キャンパス・ハラスメントコラム 2025年度
■ポライトネス理論で考える心地いいコミュニケーション(ニュース専修2025年9月号掲載)
誰もが快適に学修、研究・教育、労働できる環境づくりのヒントとして、言語学の「ポライトネス理論」をご紹介したいと思います。ここで言うポライトネスとは、単なる言語形式の丁寧さや礼儀正しさではなく、人間関係を円滑にするための言語行動という、とても広い意味です。この場面で、この人に、このような話し方をされて心地いいかどうか、という「人の気持ち」を重視した概念とも言えます。
私たちは情報伝達以外にも相互理解を目的に日々言語行動を行っていますが、ポライトネス理論では人間の言語行動に相手を侵害する可能性が潜在的に含まれていることに注目します。リスクの大きさは、社会的距離、力関係、事柄の負荷度という三つの要因によって決まると定式化されています。ハラスメント事案で重要になる力関係に限定すれば、他の条件が同じでも、一方が優位な立場にあるほどリスクが大きくなる仕組みです。同じ言葉でも相手との関係性によって重みが変わるので、様々な工夫が必要になってくるわけです。
そしてもう一つ、「この場面で」という点にも気を配りたいです。言葉は常に変化するもので新語や流行語は目立ちますが、同じ言葉が持つ力はどうでしょうか。学生時代の自分が言われて数日へこんだ言葉は、今は相手をより深く傷つける武器になっているかもしれない。「今」「ここで」「この人と」を大事に、お互いが心地いいコミュニケーションを見つけていきたいと改めて思います。
誰もが快適に学修、研究・教育、労働できる環境づくりのヒントとして、言語学の「ポライトネス理論」をご紹介したいと思います。ここで言うポライトネスとは、単なる言語形式の丁寧さや礼儀正しさではなく、人間関係を円滑にするための言語行動という、とても広い意味です。この場面で、この人に、このような話し方をされて心地いいかどうか、という「人の気持ち」を重視した概念とも言えます。
私たちは情報伝達以外にも相互理解を目的に日々言語行動を行っていますが、ポライトネス理論では人間の言語行動に相手を侵害する可能性が潜在的に含まれていることに注目します。リスクの大きさは、社会的距離、力関係、事柄の負荷度という三つの要因によって決まると定式化されています。ハラスメント事案で重要になる力関係に限定すれば、他の条件が同じでも、一方が優位な立場にあるほどリスクが大きくなる仕組みです。同じ言葉でも相手との関係性によって重みが変わるので、様々な工夫が必要になってくるわけです。
そしてもう一つ、「この場面で」という点にも気を配りたいです。言葉は常に変化するもので新語や流行語は目立ちますが、同じ言葉が持つ力はどうでしょうか。学生時代の自分が言われて数日へこんだ言葉は、今は相手をより深く傷つける武器になっているかもしれない。「今」「ここで」「この人と」を大事に、お互いが心地いいコミュニケーションを見つけていきたいと改めて思います。
( キャンパス・ハラスメント対策室員 ジ ミンギョン)
■他者が直面する困難にも目を向けよう(ニュース専修2025年7月号掲載)
筆者の小学校入学は2000年。「ゆとり教育」ど真ん中の世代である。大らかに育った自覚はあるが、それを「厳しさに耐性のない世代」と一括りにされることには悔しさも感じてきた。そんな筆者も教員になった今、「最近の大学生は」「私が学生の頃はもっと」という禁断のフレーズを使う誘惑に駆られそうになることがある。どうやら、自身の未熟さを棚に上げ、後進に自身と同等かそれ以上の振る舞いを求めたくなるのが人間の悪い性であるらしい。戒めなければならないと強く思う。
ハラスメントには様々あるが、とりわけ職場や教場で生じるハラスメントには、こうした心の作用が原因となっているものが多い。「自分が新人/学生のころはこう鍛えられた」「以前は新人/学生に厳しく接してもその分成長してくれた」という過大評価に、「今どきの若者は」という幻想が重なっているから厄介である。
ひとつの提案は、「その世代はその世代の困難の中を生きている」という理解を持つことである。たとえば現在の大学生は、SNSの発達と共に多感な時期を過ごしてきた世代である。彼ら/彼女らの「誰も傷つけない言葉選び」の能力には驚かされることがある。ゼミに時折訪れる「沈黙の数分間」は、消極的なように見えて、柔らかな言葉を準備するための優しい時間であるのかもしれない。ある人の弱さに見えるものは、その人の強みの裏返しでもある。他者が直面する困難を理解し、その人なりの闘い方を尊重して接することも、ハラスメントのないキャンパスづくりに向けた一歩となるのではないだろうか。
筆者の小学校入学は2000年。「ゆとり教育」ど真ん中の世代である。大らかに育った自覚はあるが、それを「厳しさに耐性のない世代」と一括りにされることには悔しさも感じてきた。そんな筆者も教員になった今、「最近の大学生は」「私が学生の頃はもっと」という禁断のフレーズを使う誘惑に駆られそうになることがある。どうやら、自身の未熟さを棚に上げ、後進に自身と同等かそれ以上の振る舞いを求めたくなるのが人間の悪い性であるらしい。戒めなければならないと強く思う。
ハラスメントには様々あるが、とりわけ職場や教場で生じるハラスメントには、こうした心の作用が原因となっているものが多い。「自分が新人/学生のころはこう鍛えられた」「以前は新人/学生に厳しく接してもその分成長してくれた」という過大評価に、「今どきの若者は」という幻想が重なっているから厄介である。
ひとつの提案は、「その世代はその世代の困難の中を生きている」という理解を持つことである。たとえば現在の大学生は、SNSの発達と共に多感な時期を過ごしてきた世代である。彼ら/彼女らの「誰も傷つけない言葉選び」の能力には驚かされることがある。ゼミに時折訪れる「沈黙の数分間」は、消極的なように見えて、柔らかな言葉を準備するための優しい時間であるのかもしれない。ある人の弱さに見えるものは、その人の強みの裏返しでもある。他者が直面する困難を理解し、その人なりの闘い方を尊重して接することも、ハラスメントのないキャンパスづくりに向けた一歩となるのではないだろうか。
( キャンパス・ハラスメント対策室員 渡邉 有希乃)
■キャンパス・ハラスメントは人権侵害行為、対策室に相談を!(ニュース専修2025年5月号掲載)
キャンパス・ハラスメントとは、教員と学生との関係や教職員間における上司と部下の関係など、優越的関係のある中で、優位にある教員や上司が、学生や部下など劣位に立つ側の者に対して、教育活動や職務遂行のための合理的範囲を超えた不適切な言動(セクハラ・アカハラ・パワハラ)により、勉学・研究・労働環境を悪化させる行為です。
大学は、学生や院生にあっては自由な勉学と人格の陶冶の場であり、教職員にとっては教育・研究および労働の場です。個人の尊厳を損ない、快適に学修・研究・教育・労働する権利を侵害するキャンパス・ハラスメントは、絶対にあってはならない人権侵害行為です。
「専修大学キャンパス・ハラスメント防止規程」では、キャンパス・ハラスメントを「相手方の人格の尊厳を傷つけるような言動によって相手方に不快感若しくは不利益を与え、又は相手方を差別的に取り扱い、若しくは不利益な取扱いをすることによって相手方の人権を侵害し、学修、教育、労働及び研究の環境を悪化させる行為」と定義し、快適に学修・研究・教育・労働する環境を維持するために、キャンパス・ハラスメントの発生を未然に防ぎ、あわせて発生した場合に適切な措置を講ずる組織として「キャンパス・ハラスメント対策室」を置いています。
もし、皆さんが、先に述べたようなハラスメント行為を受けた場合には、一人で悩むことなく、キャンパス・ハラスメント対策室にご相談ください。必ず力になります!
キャンパス・ハラスメントとは、教員と学生との関係や教職員間における上司と部下の関係など、優越的関係のある中で、優位にある教員や上司が、学生や部下など劣位に立つ側の者に対して、教育活動や職務遂行のための合理的範囲を超えた不適切な言動(セクハラ・アカハラ・パワハラ)により、勉学・研究・労働環境を悪化させる行為です。
大学は、学生や院生にあっては自由な勉学と人格の陶冶の場であり、教職員にとっては教育・研究および労働の場です。個人の尊厳を損ない、快適に学修・研究・教育・労働する権利を侵害するキャンパス・ハラスメントは、絶対にあってはならない人権侵害行為です。
「専修大学キャンパス・ハラスメント防止規程」では、キャンパス・ハラスメントを「相手方の人格の尊厳を傷つけるような言動によって相手方に不快感若しくは不利益を与え、又は相手方を差別的に取り扱い、若しくは不利益な取扱いをすることによって相手方の人権を侵害し、学修、教育、労働及び研究の環境を悪化させる行為」と定義し、快適に学修・研究・教育・労働する環境を維持するために、キャンパス・ハラスメントの発生を未然に防ぎ、あわせて発生した場合に適切な措置を講ずる組織として「キャンパス・ハラスメント対策室」を置いています。
もし、皆さんが、先に述べたようなハラスメント行為を受けた場合には、一人で悩むことなく、キャンパス・ハラスメント対策室にご相談ください。必ず力になります!
( キャンパス・ハラスメント対策室長 内藤 光博)