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グローバリゼーションの政治経済学――グローバル化のさまざまなかたちを考える[担当:森原 康仁]

ゼミナール名称 グローバリゼーションの政治経済学――グローバル化のさまざまなかたちを考える
研究テーマ  ヒト、モノ、カネ、情報が国境を越えて移動している――これは、わたしたちが新聞やテレビで毎日のように目にする言葉のひとつである。ところが、カネ(資本)や企業がうみだしたモノが国境を越えて移動するしくみと、ヒト(市民)が国境を越えて移動するしくみは同じようで異なる面がある。また、それらが市民社会に与える影響も異なる。さらに言えば、社会的再生産にかかわる領域も重大な影響を被っている。現実にはグローバル化を担う主体ごとに「複数の (multiple) グローバリゼーション」が存在し、それゆえまた、その影響も複数的である。
 大局的にみれば、モノ、カネ、さらには情報のグローバル化は過去100年あまりにおいて大きく進展したものの、ヒトのグローバル化は依然として道半ばというところだろう。それは主権国家システムないし国民国家という政治システム(あるいは社会統合)のあり方と無関係ではない。足元の2020年代においてはこの存在感がふたたび高まっている状況であり、グローバル化も足踏みしている状況である。
 ようするに多様な主体が、社会領域の多様な次元において、多様な思惑をもって推進しているのがグローバル化(ないしは脱グローバル化)なのであり、この意味において、狭義の経済学だけではグローバル化現象の内実には接近できない。
 本ゼミナールではこのことを念頭に置きつつ、政治学、社会学、歴史学、哲学等の経済学以外の知見も借りながら、「グローバル化のさまざまなかたち」を考える。
ゼミナール所属 経済学部生活環境経済学科
学修内容  2010年代以降、米中貿易摩擦やブレグジット、ロシア・ウクライナ戦争、イスラエル・ガザ紛争といった、いわゆる「地政学的緊張」と呼ばれる出来事が頻発するようになっています。こうした中で、我々は、日常生活からマクロ経済、政治に至るあらゆる領域で変化を実感するようになっています。物価や金融資産価格の高騰、産業の国内回帰、政府介入の正当化、「金利ある世界」への復帰、賃上げ等々、具体例を挙げればきりがありません。
 我々は1990年代から20年近く続いてきた「極端なグローバル化」に慣れ、それを常識としてきました。しかし、足元で生じているのはこれにあきらかに逆行する出来事です。ならばそれは不可逆の構造変化なのでしょうか。それとも、こうした事態は相互依存の深化というメイントレンドへの一時的な逆行にすぎないのでしょうか。いずれの立場をとるにせよ、我々はみずからの主体的な見解をもつことが求められています。
 本ゼミナールにおいては、こうした同時代の現実を見据えつつ、たんに経済学にとどまらない教養を身に付けることを大事にします。
 高等教育における教養教育の重要性は長らく軽視されてきました。しかし、大学における学習・研究は、本来、「答えのない問題」に答えを出すためにあります。このことは、コロナショック下において、かつてならば切り捨ての対象とされかねなかった「疫病をめぐるナラティブの歴史研究」といった人文学分野の「地味な」研究が、一転パンデミック対処のために参照され、脚光を浴びた経緯を振り返れば理解できるでしょう。
 また、近代の体系化された学問はよくもわるくも終わった出来事の後追いですが(「ミネルヴァの梟は、日の暮れ始めた夕暮れとともに、はじめてその飛翔を始めるのである」)、事態の急転はその種の知識や知恵の形式を許しません。折しも、最近の知識をめぐる学知においては、テクネーとエピステーメーの関係に上下の優劣関係はないともいわれるようになっており、現実の変化および現実と格闘しつつそこから知恵を引き出してくる人びとから学ぶことはとても大切です。
ゼミ生の人数 30名程度(2024年度)
開講日時など 水曜日
卒業論文・卒業研究
教員紹介 学問に匹敵するほど面白いものはこの世の中にそうはないと考えます。なぜならば、人間は言葉を使って世界をつくる特殊な動物だからです。我々のあり方が学問を要請します。ただし、ここでの学問とは「死んだ抽象」ではありません。生きている出来事から学びたいと考えています。

森原 康仁[専修大学研究者情報システム]
[2024年2月掲載]