専修大学国際コミュニケーション学部日本語学科

専大日語・コラム

専大日語の教員による、月替わりのコラムです。

2024年4月:「とんでもない」話

新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。これから4年間、日本語について一緒に学んでいけることを嬉しく思います。どうぞよろしくお願い致します。 2年生以上の皆さんも、引き続き日本語についての学びを深めていきましょう。

今回は、新入生にも日本語研究の面白さを少しでも伝えたいという思いで、「とんでもありません」という表現について考えてみました。


1. 「とんでもありません」は誤った日本語です

「とんでもない」の丁寧な言い方として「とんでもありません」や「とんでもございません」を用いる人は多くいるのではないでしょうか。 私もその一人です。 ところが、日本語文法の規範に照らすと「とんでもありません/とんでもございません」は誤った日本語です。次の【語群1】をご覧ください。

【語群1】はかない・おぼつかない・たまらない・つまらない・そぐわない・ふがいない・だらしない・はてしない・ せわしない・せつない・かたじけない・ぎこちない・なにげない・さりげない・やるせない・つれない・やりきれない etc...

「とんでもありません」は「とんでもない」の「ない」の部分を「ありません」に置き換えたものですが、 【語群1】の「はかない」の「ない」の部分を「ありません」に置き換えて「はかありません」とは言えません。 このことは【語群1】に挙げているすべての語にあてはまります。 「〇〇ない」となっているため、「ない」の部分だけを取り出せるような感じがするかもしれませんが、 実際には「〇〇ない」全体でこれ以上切り離すことのできない一語となっているのです、

同様に「とんでもない」も「とんでも」と「ない」に分けてしまうと「とんでも」の部分が意味の分からない言葉(?)になってしまいます。 ですから「とんでもない」も【語群1】と同様に「ない」の部分だけを切り離して「ありません」などと置き換えてはいけないのです。 「はかありません」「おぼつかありません」などが言えないのと同じように、「とんでもありません」も誤った言い方になるということです。 もし、これらを丁寧な言い方にするならば「はかない(こと)で(ございま)す」などのように「〇〇ない」の後に「(こと)で(ございま)す」を続ける形にします。 「とんでもない」も「とんでもない(こと)で(ございま)す」となります。


2. 「とんでもない(こと)です」に改める必要はありません

このように文法的な規範に基づいて説明すると、私たちが用いている「とんでもありません」が誤った日本語であり、 今後は「とんでもない(こと)で(ございま)す」を用いるよう心がける必要……は、ありません!!

大学で日本語学を学ぶ皆さんは、規範を鵜呑みにしてはいけません。 それよりも「とんでもありません/とんでもございません」という言い方に違和感を抱かない人が多くいるということに注目することが大切です。 なぜ多くの人は「とんでもありません/とんでもございません」に違和感を抱かないのだろうかという疑問を抱くことから日本語学の研究が始まるのです。

文法的な規範について学ぶことも確かに大切なことです。 しかし、規範をただ鵜呑みにするのではなく、規範からはずれた用法が生じている時にその理由を明らかにしようとすることが大学で日本語学を学ぶということなのです。 (と私は考えています)


3. 「とんでもありません」に違和感を抱かない理由・1 -「〇〇ありません」となる語

では、これから「とんでもありません/とんでもございません」に違和感を抱かない理由について考えていきましょう。 次の【語群2】をご覧ください。

【語群2】
しかたない → しかたありません
もうしわけない → もうしわけありません
まちがいない → まちがいありません
なんでもない → なんでもありません
しようがない → しようがありません
めっそうもない → めっそうもありません

【語群2】に示した「〇〇ない」という語は「ない」の部分を「ありません」に置き換えることができます。 ただし、【語群1】と異なるのは「仕方+ない」、「申し訳+ない」、「間違い+ない」のように「〇〇ない」の「〇〇」と「ない」を切り離すことができるという点です。 さらに、「なんでもない」は「何+でも+ない」、「しようがない」は「仕様+が+ない」、「めっそうもない」は「滅相+も+ない」のように、 「でも、が、も」という助詞に相当する部分も含んだ文のような形になっています。 そのため、「ない」の部分だけを取り出して「ありません」に置き換えることができるのです。

このように説明すると「とんでもない」は【語群2】の仲間ではないということになってしまいそうです。でも、ここであきらめないことが重要です。日本語母語話者のとしての自然な感覚が「とんでもありません」を許容するのであれば、その感覚を信じることもとても大切なことだからです。


4. 「とんでもありません」に違和感を抱かない理由・2 -言葉を音として捉える視点

【語群2】の「なんでもない」にもう一度注目してみましょう。これらは、「何+でも+ない」のような三つの部分に分けることができました。 「とんでもない」も「とん+でも+ない」と分ければ似たような形になります。 「とん」が名詞ではないこと、「とんでも」の「でも」が助詞ではないことは百も承知です。 しかしながら、言葉を分析する時、文法や意味にばかり注目してしまうと大切なことを見落とすことがあります。

私たちは言葉を文字としてだけではなく音としても捉えています。 というよりも、日常会話などのレベルにおいては、多くの場合、言葉は音として捉えられています。 山手線に「おかちまち」という駅がありますが、多くの人は「おかちまち」という駅名をはじめに音で知り、大人になってから「御徒町」と表記することを知るでしょう。 苗字の「秋葉」は「あきば」なのに、駅名の「秋葉原」の「秋葉」は「あきは」と読むことに何の疑問も抱きません。 これは、私たちが言葉を認識する時に、音と表記を一体のものとしているわけではないことをよく示しています。

このように、言葉を音として捉える場合に、その語がどのように表記されるのかを意識しないのは自然なことと言えます。 ましてやその語が文法的にどのような構造になっているのかなどということを意識することなどまずないと言っていいでしょう。 だとすれば、「とんでもない」は「なんでもない」と音の響きが非常によく似ている語として認識することに何の不自然さもありません。 音の響きという点から言えば、「とんでもない」は「なんでもない」と極めて近い関係にあると言ってよいのです。 そして、「なんでもない」が「なんでもありません」と言えるのであれば、「とんでもない」が「とんでもありません」と言えると類推するのは、 ある意味当然なことと言えるでしょう。 文法的には誤った類推かもしれませんが、音の面から考えればごく自然な類推と言うこともできるわけです。


5. 「とんでもありません」に違和感を抱かない理由・3 -用いられる場面という視点

さらに、【語群2】に挙げた語が「〇〇ありません」となる時、どのような場面で用いられるかを考えることも重要です。 これらは、ただ単に丁寧に言うというだけでなく、 目上の人にややへりくだっった思いを込めて言う場面で用いられることが多いのではないでしょうか。 一方、【語群1】に挙げた「〇〇ない」を丁寧に言う場合、目上の人に遜った思いを込めて言う場面はなかなか想像しづらいと思います。 そもそも「はかない(こと)で(ございま)す/おぼつかない(こと)で(ございま)す」など、【語群1】の語を丁寧に言う場面自体をなかなか想像できないのではないでしょうか。 (「かたじけない」にはやや遜った思いが込められているようにも思われますが、現在では「かたじけない」という語自体を用いることがあまりないように思われます)

さて、「とんでもありません/とんでもございません」が用いられる場面を想像してみると、【語群2】の仲間に近いと言えるのではないでしょうか。 文法的な規範に照らすと【語群1】の仲間であっても、音の響きや用いられる場面という点からは【語群2】の仲間と言えそうです。 そして、日常の言語運用では文法的な規範よりも音の響きや用いられる場面の方が、言葉の仲間分けをする時に身近な指標となりやすいはずです。 このように考えれば「とんでもない」を【語群2】の仲間に入れることを妨げる要因はなくなったと言ってよいでしょう。 「とんでもありません/とんでもございません」は誤った日本語ではありません。日本語母語話者の自然な感覚に基づいて生み出されているのです。


6. 「とんでもありません」に違和感を抱かない理由・4 -「ないです」と「ありません」

さらにもう一点付け加えるとすれば、「ない」を丁寧に言う場合に「ないです」よりも「ありません」の方が好まれるということも要因の一つとなっているかもしれません。 現代日本語の書き言葉を大量に収集したコーパス、『現代日本語書き言葉均衡コーパス』(BCCWJ)を 「少納言」で検索してみると、 「ないです」は18,156件、「ありません」は37,667件で、「ありません」が「ないです」の2倍を超えています。 このようなことから「ない」を丁寧に言う場合には「ありません」の方が優先的に選択される傾向にあることがうかがえます。 このことも「とんでもない(こと)で(ごさいま)す」ではなく「とんでもありません」が選択されやすい傾向にあることの要因となっているかもしれません。


おわりに

今回は新入生の皆さんをお迎えするということもあり、日本語研究の面白さの一端を垣間見てもらえればという思いで「とんでもありません」について考えてみました。 日本語学というと言葉を規範通りに用いる力を身に付けることにねらいがあるように思われるかもしれませんが、そうではありません。 規範ももちろん大切ですが、規範を鵜呑みにせずに自分の身の回りで言葉がどのように用いられているかをよく観察し、 さまざまな疑問を抱くことこそが日本語学を学ぶ重要なねらいの一つと言えます。 皆さんもぜひ身の回りで日本語がどのように用いられているかよく観察してみてください。

山下直

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