専修大学国際コミュニケーション学部日本語学科

専大日語・コラム

専大日語の教員による、月替わりのコラムです。

2021年10月:ソムリエの言葉から語彙力について考える

「語彙力」とは?

国語科教師の多くは、たくさんの言葉を知っているだけでなく、それらを適切に用いることができるような生徒を育てたいと考えており、語彙力の育成は国語科の指導における重要な柱の一つとなっています。こんなことは当たり前と言えば当たり前のことなのですが、いざ実際にやってみようとすると、これがなかなか難しいんです。なぜなら、私たちはいつの間にか多くの語を覚え、それらをいつの間にか使えるようになっている、つまり、語彙力を向上させるために何かを意識して学習したり、指導を受けたりした経験があまりないんです。なんとなくできるようになっているということが、語彙力育成のための指導を難しくしている要因の一つと言えると思います。

そもそも、語彙力と言われたときに、何をもって語彙力があるとかないとか判断するのかもわかりません。だから、多くの人たちは自分にはまだまだ語彙力が足りないと思っています。けれども、ではどうすれば語彙力が身につくのかはわからないし、誰もなかなか教えてくれません。その結果、自分は語彙力があまりない人間だと思いながら生きていくことになります。でも、それで日常生活に大きな支障をきたしているわけでもないので、いつの間にかその状況に慣れていき問題意識も薄れていきます。

私は、国語科の学習において重要なことは、語彙力とはどのようなものなのか、語彙力があるかないかをどのように判断すればよいのか、これらのことについてしっかりと認識できるようにすることだと考えています。そして、そのための面白い材料として「ソムリエの言葉」があると思っています。そこで、「ソムリエの言葉」と語彙力の関わりについて考えてみたいと思います。

ソムリエの言葉

ソムリエとは、レストランなどの飲食店で、ワインを中心とした飲料全体のサービスを行う人のことです。日本ソムリエ協会が認定している「ソムリエ」や「ワインエキスパート」の資格を取得するには、とても難しい試験に合格する必要があります。いわば、ワインの専門家というわけです。そのソムリエは、ワインの香りや味わいを表わすために独特な表現を用います。その表現のことを、ここでは便宜的に「ソムリエの言葉」と言うことにします。ソムリエの言葉は本当に多様です。ワインの特徴は、色調、香り、味わいなどさまざまな観点で表現していきますが、以下に香りを表わす言葉の一部をご紹介しましょう。

レモン、ライム、マンダリン、オレンジ、グレープルーツ、チェリー、イチゴ、ラズベリー、カシス、ダークチェリー、ブルーベリー、パイナップル、バナナ、パッションフルーツ、ザクロ、ライチ、マンゴー、メロン、桃、洋ナシ、リンゴ、アプリコット、ネクタリン、プラム、ローストアーモンド、ドライいちじく、ヘーゼルナッツ、くるみ、ピスタチオ、プルーン、レーズン、コンポート、ジャム、オレンジピール、バラ、スミレ、ジャスミン、アカシア、さんざし、カモミール、ライラック、バター、ビスケット、カスタードクリーム、レモングラス、ユーカリ、タバコの葉、シダ、ミント、ピーマン、マッシュルーム、腐葉土、苔、トリュフ、シナモン、コリアンダー、甘草、白コショウ、黒コショウ、バニラ、ローズマリー、タイム、サフラン、カカオ豆、コーヒー豆、キャラメル、チョコレート、スモーク、タール、トーストしたパン、なめし皮、毛皮、チョーク、ヨード、火薬

ワインは言うまでもなく、ブドウから造られるお酒です。ブドウで造ったお酒なのにレモンの香りがするなんてことは、ちょっと信じられませんよね。でも、例えばグレープルーツの香りは、フランスのロワール川流域で造られる白ワインに特徴的な香りです。グラスに注いだ直後の香りをかいでみると、本当にグレープルーツのようなさわやかな香りを感じることができます。また、マンゴーの香りは南半球などの温かい地域で太陽をいっぱい浴びて育ったブドウから造られる白ワインに特徴的な香りです。私が若い頃、かなり年上の先輩と食事をした時に、マンゴーの香りを感じるワインを飲んだことがありました。私がお店のスタッフの方に「マンゴーの香りを感じます」と言ったら、その先輩から「ブドウで造っているのにマンゴーの香りとは、ずいぶん可笑しなことを言うね」というようなことを指摘されました。先輩は私がウケをねらってわざと可笑しなことを言ったと勘違いしたんです。

ふだんあまりワインを飲まない人は、ブドウで造ったお酒の香りを表わすのに、こんなに多くの言葉が必要なのかとあきれてしまうかもしれません。お酒の席でのワイン好きの人の話が、うんちくを語っているかのように思われ、敬遠されてしまう要因もそんなところにあるのでしょう。でも、少し慣れてくると、ワインの特徴を表わす広告などを読むときに、チェリーやイチゴと言われれば、薄く透き通った赤色で少し酸味のある赤ワインを想像してしまいますし、腐葉土、なめし皮と言われれば色の濃い、渋めの赤ワインを想像できます。トーストしたパンは、高級なシャンパンによく感じられる香りです。このように、ソムリエの言葉を知ることで、飲んでもいないワインの味わいを想像することができるようになりますし、自分が感じた香りや味わいを言葉で明確に表すことができるようにもなります。デパートのお酒売り場のワインコーナーなどで、それぞれのワインの特徴を記したカードが添えられているのを目にすることがあります。ソムリエの言葉に触れる前は、それらのカードに記された言葉は、私にとって何の意味もない言葉の羅列に過ぎませんでしたが、ワインに興味を持ち少しずつソムリエの言葉に触れる経験を積むことで、そのカードの意味がだんだんわかるようになってきました。それは、私の認識できる世界が少し広がったことを意味しています。

「今まで知らなかった世界」を言葉で表現する

私は、ソムリエの言葉をよく勉強してワインをおいしく飲めるようになりましょうなどということを言いたいのではありません。ただ、ソムリエの言葉に触れたことで、間違いなく私は新しい世界、今まで知らなかった世界を認識できるようになりましたし、その世界のことを言葉で具体的に表現できるようにもなりました。語彙力の育成とは、このように、生徒が今まで知らなかった世界を認識できるようになったり、その世界について自分の言葉で表現できるようになる手助けをするということではないでしょうか。これを大学生に置き換えてみると、専門の領域に詳しくなるには、その領域の専門の言葉に詳しくなることが重要だということになるでしょう。

語彙力はただたくさんの言葉を知っていればいいというだけではありません。それらの言葉を使いこなすことができなければ、語彙力があるとは言えません。では、ソムリエの言葉を使いこなすためには、どんなことが必要でしょうか。それは、上に挙げたワインの香りを表わす言葉の一つ一つが、具体的にどのような香りを表わすのかを明確に理解しておくということです。そして、そのためには、本当に多くのワインを見て、香りをかいで、味わうという体験を積むほかありません。ソムリエの言葉を身に付けるには、本当に多くのワインの色を見て、香りをかぎ、実際に味わってみることが不可欠と言うことです。語彙力の向上、育成には、具体的な体験が不可欠なのです。

さらに、具体的な体験をするためには、その分野、領域に対する興味、関心が必要です。ソムリエの言葉に詳しくなる人は、ワインのことをもっと知りたい、もっと詳しくなりたいというように、ワインに対する強い関心を持っている人たちです。(ワインにそれほど興味のない人には、ソムリエの言葉などどうでもいいことです。)語彙力の向上、育成には、具体的な体験に向かおうとする興味、関心の喚起が重要になります。小学校に入る前くらいの幼い子供でも、自分の興味のある分野、領域のことについては、大人も知らないような難しい言葉を使いこなしていることがあります。このことは、語彙力の向上、育成に興味、関心の喚起がどれほど有効であるかを示す例と言えると思います。

ソムリエの言葉は趣味のレベルの話ですから、関心のある人だけが知っていればよいことです。ですが、ソムリエの言葉を例に考えてみると、私たちの認識の変容、深化と語彙力との深い関係に気付くことができるでしょう。さらに、語彙力の向上、育成が具体的な体験と不可分なこと、そのためにはその分野、領域への興味関心の喚起が不可欠なこともよく見えてくると思います。

こんなことを考えながら語彙力の育成に関わると、国語科の教師の語彙指導もこれまでと少しずつ変わってくるのではないかと思います。

山下直

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