校章専修大学の歴史
SENSHU UNIVERSITY 140 YEARS HISTORY

専修大学のあゆみ

専修学校の開学
1880 − 1917 専修学校の開学
1880
専修学校の誕生

アメリカで経済学・法律学を学んだ相馬永胤、田尻稲次郎、目賀田種太郎、駒井重格の4人が中心となり、京橋区木挽町(現在の中央区銀座)に経済科と法律科を併設した「専修学校」を創立。
日本で初めての経済学と法律学が日本語で学べる高等教育機関の誕生であった。

銀座に建立された発祥の地碑
創立当初にキャンパスとして使用した明治会堂
専修学校の開学
1880 − 1917 専修学校の開学
1885
神田キャンパスに移転

学生数51人で始まった専修学校であったが、明治18年、年々増え続ける入学者に対応するため、神田区今川小路(現在の千代田区神田神保町)にキャンパスを新築。現在の神田キャンパスの地へと移転した。

移転後、初めて行われた卒業式の記念写真
明治32年頃の校門

『東京名所図会 神田区之部 上巻』

専修学校の開学
1880 − 1917 専修学校の開学
1888
五大法律学校と称される

専修学校をはじめ、明治10年代に設立された東京法学校(現在の法政大学)、明治法律学校(現在の明治大学)、東京専門学校(現在の早稲田大学)、英吉利法律学校(現在の中央大学)は「五大法律学校」と称され、合同で法律学に関する討論会を開催。活発な活動を行っていた。

東京五大法律学校聯合討論筆記
明治22年の東京諸学校一覧
専修学校の開学
1880 − 1917 専修学校の開学
1911
創立30周年を迎える

校友からの寄付金によって創立30周年記念講堂を設置。また同時期に創立者である相馬・田尻が還暦を迎えたことを記念して相馬田尻記念文庫が設立され、記念講堂に隣接した書庫が建設された。これが本学図書館の始まりである。

相馬田尻記念文庫の落成を記念した絵葉書
明治44年に竣工した創立30周年記念講堂

『北雷田尻先生伝 下巻』

専修学校の開学
1880 − 1917 専修学校の開学
1913
初めて大学と名乗る

明治36年の「専門学校令」によって私立学校も大学を名乗ることを許されたが、本学は大正2年、学内の組織・設備が整備されたことに伴い、初めて校名を「私立専修大学」と改称した。

当時の教室の風景
「私立専修大学」と改称した頃
専修学校の開学
1880 − 1917 専修学校の開学
1917
計理科の新設

講師として「計理学」を教えていた鹿野清次郎が中心となって、日本で初めてとなる計理科を新設。以後、多数の計理士(現在の公認会計士)を世に輩出し「計理の専修」と呼ばれるようになった。

鹿野清次郎
鹿野が主宰していた計理学研究会の秋期大会
関東大震災とアジア太平洋戦争期の専修大学
1922 − 1945 関東大震災とアジア太平洋戦争期の専修大学
1922
大学令による「専修大学」(旧制)への
昇格と学生の昇格運動

大正7年に公布された大学令により、大正9年に慶応義塾をはじめとする私立学校8校が大学へと昇格(旧制大学の誕生)。専修大学も学生・卒業生の尽力によって、大正11年に念願の大学へと昇格した。

学生による昇格運動
当時のキャンパス
関東大震災とアジア太平洋戦争期の専修大学
1922 − 1945 関東大震災とアジア太平洋戦争期の専修大学
1922
大学記念日

大正11年10月30日、開催された学制頒布50年記念祝典において、創立者の相馬永胤、田尻稲次郎の2人が教育功労者として表彰された。以後、この日を大学記念日と定めた。

メダル
表彰状
関東大震災とアジア太平洋戦争期の専修大学
1922 − 1945 関東大震災とアジア太平洋戦争期の専修大学
1923
関東大震災

関東大震災においてキャンパスがすべて焼失。しかし、学生をはじめ全国の卒業生の尽力によって、わずか3ヵ月後には焼け跡に講堂と教室からなる仮キャンパスが建設された。

焼け跡に建てられた仮キャンパス
図書館の外壁の一部を残して

『復刻版 大正十二年関東大地震震害調査報告 第三巻』

関東大震災とアジア太平洋戦争期の専修大学
1922 − 1945 関東大震災とアジア太平洋戦争期の専修大学
1929
新キャンパス竣工と創立50周年

昭和3年、復興建築として鉄筋コンクリート三階建ての新キャンパスが竣工。翌年、創立50周年を迎えた専修大学は、この新しく生まれ変わった神田キャンパスにおいて創立50周年の記念事業を行った。

創立50周年記念祭
鉄筋コンクリートの新キャンパス
関東大震災とアジア太平洋戦争期の専修大学
1922 − 1945 関東大震災とアジア太平洋戦争期の専修大学
1933
専修大学体育会の発足

体育会が発足したのは昭和8年だが、運動部自体はそれ以前から活動しており、なかでも野球部は昭和6年から始まった五大学野球連盟(現在の東都大学野球リーグ)において6連覇を達成するなど輝かしい成績をおさめた。また陸上部は昭和14年の第20回箱根駅伝において初優勝を果たした。

野球部の優勝を伝える記事
箱根駅伝で初優勝
関東大震災とアジア太平洋戦争期の専修大学
1922 − 1945 関東大震災とアジア太平洋戦争期の専修大学
1943
戦争の激化と学徒出陣

昭和16年に勃発したアジア太平洋戦争の激化に伴い、政府は文科系高等教育機関に在学する20歳以上の学生に対して徴兵猶予の特権を廃止。これにより多くの大学生たちが戦地へと向かった。

大学の中庭で行われた出陣学徒の壮行会
上野駅におけて出征する仲間を見送る専大生たち
戦後の復興から新たな出発
1946 − 1970 戦後の復興から新たな出発
1946
学園復興運動と今村力三郎総長の誕生

アジア太平洋戦争終結後、授業の再開とともに始まった学生たちの学園改革運動は激しさを増し、時の総長の退陣要求にまで発展。こうしたなか代わって総長を務めたのは、明治・大正・昭和と人権派弁護士として活躍した卒業生・今村力三郎であった。総長となった今村は、財政難に陥っていた大学のために私財をなげうち母校の復興に尽力した。

今村力三郎
終戦直後の神田キャンパス正門
戦後の復興から新たな出発
1946 − 1970 戦後の復興から新たな出発
1949
生田キャンパスの開設と
新制大学「専修大学」

昭和22年に公布された「学校教育法」をうけ、昭和23年10月、日本電気の研究所があった生田の地を買い取り生田キャンパスを開設。これにより商経学部と法学部の2学部を擁する戦後の新たな大学として再出発を果たした(新制大学の誕生)。

開設時の生田キャンパス正門付近
開設時の生田キャンパス正門
戦後の復興から新たな出発
1946 − 1970 戦後の復興から新たな出発
1949
創立70周年

新制大学1年目となる昭和24年は大学創立70周年にあたり、その記念行事が神田キャンパス、また新装なった生田キャンパスにおいて盛大に行われた。

記念行事として開催されたマラソン大会
創立70周年記念祭
戦後の復興から新たな出発
1946 − 1970 戦後の復興から新たな出発
1951
キャンパスの増改築

キャンパスが老朽化していた神田キャンパスでは、教室不足が深刻化し廊下に学生が溢れるほどであったが、学生や卒業生からの寄付金によって、ようやく昭和26年から4年がかりで神田キャンパスの増改築に着手。また昭和31年から37年にかけては生田キャンパスの増改築も行われた。学生の学習環境は大きく改善された。

昭和32年の神田キャンパス全景
昭和30年代の生田キャンパス全景
戦後の復興から新たな出発
1946 − 1970 戦後の復興から新たな出発
1964
マスプロ教育と生田キャンパス3号館

マスプロ教育とは、大教室において大人数の学生に対して講義を行う教育方法のことである。高度経済成長期、学生数が1万人を超えるほど急成長を遂げた専修大学には当時、大人数が入れる教室がなく、その問題を解消すべく新設されたのが生田キャンパス3号館であった。

生田キャンパス3号館
大教室の講義風景
戦後の復興から新たな出発
1946 − 1970 戦後の復興から新たな出発
1965
全日本大学野球選手権大会で優勝

昭和40年、後にプロとしても活躍したエース・芝池博明や社会人野球で活躍した内野手・塩沢誠らを擁して全日本大学野球選手権大会で初優勝。

東都大学野球秋季リーグ野球優勝
第14回 全日本大学野球選手権大会優勝
戦後の復興から新たな出発
1946 − 1970 戦後の復興から新たな出発
1970
都電「専修大学前」停留所の廃止

昭和の始めに設置されて以来、専修大学への最寄駅となっていた都電「専修大学前」停留所。地下鉄の普及に伴い、昭和45年3月に廃止されるまでの間、多くの学生に利用された。

廃止された都電
昭和34年頃の駅の風景
高度成長から社会知性の開発へ
1971 − 高度成長から社会知性の開発へ
1973
神田キャンパスに高層型キャンパス竣工

創立100年記念事業として、神田キャンパスに高層型のキャンパスが登場。当時は日本一の高さを誇り、高層型キャンパスの先駆けとなった。

さよなら神田キャンパス
神田に竣工した高層型キャンパス
高度成長から社会知性の開発へ
1971 − 高度成長から社会知性の開発へ
1979
創立100年記念式典

創立100年を記念して、神田キャンパスに高層型キャンパスの新設、生田キャンパスに新1号館・総合体育館が新設され、皇族も参加した記念式典は日本武道館において開催された。

記念事業で建設された総合体育館
創立100年記念式典
高度成長から社会知性の開発へ
1971 − 高度成長から社会知性の開発へ
1980
国の重要文化財に指定

専修大学所蔵の蜂須賀家旧蔵本のうち『長秋詠藻』が国の重要文化財に指定。平成3年には師継筆貞応本『古今和歌集』も国の重要文化財に指定された。

『長秋詠藻』の文化財指定書
蜂須賀家旧蔵本、中央が『長秋詠藻』
高度成長から社会知性の開発へ
1971 − 高度成長から社会知性の開発へ
1991
志願者が5万人を突破

第2次ベビーブームを背景に志願者が5万人を突破。

入試を終えて
入試
高度成長から社会知性の開発へ
1971 − 高度成長から社会知性の開発へ
1997
120年記念館竣工

創立120年を記念して、図書館と情報科学センターを核とした120年記念館(生田キャンパス9号館)竣工。

新設された図書館本館
120年記念館(生田キャンパス9号館)
高度成長から社会知性の開発へ
1971 − 高度成長から社会知性の開発へ
2007
130年記念館竣工

創立130年記念事業の一環として、生田キャンパスの新たな「知の発信」の拠点・130年記念館(生田キャンパス10号館)竣工。

プレゼンテーションも可能なアカデミーモール
130年記念館(生田キャンパス10号館)
高度成長から社会知性の開発へ
1971 − 高度成長から社会知性の開発へ
2014
神田キャンパス5号館竣工

神田キャンパスの新たな顔として、アクティブ・ラーニング対応の神田キャンパス5号館竣工。

神田キャンパス全景
神田キャンパス新5号館
高度成長から社会知性の開発へ
1971 − 高度成長から社会知性の開発へ
2017
生田キャンパス2・3号館竣工

生田キャンパスの新たなシンボルとして、躍動感のある学びの場をテーマとした生田2号館、思索の場をテーマにした生田3号館竣工。

生田キャンパス全景
生田キャンパス新2・3号館

近晴画「武州潮田遠景」(財)黒船館所蔵

『東京名所図会 神田区之部 上巻』

『北雷田尻先生伝 下巻』

『復刻版 大正十二年関東大地震震害調査報告 第三巻』