専大日語・コラム
専大日語の教員による、月替わりのコラムです。
2026年8月:忘れられない常用漢字「薪」
平成22年(2010年)に常用漢字表が改定されてから、16年が経ちました。改定に向けた文化審議会の審議が行われていた頃、私は文化庁国語課や国立国語研究所に所属し、漢字表検討のための基礎資料作りに携わっていました。今となっては、ずいぶん昔の出来事です。
先日、取材に来られた方から、「常用漢字表に関わってこられましたが、その中でお好きな漢字はありますか」と尋ねられました。私は普段、特定の漢字に好き嫌いという感情を抱くことがほとんどありません。ですから、その場では返答に窮してしまいました。
しかし後になって考えてみると、「好きな漢字」ではなく、「忘れられない漢字」ならば幾つかあることに気づきました。今回は、その一つである「薪」についてお話ししたいと思います。
私が専修大学に勤めてしばらくたった頃、ゼミ生の一人が興味深いことを教えてくれました。群馬県出身の彼は、帰省すると「薪を販売しています」「薪ストーブ」と書かれた看板やのぼりを至るところで目にするというのです。そして彼は、常用漢字表には「薪」の読みとして「まき」が載っていないことに気付きました。常用漢字表の「薪」の音訓には、「シン」と「たきぎ」だけが掲載されているのです。
「まき」は、その地域では日常生活の中でごく自然に使われている読みです。それにもかかわらず、常用漢字表には採用されていない。この事実は、常用漢字表が一般の社会生活における漢字使用の目安である一方、生活に根づいた言葉の実態をすべて反映しているわけではないことを、あらためて考えさせてくれました。
この話を、日本経済新聞社で長年校閲に携わり、校閲の第一人者として知られる小林肇さんにお話ししたところ、日本漢字能力検定協会が運営する「漢字カフェ」のコラムで取り上げてくださいました。
一人のゼミ生の素朴な疑問が、多くの人に共有される話題へと広がったのです。私にとって「薪」は、常用漢字表の限界と奥深さを教えてくれた漢字であると同時に、その卒業生の真摯なまなざしを思い起こさせる、忘れられない一字でもあります。
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