古代東アジア世界史年表(806〜848)

西暦 月日 日本 中国 朝鮮 日本年号 中国年号 朝鮮年号 渤海年号
事項 出典史料 事項 出典史料 事項 出典史料
806 1・28 日本使判官高階遠成、唐より中大夫試太子中充に任じられる。 朝群20         大同1 元和1 哀荘王7 正暦12
1 空海が、遣唐使に同行して本国へ帰国することを請う。 性霊集5 日本国使判官高階眞人が橘逸勢と空海らの帰国を請い、これを許す。 旧唐199       
新唐220       
冊府999      
3         日本国使が来朝し、朝元殿において引見する。 史記10  
3 桓武天皇崩御。            
4・24 摂津住吉郡住吉大社に、遣唐使に対する平安祈願の功により、従一位を授ける。 後紀          
4 空海、越州に到着する。前試衛尉寺丞朱千乗が空海に詩を送る。空海は越州節度使に書を送り、内外典を求める。 高野大師御広伝          
性霊集5          
5・14 蕃客の入京が海路によるため、往来の備後・安芸・周防・長門等の駅館の修理を農閑期に行なわせることとする。ただし、海辺に臨む長門の駅館のみ、従前の規模の維持を定める。 後紀          
5 平城天皇即位、改元。           (平城)
8 遣唐使判官高階遠成、留学僧空海・留学生橘逸勢らは明州より帰国の途に就く。10月3日、大宰府着か。 略記抄          
高野大師御広伝          
大師御行状集記          
橘逸勢伝          
真俗雑聞集          
8     新羅、遣使して朝貢する。 冊府972 唐に遣使して、朝貢する。 史記10  
8     憲宗の第十子(冊府では第七子)である建王恪が、平廬軍節度使・押新羅渤海両蕃使等に任じられる。 旧唐 175      
    新唐 82      
    冊府281      
10*     渤海国王大嵩璘を検校大尉に任じる。 旧唐14      
    旧唐199下 渤海靺鞨      
    冊府965      
10・22 空海、入唐修行の経緯を記す上表に添えて、請来目録を高階遠成に付して進上する。 御請来目録(『平遺』4327)          
11*     宿衛をしていた新羅王子金獻忠、帰国。試秘書監とする。 旧唐199上 新羅 宿衛をしていた王子金獻忠が帰国。試秘書監とされる。 史記10  
    唐会要95新羅  
    冊府976  
    冊府996  
12・13 遣唐使判官正六位上高階遠成が復命し、従五位下を授かる。 類史99          
12・27     新羅、渤海等が遣使して朝貢する。 旧唐14      
    旧唐199下 渤海靺鞨      
    冊府972      
807 1・12 大唐の綵幣を香椎宮に奉納。 紀略         大同2 元和2 哀荘王8 正暦13
1・17 唐国の信物を諸山陵に献ず。 紀略        
1・27 大唐の信物の綾・錦・香薬を参議以上に班賜す。 紀略        
類史78
4・29 大宰府、観世音寺に牒して、帰国した空海を、入京の日までしばらく同寺に住まわせることを令す。 大宰府牒(『平遺』4330)        
8・8 神宝と唐の信物を伊勢大神宮に奉納する。 紀略        
類史3
12     渤海等が遣使して朝貢する。 旧唐14    
    冊府972    
この年     渤海の端午使楊光信が逃げ帰り、その途中潼關吏によって捕らえられ、取り調べを受ける。 冊府997    
808 2         日本国使が来朝する。新羅国王、礼をもって厚く遇する。 史記10 大同3 元和3 哀荘王9 正暦14
7*     新羅より金力奇が来朝する。金力奇は帰国の際、故昭聖王らの冊命書の授与を求め、憲宗がこれを許す。また、新羅王の叔父金彦昇ら三人に門戟を与える。 旧唐199上 新羅 金力奇を唐に派遣し、朝貢する。金力奇は帰国の際に、故昭聖王らの冊命書の授与を求め、憲宗がこれに応じた。また、憲宗より新羅王の叔父金彦昇ら三人に門戟を賜り、本国の慣例に準じて与えさせた。 史記10
    新唐220新羅
    唐会要95新羅
    冊府972
    冊府976
806〜808頃     禮部員外郎の職にあった韋貫之は、工巧をもって官仕した新羅人・金忠義が、密かに子を任官させていたことを知り、金忠義親子を弾劾し、ついに金忠義親子は職を追われる。 旧唐 158     大同1〜3頃 元和1〜3頃 哀荘王7〜9頃 正暦12〜14頃
    新唐169列伝94    
    冊府459    
809 1*     渤海王嵩璘が卒す。子である元瑜が即位し、銀光祿大夫・檢校祕書監・充忽汗州都督等の職を与え、渤海国王に冊立する。 旧唐199下 渤海靺鞨     大同4 元和4 哀荘王10 永徳1                                        (大元瑜)
      唐会要96    
      冊府965    
      通鑑237    
  1・21     憲宗が麟徳殿で渤海使等を引見する。 冊府976    
  1     元文政を渤海への弔祭冊立使として派遣する。 冊府980    
  7     新羅の金陸珍来朝し、朝貢する。 旧唐199上 新羅 大阿飡金陸珍を唐に遣使して、前年の冊封に対して謝恩し、方物を進奉する。 史記10
      唐会要95新羅
  7*         憲徳王、哀荘王を殺害し即位。8月に伊湌金昌南を唐に派遣し、前王の喪を告げる。憲宗は崔廷を正使に、新羅の質子である金士信を副使に任じて派遣し、弔祭させた。また、彦昇を新羅国王、妻貞氏を妃として冊立し、大宰相の金崇斌ら三人は門戟を賜った。 史記10哀荘王 憲徳王1
          史記10憲徳王
  10・1 渤海使(高南容か)が方物を献じ、渤海王元瑜の書を進める。 紀略        
810 1     渤海より高才南らが来朝する。 旧唐199下 渤海靺鞨     弘仁1 元和5 憲徳王2 永徳2
    冊府972    
4・1 渤海使高南容らを鴻臚館において饗す。 紀略        
4・8 渤海使高南容らが、帰国の途に就く。渤海王宛の慰労詔書を付す。 紀略        
5・27 渤海使の一行と別れて越前国に残った首領高多仏を、越中国に住まわせ、史生羽栗馬長及び習語生らに高多仏から渤海語を学ばせる。後の弘仁3年12月壬辰に、高多仏は高庭高雄の名を賜る。 紀略        
後紀弘仁3・12・8条
略記 延喜20・6・28
7・27 長安醴泉寺において梵来心地観経の訳経開始。日本の霊仙も次席で参加。 石山寺所蔵『大乗本生心地観経』巻1跋文        
9・29 渤海使和部少卿兼和幹使開国子高南容が方物を献じ、渤海王大元瑜の書を進める。渤海王大元瑜は、桓武天皇の崩御・平城天皇の譲位・嵯峨天皇の即位の慶弔について述べ、日本に使の派遣を請う。 後紀        
10     新羅王子金憲章が来朝し、順宗の冥福を祈るための仏像等を献じ、方物を貢す。これを記念して、張九齢が「敕新羅王金重熙書」を作る。ただし、金重熙は哀荘王。 旧唐199上 新羅 王子金憲章を唐に派遣し、順宗の冥福を祈るための仏像等を献上する。 史記10
    唐会要49像
    唐会要95新羅
    冊府972
    白氏文集56
11     渤海王が子である大延真等を派遣し、方物を献上する。 旧唐199下 渤海靺鞨    
      冊府972    
12・4 従六位上林東人に送渤海客使を、大初位上毛野継益を同録事に任命する。 後紀        
この年 新羅人金巴兄・金乘弟・金小巴の三人、本国で穀物を運搬する途中に海賊に遭い、逃れて日本に漂着する。 後紀 弘仁2・8・12条        
811 1・1 大極殿において渤海使、文武百官と共に朝賀する。 後紀         弘仁2 元和6 憲徳王3 永徳3
1・7 五位以上および渤海使を宴す。 後紀        
1・17 豊楽院において、渤海使に角弓を射させる。 後紀        
1・20 大納言坂上大宿禰田村麻呂、中納言藤原朝臣葛野麻呂、參議從三位菅野朝臣眞道等に、朝集院において渤海使を饗せしめ、禄を賜う。 後紀        
1・22 渤海使高南容らが、帰国の途に就く。渤海王元瑜宛の書を付し、渤海王元瑜が嵯峨天皇即位を慶賀したことに謝し、また、高南容ら駕船が損傷のため替わりの船を与え、使者に送らせることなどを述べる。 後紀        
4・27 神泉苑において遣渤海使林東人らと、辞見する。衣被を賜う。 後紀        
8・12 大宰府、去年海賊から逃れたため、漂着した新羅人金巴兄らが、別の表来新羅人の帰国を聞き、同船して本国に帰ることを請う由を報ずる。これを認める。(811・この年条参照) 後紀        
10・2 遣渤海使林東人ら、渤海より帰国する。渤海王元瑜が常例に背いて、日本宛の書を啓から状にあらためたため持ち帰らなかったこと、及び録事上毛野継益らの乗る第2船が日本を出帆して以来行方不明であること等を奏す。 後紀        
後紀弘仁6・1・22条
12・6 新羅賊船3艘、対馬西海に現れ、その内1艘が下県郡佐須浦に至る。船中には十人おり、言語が通じず、消息を知ることは出来ず。他の二艘は行方不明。 後紀弘仁3・1・5条        
12・7 新羅賊船、さらに20余艘西海に浮かぶ。先着の新羅賊10人の内5人は殺害され、5人は逃走するが、後日内4人は捕えられる。 後紀弘仁3・1・5条        
12・14 故遣渤海使録事大初位下上毛野継益に従六位下を贈る。 後紀        
12・28 大宰府、対馬に新羅訳語及び軍毅らを派遣したこと、旧例に准じて、管内並びに長門・石見・出雲等の国に要害を警護すべきこと等を報じる奏上を奏す。 後紀弘仁3・1・5条        
812 1・5 勅して、対馬周辺に出没した新羅海賊は大事に至る危険はないとして、出雲・石見・長門等の国の警戒を解かせる。 後紀         弘仁3 元和7 憲徳王4 永徳4
1・13     皇帝、麟徳殿にて渤海使らを引見して饗宴す。24日、渤海使に官告35通とそれぞれに衣一着とを賜与した。 冊府111    
    冊府976    
3・1 流来新羅人清漢波らを、願いにより本国へ放還する。 後紀        
紀略 弘仁4・3・18条        
4*     新羅王の重興が卒し、彦昇が即位する。金昌南ら54人を唐に派遣し、前王の喪を告げる。憲宗は崔廷を正使に、新羅の質子である金士信を副使に任じて派遣し、弔祭させた。また、その年の7月に彦昇を開府儀同三司等の職に任じ、新羅国王に、妻貞氏を妃として冊立し、大宰相の金崇斌ら三人に本国の例に準じて門戟を与えた。 旧唐15 憲徳王、哀荘王を殺害し即位。8月に伊湌金昌南を唐に派遣し、前王の喪を告げる。憲宗は崔廷を正使に、新羅の質子である金士信を副使に任じて派遣し、弔祭させた。また、彦昇を新羅国王、妻貞氏を妃として冊立し、大宰相の金崇斌ら三人は門戟を賜った。 史記10哀荘王10・7条
    旧唐15 史記10憲徳王10・7条(即位前紀)
    旧唐199上 新羅  
    新唐220新羅  
    唐会要95  
    冊府965  
    冊府972  
7     李汭を新羅副使に任ずる。 冊府980    
8・23 入唐経験のある僧善議(河内国錦部郡の人で、本姓を惠賀連と言う)が死去する。(84歳) 後紀        
9・9 新羅人劉清ら、10人に糧を支給して本国へ放還する。 後紀        
9         級湌崇正を渤海に遣使する。 史記10
12     渤海が遣使し、来朝する。 旧唐199下渤海靺鞨    
    冊府972  
    唐会要96  
813 1・16     此より先、渤海王元瑜が卒す。この日、その弟である大言義に銀青光禄大夫・検校秘書監・都督らの職を与え、渤海国王として冊す。また、李重旻を渤海冊立宣慰使として派遣する。 旧唐15     弘仁4 元和8 憲徳王5 朱雀1                                                                                   (大言義)
    旧唐199下渤海靺鞨    
    冊府965    
    冊府980    
    通鑑239    
2・9 新羅人110人が肥前国小近嶋に着岸し、地元民と戦闘。9人を殺し101人を捕えたことを肥前国基肆団校尉貞弓らが伝える。 紀略 弘仁4・3・18         
3・4 2月9日のことを、大宰府に報ず。 紀略 弘仁4・3・18         
3・7 新羅人一清ら、清漢巴らの帰国を肥前国に言上する。 紀略 弘仁4・3・18         
3・18 先に来着した新羅人を希望により放還または「化来」させる。 紀略        
9・29 これまで、大宰府、対馬に新羅船が来着した時、言語不通のため島民と新羅人との間で殺傷事件がおきていたことより、対馬島史生1人に替えて新羅訳語を置くことを請う。この日、これを許す。 三代格5        
12・27     渤海王子辛文徳ら97人が来朝する。丙午、渤海使らと饗宴し錦綵を賜与する。
冊府111    
    冊府972  
    冊府976  
    唐会要96  
814 1     渤海使高礼信ら37人が朝貢し、金銀仏像各一躯を献上する。 冊府972     弘仁5 元和9 憲徳王6 朱雀2
2・11     憲宗は麟徳殿で渤海使高礼信らを引見し饗宴す。 冊府111    
    冊府976    
5・9 新羅王子来朝に関し、朝献の意志があれば渤海の例に准じて処遇し、隣好を修めようと願う場合は、答礼を用いず、還糧を給して直ちに還却させるべきことを定む。 紀略        
8・23 「化来」した新羅人加羅布古伊ら6人を、美濃の国に配す。 後紀        
9・30 渤海使(王孝廉ら)、来朝する。(出雲国に来着か。同年11・9参照。) 後紀        
10・13 新羅商人31人、長門国豊浦郡に漂着する。 後紀        
10・27 大宰府、新羅人辛波古知ら26人が筑前国博多津に漂着したことを報ず。 後紀        
11・9 俘囚の反乱と渤海使の接待のために、出雲国の田租を免除する。 後紀        
11     渤海が鷹鶻を献上する。 冊府972    
12     渤海使大孝真ら59人が来朝する。 冊府972    
815 1・1 渤海使王孝廉ら、朝賀に参列する。 後紀         弘仁6 元和10 憲徳王7 朱雀3
1・7 五位以上および渤海使を宴す。渤海使王孝廉らに位を賜い、賜禄する。この日、唐僧少僧都如宝死去す。 後紀        
秀麗集 宴集
1・16 豊楽院において、五位以上及び渤海使を宴す。 後紀        
1・19 空海、渤海大使王孝廉から贈られた書状・詩の礼状を書く。 僧空海書状(『平遺』4398)        
1・20 朝集堂において、渤海使王孝廉らを饗す。 後紀        
1・22 渤海使王孝廉ら、帰途に就く。渤海王大言義宛の慰労詔書を付し、前王の死を弔し、新王の即位を慶す。 後紀        
1・23 「掌客文記」に錯簡が多く、以後、外記に検察させることを強化する。 符宣抄6 文譜        
鴻臚館等において、渤海使と詩の贈答。 秀麗集 贈答        
1・25     渤海使卯貞寿らに官告し、帰国させる。 冊府976    
    新羅使らを引見して饗宴す。 冊府111 唐に遣使する。憲宗の引見と饗宴を受ける。 史記10
冊府976
1・30 対馬史生1員を停めて新羅訳語を置く。 後紀        
2・22     渤海使大呂慶らに官告し、帰国させる。 冊府976    
3・2 近年、平安京の客館が病人の宿所・喪中の隠所に利用され、建物に損傷などの被害があるため、弾正台と京識に検校させる。 後紀        
3・5     渤海使らに官告し、帰国させる。 冊府976    
5・18 帰途の渤海使王孝廉ら、逆風に遭い漂廻。乗船が破損する。 後紀        
類史194渤海
5・23 越前国に渤海使帰国のための大船を用意させる。 後紀        
類史194渤海
類史194渤海 弘仁7・5・2条
6・14 渤海使王孝廉、病を得て死去。また、渤海王への信物等、湿損のため、改めて支給する。続いて、判官王昇基・録事釈仁貞も死去する。 後紀        
類史194渤海
類史194渤海 弘仁7・5・2条
7     渤海王子大庭俊ら101人が来朝し、朝貢する。 冊府972    
この年 新羅僧李(季か)信恵、大宰府に到る。在留およそ8年ののち、帰国する。この間、筑前太守須井宮の恩顧をうけ、後に還俗し、円仁の通事を務める。 巡礼行記 開成5・1・15条        
巡礼行記 会昌5・9・22条
この年 この年作成の新羅国官文書が廃棄された後、『華厳経論』帙に使われ、日本にもたらされる。(文章中の「乙未年」を755年とする説もある) 正銘2−50        
この年     渤海、新羅等が遣使して、朝貢する。 旧唐15    
816 2・7     渤海使らに錦綵銀器を与える。渤海使高宿満ら20人に官を授ける。 冊府976     弘仁7 元和11 憲徳王8 朱雀4
2     渤海使に国信を授け帰す。 冊府980    
3     渤海等、遣使朝貢。その使20人に官告を与える。 冊府972    
唐会要96
4・5 宝亀度の入唐留学僧永忠が死去する(74歳)。 紀略        
元亨16永忠
4・6 天皇、神泉苑に行幸。左右馬寮「開銭」400貫を奉献する。 紀略        
類史31行幸
5・2 渤海副使高景秀以下、大通事以上に夏衣を支給。改めて渤海王宛の慰労詔書を授ける。 類史194渤海        
10・13 大宰府、新羅人清石珍ら180人の「帰化」を報じ、時と路糧を支給し、船で入京させることを請う。 紀略        
11     渤海等が朝貢する。 旧唐15    
    冊府972    
11     新羅の王子金士信が入朝する際に、大風により楚州鹽城県界に漂着する。 旧唐199上 新羅    
唐会要95
この年     この年新羅が飢饉となり、百七十人の民が浙東へ食物を求める。 旧唐199上 新羅 この年飢饉。唐の浙東へ食物を求める民が百七十人あった。 史記10
    唐会要95
この年 琴の名手である新羅人沙良真熊に伝習し、「秘道」を修得した吉田(興世)書主が大歌所別当となり、節会に供奉する。 文実 嘉祥3・11・6条        
      新羅王子金長廉の書状により、新羅人を生口とすることを禁止させる。 冊府42    
817 2・15 大宰府、新羅人金男昌ら43人の「帰化」を報じる。 紀略         弘仁8 元和12 憲徳王9 朱雀5
2     渤海が遣使して朝貢する。 冊府972    
3     新羅が遣使して朝貢する。 冊府972    
3・14     渤海使の大誠慎らに錦綿を与える。 冊府976    
4・22 大宰府、新羅人遠山知ら144人の「帰化」を報じる。 紀略        
10         王子金張廉を唐に派遣するが風のため明州の下岸まで流される。浙東の某官が金張廉を唐京まで送り届ける。 史記10
          史記46
818 1・13 大宰府、新羅人張春ら14人が来着し、驢4頭を献じたことを報じる。 紀略         弘仁9 元和13 憲徳王10 太始                                                                                                  (大明忠)
2     渤海王言義卒、弟・明忠即位により太始と改元。一年で明忠が卒したため、仁秀が即位し建興に改元。唐に使者を派遣し喪を告げる。 旧唐15    
    通鑑240    
3・21 延暦度遣唐使判官高階遠成が死去する。(63歳) 紀略        
3     渤海使李継常ら26人が来朝する。 旧唐15    
    冊府980    
4・5 渤海使来着の報が国司から言上された時は、接待の方法などについて、参議以上が会して先例を参考に予め定めることとする。これより先、渤海使慕感徳ら来朝。渤海王宛の勅書を授けずに帰国させる。また、感徳らの乗船が損傷したため、帰国にあたり、船1隻を給う。 符宣抄6 雑例        
類史194渤海 弘仁10・11・20条        
類史194渤海 弘仁11・1・21条        
紀略
紀略
4*     高麗、楽器と楽工の両部を献上する。 旧唐15 唐に楽工を献じる。 三国史節要13
    新唐220新羅
    冊府972
    唐会要95高句麗
    玉海108
5・18*     大仁秀を青光禄大夫・検校秘書監・忽汗州都督とし、渤海国王として冊立する。 旧唐15    
    旧唐199下 渤海靺鞨  
    冊府965  
    通鑑240  
この年     倭国の僧金剛三昧が、蜀の僧広昇と共に我眉山へ赴く。 酉陽雑俎 続2    
この年     『酉陽雑俎』の作者である段成式は金剛三昧と会い、金剛三昧がかつて天竺に渡った時の話を聞く。 酉陽雑俎3    
819 6・16 唐越州人の周光翰・言升則ら、新羅船で来着。唐で元和11年に円州(鄆州か)節度使李師道が反乱を起こし、天下が騒擾していることを語る。 紀略         弘仁10 元和14 憲徳王11 建興1                                                                                                                             (大仁秀)
7         唐の鄆州節度使李師道が叛乱を起こす。唐の憲宗は反乱鎮圧のため、揚州節度使趙恭を新羅に派遣。新羅の兵馬を徴発する詔を出す。憲コ王はこれに応じ、新羅将軍金雄元を出兵させる。 史記10
11・20 渤海使李承英ら、方物を献じ、渤海王大仁秀の書を進める。 類史194渤海        
この年 唐人張覚済兄弟・新羅人王請ら、交易のため日本に向かうが、強風のため出羽国に漂着。その後、長門国に到る。 巡礼行記 開成4・1・8条        
820 1・1 渤海使、文武百官と共に朝賀する。 紀略         弘仁11 元和15 憲徳王12 建興2
類史71朝賀
1・7 豊楽殿において渤海使らを宴し、大使李承英らに位を授ける。 紀略        
類史99七日節会        
類史194渤海        
1・16 豊楽殿において踏歌す。渤海使らを宴す。 紀略        
類史72踏歌
1・21 渤海使に、渤海王宛の書を付す。 紀略        
類史194渤海
1・22 唐人周光翰・言升則ら、帰国を請う。渤海使に随って帰国させる。 紀略        
1・27     憲宗死去する。 旧唐15    
閏1・3     穆宗即位する。 旧唐16     (穆宗)
閏1     渤海の使者が来朝する。渤海王大仁秀に金紫光禄大夫・検校司空を加官する。 旧唐199下 渤海靺鞨    
冊府965
冊府972
2・2 天皇の諸儀式に着用する衣服を定める。蕃国使の国書・信物を受ける際は黄櫨染衣を用いることとする。 紀略        
『江次第抄』1 正月黄櫨御袍所引『弘仁格』  
『年中行事御障子文』御服事等  
2・13 遠江・駿河に配した新羅人700人が叛し、人民を殺し、屋屋を焼く。相模・武蔵等7国の軍を動員してようやく平定する。 紀略        
2・18     穆宗が麟コ殿において新羅、渤海の朝貢使に宴を賜う。
冊府111    
冊府976
2     新羅質子金士信、帰国時の副使任命を奏上する。 冊府996    
4・27 唐人李少貞ら20人、出羽国に漂着する。 紀略        
5・4 新羅人李長行ら、羖䍽羊2頭・白羊4頭・山羊1頭・鵞鳥2匹を進上する。 紀略        
7・15*     平廬軍節度使に押新羅渤海両蕃使を加える。 旧唐16    
冊府60
9・15 日本僧霊仙、五台山停点普通院に到る。 巡礼行記 開成5・4・28条        
11     新羅が遣使して朝貢する。 旧唐199上 新羅 唐に遣使して朝貢する。穆宗が麟徳殿で召見し、饗宴を受ける。 史記10
    冊府972
    唐会要95新羅
12・24     麟コ殿において新羅、渤海使らを饗宴する。 冊府976    
12     渤海が遣使して朝貢する。 旧唐199下 渤海靺鞨    
冊府972
821 3・2 対馬島の史生一人を減員し、博士を置いて諸蕃の来客に備える。 三代格5         弘仁12 長慶1 憲徳王13 建興3 
3・11     平廬軍節度使薛平の上奏を受け、縁海地域における海賊による新羅人掠奪売買を禁止する。 旧唐16    
唐会要86奴婢
冊府170
8・18 東宮学士従四位下上毛野穎人死去する(56歳)。延暦度遣唐使録事として入唐する。 紀略        
    類史66薨卒        
11・13 渤海国使王文矩ら、方物を献じ、渤海王大仁秀の書を進める。 紀略        
類史194渤海
822 1・1 渤海使、大極殿での朝賀に参列する。 紀略         弘仁13 長慶2 憲徳王14 建興4
  類史71朝賀                
  1・7 豊楽殿において渤海使らに宴す。この時、王文矩らに位を授ける。 紀略                
  類史71七日節会                
  類史99叙位                
  類史194渤海                
  続後紀 嘉祥2・5・3条                
  1・16 豊楽殿において渤海使らを宴し、踏歌を奏す。王文矩ら、蹴鞠をする。 紀略                
  類史72 踏歌                
  類史194渤海                
  経国集11                
  1・20 王文矩らを朝集殿において饗する。 紀略                
  類史194渤海              
      渤海使が来朝する。この日、賜宴。 旧唐199下 渤海靺鞨            
      冊府111            
      冊府972            
      冊府976            
  1・21 王文矩ら、帰途に就く。渤海王宛の慰労詔書と信物を付す。この時嵯峨天皇、黄金100両を渤海使に託して入唐留学僧霊仙に贈与か。 紀略                
  類史194渤海                
  巡礼行記 開成5・7・3条                
  6・4 最澄卒す(56歳)。 紀略                
  7・17 新羅人40人「帰化」する。 紀略                
  12     新羅使金柱弼朝貢する。 旧唐199上 新羅 金柱弼を唐に派遣し朝貢。 史記10        
      冊府972        
  この年 霊仙、五台山に到る。 巡礼行記 開成5・7・3条                
          金マ、入唐し宿衛の任につく。 史記44        
          朗慧和尚(無染)、入唐。 聖住寺朗慧和尚白月葆光塔碑        
          祖堂集17        
823 1・1     新羅国使金柱弼の奏を受けて、新羅人の売買を禁止し、本国に帰還させることを勅す。 旧唐16     弘仁14 長慶3 憲徳王15 建興5
      唐会要86奴婢            
  4・16 嵯峨天皇譲位。淳和天皇即位。           (淳和)      
  11・22 加賀国、渤海使101人が来着したことを報じる。 紀略                
  類史194渤海                
  12・8 今年は雪深く往来が困難であるため、存問渤海客使の派遣を停止し、越前守兼加賀守紀末成、同掾秦島主らに渤海使を存問させる。 紀略                
  類史194渤海                
810〜823 国立故宮博物院(台北)所蔵『蒙求』上巻、日本に将来したか。 宮内庁書陵部所蔵『蒙求』上巻 奥書         弘仁1〜14 元和5〜
長慶3
憲徳王2〜15 永徳2〜
建興5
824 1・5 渤海使の大使以下、録事以上6人に冬の衣服料を賜う。この日、天長に改元する。 紀略         天長1
(淳和)
長慶4 憲徳王16 建興6
  類史194渤海              
  1・22     穆宗死去する。26日、敬宗即位。         (敬宗)    
  1・24 藤原緒嗣、上表して渤海使の来朝年期を一紀(12年)一貢とすることを請う。 類史194渤海 天長3・3・1条                
  2・2     渤海が宿衛として送った大聡叡等50人が入朝する。 旧唐17上            
      旧唐199下 渤海靺鞨            
      冊府111            
      冊府972            
  2・3 詔して、近年の不作・疫病に加えて農繁期にあたるため、渤海使の入京を停止し、帰国させることを宣す。 紀略                
  類史194渤海                
  3・28 新羅人165人に乗田24町8段を授けて口分田とし、種子・農具購入費を給う。 類史159田地上                
  4・7 能登国、漂着した新羅琴2面・手韓鉏2隻・剉碓2隻を朝集使に付して進上する。 紀略                
  4・17 天皇、越前国が進上した渤海王の信物、大使高貞泰らの別貢物を覧じる。また、契丹大狗・㹻子を進める。 紀略                
  類史194渤海                
  4・21 渤海副使璋璿の別貢物を返却する。 紀略                
  類史194渤海                
  4・22 淳和天皇、神泉苑に行幸し、渤海使の献上した狗に苑内の鹿を追わせる。 紀略                
  類史194渤海                
  5・11 新羅人辛良・金貴賀・良水白ら54人を陸奥国に安置する。法に准じて給復し、乗田を口分田に充てる。 類史159田地上                
  5・15 渤海王宛の勅書(慰労詔書)に捺印。日月の上に一つ捺す。 紀略                
  類史194渤海                
  5・20 渤海使の帰国に際して、渤海王及び大使高貞泰に品物を賜い、使人を饗応する。また、貞泰の帰国に際し、渤海使来朝の年期を一紀一貢に改定する旨を告げ、国王に伝えさせる。 紀略                
  類史194渤海                
  三代格18 天長1・6・20官符                
  6・20 太政官符を諸国に下し、渤海使来朝の年期が一紀一貢に改定されたことを縁海の諸郡に伝える。 三代格18 天長1・6・20官符                
  続後紀 承和9・3・6条                
  8・20 大宰府管内に居住する新羅人を、渡来の新旧に関わらず、陸奥国の空閑地に遷するべきとする。 三実 貞観12・2・20条                
  この年 新羅人の張大使(張宝高)日本に到る。唐に帰国する際、新羅僧(後還俗して李信恵)を舟に同乗させる。 巡礼行記 会昌5・9・22条                
821〜824     長慶中、源寂を新羅に派遣する。新羅人の様子を見、『黒水碑』・『畫鶴記』を記す。 冊府841     弘仁12〜
天長1
長慶1〜4 憲徳王13〜16 建興4〜7
825 3     渤海、遣使朝貢す。 冊府972     天長2 宝暦1
(敬宗)
憲徳王17 建興7
  5*     新羅王子金マ、入朝する。新羅国王金彦昇(憲徳王)、奏状を送り、先在太学生崔利貞等の帰国と新たに入唐の金充夫等12人の留在宿衛、国子監修業・鴻臚寺からの資糧給付を請う。これを認める。 旧唐199上 新羅 王子金マ、入唐朝貢。在唐の崔利貞等の帰国と、新たに入唐した金充夫等12人を宿衛とすること、並びに充夫等の国子監修業と鴻臚寺からの資糧給付を請う。唐帝許可。また、雙峯和尚(道允)、入朝使とともに入唐する。 史記10        
      冊府999 祖堂集17        
      唐会要95新羅        
  12・3以前 「日本大王」が霊仙に贈った黄金が入唐渤海国使に託され、長安に届く。渤海僧貞素、黄金と書を霊仙に届ける。また、霊仙が貞素に一万粒の舎利、新訳の経典等を託し、日本へ伝える。 続後紀 承和9・3・6条                
  巡礼行記 開成5・7・3条                
  12・3 隠岐国渤海使高承祖ら103人の来着を報ず。渤海使は、在唐日本僧霊仙の表物をもたらす。この時、『大乗本生心地観経』ももたらされたか。 紀略                
  紀略天長3・5・15条                
  類史194渤海 同日条                
  類史194渤海 天長3・5・15条                
  巡礼行記 開成5・7・3条                
  霊仙三蔵行歴考                
  石山寺所蔵『大乗本生心地観経』跋文                
  12・7 大内記布瑠高庭を領客使に任命する。また、藤原緒嗣上表して、渤海使高承祖らは一紀一貢の規定を守らずに来朝したので、入京させずに帰国させるべきだとする。 紀略                
  紀略 天長3・3・1条                
  類史194渤海 同日条                
  類史194渤海 天長3・3・1条                
826 1     渤海使等、朝貢する。 冊府972     天長3
宝暦2
興徳王1 建興8
  2・25 入唐留学僧霊船(霊仙)の弟妹に阿波国の稲1000束を賜う。 類史78賞宴下賞賜                
  3・1 右大臣藤原緒嗣、今回の渤海使は年期違反の来朝であり、「商旅」であることから、入京させず帰国させるべきことを重ねて上表するが、淳和天皇、これを許さず。 紀略                
  類史194渤海                
  5・8 渤海使高承祖ら入京する。鴻臚館に安置。 類史194渤海                
  5・12 渤海使に、位を授ける。 紀略                
  類史194渤海                
  5・14 渤海使、帰国のため加賀国へ向かう。 紀略                
  類史194渤海                
  5・15 渤海使に慰労詔書と信物を付す。この時、淳和天皇、在唐の霊仙に贈る黄金100両を渤海使及び僧・貞素に付す。 紀略                
  類史194渤海                
  巡礼行記 開成5・7・3条                
  続後紀 承和9・3・6条                
  10*         憲徳王死去、興徳王即位。 史記10        
  12・8     敬宗殺害。12日、文宗即位。         (文宗)    
  12     新羅質子金充夫が旧例に準じて副使として帰国することを請う。 冊府999            
      新羅から問遺を受けて進献しなかった吐突士マと武自和を配流する。 冊府669貪貨            
      冊府669譴責            
825〜826     宝暦中、渤海修貢する。 旧唐199下 渤海靺鞨     天長2〜3 宝暦1〜2 憲徳王17〜興徳王1 建興7〜8
827 1*         唐帝が新羅王の死去を知り廃朝、太子左諭徳兼御史中丞の源寂に命じて弔祭させる。嗣王を冊封し、王の母・妻を大妃・妃とする。 史記10 天長4 大和1
(文宗)
興徳王2 建興9
  1*     麟コ殿にて、帰国する新羅使等に宴す。 冊府976            
  3         高句麗僧丘徳が入唐。 史記10        
  4・2     渤海遣使来朝。麟コ殿にて饗宴する。 旧唐199下 渤海靺鞨            
      冊府972            
      冊府976            
  4     新羅使朝貢。 旧唐199上 新羅            
  5     海節度使李同捷、朝廷の命に従わず。8月、近隣の節度使に討伐命令。大和3年(829)4月、逮捕斬首. 冊府434            
      通鑑243            
  12・29 渤海使王文矩ら100人、但馬国に来着。但馬国、国博士林遠雄を遣わして、来朝理由・違期について尋問させる。王文矩、唐の淄青節度使の康志睦が新しい交通政策を行っている情報を伝えるために来朝したことを言上する。 三代格18 天長5・1・2官符                
828 1・2 太政官符を但馬国に下し、来朝した渤海使への食糧供給(ただし、通常の半分)、船の修理、渤海使との私的な交易の禁止、使者のもたらした王啓・中台省牒の書写・進上を命ず。 三代格18         天長5 大和2 興徳王3 建興10
  小右記 長元4・2・19条                
  1・17 但馬国、渤海使の来着を知らせる。 紀略                
  類史194渤海                
  2・2 但馬国、渤海王大彝震の啓・中台省牒の案文を進上する。上記王啓霊仙の死や、霊仙への黄金を途中で失ったことを記していたらしいが、受納されず、渤海使が持ち帰る。 紀略                
  類史194渤海                
  続後紀 承和9・3・6条                
  2         唐に遣使朝貢。 史記10        
  4・7 渤海僧貞素、淳和天皇より霊仙へ渡すよう託された黄金100両を携えて五台山霊境寺に到る。しかし霊仙はすでに死去していたという。4月14日、貞素「哭日本國内供奉大コ靈仙和尚詩」を作る。 巡礼行記 開成5・7・3条                
  4・29 渤海使の大使以下、梢工以上に絹綿を賜う。また、年紀未満のために入京を許さず、年紀が満ちた後に来朝すべきことを告げて帰国させる。 紀略                
  類史194渤海                
  続後紀 承和9・3・6条                
  4         これより先、張保皐、唐の徐州から帰国。海賊討伐のため清海(莞島)に鎮することを請い、許される。 史記10        
          史記44        
  11・10     平廬軍節度使兼新羅渤海両蕃等使の康志睦、他の節度使等とともに加官される。 冊府128            
  12・28     渤海・新羅等、遣使朝貢。麟コ殿にて宴す。 冊府976 唐に遣使朝貢、賜宴。入唐廻使大廉、茶の種子を持ち帰る。 史記10        
829 12     渤海・新羅等、遣使朝貢。 冊府972     天長6 大和3 興徳王4 建興11
830 12     新羅・渤海等、遣使朝貢。 旧唐199下 渤海靺鞨 新羅、唐に遣使朝貢。 史記10 天長7 大和4 興徳王5 建興12
      冊府972        
831 1*     渤海国王大仁秀卒、大彝震を渤海国王とす。改元して咸和とする。 旧唐17下     天長8 大和5 興徳王6 咸和1
(大彝震)
      旧唐199下 渤海靺鞨            
      新唐219渤海            
      通鑑244            
      冊府965            
  2     新羅王子金能儒並びに僧侶等9人入朝。 冊府972 王子金能儒と僧らを唐に遣使。 史記10        
  4・6*     これより先、新羅王彦昇卒する。3月1日、廃朝し(冊府976)、この日、嗣子金景徽を新羅王に封じ、母朴氏を太妃とする。また、太子左諭徳源寂を新羅への弔使とする(新唐220)。 旧唐17下            
      旧唐199上 新羅            
      新唐220新羅            
      冊府965            
      冊府976            
      通鑑244            
  7         入唐進奉使能儒ら、帰国の途中溺死する。 史記10        
  9・7 大宰府に官符を下し、新羅商人が来着した場合には、船内の品物をすべて検査し、朝廷が必要とする品物をまず確保し、それ以外の物は大宰府司管理のもと、適正な価格で交易すべき事を命じる。 三代格18                 
  11     新羅・渤海等、遣使朝貢。 冊府972 新羅、唐に遣使朝貢。 史記10        
832 3*     渤海王子大明俊等来朝する。 旧唐199下 渤海靺鞨     天長9 大和6 興徳王7 咸和2
      冊府972            
      冊府976            
833 1・10     渤海の高寶英、冊命に謝するために来朝。また、学生3人随行し、先の留学生、李居正・朱承朝・高壽海等3人の帰国を許す。 旧唐199下 渤海靺鞨     天長10 大和7 興徳王8 咸和3
      冊府972            
      冊府999            
  2・20     麟徳殿で渤海使大光晟等六人を引見し、饗宴する。 旧唐17下            
      旧唐199下 渤海靺鞨            
      冊府976            
  4・8 投化新羅人金礼真ら10人を左京五条に貫付する。 続後紀                 
  12・3 天皇、建礼門に出御し、使者を遣わして後田原・八島・楊梅・柏原の山陵に唐物を奉献させる。 続後紀                 
  12・18 天皇、建礼門に出御し、先日の頒幣に漏れた長岡山陵に唐物を奉献させる。 続後紀                 
  この年 僧恵運、大宰府観音寺講師兼筑前国講師に任命され、新羅商人から銅鋺・畳子などを購入する。 安祥寺伽藍縁起資財帳(『平遺』164)                
834 1・19 遣唐使を任ずる。持節大使を藤原常嗣・副使を小野篁とする。また、判官4人・録事3人を任命。 続後紀          承和1 大和8 興徳王9 咸和4
  公卿補任                
  2・2 大宰府管内に来着した新羅人を射傷させた者は罪科に処す。また被害者には治療の上、糧を支給して放還させることとする。この日、丹墀貞成を造舶使長官に、朝原島主を同次官に任じ、笠仲守・伴成益を遣唐装束司とする。 続後紀                 
  3・16 大宰府に滞在している唐人張継明を、肥後守粟田飽田麻呂に引率させて入京させる。 続後紀                 
  5・13 遣唐大使藤原常嗣に備中権守を兼任させる。また、三島島継を造舶次官に任じる。遣唐判官・録事・知乗船事ら9人に外官を兼任させる。 続後紀                 
  公卿補任                
  7・1 遣唐大使藤原常嗣に近江権守を兼任させる。 続後紀                 
  公卿補任                
  8・4 伴氏上を造舶使長官に任ず。 続後紀                 
  8・10 遣唐録事・准録事・知乗船事各1人を任命し、三島島継を造舶都匠とする。 続後紀                 
  8・14 遣唐造舶都匠三島島継に阿波権掾を兼任させる。また、准録事1名にも、外国の介を兼任させる。 続後紀                 
  8・20 延暦21年の遣唐使に准じて、遣唐使に国司を兼任させ、職田ならびに事力を支給すべきことを命じる。 三代格6                
  三代格15                
835 1・7 遣唐史生道公広持に、姓当道朝臣を賜う。 続後紀          承和2 大和9 興徳王10 咸和5
  2・2 長岑高名・良岑長松を遣唐准判官、松川貞嗣を録事、大和耳主・廬原有守を訳語に任じる。 続後紀                 
  文実 天安1・9・3条              
  三実 元慶3・11・10条                
  2・7 遣唐使奏して、録事以上に度者を賜うことを請う。これを許可する。 三代格2                
  3・12 大宰府に、遣唐使船に積み込む綿甲100領・冑100口・袴400腰を用意させ、不慮の事態に備える。 続後紀                 
  3・14 大宰府、近年新羅商人の往来が絶えず、壱岐島の防衛が不十分なため、島の徭人330人を要害の埼に配置することを請う。これを認める。 続後紀                 
  3・21 空海、没。 続後紀                 
  続後紀 承和2・3・25条                
  10・16 遣唐訳語廬原公有守・兄柏守らに朝臣姓を賜う。 続後紀                 
  10・19 藤原貞敏を遣唐准判官とする。 続後紀                 
  10・27 遣唐録事松川造貞嗣・同家継らに姓高峯宿禰を賜う。 続後紀                 
  11・20 遣唐使知乗船事香山連清貞と兄2人に宿禰の姓を賜う。 続後紀                 
  12・2 遣唐使に位を借す。大使從四位上藤原朝臣常嗣に正二位・副使從五位上小野朝臣篁正に四位上。ただし告身は授けず。 続後紀                 
827〜835     新羅の張保皐、新羅王に謁す。中国人による新羅人掠奪と奴婢売買を制するため海路の要である青海鎮設置を求め、大和以後、新羅人売買はなくなる。 新唐220新羅 張保皐、新羅王に謁す。中国人による新羅人掠奪と奴婢売買を制するため海路の要である青海鎮設置を求め、大和以後、新羅人売買はなくなる。 史記44 天長4年〜
承和2年
大和1〜9 興徳王2〜
10年
建興9年〜
咸和5年
836 1・25 例年の倍の砂金を得て、遣唐使の資金を援助した功により、陸奥国白河郡の八溝黄金神に、封戸2烟を充てる。 続後紀          承和3 開成1 僖康王1 咸和6
  1     新羅王子金義j来朝して謝恩し、宿衛となる。 旧唐199上 新羅 王子金義jを唐に遣して謝恩し、宿衛とする。この時、梵日、金義jに随って入唐。 史記10        
      新唐220新羅 祖堂集17        
      冊府996          
  2・1 遣唐使のために天神地祇を北野に祀る。 続後紀                 
  2・7 遣唐使、賀茂大神社に奉幣する。 続後紀                 
  2・9 天皇、紫宸殿に出御して、遣唐大使・副使を引見する。大使以下に綵帛・貲布を賜う。また、遣唐准録事県主益雄らに姓和気宿禰を賜い、本貫を改めて右京二条二坊に貫付する。 続後紀                 
  2・17 八省院において、遣唐使史生以下、将従以上に位記を賜う。 続後紀                 
  3・14 擬遣唐僧俊貞ら8人に位1階を進める。 続後紀                 
  4・10 遣唐使、八省院において朝拝する。 続後紀                 
  4・11     新羅王子帰国、物を賜う。 唐会要95新羅            
  4・24 天皇、紫宸殿に出御して、遣唐大使・副使らに餞別の宴をする。大使に御衣1襲・白絹御被2条・砂金200両、副使に御衣1襲・赤絹被2条・砂金100両を賜う。 続後紀                 
  4・26 遣唐使の無事を祈って、五畿七道諸国の各神社に奉幣する。 続後紀                 
  4・29 遣唐使に節刀を賜う。大臣、遣唐使の意義を述べ、大使・副使に御衣被を賜う。この日、遣唐医師朝原岡野の本貫を改めて左京四条三坊に貫付する。 続後紀                 
  北山抄4賜将軍節刀事                
  4・30 遣唐判官長岑高名に従五位下を授ける。また遣唐大使藤原常継の母無位菅野浄子に旧例によって従五位下を授ける。この日、遣唐録事高岑宿禰貞継に朝臣姓を賜う。 続後紀                 
  5・2 遣唐副使小野篁の申請によって、無位小野神に従五位下を授ける。この日、遣唐史生大宅臣福主に朝臣姓を賜う。 続後紀                 
  5・9 下総国香取郡伊波比主命等4神に叙位。遣唐使の無事を祈る。 続後紀                 
  5・10 過去の遣唐使・留学生の内、在唐中に没した8人に位を贈り、その位記を今回の遣唐使に託す。 続後紀                 
  巡礼行記 開成3・10・4条                
  5・12 右中将藤原助を難波海口の遣唐使のもとに遣わし、勅を宣べて前途を励ます。 続後紀                 
  5・13 右少弁藤原当道、難波海浜において、遣唐判官以下に犯罪があった場合、死罪以下に処する権限を大使・副使に与え、そのしるしとして節刀を付与した旨の太政官宣を述べる。次いで遣唐使一行、乗船する。 続後紀                 
  5・14 遣唐船4艘、難波津を出発する。 続後紀                 
  5・18 京、大暴風雨。摂津国輪田泊に停泊中の遣唐使船の様子を調べさせるため、看督近衛を一人を遣わしたが、道中の河川氾濫して通行できず。改めて左兵衛少志田辺吉備成を遣わし、安危を問わせる。 続後紀                 
  5・22 参議文室秋津・常陸権介永野王・内舎人良岑清風らを天智・光仁・桓武天皇陵・神功皇后陵に派遣して幣帛を奉り、遣唐使の平安を祈る。 続後紀                 
  閏5・8 遣唐音声長良枝清上・遣唐画師雅楽答笙師良枝朝生らの本貫を、右京七条二坊に改める。 続後紀                 
  閏5・13 太政官、旧例に准じて、遣唐使が新羅に漂着した場合、同地より唐に向けて航海できるよう援助を依頼する新羅執事省宛の牒状を、遣新羅使紀三津に付して派遣する。この日、僧恵霊を還俗させ、遣唐訳語とす。 続後紀                 
  閏5・14 皇后宮職に仮設された染作遣唐雑物所の帛一匹が、風に飛ばされ、侍従所に落ちる。 続後紀                 
  閏5・28 遣唐留学僧常暁に満位を授ける。 続後紀                 
  6     新羅からの留学生等の要求に応じ、旧例に従って衣糧を支給させる。 唐会要36附学読書            
      淄青節度使が新羅・渤海から到ったの熟銅を禁断しないことを奏す。 冊府999            
  7・2 遣唐船4艘、出帆する。大宰府、馳駅してこれを報じる。(7・15朝廷に報が届く) 続後紀 7・15条                
  7・8 これより先、遣唐副使小野篁の乗る第2船、肥前国松浦郡別島に漂廻する。この日、小野篁、上奏文を書き、送る。(7・24朝廷に届く) 続後紀 7・24条                
  続後紀 7・25条                
  7・16 これより先、遣唐大使藤原常嗣の乗る第1船と、判官菅原善主の乗る第4船、肥前国に漂廻。両人、6日・9日付で上奏文を書く。ついで10日、大宰府馳駅して上奏文を伝える。この日、朝廷に届く。 続後紀                 
  続後紀 7・17条                
  7・17 遣唐大使藤原常嗣・判官菅原善主に勅符して、漂廻を慰労し、船舶を修造して必ず渡海すべきことを命じる。また、大宰大弐藤原広敏に、遣唐使を府館に安置して慰労すべきこと、行方不明の第2・第3船に備えて値嘉島に見張りを置くべきこと等を命じる。 続後紀                 
  7・20 これより先、遣唐船第3船、遭難し、船が破損する。水手16人、板を編んで作った桴に乗って対馬島南浦に漂着。この日、大宰府、水手漂廻のこと、天平宝字・宝亀両度の遣唐使に准じて、遣唐使人は帰京させ、水手は帰郷させること、また判官・録事各1名を留めて大宰府司と共に破船修造を監督させるべきこと等を飛駅して報じる。(8・1朝廷に届く) 続後紀 8・1条                
  続後紀 8・2条                
  7・22 遣唐大使藤原常嗣上表して、今月17日の朝廷の対応に感謝する。 続後紀                 
  7・24 今月8日付の小野篁奏状が朝廷に伝わる。 続後紀                 
  7・25 小野篁に、大宰府に帰還し、船舶を修造して持節大使らと共に再び渡航すべきことを命じる。 続後紀                 
  8・1 7・20付の大宰府の報が朝廷に伝わる。 続後紀                 
  8・2 大使藤原常嗣に、7・20付の大宰府の要請に応えて、判官以下水手以上を帰京させ、帰京を願わない者は現地に留めても良いこと、但し大使・副使の去留は本人の意志に任せること、破船修理監督の判官・録事の人選は大使に一任すること等を命じる。 続後紀                 
  8・4 遣唐船第3船の乗員9人、桴に乗って肥前国に漂着する。 続後紀                 
  8・8 遣唐第3船、渡海の途中遭難し、わずかに25人が漂廻したのみで、残りの判官・録事・史生・知乗船事ら100余人の行方が不明であるため、大宰府に命じて、海路に詳しい人物を絶島・無人島に遣わし、検索させる。その報酬として穀帛を与える。 続後紀                 
  8・20* 大宰府、第3船に乗った請益僧真済らが桴に乗って漂着したことを報じる。真済、出帆して遭難後、船頭判官の丹墀文雄の空しく船上で死すよりも船を壊して桴を作り生還の道を企るべし、との意見により各々桴で去り、真済は海上を漂流すること23日(『紀家集』では22日)にして救出されたことを書面で語る。 続後紀                 
  三実 貞観2・2・5条                
  紀家集                
  8・25 大宰府、遣新羅使が出発したこと、及び遣唐第3船が対馬島上県郡南浦に漂着し、生存者が3名のみであることを報じる。 続後紀                 
  9・15 遣唐大使・副使、帰京して節刀を奉還する。 続後紀                 
  9・25 伴氏上を修理遣唐舶使長官に、三島島継を同次官に任じる。 続後紀                 
  10・22 遣新羅使紀三津、大宰府に帰還する。 続後紀                 
  12・3 遣新羅使紀三津、新羅執事省の牒を得て復命。遣唐使が新羅に漂着した場合、同地より唐に向けて航海できるよう援助を依頼したが(同年閏5・13条)、使命を果たせなかった。 続後紀                 
  12     新羅・渤海等遣使朝貢する。この時、新羅質子金充夫が書状を進める。 冊府972            
      冊府996            
          興徳王死去、僖康王即位。 史記10 興徳王        
          史記10 僖康王        
836〜840     開成後、再び渤海の貢絶えず。 旧唐199下 渤海靺鞨     承和3〜7 開成1〜5 僖康王1〜
文聖王2
咸和6〜10
837 1・9 これより先、真言宗請益僧真済・留学僧真然、遣唐第3船に乗り、入唐の途に就くが漂廻する。辨官の仰せにより、不吉として、例え新たな僧と交替したとしても、乗船を認めず、真言宗僧の派遣を停めることとする。しかし、この日、実恵上表して、真言宗の我が国に伝えられていまだ日浅く、経典なども少ないため、真言請益僧として元興寺の僧円行を派遣することを請う。 僧實惠上表文案(『平遺』4440)         承和4 開成2 僖康王2 咸和7
  1・29     渤海王子大明俊等19人に麟徳殿で宴す。 冊府111            
      冊府976            
  2・1 遣唐使、山城国愛宕郡家の門前で天神地祇を祠る。 続後紀                 
  2・13 遣唐大使藤原常嗣を兼大宰権帥とする。 続後紀                 
  公卿補任                
  3・5 遣唐知乗船事槻本連良棟らに姓安墀宿禰を賜う。 続後紀                 
  3・11 遣唐大使藤原常嗣・副使小野篁に餞別の宴をする。五位以上の列席者に「春晩陪餞入唐使」の題で詩を賦させる。 続後紀                 
  3・13 遣唐使、朝拝する。 続後紀                 
  3・15 遣唐使に節刀を賜う。大臣の口宣の内容は前年と同じ。大使、節刀を左肩にフげて、副使と共に退出する。 続後紀                 
  3・19 遣唐大使藤原常嗣、鴻臚館を出発し、大宰府に向かう。 続後紀                 
  3・22 遣唐使出発により、楠野王らを遣わして伊勢大神宮に奉幣する。 続後紀                 
  3・24 遣唐副使小野篁、鴻臚館を出発し大宰府に向かう。 続後紀                 
  3     渤海の賀正王子大明俊と入朝学生16人に勅して、6人を入京させ、10人を帰国させる。また、新羅留学生等216人のうち、7人に時服料等を支給し残りは帰国させる。 唐会要36附学読書            
  4・6 実恵(慧)ら、入唐請益僧円行に托して夏法服を唐の長安城青龍寺の故恵果阿闍梨の墳墓に献じ、伝法阿闍梨・法弟子らに美州(美濃)雑色牋などを贈る。 東寺観智院所蔵『弘法大師御伝』下 雑部                
  4     新羅使を帰国させる。 旧唐199上 新羅 唐の文宗、宿衛王子金義jを帰国させる。 史記10        
  6・22     宿衛の新羅金忠信等に錦綵を賜う。 冊府976 唐の文宗、宿衛の金忠信らに錦彩を下賜する。 史記10        
  7・22 大宰府、遣唐船3艘が肥前国松浦郡旻楽埼を目指して出帆したが、逆風にあって第1・4船は壱岐島に、第2船は値嘉島に漂着したことを報じる。 続後紀                 
  8・20 大宰府、遣唐船3艘漂廻の様子を報じ、遣唐使人の奏状を進上する。 続後紀                 
  9・21 豊前守石川橋継を修理舶使長官に、筑前権守小野末嗣・遣唐判官長岑高名を同次官に任じる。 続後紀                 
  12・11 大宰府、豊前国田河郡香春岑神、辛国息長大姫大目命・忍骨命・豊比当ス3社は延暦年中の遣唐請益僧最澄が渡海の無事を祈って霊験があること、また水旱・疾疫の災に神験を示すことを理由に、官社に預かるを請う。これを許す。 続後紀                 
  この年         新羅僧普照、入唐。(840年帰国) 寳林寺普照禪師彰聖塔碑        
838 1         僖康王縊死、閔哀王即位する。 史記10 承和5 開成3 閔哀王1 咸和8
    史記10
  2・3     麟徳殿で渤海使等を引見、錦綵銀器を賜う。 冊府976    
  3・27 遣唐使往来の無事を祈るため、大宰府管内で精進者を選抜、得度させ、香襲宮2人、大臣社1人、宇佐八幡宮・宗像神社・阿蘇神社各2人を配す。国分寺・神宮寺に安置供養し仏道に専念させる。 続後紀         
  4・5 勅して、遣唐使出発から帰国の日まで五畿七道諸国に『海竜王経』を読誦させる。 続後紀         
  4・13 勅して、筑前・筑後・肥前・豊後等5ヵ国の貧窮者を選んで1年間の租税を免除する。近年疫病により死亡する者多く、生存する者も遣唐船造営のために疲弊が甚しいため。 続後紀         
  4・28 遣唐使出帆の期が迫ってきたとし、勘発使として右中将藤原助を派遣。 続後紀         
  5・3 これより先、遣唐使上奏。航海の無事を祈るため、諸国に『大般若経』を転読させることを請う。この日、詔して、五畿七道諸国に今月中旬より遣唐使帰国まで、『海竜王経』の講と『大般若経』転読を命ず。 続後紀         
  6・13 遣唐大使藤原常嗣・請益僧円仁ら遣唐使第1・4船の乗員が乗船。 巡礼行記        
  6・17 夜半、遣唐使第1・4船、出発。志賀島の東海に至るが、順風吹かず、5日間停泊。 巡礼行記        
      僧常暁請來目録(『平遺』4446)        
  6・22 勘発遣唐使藤原助、副使小野篁が病により進発不能と報告。 『紀略』        
      続後紀 12・15条
      文実 仁寿2・12・22条
    遣唐使船、進発。 巡礼行記
  6・23 遣唐第1・4船、宇久島に至り、酉時、出帆。 巡礼行記        
  6・28 日本使第1船、揚州海陵県付近の海岸で座礁。海陵県淮南鎮大江口に到る。 巡礼行記        
  7・2 これに先立つ29日、大使藤原常嗣ら、本船を離れ漂流し大河口南蘆原遍に流着。7月1日、唐揚州海骭ァ淮南鎮大江口に宿す。これより先、陸地に遣わした射手の壬生開山が、2日、唐人6人を率いて本船に戻る。即ち、国信物を移し、録事・知乗船事2人・留学僧円載・請益僧円仁ら27人が乗り移り、揚州海陵県白潮鎮桑田郷東梁豊村に到る。 巡礼行記        
    文実 天安1・9・3条
    三実 貞観6・1・14条
  7・3 遣唐大使ら、白潮鎮に到り、先着の録事山代氏益らと再会する。 巡礼行記        
  7・5 大宰府、遣唐第1・4船の出発を報ず。 『紀略』        
  7・9 海陵鎮大使劉勉が遣唐使らを慰問。 巡礼行記        
  7・23 遣唐大使ら、如皐鎮を経て海陵県に到る。 巡礼行記        
  7・25 太宰府・壱岐島の請いにより、新羅商人対策の警固につとめるため、史生1員を減じて弩師を置くことを認める。 三代格5        
  7・25 延暦4年に入唐して明州で病死した遣唐副使石川道益の33回の祥月命日法要を禅智寺で法要を行う。 巡礼行紀        
    巡礼行紀 同年10・4条
    続後紀 承和3・5・10条
  7・29 大宰府、遣唐第2船の出発を報ず。 続後紀         
  8・1 遣唐大使藤原常嗣ら、揚州都督府で都督李徳裕と会見。 巡礼行記        
  8・3 藤原常嗣、留学僧円載、請益僧円仁の天台山国清寺巡礼の請いを都督府に伝える。 巡礼行記        
  8・3 遣唐大使藤原常嗣らが、4月28日付勅書にこたえた表奏が到来する。 続後紀         
  8・7 日本国使、勾当官王友真を通じて牒を揚州観察府に提出し、琵琶の名手准判官藤原貞敏のため琵琶博士を請う。9月7日、廉承武を派遣し揚州開元寺北水館で貞敏に伝習させる。29日、学業修了。承武、貞敏に『琵琶譜』を贈る。同日、貞敏、この間の経緯を同書跋文に記す。別伝では劉二郎に砂金200両を贈り、伝習。二郎より楽譜数十巻、紫檀・紫藤の琵琶各1面を贈られるという。このうちの1面は後々まで宮中に蔵され宝物とされた。 伏見宮本『琵琶譜』跋文        
  三実 貞観9・10・4条
  禁秘抄 玄上
  三五要録所引「南宮横笛譜」
  光厳天皇御記 正慶元年5・2条、6・13条
  絲竹口傳 琵琶宝物
  8・8 円仁、第4舶が港に停泊できず、求法僧も上陸できずにいることを聞く。 巡礼行記        
  8・9 節度使李相公が開元寺に牒し仏像画造を許可。勾当日本使王友真が僧らを慰問する。 巡礼行記        
  8・10 日本使第2船海州に着の報、円仁一行のもとに届く。 巡礼行記        
  8・16 王友真、李相公の使人らとともに来て佐伯金成の携行品を勘録。 巡礼行記        
  8・17 日本使第4船判官菅原善主ら如皐鎮到着の報、円仁一行のもとに届く。佐伯金成、死去。 巡礼行記        
  8・23 開元寺牒が勾当日本使に送られる。 巡礼行記        
  8・24 日本使第4船判官菅原善主ら、小船で揚州都督府に着。大使らと合流。 巡礼行記        
  僧常暁請來目録(『平遺』4446)
  8 常暁、淮南城に至り広隆館に住まう。 太元帥法縁起奏状        
  9・9 李相公、遣唐使のために大餞を設ける。大使は欠席するが、判官以下は出席。 巡礼行記        
  9・11 円仁、副使小野篁が本国に留まり、判官藤原豊並が船頭となってきたことを日記に記す。 巡礼行記        
  9・13 円仁等の天台山行き奏状への報符、揚州に至る。 巡礼行記        
  10・4 円仁、入京の官人とその他の別を記す。入京者は、大使藤原常嗣・判官長岑高名・菅原善主・録事高丘百興・大神宗雄・通事大宅年雄・別請益生伴須賀雄・真言請益僧円行及び雑職以下35人。官船5艘。残留者は第1船判官藤原貞敏・円仁・円載・法相請益僧戒明ら270人。 巡礼行記        
  巡礼行記開成4・2・6条
  10・5 大使等長安に向け出発。 巡礼行記        
  12・3 遣唐大使ら長安城に入り、東京の礼賓院に入る。 巡礼行記12・18条        
  巡礼行記 開成4・1・21条        
  12・15 勅して、渡海拒否の遣唐副使小野篁を隠岐国配流に処す。27日、篁の正五位下の告身を返却させる。翌年1月、篁、配所に出発、謫行吟七言十韻を賦す。 続後紀         
  続後紀 12・27日条
  文実 仁寿2・12・22条
  12・18 揚州に残留した新羅人訳語金正南、遣唐使の帰国船を調達するため、楚州に出発。 巡礼行記        
  12・22     日本国、珍珠絹を貢ず。 旧唐17下    
    冊府972
  12・- 留学僧常暁、栖霊寺で文㻮らに師事。太元帥法などの顕密両法を学ぶ。 僧常暁請来目録(『平遺』4446)        
  この年 大宰少弐藤原岳守、唐商人沈道古らの貨物から元稹・白居易の詩筆を得て献上し、天皇大いに喜ぶ。 文実 仁寿1・9・26条        
  この年 鴻臚官に滞在中の沈道古、小野篁の才を聞いて詩文をやりとりする。 文実 仁寿2・12・22条        
839 1・8 円仁、渡日経験のある新羅人王請の訪問を受ける。 巡礼行記         承和6 開成4 閔哀王2 咸和9
1・13 日本使等5ヵ国使、朝見。席次は南詔使が第1位、日本使は第2位。日本使、大使ら25人が列席。 巡礼行記2・8条 日本、遣使朝貢。 旧唐巻199          
巡礼行記2・27条      
文実 天安1・9・3条 唐会要巻99      
中右記 永長1・10・11条      
       
       
       
1・13 勅により、請益僧円行、長安青竜寺に滞在(12日のこととする説あり)。円行、本国の実恵・真雅らから託された書を故恵果の弟子円鏡・義真らに伝え、絁20疋等を恵果の影前に供える。20日(一説、30日)、円鏡・義真ら、実恵宛の返書を草す。閏1月2(一説、3)日、円行、阿闍梨位の灌頂を受け、法門道具・仏舎利等を得て青竜寺から礼賓院に戻る(4日)。義真ら、閏1月3日付の書ならびに恵果愛持の五鈷鈴等16種の道具を託す。 入唐五家伝5霊厳寺和尚(円行)伝              
  唐僧圓鏡等書案(『平遺』4444)      
  圓行請來目録(『平遺』4447)       
  奥院興廃記      
閏1・4 日本大使ら長安を発ち、2月12日、楚州に至る。途中、第2船判官藤原豊並、死去。 巡礼行記2・20条              
巡礼行記2・27条              
閏1       閔哀王殺害され、神武王即位。即位に功のあった清海鎮大使張保皐(宝高)を感義軍使とする。 史記10   神武王1  
閏1     日本、遣使朝貢。 冊府972        
2・19 常暁、伝法阿闍梨位灌頂を受ける。大斎に遣唐判官藤原貞敏らも参列。 僧常暁請来目録(『平遺』4446)            
2・20 入京日本使春道永蔵ら揚州に到り、大使の楚州帰着等を伝える。同日、春道永蔵らが禁制品を購入したため、州衙に出頭を求められるなど、雑物購入をめぐって問題が生じる。 巡礼行記            
2・21 揚州に残っていた日本使、楚州に向けて出発。24日、楚州着。大使らと再会。大使、円仁に、台州行への勅許がおりなかったこと、但し留学僧円載の台州行は許され、5年間の食糧支給が認めれたことなどを伝える。 巡礼行記            
  巡礼行記2・24条    
  僧常暁請来目録(『平遺』4446)    
2・26 日本人留学僧円載・沙弥仁好・{従伴始満らの台州行を許す旨の牒が揚州より到る。27日、円載は台州にむかうために、随身物を整える。28日、円載一行、楊州に向けて出発。 巡礼行記            
巡礼行記2・27条    
巡礼行記2・28条    
3・1 遣唐使の無事祈願のため、五畿内七道諸国及び十五大寺に『大般若経』『海竜王経』を転読させる。 続後紀             
3・1 遣唐大使、開元寺で菩薩像などを画かせる。 巡礼行記            
3・3 天台山禅林寺僧敬文、日本の無行・円澄宛の書状を円仁に託す。 巡礼行記            
3・5 円仁、大使常嗣に求法のため唐に留まる旨の書を献じる。 巡礼行記            
3・16 遣唐使に選ばれながら逃亡して渡海しなかった知乗船事上伴有仁・暦請益生刀岐雄貞・暦留学生佐伯安道・天文留学生志斐永世らを処罰。1等を降して佐渡国に配流する。 続後紀             
3・22 使節一行、乗船し出発。第1船に大使藤原常嗣、第2船に長岑高名・円仁、第3船に菅原善主、第4船に藤原貞敏など計9船に搭乗。 巡礼行記            
3・29 日本使船9艘、海州東海県東海山の港に到る。4月5日、日本に向けて出発。円仁・惟正・惟暁・丁雄満の4人、唐に留まるために下船する。円仁ら、新羅人集落に到って海州東海県の役人に探索される。県衙付近に停泊中の日本使船に乗船させられることとなり、8日、第2舶の停泊所に到る。判官良岑長松・真言請益僧戒明らと再会。10日円仁ら、第2船に乗船。 巡礼行記            
  巡礼行記4・5条    
  巡礼行記4・8条    
  巡礼行記4・10条    
4・11 日本使第2舶、出帆。6月7日、登州文登県清寧郷赤山村に着き、円仁ら、新羅人張宝高建立の赤山法花院に入る。 巡礼行記            
巡礼行記6・7条            
4・20 円仁、『入唐求法目録』を作成。遣唐第2船の粟田録事に託して延暦寺に送る。 僧円仁求法目録(『平遺』4445)            
僧円仁送本目録(『平遺』4448)

   
6・27 新羅人張宝高の貿易船が旦(赤)山浦に着く。 巡礼行記            
6・28 唐皇帝派遣の新羅王即位慰問のための遣新羅使青州兵馬使呉子陳ら、赤山法花院に到る。 巡礼行記            
6・- 留学僧円載、国清寺において『五百問論』上下2帖を書写。 東大寺図書館蔵『五百問論』巻上奥書            
7・14 円仁、渡日経験のある僧法空と会う。 巡礼行記            
7・15 日本使第2舶、赤山浦を出て帰途につく。但し、円仁・惟正・惟暁・丁雄満らは乗船せず、唐に留まる。第2舶、この後、8月頃、南海に漂着。乗員良枝清上ら数人、島民に殺害される。准判官良岑長松・知乗船事菅原梶成ら、破船の材木を集めて船を作り、脱出。 巡礼行記7・16条            
  続後紀 承和7・7・26条    
  文実 仁寿3・6・2条    
  三実 貞観7・10・26条    
  三実 元慶3・11・10条    
7・17 新羅船がよく風波に堪えるため、太宰府に建造させる。 続後紀             
7・21 大使藤原常嗣らの分乗した新羅船9艘が赤山浦に着く。23日、大使ら、赤山浦を出発する。残留した円仁、新羅僧から五台山の話を聞き、天台山行を五台巡礼に変更する。 巡礼行記            
巡礼行記7・23条      
7・28 円仁、文登県の牒に対し、残留の事情・巡礼予定地などを報ず。 巡礼行記            
7*     新羅王金祐徴、唐に遣使。淄青節度使に奴婢を贈るが、唐帝が矜み帰国させる。 冊府42 神武王が唐に遣使する。淄青節度使に奴婢を贈るが、唐帝が矜み帰国させる。 史記10    
    冊府980    
7・23         神武王死去、文聖王即位。      
8・12 平安京東鴻臚院の地2町を典薬寮の薬園とする。 続後紀            文聖王1  
8・13 円仁、遣唐使船と渤海の交易船が青山浦に停泊したと伝え聞く。 巡礼行記              
8・14 大宰府、飛駅。帰国した遣唐録事大神宗雄の牒状を伝える。遣唐船3艘が不完全だったため、遣唐使一行は楚州で新羅船を雇い、分乗して新羅の南境を通って帰途に就いたこと等を述べる。 続後紀 8・20条              
8・19 遣唐大使藤原常嗣ら乗船の7隻、肥前松浦郡生属島に帰着。 続後紀 8・25条              
8・20 大宰大弐南淵永河に勅して、遣唐使の乗る新羅船について、各方面で監視態勢をとること、大神宗雄らを客館に安置すべきこと等を命じる。十五大寺に遣唐船が帰国するまで読経祈願させ、神祇少副大中臣礒守・少祐大中臣薭守を攝津国住吉神・越前国気比神に遣わし遣唐船の無事帰国を祈らせる。 続後紀               
8・24 大宰府、飛駅。唐大使藤原常嗣らの分乗する7船が肥前国松浦郡生属島に帰着したことを報じ、19日付常嗣奏状を伝える。 続後紀               
8・25 遣唐大使藤原常嗣・大宰大弐南淵永河らに勅して、帰国した遣唐使の慰労、秋の収穫時期にあたるため使人の上京に海路を用いることなどを聴す。信物・要薬については検校使を派遣、陸路で逓送すること、遣唐第2船及び帰国に利用した新羅船9隻の内の1隻が未帰還なので十分に監視すべきこと等を命ず。 続後紀               
9・2 遣唐使とともに帰国した請益僧常暁、准判官藤原貞敏に付して進上する上表を作る。 僧常暁請來目録(『平遺』4446)              
9・16 帰京の遣唐大使藤原常嗣、節刀を返進。 続後紀               
9・17 天皇、紫宸殿に出御。右大臣藤原三守、唐の勅書を奏す。天皇、大使藤原常嗣を慰労。常嗣に御被・御衣を賜う。 続後紀               
9・18 権中納言藤原良房、内記に唐の勅書を所蔵させる。 続後紀               
9・23 大宰府に、僧常暁請来の太元帥画像を進上させる。 続後紀               
  僧常暁請來目録(『平遺』4446)        
  太元師法縁起奏状        
9・28 遣唐使に加階。大使正四位下藤原常嗣に従三位、判官従五位下長岑高名に従五位上、判官正六位上菅原善主に従五位下を授ける。唐で没した判官正六位上藤原豊並に従五位上を贈位。 続後紀               
  公卿補任      
10・1 紫宸殿で群臣に賜酒。伴雄魚と伴須賀雄が囲碁をし、遣唐准判官正六位上藤原貞敏が琵琶を弾く。 続後紀               
10・6 遣唐大使以下、八省院において朝拝。天皇、臨御せず、大臣が事を行う。 続後紀               
10・9 遣唐録事山代氏益の乗った新羅船が筑前国博多津に帰着する。 続後紀               
10・13 唐物を伊勢大神宮に奉る。 続後紀               
10・25 建礼門前で内蔵寮の官人・内侍らに唐物の交易をさせ、宮市と称す。 続後紀               
12・13 天皇、建礼門に出御し、唐物を光仁(後田原)・崇道(八嶋)・平城(楊梅)・桓武(柏原)天皇陵に献ずる使者を分かつ。 続後紀               
12・19 円行、入唐修行の経過を述べる上表と請来目録を作成。円行、霊仙の弟子から託された2700余粒を含む仏舎利3000余粒をもたらす。 圓行請來目録(『平遺』4447)              
12・20     渤海王子大延広等が朝貢する。 冊府972          
12・22 13日の頒幣に漏れた藤原乙牟漏陵に唐物を奉じる。 続後紀               
840 1・4     文宗死。       承和7 開成5                                                                                                                         (武宗) 文聖王2 咸和10
  1・14     武宗即位。            
  2・14 隠岐国に配流されていた小野篁を召還する。 続後紀               
  2・16 伴有仁・刀岐雄貞を佐渡国より召還。 続後紀               
  3・3 大宰府と縁海諸国に命じて未帰還の遣唐第2船の監視を継続させる。 続後紀               
  3・28 渤海王子の登州経由での帰国を聞く。 巡礼行記              
  4・8 大宰府、飛駅して、遣唐第2船知乗船事菅原梶成らが1隻の小船に乗って大隈国海岸に帰着したことを報ず。梶成ら、入唐の途次、海上で逆風に遭って南海に漂着し、万死に一生を得たという。 続後紀               
  続後紀 4・15条      
  続後紀 6・5条      
  文実 仁寿3・6・2条      
  三実 貞観7・10・26条      
  4・15 大宰大弐南淵永河らに勅符し、菅原梶成らの慰労と、別船の准判官良岑長松らの捜索に尽力すべきこと等を命じる。 続後紀               
  4・23 遣唐大使藤原常嗣、没(45歳)。 続後紀               
  4     鴻臚寺、新羅国の告哀と、質子・年限の満ちた学生等105人の帰国を奏す。 旧唐199 上新羅 文宗(ママ)、新羅質子と満期に達した学生ら105人を放還させる。 史記11      
        新唐220新羅      
        唐会要95新羅      
  6・1 円載、天台山に到り、淳和皇后正子内親王より与えられた袈裟等を奉納。延暦寺衆徒の宗義上の疑問(寺家未決・修禅院未決)50ヵ条について、未決の回答を禅林寺の広修・国清寺の維蠲に請う。広修に続き、維蠲、回答を与えるにあたって台州刺史の許可を求める。8月13日、台州刺史滕邁、許可を与える。 唐決              
  6・3 入唐請益僧常暁が唐から将来した太元帥像を山城国宇治郡法琳寺に安置し修法の道場とすることを請い、許す。 続後紀               
  6・5 遣唐知乗船事菅原梶成ら、帰国の途次に南海に漂着して賊と戦い、得た兵器、五尺鉾・片蓋鞘横佩等を献状。 続後紀               
    続後紀 7・26条      
    文実 仁寿3・6・2条      
    三実 貞観7・10・26条      
    巡礼行記会昌2・5・25条      
  6・18 大宰府、馳駅。遣唐第2船准判官良岑長松らが大隈国に帰着したことを報じる。 続後紀               
  7・26 出羽国飽海郡正五位下勲五等大物忌神に従四位下を授け、神封2戸を充てる。南海に漂着した遣唐使第2舶が賊と戦い勝利したことへの謝意。 続後紀               
  9・15 風波に強い新羅船1隻の分給を請う対馬島司の願いを認める。 続後紀               
  9・23 大宰府、大主城1員を減じ、弘仁14年に停止した主厨・主船を再び各1員置く。主厨は蕃客の供応、主船は遣唐使乗船新羅船の構造調査と大唐通事を任とする。 三代格5              
  続後紀 9・20条              
  9・26 帰国した遣唐使判官以下水手以上391人の加階の等第を定める。 続後紀               
  12・27 大宰府、新羅人張宝高の使者が馬鞍等の方物を献上したことを報じる。 続後紀               
  この年 この頃、在唐の日本僧円覚、五台山に住む。 圓珍入唐求法目録(『平遺』4480)              
  圓珍入唐求法目録奉納狀(『平遺』4481)              
841 1・23 遣唐陰陽師春苑玉成が唐で得た『難義』を陰陽生に伝学させる。 続後紀          承和8 会昌1 文聖王3 咸和11
2・27 太政官、新羅人張宝高の朝貢に関し大宰府に指示。「人臣に境外の交なし」として、朝貢不許可・献上品返却とするが、積載の貨物は民間に交易することを許すこと、また使者には前例に准じて粮を支給すること等を命じる。 続後紀           
7     帰国する新羅の金雲卿を淄州長史とすべしと勅す。 旧唐199上 新羅 唐武宗、在唐の新羅人金雲卿を新王冊封のための勅使として帰国させる。新王を新羅王、妃を王妃に冊封。 史記11  
唐会要95新羅  
8・19 大宰府の曹104人を対馬島に配して防人に充てる。 続後紀           
閏9・25 渤海国中台省、日本国太政官宛牒状を作成。大使賀福延に託し、日本に送る。 壬生家文書1679号          
この秋 日本の遣唐使一行を本国に送り届けた新羅人ら、楚州に帰着。新羅人船頭の陶十二郎、日本僧玄済から円仁宛の砂金24小両等を託され、もち来る。また恵蕚、新羅人の帰国船に同乗して楚州に着、五台山に巡礼。翌年2月1日、これらの経緯を楚州の新羅訳語劉慎言、書状をしたため、円仁に伝える。 巡礼行記会昌2・5・25          
文実 嘉祥3・5・5条  
11 張保皐(宝高)、没。 続後紀 承和9・1・10条          
12・22 長門国、渤海使政堂省左允賀福延ら105人の来着を伝える。 続後紀           
続後紀 承和9・3・29条  
続後紀 承和9・4・5条  
壬生家文書1679号  
12・25 式部大丞小野恒柯・少外記山代氏益を存問渤海客使とする。 続後紀           
この頃     (会昌元年頃)渤海、瑪瑙櫃・紫瓷盆などを貢じる。 學津討原所収『杜陽雑編』下      
842 1・10 これより先、新羅人李少貞ら40人、筑紫大津に来着。張宝高残党が日本にやってきた場合の捕縛と、前年来日の李忠らの本国送還等を要請し、丈の筑前国宛牒状を提出する。公卿、議して、丈の書状が先例に背くことと、牒の内容に問題があれば、受け取らずに少貞に付して返却すべきこと、忠らの帰国については、その意思に従うべきことなどを定める。宝高死去を聞いた文室宮田麻呂、忠らの貨物を差し押さえる。朝廷、大宰府司に命じて、貨物を宮田麻呂から取り返して忠らに返し、食料を支給して帰国させる。 続後紀          承和9 会昌2 文聖王4 咸和12
2・20 渤海使の入京を許す。 続後紀           
3・6 存問兼渤海客使小野恒柯・少内記豊階安人ら、渤海使勘問記と渤海王大彝震の書・中台省牒の案文を進める。大彝震、前使王文矩に告げられた趣旨に基づき、朝聘の年期がきたので使者を派遣する旨を述べる。別状で、かつて826年度の使高承祖が在唐日本僧霊仙へ転送を依頼された黄金100両の顛末について、渤海使が唐の霊仙のもとへ至った時は既に霊仙が遷化した後であったこと等を述べる。 続後紀           
3・27 渤海使賀福延ら入京。式部少輔藤原諸成を郊労使に任じ、迎えさせる。ついで鴻臚館に安置する。 続後紀           
3・28 右大史蕃良豊持を鴻臚館に遣わして渤海使を慰労させる。賀福延、中台省牒を進める。 続後紀           
3・29 侍従藤原春津を鴻臚館に派遣。黄金転送の経緯を述べた渤海王の別状についての存問使の詰問に対し使者が過失を認めたため、常例で待遇すべきではないという意見があったが、年期を守って来朝したので特に優待するとの勅旨を渤海使に告げる。 続後紀           
この春 この頃、恵蕚とその弟子、五台山供料を募るために帰国。 巡礼行記会昌2・5・25条          
  巡礼行記会昌5・7・5条  
4・1 右大史山田文雄を遣わして、渤海使に時服を賜う。 続後紀           
4・2 賀福延ら、八省院において渤海王の書・信物等を献じる。 続後紀           
4・4 左近陣で渤海客徒の位記に捺印する。 『西宮記』恒例2 裏書            
4・5 天皇、豊楽殿に御す。渤海使らを饗し、大使賀福延に正三位、副使王宝璋に正四位下、判官高文暄・烏孝慎に正五位下、録事高文宣・高平信・安歓喜に従五位下を叙す。訳語以下、首領以上13人にも授位。 続後紀           
4・7 渤海大使賀福延、方物を献じる。 続後紀           
4・9 渤海使らを朝集堂で饗す。惟良春道に陪席させる。勅して、国王と大使賀福延らに物を賜う旨を告げる。 続後紀           
4・12 勅使を鴻臚館に遣わして詔を宣し、賀福延に渤海王宛の書を付す。また中台省宛の太政官牒を付し、渤海王の啓函の修飾が先例に反するのは問題だが、今回は咎めず、以後注意すべき旨を述べる。勘解由判官藤原粟作・文章生大中臣清世を領客使に任じ送らせる。賀福延ら、帰途につく。 続後紀           
5・5 大宰府観音寺講師兼筑前国講師恵運、講師を辞し、博多津頭において唐商・李処人の船に乗り、入唐の途に就く。肥前国松浦郡遠値嘉島那留浦で李処人、旧船を棄てて新船を建造。三ヶ月後の8月24日、出帆し、6ヵ日後に温州楽城県玉留鎮府前頭に到着する。 入唐五家伝1安祥寺慧運(恵運)伝          
  安寺伽藍縁起資財帳(『平遺』164)  
7・17 伴健岑・橘逸勢ら、謀反が発覚したとして捕えられる。 続後紀           
8・13 橘逸勢、伊豆国に流される途上、遠江国板築駅で没(60余歳)。逸勢は延暦度入唐留学生。 続後紀 9・3条          
  文実 嘉祥3・5・15条          
8・15 大宰大弐藤原衛、4ヵ条の起請を奏し、警固上の問題から新羅人の入国を一切禁止すること等を請う。来朝新羅人について、一般人の場合は漂着の例に准じて粮を支給して放還し、商人の場合は民間交易を許し、終了後速やかに帰国させること等を命ず。但し、鴻臚館には安置させず。 続後紀           
  三代格18   
8・24 唐商に同行して渡唐の恵運に円修も同行か。 山王院蔵書目録          
  行歴抄 仁寿3・12・15条  
10・17 延暦度遣唐判官菅原清公、没(73歳)。 続後紀           
三実 元慶4・8・30条  
      吐蕃内紛、ティツク・デツェン王暗殺される        
843 2・15     武宗、北狄の一種族・黠戛斯の使を引見して渤海使の上に置く。 通鑑247     承和10 会昌3 文聖王5 咸和13
3・3 留学僧円載、開成4年に台州国清寺日本新堂で書写した『五百問論』を帰国する弟子仁好らに託し、延暦寺に送る。 東大寺図書館蔵『五百問論』巻上奥書          
8・22 対馬島上県郡竹敷埼の防人が伝えた、新羅の方角の異変を太宰府が報じる。勅して、警固に努めさせる。また、対馬島司が、防人の停止と弘仁年中の疫癘による島民多数の死亡によって危急時の防禦に不安があるため、旧例に准じて、筑紫の人を対馬島の防人に充てることを請う。これを認める。 続後紀           
9 留学僧円載の二人の弟子等、日本に向けて楚州を出発。 巡礼行記会昌3・12・-条          
10・21 日本僧惟正、長安の資聖寺において『百法論顕幽抄』を書写。 東大寺図書館蔵『百法論顕幽抄』奥書          
12・9 入唐留学僧円載の弟子仁好・順昌、新羅人張公靖ら26人とともに長門国に来着。 続後紀           
巡礼行記会昌3・12月条  
巡礼行記会昌4年2月条  
12・22 文室宮田麻呂を謀反の疑いで逮捕。29日、宮田麻呂を伊豆国に配流。 続後紀           
この年 円修と恵運、天台山に到り、円載の犯尼を聞く。円載、円修になじられたことを恨み、円修の帰国の途中、新羅僧を雇い毒殺をはかるが、失敗に終わる。 行歴抄 大中7・12・15条          
844 4〜5 これより先、日本僧恵蕚とその弟子、五台山供料を携えて入唐。この頃、恵蕚、蘇州南禅寺において、唐人の協力を得て、白居易(楽天)の文集『白氏文集』を書写。これを日本に将来。 巡礼行記会昌5・7・5条         承和11 会昌4 文聖王6 咸和14
  『白氏文集』奥書
  7・2 勅して、在唐の円仁・円載らの旅資各黄金200小両を、一時帰国して再び唐に向かう円載{従の仁好に付すことを命ず。 続後紀         
  10・9 摂津国、難波の鴻臚館を国府とすることを請い、許される。 続後紀         
  この年 入唐留学僧円修、帰国。『冥道無遮斎文』1巻等をもたらす。 山王院蔵書目録        
838〜844 同5〜同11 大宰少弐藤原岳守、唐人の貨物を検校し『元白詩筆』を入手し、奏上する。仁明天皇、悦び岳守に従五位上を授ける。 文実 仁寿1・9・26条        
845 5・1     白居易(楽天)、自分の文集が日本・新羅に流伝していることを『白氏長慶集』後序に記す。       承和12 会昌5 文聖王7 咸和15
7・5 楚州滞在中の円仁、日本からの船2隻が常州界に着岸していること、恵蕚とその弟子が、還俗させられて楚州に滞在していることを聞く。 巡礼行記        
8     会昌の排仏、始まる。      
12・5 大宰府、馳駅。新羅人が康州の牒2通をもち、日本人漂流民50余人を護送して来着したことを報じる。 続後紀         
この年         新羅僧慈恩禅師、唐より帰国する。(入唐年次は不明) 月光寺圓朗禪師大寶禪光碑塔碑
846 1・9 この頃、円仁の弟子性海と俗人4人、太政官牒等と勅施の黄金等をもって揚州に至る。円仁は10月2日に揚州から来た性海と会う。 巡礼行記会昌6・1・9条         承和13 会昌6 文聖王8 咸和16
巡礼行記会昌6・3・9条        
巡礼行記会昌6・4・27条        
巡礼行記会昌6・5・1条        
巡礼行記会昌6・10・2条        
1・17     渤海使等入朝、麟徳殿で引見。 旧唐18上            
冊府972        
冊府976        
1     渤海王子大之萼入朝。 旧唐18上            
冊府972        
2・5  楚州に帰着した経論等を受け取るために丁雄を派遣する。 巡礼行記                
2・26     新羅使金国連入朝。 旧唐18上            
3     武宗死、宣宗即位              
8     回鶻、唐と黠戛斯(キルギス)の挟撃により滅亡              
    吐蕃、ランダルマ王暗殺され南北に分裂              
    唐、吐蕃より河西・隴右奪回              
841〜846     会昌以後、新羅の朝貢復すに至らず。 新唐220新羅     承和8〜13 会昌1〜6 文聖王3〜8 咸和11〜16
847 閏3・10 これより先、日本の神御井らの船、明州に到る。 巡礼行記         承和14 大中1 文聖王9 咸和17
4 対馬の百姓6人、新羅の武州南界黄茅嶋に漂着し囚禁される。 巡礼行記9.6条        
5・11 唐人江長・新羅人金子白らの書により、帰国日本僧の状況を知る。これより先、春太郎・神一郎、明州の張支信の船に乗って日本に向かう。 巡礼行記6・9        
6・21 日本僧慧運、留学僧円載の{従仁好・僧恵蕚・唐僧義空・同道ムら(総勢47人)、唐商張友信らの船で明州を出帆し、3日後、遠値嘉島那留浦に帰着する。慧運、儀軌・経論・仏菩薩・祖師像・曼荼羅・道具等を将来する。 安寺伽藍縁起資財帳(『平遺』164)        
続後紀 承和14・7・8条
続後紀 嘉祥1・6・5条
入唐五家伝1安祥寺慧運伝
善隣記 嵯峨天皇条
元亨6
『高野雑筆集』付収「唐人書簡」
6・30 恵運、請来目録を作る。 僧惠運請來目録(『平遺』4454)        
7・8 在唐の天台留学僧円載の{従仁好と僧恵蕚ら、唐人船に便乗して帰国し、円載の留学年限の延長を求め、費用を請う旨の表状を進める。唐僧義空、来日。 続後紀         
  続後紀 嘉祥1・6・5条
9・2 円仁・弟子惟正ら登州赤山浦を出帆。10日、肥前国松浦郡鹿嶋に着。 巡礼行記        
9・18 入唐求法僧慧雲、孔雀、鸚鵡、狗を献じる。 続後紀         
9・18 円仁・弟子惟正ら、博多津の鴻臚館前に着。翌19日、鴻臚館に入り、『請来目録』を作成し、進上する。惟正、洛陽・太原・長安等で学んだ音韻を伝える。 巡礼行記        
僧圓仁請來目録(『平遺』4455)
悉曇蔵5
10・2 円仁ら帰国の報が朝廷に伝えられる。 続後紀         
10・19 円仁らの入京を促す官符が大宰府に届く。 続後紀 嘉祥1・3・26条        
巡礼行記
巡礼行記10・26条
巡礼行記11・14条
10 恵運、請来目録を作成。 安寺伽藍縁起資財帳(『平遺』164)        
この年     唐、黠戛斯に可汗号を与える      
848 3・26 円仁ら平安京に到る。 続後紀          嘉祥1 大中2 文聖王10 咸和18
3     「日本国王子」、入朝し方物を貢じる。碁をよくしたため、皇帝の命で顧師言と対す。 旧唐18下    
冊府997
杜陽雜編 下
6・5 在唐の留学僧円載に太政官牒を送る。留学年限の延長と黄金小100両を支給する旨を記す。 続後紀         
12・30 能登国、渤海使王文矩ら100人の来着を報ず。 続後紀         
続後紀 嘉祥2・5・3条