専修大学国際コミュニケーション学部日本語学科

専大日語・コラム

専大日語の教員による、月替わりのコラムです。

2022年3月:にほんご警察

先日、神奈川県立座間総合高校からインタビュー依頼が来ているとの連絡が企画課経由でありました。キャリア教育の課題研究実地調査の一環で、テーマは、「正しい日本語に関連して」とのことでした。どこかでうっかり変な表現でもしてしまったかな・・など一瞬思いましたが、いつもお世話になっている高大連携協定校ですし、ご依頼をお受けしました。

当日は、ご担当の先生からご挨拶いただいたあと、同校2年生女子のNさん(文芸部部長さん)より、さまざまなご質問をいただき、それに須田が答えていくという流れでした。小一時間ほどでしたが、とても楽しいセッションとなりましたので、その一部をかいつまんでご紹介しておこうと思います。

須田: どうして私をご指名に?

Nさん: 文法がお得意だと・・

須田: 確かに。専門ですので結構得意です。

Nさん: 文芸部の後輩に文章指導する際、どっちが正しい日本語なのか他の部員と判断が分かれることがよくあります。正しいか正しくないか、どうやって判断したらいいのですか? また、どうしたら判断力がつきますか?

須田: 文芸部ということは、書き言葉ですね。小説のことはよくわからないのですが、評論文ということですと、話し言葉よりも正しさの許容度は確かに高くなりますよね。たとえば、ら抜き言葉などではよろしくないでしょうし。

でも、もっと大事なことは、表現の正しさよりも、言いたい内容が読み手に正しく伝わるかどうかの方ではないでしょうか。正しく伝わるかの方にフォーカスして表現してみて、あとはご自分の日本語力を信じて、「正しい」と思える表現を選ぶ。そういうことの繰り返しで判断力も身に付くのでは?

それと、にほんご警察には叱られるかもしれませんが、文芸というのはアートの面もあるのでしょうから、今までにない新表現・新日本語を生み出すぐらいのことを楽しむというのも許されるのではないでしょうか?

正しいか正しくないか、ということを判断できることももちろん大切ですが、それよりも、どの観点からは正しい、どの観点からは正しくない、ということを考える方が実りがあると思いますよ。

たとえば、ある方言では「丈夫だ」は、イ型形容詞の活用をするので「丈夫い」となりますので、方言側から見ると「丈夫い」の方が正しいわけですね。

専門のことで言いますと、文法の史的な変遷を研究していると、巷の現代語で変な言い方になっているというのは、とても興味深い現象の一つなんです。たとえば、今はまだ、ら抜き言葉は、どちらかというと「正しくない」グループに入っていると思います。が、あと50年か100年もしないうちに「正しい」グループ入りするのではと、個人的には思っています。これは、ほかの流行言葉の類とは性質が違っていて、活用のしかたという文法の骨格に絡んでいて、ら抜き表現が選ばれていくのに十分合理的な動機もある現象だからです。

表現の仕方が正しいとか正しくないとかについては、古文でもそういった内容の随筆などがいくつかありますが、古代から人間が四の五の言い合っている間に、ことばの方は勝手にというか、どんどん変わっていきます。

ら抜きと同じく、活用ということでいうと、例えば古代語の上・下二段動詞が、現代語では上・下の一段動詞になっているわけですね。たとえば、古くは、終止形が「起く」だった動詞も、今は、「起きる」が終止形。そうなるまでの途中、大昔の日本人の中にも、「最近の連中の活用の仕方は、なっとらん!」と、にほんご警察していた人もいたのかもしれませんね。

ちなみに、

のように変遷するのですが、ステージ1でだいたい400年、ステージ2がざっと200年、合計ざっくり600年ぐらいかけて、ころころと(?)「正しさ」を変えているわけです。

古代語から見ると、現代語は正しくない。現代語から古代語をみるとやはり正しくないどころか、外国語のよう。

でも、文芸部での正しい/正しくないについてのお悩みはもっともなことで、良い悩みだと思います。できれば、そのうえで、どの立ち位置から見てなのか、とか、なんでそういう表現が出るのか、というような「悩み」にシフトできれば、文法学者の立場からは言うことなしです。

私自身は、時々、変な表現だな・・と感じることばに出くわすと、その表現が出てきた理由を考えて、「あ、これはすぐに消えていくな」とか、「あと600年もするとこれが普通になってるかな」、といったことを考える程度なんです。

すみません、なんか、 ・・・ 今回は、ちょっと、人選ミスだったんじゃないですか。(笑)

須田淳一

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