした。

それはさておき、私の古本屋巡りは、御茶ノ水駅を降りてから、まず近くの明大の学生食堂にご飯を食べに行き、それから古本屋へ行くというのがお決まりのコースでした。主に自分の専門分野に近い語学関係の書籍が置いてある古本屋さんを探して回ります。一軒ずつ回り、都度気に入った本があれば買ってしまうのですが、その後購入した本が別の店で安く売っているのに気づき、すごく後悔したことがあります。もちろん高いと言っても200円か300円ぐらいの違いにすぎないのですが、それでも貧乏学生だった私にとっては大金でした。一度失敗を経験すると少しは賢くなり、如何に安くて新品同様の本を見つけるかが本屋巡りの新たな楽しみになりました。今でもはっきり覚えていますが、当時ソシュールの『言語学原論』は一誠堂書店では2,000円で、一心堂書店では1,800円でした。安い方をゲットしたときの気持ちは何とも言えない一種の高揚感がありました。たかが200円、されど200円なのです。

神田に行く回数が増えるにつれて、どの店でどういう種類の本が安いかの見当がつくようになり、より効率よく回ることができるようになりました。本屋巡りは奥が深いのですが、時間や懐の具合と相談しながら、ある時はフルコース、ある時は目的特化型コースと自分なりに調整していました。私の書棚にある本の一部は神田の古本屋で入手したもので、私の青春時代の思い出がたくさん詰まっています。これらの本を眺めていると、特に思い入れの深い何冊かは買った時の店や値段、さらにその時の情景までも思い出されるのです。

実は3月に駒場キャンパスから引っ越した際にこれらの本の置き場に困り、一か所では収まらないので、仕方なく神田のキャンパスや自宅、さらには妻の大学の研究室の3か所に分けて置くことになりました。それでも思い出のある本は自宅と神田の研究室に置いてあり、いつでも見られるようにしています。いつかその本たちとの邂逅の場であった神田の古本屋を再訪し、昔の思い出を辿りたいと思っている今日この頃です。

楊凱栄


<参考文献>
  1. フェルディナンド・ド・ソシュール(1940)『言語学原論』岩波書店. [OPAC]

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