専大日語・コラム
専大日語の教員による、月替わりのコラムです。
2021年5月:「就寝介助行い、休まれる」の翻訳
世の中には機械翻訳というものがあって、海外旅行の際には、こうした機械翻訳でもとっさの役には立ちます。最近、機械翻訳が進歩しているなと感じることがあったので、まずそれを紹介したいと思います。翻訳できることとできないこと、その適否を考えるのは、日本語について考えることにもつながります。
無料の翻訳ソフトに日本語の文を入れてみましょう。たとえば、「犬が走っている。」という文です。こんな簡単な英訳なら、どの翻訳ソフトでもThe dog is running. という同じ結果を出してくれます。「ている」というのは文法ではアスペクトと呼ばれますが、日本語のアスペクトには進行だけでなく、結果の完了や状態を表す用法もあります。たとえば、「花子が学校に来ている。」「電気がついている。」といった用法です。そのレベルになると、翻訳ソフトによって結果がばらつきます。「花子が学校に来ている。」を二つの翻訳ソフトで見てみます。
- Google翻訳 : Hanako is coming to school.
- DeepL翻訳 : Hanako is here at school.
Google翻訳は、進行形を使っています。日本語ではこの英文は、「学校に来ているところです」と訳すことが多いようです。DeepL翻訳は、ドイツで開発された新しい翻訳ソフトで、適訳になっています。次は「電気がついている。」の英訳です。
- Google翻訳 : The electricity is on.
- DeepL翻訳 : The lights are on.
「電気」といった場合、電力ではなく灯りを指す方が多いと思うので、lights の方が自然な訳と思いますが、どちらの訳も状態表現にはなっています。
さて、次は少し特殊な文です。
これは、介護記録にあった実際の文です。この文は、実はとても難しい文なのです。どこが難しいかわかりますか。何人かの日本語母語話者と日本語ができる非母語話者に見せたところ、間違った文ではないかと言われました。実際によく使われ、また、日本語母語話者ならこの文が理解できるという点で、そうは言えないと思いますが、かなり特殊な文です。
この文は、文法的には「就寝介助行い」(前項)と「休まれる」(後項)が並んでいて、並列文と呼ばれます。普通、並列文は、対比の場合を除いて、前項と後項の主語は同じでなければなりません。ところが上の文の前項は、介助を行う介助者が主語です。後項は「休まれる」と敬語が使われていますから後項の主語は介助される人になります。つまり、前項と後項の主語が、何も書かれていませんが、違うのです。私たちがこの文の意味を理解できるのは、この文が介護の文脈で使われているということと、「休まれる」という受け身形がここでは敬語を表しているということを知っているからです。しかし、主語がなくて、しかもそれが並列文なのに違う主語であるというこの文は、日本語学習者にとってはきわめて難しい文です。
さて、機械翻訳の結果はどうでしょうか。
- Google翻訳 : Assists in sleeping and takes a rest.
- DeepL翻訳 : The patient is assisted to bed and then rested.
Google 翻訳では、前項と後項の主語を同じものととらえています。しかし、DeepL翻訳では、休んだ人と介助した人とは区別されています。ただし、元の日本文は「休まれたこと」が主要なことがらですが、英訳は、介助されることが中心という点で原文とは違っています。しかし、二人の人が介在していることをちゃんと訳したのは、驚きの結果でした。翻訳ソフトもなかなか進歩していて、下訳としては使えるレベルになってきたようです。
私たちは日々翻訳の恩恵を受けていますが、みなさんはそれを感じていますか。世界のできごとをわがことのように知ることができるのは、翻訳のおかげです。日本の漫画やアニメは海外でも人気が高いですが、それは日本の漫画やアニメがいろいろなことばに訳されているから可能になっています。日本の文学作品も、多くの言語に訳されています。だから、外国の人が安部公房や村上春樹を読んでいたり、源氏物語を知っているということが起こります。これを当然のように考えてはいけません。世界には、自分のことばが外国語に訳されることがなく、また、外国の出版物がその国のことばに訳されることがないという国もたくさんあります。外国語によってしか、外国のこと、考えに触れることができない、そういう環境もあるのです。日本は二人のノーベル文学賞受賞者を輩出していますが、それは翻訳された作品があったからこそ可能でした。もしアーサー・ウェイリー、エドワード・G・サイデンステッカー、ドナルド・キーンといった優れた翻訳家がいなかったら、だれが日本の古典に興味を持ってくれたでしょう。
私たちは、翻訳のお世話になっており、それを必要としていますが、翻訳作業は能力を要する仕事です。文学作品を翻訳するには、両方のことばを知っているだけではなく、両方の文化に通じていなければなりません。宮澤賢治の作品に「雨にも負けず」という有名な詩があります。ロジャー・パルバース氏は、このことばを Strong in the Rain と訳しています。原詩を理解した上で、その原詩に対峙した良訳と感じます。
一般に日本では翻訳、通訳はコミュニケーションのツール、技術の問題として扱われているように思います。しかし、人の考えを文化を越えて伝えること、その意味や方法を考えるのは研究の対象となる学問分野です。
(注) 「Google翻訳」「DeepL翻訳」どちらもアクセス日は2021年4月24日。