専大日語・コラム
専大日語の教員による、月替わりのコラムです。
2026年6月:「先生をほめる」のは失礼?
先生をほめる、という行為
とてもわかりやすい授業をしてくれた先生に対し、「先生の今日の授業、とても上手でした」と言ったらどうでしょう。私なら素直に「ありがとう〜」と言ってしまいそうですが、先生によっては、あまりうれしく思わない人もいるかもしれません。「ほめる」という行為は、「相手の優れた点を明確化し、相手に直接伝えること」のように説明できますが、先生のような目上の人を「ほめる」のは、ちょっと失礼だと感じられることもありそうです。
一方その先生(音楽の先生ではない)が、実はピアノが結構上手だったということが分かった時に、「先生、ピアノお上手なんですね」と伝えることは、先生との間柄にもよりますが、授業をほめるよりは許容度が上がりそうです。また、先生の授業について、「先生の授業、とても勉強になりました」という言い方をするのならあまり問題はなさそうです。
2026年4月に、新たに14名で発足した宇佐美洋ゼミナール「日本語教育・文化価値論ゼミ」では、まずはゼミ生の内部で、「先生をほめる」多様な表現について、「自分ならどの程度許せるか」を6段階(1段階:まったく違和感がない、6段階:強い違和感がある)で回答し、集計をしました。その結果、
- 仮説1:先生の専門分野についてはほめにくいが、そうでない分野についてはほめても構わない
- 仮説2:先生の授業を直接ほめることはしにくいが、先生の授業に対する自分の感想を述べるのは差し支えない
という仮説が得られました。
そこで、特に仮説2を検証するために、最初の質問項目の中にあった
- 先生の授業はとても素晴らしいです
という表現のほか、
- 先生の今日の授業、とても素晴らしいと思いました
- 先生の授業は、私にとって素晴らしいものでした
という表現も加え、ゼミ以外の人々(日本語母語話者)に対し、回答への協力を広く呼びかけました。
上記の表現1.は授業を直接ほめていますが、表現2.では「思いました」が入ることで、また表現3.では「私にとって」が入ることで、授業に対する「自分の感想」であることがはっきりし、許容度は上がるのではないか、と予想しました。
アンケート調査の結果
ゼミ生は、SNSなども活用して多くの人々に回答への協力を求め、結果として、短い期間のうちに116名からの回答を集めることができました。結果は以下の通りです。回答の1が「違和感なし」、6が「違和感あり」ですから、右肩下がりのグラフは許容度が高く、右肩上がりだと許容度が低い、ということを表します。


予想に反し、「と思いました」をつけても許容度は上がらず、違和感を持つ人はかえって増えていました。一方で「私にとって」をつけると、違和感のない人が増え、違和感を持つ人が少なくなる、という結果になりました。こうした結果は、どのように解釈することができるでしょうか。
「自分自身の受け止めを述べる」ということ
これはおそらく、「授業に対する感想を述べる形にすることで許容度が上がる」、という最初の仮説を少しだけ修正し、「先生の授業に対する直接の評価を避け、自分自身について述べるようにすることで許容度が上がる」、と考えるとよいのではないかと思われます。
授業を専門とする先生の能力を、専門でない学生が評価することは失礼、と考える人は確かにいるでしょう(実際には、専門家でない人からの評価も大切だとは思いますが)。ここで、「素晴らしい」という判断に「(私は)思いました」を追加することで、「断言」が「感想」となり、評価の意味が薄まるかというと…、逆に「先生に対する評価を行ったのは私である」ということをかえって強調することとなり、このため許容度が下がってしまうのではないでしょうか。
これに対し「私にとって素晴らしいものでした」と言うことは、あくまでも「自分自身の受け止め」を述べることになり、先生の授業や、それを支える能力に対する一般的な価値判断を行っているという印象を軽減することができるものと考えられます。一方で「素晴らしい」という述語の中に、評価的な要素はいくぶん含まれてしまっているので、許容度が顕著に高かったわけではないのでしょう。
「自分自身の受け止め」を述べ、一般的評価の意味合いを感じにくい表現としては、「先生の授業でわからなかったところがよくわかりました」というものが挙げられます。参考までにこの項目に対するグラフも挙げておきましょう。顕著な右肩下がりで、許容度が非常に高いことがわかります。
ただ今回の「先生の今日の授業、とても素晴らしいと思いました」という項目の中には、「今日の」という表現を入れてしまいました。この項目に対する許容度が低かったのは、「今日の」という限定が入ったことで、「今日はいつもとは違ってよかった」という解釈が入ってしまった、という可能性も考慮しなければなりません。また、「全員にとって違和感がない」という項目はなく、どんな項目についても個人の感じ方には違いがある、ということにも留意すべきでしょう。
「みんな違ってみんないい」のですが、そうした違いの中にも、全体としての傾向性が見いだせるのは興味深いことです。

