専修大学国際コミュニケーション学部日本語学科

専大日語・コラム

専大日語の教員による、月替わりのコラムです。

2021年11月:発想の転換

今回もまた,コラムというよりは,私のエッセイにお付き合いください。過去の研究上の経験から,「発想の転換」という話題について書いてみます。

岡崎敬語調査

私は,国立国語研究所が実施してきた岡崎敬語調査に参加したことがあります。

この調査は,愛知県岡崎市において,第1回調査が1953年,第2回調査が1972年,第3回調査が2008年に行われた調査で,基本的に同じ質問・同じ方法で行われたものです。「同じ質問・同じ方法」で継続的に行われる調査を「経年調査」と呼んでいます。私はこの経年調査の第3回調査に参加しました。

この調査のなかで,中心的な質問は,「ある場面で,どのような言葉(敬語)を使うか」ということを調査協力者に尋ねるものです。例えば,「わたしのような旅行で来たものが,東岡崎駅の北口で,明代橋はどちらかということをあなたにたずねました。何と言って教えますか。」と調査員が尋ね,調査協力者が「ここから100メートル北に行ったところですよ」などと回答してもらうわけです。この調査では,その回答を「反応文」と呼んでいます。

大量の反応文の分析から,岡崎市における敬語使用の実態を把握したり,第1回調査から第3回調査までの比較から敬語使用の変化を見たりするわけです。

形式の段階付け

第1回・第2回調査のあと,国立国語研究所に所属する研究者は反応文の分析を行ったわけですが,その分析にあたって,「形式の段階付け」という概念を編み出しました。平たく言ってしまえば,「それぞれの反応文に,敬語の観点から,点数を付ける」というものです。3段階方式(一番丁寧な反応文が1,最も丁寧でない反応文が3になる3段階の点数)と,5段階方式(一番丁寧な反応文が1,最も丁寧でない反応文が5になる5段階の点数)がありました。

例えば,次のような反応文と点数が付きます。(1)~(3)は「先生場面」と呼ばれる質問の反応文で,矢印の右の数字が段階です。

(1) 息子でございます。 →1
(2) 私の弟です。    →3
(3) 僕の子どもですよ。 →4

調査で尋ねた質問(場面)は10を超えますが,それぞれの場面毎にルールがあります。

この点数(段階)と,ほかの質問との関連を分析するわけですね。段階と年齢の関係,段階と性別の関係,段階と職業の関係などのように。

いやぁ,困った…

経年調査の醍醐味は,何と言っても,変化を見ることです。基本的に同じ質問・同じ方法で調査を実施しているのですから,「1953年から2008年の約半世紀で,岡崎市の敬語使用はこう変化した」と分析したい。ならば,分析方法も過去と共通でなくてはいけない。つまり,「今回(第3回調査時)も,形式の段階付けをしなくては」と考えました。

ところが,です。その段階を付けるための明確なルールがあったらしいのですが,過去の資料をあさっても,ルールが明記されている資料が見つからない…。過去の資料群をひっくり返して,徹底的に探しましたが,やはり見つからない…。

私,困りました。まさか感覚で点数を付けるわけにはいかないし,ルールは不明。そのルールを作成した研究者はご存命ではないから,お話を聞くこともできない。この調査に参加した研究者は大勢いますが,誰もこのルールの詳細を知らない…。存在するのは,過去の反応文と,それに付けられた段階のリストだけ。もう,岡崎敬語調査の反応文の分析に,形式の段階付けを用いることは諦めるべきか,とも考えました。

夢で…

悶々とした日々を送っていたある日のこと,就寝中に夢を見ました。当時,あまりに悶々としていて,夢にも形式の段階付けが出てきていたのです。夢って,普段考えないようなことを考えるものですよね。その夢の中で,「いや,逆にさぁ,ルールが分からないなら,過去に付けられた段階と反応文を分析して,ルールをあぶり出せばいいじゃん」と,(夢の中の)私が言うのです。通常は「ルールから段階が付く」わけですが,逆に「付けられた段階からルールをあぶり出す」のです。発想の転換ですね。

「おぉ,これだ」と夢から覚め,過去の反応文と段階のリストから,ルールをあぶり出す苦闘の(文字通り,苦闘の)日々が始まります。なかなか,簡単にはいきません。この頃から夢に「あぶり出し」が出てきていましたから,枕元に資料やメモ帳・筆記用具をおいて,夢の中で良い「あぶり出し」ができたらすぐに起きて,そのアイデアが消えてしまわないうちに,メモ帳になぐり書く,という日々を送りました(夢の中だけでなく,起きているときにも考えていましたよ,念のため)。その後,いくつかの場面の反応文については,ルールがあぶり出せました。

すべての場面のルールをあぶり出す前に,別の調査の担当になってしまい,この作業は一旦中断。そして,全場面のルールをあぶり出すのが,私のライフワークとなったのです(全場面のルールをあぶり出したら,髭を剃ると,当時の研究者たちと約束しています)。

私が多少でも岡崎敬語調査に貢献できたことがあるとすれば,それはこの発想の転換だったのでしょう。他にもたくさん貢献しているよと言いたいところだけれど,これに勝るものはありません。

困ったら,発想の転換を

研究を行っていると,いろんな“壁”にあたることがあります。研究上のピンチです。もうダメかなと考えることもしばしば。卒論指導をしていると,その“壁”にぶつかった学生をよく目にします。

しかし,大抵の場合,発想の転換で解決することが多いのです。少なくとも私が指導してきた学生たちは,そうでした。

卒論提出の締切まであと1か月半。卒論執筆者のみなさん,“壁”にあたったら,思いっきり発想を転換してみよう。逆から考えてみよう。むしろ,そのピンチはチャンスに変わるかも。 (夢にまで見なくていいけどね)

阿部貴人


<参考文献>
  1. 国立国語研究所(2010)『敬語と敬語意識-愛知県岡崎市における第三次調査-』科学研究費補助金 研究成果報告書 第2分冊 阿部貴人編【経年調査 基礎データ編】

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