第4回総会講演要旨

齋藤 憲(専修大学経営学部・教授)

STAP細胞の疑惑問題が、世を賑わしている。同細胞は、理化学研究所小保方晴子研究員が作製法を発見したとされる。理系の発明、発見は追試実験を行い、再確認するだけで事の真意は明らかにできるから、それほど難しい問題ではない。経営学の研究者で、理系の人間ではない講演者にとって関わりはどこでできたかというと、戦前の理化学研究所のほとんど唯一の研究者であるというだけである。したがってSTAP細胞そのものを判断できるわけではない。
戦前の理化学研究所は、大河内正敏第三代所長の時代に最盛期を迎える。同所長は、理化学研究所の発明を工業化して理研コンツェルンと呼ばれた新興財閥を創成する一方、そこから得られた特許料などを研究資金として研究所の経営を実施した。その結果、理化学研究所を世界有数の研究組織にまで成長させた。講演者は、この経緯を『新興コンツェルン理研の研究』(時潮社、1987年)、『大河内正敏』(日本経済評論社、2009年)に現している。
新聞、TV、ラジオ、雑誌などが講演者に求めたものは事件性で、事件を起こした小保方研究員が悪い、理化学研究所が悪い、ということになって、それに対してノーベル賞受賞者の朝永振一郎は良い、戦前の理化学研究所は良かった、という結論に短絡されているように思われた。
しかし、小保方研究員と朝永振一郎との間には50年以上の時間の流れがあって、つまり戦前の理化学研究所と現在のそれとは、研究体制も時代も異なっている。それを無視して個人の問題とし、あげつらうのは間違っている。現在大学進学者は50%を超えている。これに対して戦前の大学進学者は多くても数%で、一握りのエリートたちを第三代所長の大河内正敏が、理研コンツェルンからの収入で自由に研究させた体制と、研究も大衆化し、その人々をアメリカ的な研究体制の下で活動させている現在とは、比較できないと思われる。
例えば、技術を流出させたとして東芝から1,000億円の損害を請求された元社員とか、お客リストを売った元銀行員とか、と同じ土壌の問題だと考えられる。昔は技術を理解できる社員は一握りのエリートであったし、お客リストを見られる行員は、幹部社員であった。同じように朝永振一郎は一握りのエリートであったのに対して、小保方さんは50%が大学へ行き、その内の数%が大学院へ行く時代、数万人のオーバー・ドクターが失業している時代の研究者の1人である。彼らは常に失業と背中合わせで研究している。
1960年代以降に大衆化社会が出現し、日本人は誰でも自動車を持てるし、大学へ行けるようになった。少し努力すれば研究者にもなれる。アメリカ、イギリスが大衆化社会に入るのは、1920年代、30年代だが、戦争の影響もあって日本は1960年代と約30年遅れた。研究もやはり30年程度遅れて大衆のものになった。
講演者が言いたいことは、先ず時代が異なるし、研究に対する環境も異なる。それを無視して個人や研究所の問題へと還元して、比較するのはおかしい、ということである。小保方問題は、研究上の問題は調査して誤りならば訂正し、それ相応の処分をすればいい。ただし多くの人が研究者を目指すことは、科学の大衆化として歓迎すべきである、他方そうした拡がりは、必ず問題を起こすこと、起こることを前提にして対応しなければならない。理化学研究所に問題があったとすれば、研究管理体制の構築が弱かったということで、これを無視すれば、問題は繰り返されると思われる。
改革案では、期限付きの雇用では安心して研究ができないので、と考えているようであるが、これは終身雇用の問題と軌を一にしている。理化学研究所も科研費もアメリカの研究補助体制を教科書としているから、それほど単純な問題はない。現在の労働問題、労務管理問題と軌を一にしていると考えられる。

(内容は、講演の行われた2014年7月現在のものである)