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日本の近現代文学について研究する[担当:山口 政幸]

ゼミナール名称日本の近現代文学について研究する
研究テーマ明治から平成の約150年間に書かれた、おもに小説を研究していきます。
ゼミナール所属文学部日本文学文化学科
学習内容ゼミナールは、原則として一人の発表者が、発表資料を人数分用意して、場合によっては、パワーポイントやDVDによる映像資料を使いながら、自分の調べたり、考察したことを口頭で発表します。準備期間で、作家や時代状況、当時の言語や風俗やその地域についてなど、さまざまなことをまとめてA4で、5、6枚くらいにまとめ、作品についての読解や解釈を、20分間くらいで行います。発表の後で、学生から質問や教員からコメントを受け取ります。またそれらを参照して、小レポートにまとめたりします。
ゼミ生の人数男性5人 女性20人 留学生がそのうち3人います。
開講日時など火曜日2限【10時45分~12時15分】
卒業論文・卒業研究卒論は学科で必修となっています。以下、2018年度のものを紹介します。

村上春樹の翻訳を、そのデビュー当時から手伝ってきた、柴田元幸さんという翻訳家について、何度か彼の講演に足を運び、雑誌に発表されながら、単行本にまとめられていない貴重な文章を集めて卒論にまとめた人がいます。これはテーマとしては、「翻訳」を考えるということになります。と同時に、柴田さんの書誌を整理をしたということにもなります。柴田氏は東大の先生だった方で、その翻訳の量と質は群を抜いた方です。多くのエッセイは、その翻訳者としての姿勢を綴ったもので、それらを読み通すことを通じて、現代アメリカ文学の知識を増すこともできました。村上春樹の翻訳と、訳文どうしを比較することなどは大変興味深いものでした。

比較ということで言うなら、宮崎駿のアニメ『ハウルの動く城』の原作となった、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの『ハウルの動く城 魔法使いハウルと火の魔法使い』を比較した学生や、辻村深月の『鍵のない夢を見る』と映像化されたテレビドラマを比べて卒論にした人がいます。後者の映像の第1話である「芹葉大学の夢と殺人」は、倉科カナさんと 三浦翔平さんが共演されたもので、大学生の恋愛や就職、実家のことなど等身大の現代の若者の姿が巧みに切り取られており、演技の自然さとともに印象深いものでした。映画やテレビドラマなど、いったん映像に置き換えられた文学作品を扱うのは、尽きない興味を覚えるもので、しばしば卒論として奨励している題材です。

4年生の男子学生二人が選んだのは、志賀直哉でした。ひとりが島根県から来た学生で、隣の県である鳥取の大山(だいせん)という山が、『暗夜行路』の最後の舞台となっているので、何度かすすめてみたことがあります。結果的には、『暗夜行路』でなく、同じような父親との葛藤を描いた「和解」を選びました。もう一人の学生も、父との不和から別居を始めた広島県の尾道(おのみち)を舞台にした「児を盗む話」を扱いました。志賀直哉という作家は、かろうじて、芥川龍之介や夏目漱石、太宰治などとともに、教科書に載せられている文豪のひとりでしょう。研究に関しても多くの蓄積があり、なかなか自分の意見が言えないかもしれませんが、先行する他人の意見を咀嚼しつつ、自分なりの「読み」をテクストの上に展開させていくというのは、やはり言語芸術を研究する文学研究の王道のような感じも受けました。

講義で取り上げた江戸川乱歩を卒論にした学生は、異色中の異色作である「芋虫」を題材に、発禁や伏字という戦前の出版制度について考察しました。同じく、ミステリ―系の作家として、松本清張の文庫化の流れと戦後の出版事情について研究した卒論では、戦後のベストセラーと清張の関係、現在の大手出版社における当時の経営戦略などに触れることができ、歴史的見通しについて考える手立てを得ることになりました。ミステリー文学を扱う場合は、普通の近代文学の知識とは別の、英米の探偵小説や推理小説というジャンルにたいする持続的な興味と関心が必要ですが、方法論としてここでは、二つとも、「出版」という制度を取り上げながら、戦前と戦後のミステリー界の両巨匠の作品を、それぞれの学生がが読み解いていったということになりました。
サブゼミナールゼミの延長線のような形の勉強会みたいなものを4、5人の学生と開いています。研究室でテーブルを囲んで開いています。時間帯は、みんなが集合できる時を利用して、月に2回くらいのペースでおこなっています。参加は自由です。
ゼミナール合宿2017年は、夏目漱石『草枕』の舞台である、熊本県の小天(おあま)温泉に行きました。漱石が教鞭をとった熊本五高(現・熊本大学)や小説に出てくる峠の茶屋、5つもある旧居あとなどを、学生は各自の計画した順路で好き勝手に回りました。グループも決めずに、教員の引率もありません。ただし、前期のゼミでの発表を、2年生全員に割り振ったので、遠隔の地でしたが、なるべく参加するようには促しました。この小説のヒロインの那美さんのモデルにゆかりのある、那古井館を貸し切りの形でとらせていただいた、まことにぜいたくなゼミ合宿でした。宿泊後は、自由解散です。遠隔地なので行きも各自自由にしました。

2018年は、先年の合宿が遠かったので、完全な自由参加として、新潟県の佐渡島に行きました。松本清張の時代小説「佐渡流人行」(るにんこう、と呼びます)の舞台です。佐渡金山を初めて見ることができて、教員は大感激でした。新潟県に帰省した学生が2名いたので、その人たちだけが参加してくれました。
対外活動など特にしていません。
OB・OGの進路印刷業、JAL地上勤務、ハウジング産業、地方銀行など、さまざまです。以前の学生ですが、大学院進学や教員になった人もいます。
OB・OG会特にありません。よく集まる年代はいます。
教員紹介上記にいろいろ書いたように、乱歩や清張などのミステリーや、映画と文学作品の関係、また翻訳小説などにずっと関心を寄せています。また、夢ナビなどでも何回か話させてもらいましたが、吉屋信子の少女小説『花物語』などもずっと、授業で取り上げています。

近年、菊池寛の通俗小説を集中して読んだことがあり、それ以来、長く続けていた谷崎潤一郎を少しよそにおいて、大正時代に書かれた長編小説を学生と読み進めています。具体的には、久米正雄や里見弴、田山花袋などです。特に見直したのは、花袋です。彼の自らの執拗すぎる愛に引きずられるさまを描いた作品は、もっと再評価されていいものとしか思えないくらいです。代表作の「蒲団」以降に、『生』『縁』『妻』のいわゆる自然主義の三部作を経たのち、『髪』から続く数多くの長編小説を、新聞連載や書下ろしなどで書き続けていきますが、彼は本質的に長編でものを考えるという、日本の作家にはあまりない、異例なタイプに属する作家なのではないかと思えます。大正時代は、学校教育の場で使われる芥川や志賀直哉などの印象から、短編を中心に小説を読んでいくことが考えられてきたきらいがありますが、もう少し長編の作品への目配りを充実させる必要があるように、感じられてなりません。

また、先の熊本合宿や佐渡行きなどからもわかるとおり、その現場に行ってみるということを、自分の中では非常に重要視しています。いきおい、合宿も、勉強や発表会の合宿よりは、実際を見てくることの方を重視する実地探査としての合宿になります。現在の4年生で、夏目漱石の『吾輩は猫である』を卒論にしようとしている学生も、2年次に熊本へ行ったことが、大いに励みとなったようです。

場所に関する別の例を挙げると、北原白秋という大正時代の詩人が、罪を犯して逃げるように隠れ住んだ、神奈川県三浦半島の三崎という場所に、GWの混み合うさなかに、行ってきたりしました。ちょうど白秋を発表する学生がいたので、グループで行くように奨励するために、下見を兼ねて行ってみたわけです。白秋はその三崎という辺鄙な地においても、また新たな脱皮をはかろうとするのですが、このように、昔の人は非常に身軽に自分の住む場所を変えることで、その地域で感得したエッセンスのようなものを、巧みにかつ素早く自分の文学に取り入れていきます。作品は、それに従うように、また抗うかのように、それらの「土地」の記憶を自らに呼び入れていきます。言ってみれば、それは一種の「旅」から得たものの結果かもしれませんが、それらを見ていくのが、自分の仕事だとつよく思いつづけています。最近知ったおしゃれな言い方だと、エクスカーション(周遊旅行)を自分なりにするわけです。

古い昔の映画作品などにも、失われた土地の様子が数多く残されているので、偏愛する次第です。地方だけでなく、東京の中心を読み解くのも、楽しい試みです。松本清張の政界を描いた長編小説『迷走地図』など、知っているようで全然知らない国会周辺の地域が、実に精細な筆致で描かれていて、興味が尽きません。

山口 政幸[研究者情報データベースへ]
HPただいま新たに建築中です。教員に決定的にそうしたものを作り上げる能力が欠けているので、学生の集中的かつ多大な助力を得て初めて可能になるので、今は、以前の古い状態のものへ繋いでおいてもらいます。
その他甘党です。かなりの。
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たっての頼みで、女子ふたり後ろ向きの写真です。向こうの真ん中の割れている山が、佐渡の相川というところにある金山です。江戸時代に頂上から掘り進められて、中央部があのように割れた形になっています。人間の欲望のすさまじさを表わしているとよく言われれてますが、松本清張は「佐渡流人行」を執筆の際に、おそらくこれを実際に見ることはなかったのが、これで納得できるようです。これほど不自然な奇怪な山の様子を、描かない方が不自然ではないでしょうか。ただ、単純にそうも言えないので、小説に描かれた時代の当時には、まだ割れていなかったのかもしれません。さてどっちでしょうか。
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[2019年3月掲載]