編集 2009/03/29
 哲学は昔から役に立たないと言われてきました。私も以前は、役に立たなくて当然、結構、と思っていました。最近、そうではなくて、実はものすごく役に立つんではないかと考えるようになってきました。もちろんそれは、やれば儲かるとかそういうことではないのですが(儲かりません)。

 第一に、はっきりとした疑問を提起できるようになります。誰かの話を聞いて、何かおかしいと感ずることはあっても、その疑問をはっきりと口に出して言うのはむずかしい、こういう体験は誰にでもあると思います。自分の疑問をちゃんと表明するのはとてもむずかしいのです。それをスムーズにできるようになるには、本当は訓練が必要なのです。私のゼミでは、疑問の定式化(きちんとした形で表明すること)を一つの課題にしています。どんな事柄でもそうですが、実は答えを考えるよりも、よい問題・質問を考える方がよほどむずかしいという場面があります。よい疑問を発することができれば、理解は格段に進むのです。哲学をやることは、いつでもこういう作業を繰り返すことにほかなりません。その意味で、もやもやした疑問にはっきりとした形を与える練習に哲学はうってつけだと思います。

 二つ目は、他人の言いたいことを理解するのがいかに困難か、ということを理解できるようになる点です。なにせ自分とは異なる観点や考え、あるいは自分にはまったく思いつきもしなかったアイデアをテキストから読み取っていかなくてはなりません。これは結構な困難を伴います。しかし、あるとき突然、相手の言いたいことがすっきりと焦点を結ぶことがある。相手の言う様々なことが有機的にすべてつながって見えてくるのです。こういう体験をすれば、他人の言うことをいつでもきっちり理解しているなどと思うのは、幻想だということがわかります。この幻想が、いかに多くのトラブルを引き起こしていることか。

 こんな風に考えれば、哲学そのものではないしても、哲学をやるという作業が私たちに有効な武器をもたらしてくれる、というのはそれほどおかしなことではないように思われます。

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