近年の大学院博士学位論文 論文要旨



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内田鉄平
「近世村社会の変容」

 本論文は、「近世村社会の変容」と題し、豊後国日田郡五馬市村を対象として近世後期から近代へとひとつの村社会が変容していく姿を、家や家族の動向から分析したものである。
 戦後歴史学においては、安良城盛昭・佐々木潤之介らによる問題提起から主要な問題関心は小農民の自立と展開に集約された。そうして深谷克己氏が明示した「百姓成立」=国家と小農の視点をベースに、近世村落を統制と束縛的観点から見る従来の村落共同体論を展開してきた。その成果をうけて水本邦彦氏は、村人どうしの横の繋がり、つまり社会的な関係のあり方を重視する村落論の上に立って近世の村社会がどのように変容を遂げて近代社会に移行していくのかを論証してきた。
 本論文はこのような研究蓄積を考慮し、特に村社会の最小単位である家族や「家」の動向を徹底的に追跡し、その「家」が示す微細な変化から、近代社会への移行の様相を明らかにしてきた。それは、このような分析方法を通して、百姓一揆や世直し騒動、さらには国訴・村方騒動などによる、近代への筋道をさぐる運動論的な移行論に加えて、日常的な生活に見られる変容の姿にも焦点を当てることによって、重層的な移行論を試みるものである。
 そのためあえて分析対象を一村に絞り、ミクロな視点に立って論証するという新たな研究方法を導入し、これまで見逃されてきた村の貧農や女性の生き様を詳細に検討していくことにした。またこれまで実証的研究が不十分だった九州の村落を分析対象とし、その分析から九州型と呼ばれる後進性的風土論を再検討し、そのことに影響をうけている、近世九州の歴史的イメージを大きく変えることを重視している。
 まず第一章では村内部の組織である村組について検討を行った。村組は五人組を基軸に、年貢などを収納する役割や、祭礼等により結束する集団であるが、もっとも重要なのは村組が生産活動、もしくは日々の生活に大きく寄与していることである。それが幕末期には組の惣代が土地問題などを背景に村内で主導的立場へと変化していくのである。  また第二章では村組内で行われる生活の様相について婚姻という事象から考察を進めてみた。すると、他村との婚姻や村内での婚姻においても、村組の影響が大きいことが確認され、村組は生産・生活に密接したものであって、村組という村落内部に起こる変容を第一章・二章で確認した。
 第三章では女性が「家」の当主となる従来の規範から逸脱した、女性筆頭人というまさに村社会の変容のなかにおいて現れた現象について分析を試みた。
女性筆頭人(女性当主)を「宗門改帳」から分析を行い、他地域と同傾向であることを確認した。ただし、従来の研究成果が「宗門改帳」のみの記載事実でしか検討されておらず本論文は、彼女たちの出現が村社会でどのような存在であるかに着目した。
 そこで第四章では、彼女たちの村社会での具体的な活動について検討を行った。まず「宗門改帳」以外の、村で作成する公的な文書のなかに女性筆頭人の記載を検討し、さらには「家」どうしで交わす質地証文などにも女性筆頭人が他の男性筆頭人と同様に記載されていることを確認した。さらに彼女たちは独自の印鑑を使用しており、男性社会の近世において、村社会のなかに従来の規範から逸脱しているにもかかわらず彼女たちは存在している。第三章・四章では女性筆頭人という存在から村社会が変容している状況を確認した。
 第五章では独り暮らしの極めて零細な「家」に注目し、独り身の「家」に対して幕府がどのように対応したのか検討を行った。
村で独り身となると親類や五人組などの救援がなければ、直後に絶家することが確認された。独り身という不安定な現象は、いかに従来の村請制を堅守しようとの意思の表れではなかろうか。つまり、村社会の変容とは、村請制の維持・継続するために従来からの規範・慣わしというものが変容していく様相を考察することである。まさに村の運営のためには従来の規範などを変容させてでも村請制を維持しようとしたのではなかろうか。
 それは第六章の村の融通講をめぐる零細な「家」の救済事実などでも、如実に現れている。講の参加料不足でも零細な「家」に参加させ、このような講を通して当選金から「家」の立て直しと継続を行っていたのだろう。
 最後に、本論文から確認できた「変容」が、いずれも天保期前後から始まっていることに注目できよう。政治的もしくは全国的な視点から幕末期の近代社会への移行論については従来多くの研究蓄積があるなかで、本論文では維新期前夜という段階の分析ではあるものの、近代社会へと移行する流れを九州の一村落から確認できたことは、今後の九州村落史研究においても一石を投じたことであろう。


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