専修大学文学部日本語学科

専大日語・コラム

専大日語の教員による、月替わりのコラムです。

シャンゼリゼの「黄なる半臂はんぴ

令和元年の春のことになりますが、パリにあるフランス国立社会科学高等研究院(略称 EHESS、日本名称いまだに覚えられません)というところで、4回ほど講演を行なってきました。(リンクは こちら

1ヶ月ほどの滞在になりましたが、渡航や滞在のすべての費用をフランス政府が持つという、太っ腹ぶり。かの国は異国のしかも古代の言語などにも手厚いのですね。この機関には、琉球方言を専門にする教授もいらっしゃいましたが、東洋の言語の歴史的な繋がりを研究している方も少なくありませんでした。例えば古代トルコ語と古代日本語との関わりなど。古代日本語はこんな観点からも興味深い言語なのですね。以前派遣されていた北京や米国でもそうでしたが、どの地でも日本の古代語に興味ある方は、レアですがホット。


EHESS:フランス国立社会科学高等研究院

さて、どんな方々が見えるのか恐る恐る臨んだ講演でしたが、一本目のトピックはあらかじめ申告してあったとおり、上代語の名詞の意味論について。初回のとっかかりでしたので、どんなバックグラウンドの方にも広く興味を持ってもらえるようにと思い、音義説のような話を類像性(アイコニシティ)の観点から、画像を交えて話しました。そうしたところ、興味を持ってもらうどころか、フランスの他大学から来られたという教授の方から、なんと上代語特有の母音のヴァリエーション(甲類・乙類)についての質問も出て、すっかり驚かされました。


一本目では甘く見ていたところもあったと反省し、二本目は気を引き締めて準備しなおして臨みました。トピックは、古代日本語動詞の活用体系を一般言語学の観点から整理しなおした独自のモデルを提案しました。ラテン語の教授だという方などが、以前読んだ古代日本語動詞活用理論(伝統的な古典文法論の英訳本だったようです)よりも、ムード語形の扱いなど、整合性があって分かりやすいと賛同してくださいましたが、またもや活用にもお詳しい方がいらしたことで、いずれ返り討ちに遭うのではないかと冷や汗ものでした。

三本目は、二本目で話しきれなかった上代・中古の上一段動詞のことから始めて、古代日本語のヴォイスの体系がどのように編成されていったか、自分なりの仮説を提示しました。先回で意気投合したラテン語教授の方は、この回の須田発表のために英国の大学での講義出張を早めに切り上げ帰国してきたのだというので感激していたのもつかの間、またもやフランス恐るべし、でした。バルセロナからEHESSに通っているというイタリア出身の博士院生が、古代日本語と古代シリア語のヴォイスで修論をイタリアの大学で書いたということで、この日の日替わりの刺客となりました。

四本目は、古代日本語の準動詞形(動名詞/不定詞/分詞など)に相当するのはどういうものか、ということについてでした。ただこの回は、“ 古代日本語の連体形ってすごいんだぞ ” といった話をいくらがんばってしても、多くの方はあまり関心がなさそうというか、反応が鈍かった印象を持ちました。後で何人かに聞いたところ、出席していた研究者の多くは、こうした準動詞的な語形を持たない言語をフィールドにしている方が多いのではないか、ということに思い当たりました。それでも、ルクセンブルグの自宅からパリのEHESSに通っているという中国系の博士院生は、なるほど中世満州語を専門にしているというだけあって、このトピック自体が斬新だったと、逆に新たにこの種の語形現象に興味を持ってもらえたようでした。帰国後もいろいろ質問をいただきました。

そのようなわけで、無事に招聘を終えて帰国を果たしたわけですが、特にこの時期、「黄色いベスト(ジレジョヌ)」運動がエスカレートし始めた時期でしたので、何度か肝を冷やす場面もありました。あるとき裏通りで昼食をとっていると、機動隊による過激な黄色いベスト一派とドンパチの大捕物に巻き込まれそうになりました。(写真をタップ・クリックすると拡大します)


ためしに表通りにも立ち寄ってみると、こんな感じでした。


バス停で立ち話した生粋のフランス人男性がこのデモ運動のことを、「恥ずかしいこと」とこぼしていらしたのが印象的でした。フランスの懐の広さを述べて、バスに乗り込みました。

須田淳一

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