専修大学国際コミュニケーション学部日本語学科

専大日語・コラム

専大日語の教員による、月替わりのコラムです。

2022年6月:「名人」~川端康成と空海~

将棋の藤井聡太さんが相変わらず快進撃を続けています(2022年5月現在)。それがきっかけで、川端康成に『名人』という小説があったことを思い出しました。『名人』は囲碁の本因坊秀哉名人を題材にした小説なので将棋とは関係ないのですが、ま、とにかく、藤井聡太 → 川端康成の『名人』という連想が働いたわけです。

川端康成の『名人』は学生時代に新潮文庫で読んだのですが、もうずっと以前に処分してしまっていましたし、内容ももうすっかり記憶の彼方なので、もう一回読んでみようと思って本屋に行きました。図書館で借りることもできますが、文庫本なら大した値段ではないし、もう一回買ってもいいかなということで。

本屋に入ると新潮文庫の『名人』はすぐに見つかりました。古典的作品といってもいい小説なので、あまり大きくない本屋にもほとんど常備されています。で、それを手に取った瞬間、「あららっ!?」と思いました。

私の記憶にあるのは、写真1の『名人』(専修大学の図書館(生田分館)から借り出しました)。

ところが今回本屋にあったのは、写真2の『名人』。川端康成の作品のようなかなり前に出版されたものは背表紙だけが見える状態で本棚に並んでいるので、カバーのデザインが変わっていたことに今まで気がつかなかったのです。


写真1 旧『名人』

写真2 新『名人』

「以前は明朝体で書かれていたタイトルが筆文字に変わるなどということがあるのかぁ~」とちょっと不思議な感じを受けたのですが、ほかの川端作品はどうなのだろうと引っ張り出しては眺め、ひっぱりだしてはながめ、ヒッパリダシテハナガメ…してみたところ、他の川端作品のタイトルは、新潮文庫を見る限りみんな明朝体で、どうやら『名人』だけ筆文字らしいのです。「ナンデこうなるの…?」と思いつつ、レジで代金を支払ったタイミングで、心の中に別の疑問がムクムクと。

● 現在のバージョンの「名人」という筆文字は誰が書いたものなのだろうか。
● 少なくとも素人の字ではないぞ、これは。
● もしかしてずーっと昔の何かから持ってきたものでは…?

「でも、わからんだろうなぁ~」と思いつつ、一縷の望みを託して『大書源』(二玄社、2007年)で調べてみたら、思いもよらず簡単にわかっちゃいました。「名」も「人」も空海が書いた文字のようです(図1・図2)。これらの文字の出典は「崔子玉座右銘」とあります。


図1(『大書源』上巻P.456より)

図2(『大書源』上巻P.110より)

ほぇ~、空海なんだぁ~。

ただ、この字典による限り、空海の「名」は、本来3画目にあるはずの「ヽ」のような1画がありません。文庫本『名人』のカバーデザイン担当が「新潮社装幀室」と書かれていることから、「新潮社装幀室」がこの1画をうまく追加したものと思われます。また、写真3からわかるように、「崔子玉座右銘」には「名人」という2文字の連続はないので、それぞれ別のところからピックアップしてつなげたものだろうと思われますが、最初から連続して書かれたかのように「新潮社装幀室」がうまく加工しています。写真2の「名」から「人」へのつながりは、最初からこの2文字が続けて書かれたかのように見えます。

写真3(「崔子玉座右銘」)

こんなふうに、ある人が別々に書いた文字を集めて一つにまとめることを「集字」といいますが、こういう事例はときどき目にします。

例えば、慶応義塾普通部(=中学校)の入口は福澤諭吉の遺墨から集字した文字が石に彫られたものですし(写真4・写真5)、


写真4

写真5

神奈川県立逗葉高等学校の正門の文字は、顔真卿(唐時代の書家)の「顔氏家廟碑」から集字したものだそうです(写真6)。


写真6

新潮文庫の2種類の『名人』からは、文字の姿にもどうやら流行があって、時代の意識が反映されて変化したことが伺えますし、学校の正門の文字の例からは、逆にその場にふさわしいと感じられるものには一貫した何かがあるらしいとも思われます。

街中の文字を見るときには、その文字が担っている言語的メッセージだけでなく、メタ的なメッセージにも注目すると興味深いことが見えてくるのではないかと思います。

備前徹


<参考文献>
  1. 『大書源』(二玄社 2007年) [OPAC]

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