近年の大学院博士学位論文 論文要旨



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皆川 雅樹
「日本古代「唐物」関係史の研究」

 本稿は、平安期の「対外関係」史について、「唐物」と呼ばれるモノに力点を置いて、「東アジア」世界における交流との関わりの中で検討したものである。
 序章「古代「対外関係」史研究と「唐物」」では、まず、「「対外関係」とは何か」を石母田正氏が提起した「交通」概念の議論を基点に検討し、「多様」「多元」な交流の検証をすることが求められていることを確認した。その上で、近年議論が重ねられている金(黄金・砂金)の意義に関する山内晋次氏・保立道久氏の研究から今後の課題を導き出し、加えて、その課題に向き合う手段として、日本古代史研究における「ネットワーク」論の具体化を指摘した。そして、このような課題・論点を考える上で「唐物」に注目することを提示している。
 第一章「九世紀における「唐物」の史的意義」では、従来、「日本への輸入品」という評価でしかない「唐物」の語義を、その初見記事である承和の遣唐使関連の史料を取り上げて検討する。「唐物」の初見記事である承和六(八三九)年の史料を中心に検討を加え、「唐物」は承和の遣唐使を契機として使用された語であり、「日本」王権が「外来品」の先買・独占を意識して使用した語であることを指摘した。また、その背景には、八三〇年代前後、唐や新羅において「内」「外」に対する「外来品」への対応・活動を見て取れることと連動していることを指摘した。そして、「唐物」をめぐる論点・課題を提示し、以下の章で検討を加えている。
 第二章「九〜十世紀における陸奥の金と「唐物」―蔵人所と対外関係―」では、従来から日本列島における流出品として注目され検討が重ねられている陸奥の黄金(砂金)と、第一章で検討した流入品としての「唐物」について取り上げ、「日本」王権の「対外関係」を考える上で重要な要素である内蔵寮・蔵人所・摂関・大宰府鴻臚館・「中国」系商人(海商)、それぞれとの関係について検討する。
 第三章「九〜十世紀の「唐物」と「東アジア」―香料を中心として―」では、近年、画期に関する様々な議論がある九〜十世紀を検討の範囲とし、「外来品」としての「唐物」のひとつである香料を検討対象として、そのモノの持つ「外部」性とそれを消費する意義を「物語史料」(『源氏物語』)を意識的に考慮して考察し、その際、これまで充分に検討されることのなかった当該期の「唐物」の意義と「東アジア」情勢(唐滅亡以降の呉越国・占城・三仏斉の状況を中心に)の連動性に留意すべきことを指摘した。そして、「唐物」が様々なヒトによって運ばれ、様々な「地域」で、様々なヒトによって政治・社会・経済・文化というあらゆる面で利用・使用されることを、香料を検討題材として確認した。そして、「唐物」としての香料に注目することによって、「東アジア」=「日中韓」という枠組みだけに収まらないことを意識的に追究した。
 第四章「動物の贈答―日本古代対外関係史研究の一齣―」では、「東アジア」の国際関係において、諸史料に動物名とともに明記されることの多い動物の贈答について取り上げる。動物は贈答品として人間以外で唯一動く存在であり、ヒトの視覚(容姿・動き)、聴覚(鳴き声)、嗅覚(体臭・排泄物など)及び場合によっては味覚に訴える可能性が高いものである。日本列島に流入する「外来」の動物は、従来、「唐物」と同類に扱われるが、ここでは動物が持つ特質を見出した上で、平安期を中心に、六〜十二世紀の国際関係における贈答品としての動物―「外来」の動物としての鸚鵡と孔雀を中心に―の意義を検討する。鸚鵡は「能言鳥」としての特徴を持ち、王が傍らに置かなければならない状況を作り出す贈答品であり、孔雀は尾羽の美しさを持つ鳥としての特徴を持ち、仁和寺を中心とした「孔雀王経」との関わりで効果を発揮する贈答品であることが明らかになると同時に、単なる愛玩品ではなく、極めて政治的・経済的な贈答品であることを検証した。
 終章「平安期の「唐物」研究と「東アジア」」では、第一〜四章の検討成果をふまえ、本稿の最重要キーワードである「唐物」について、改めてその歴史的概念としての意味を考えた上で、歴史学研究として「唐物」を追究していく意義を、現代的課題としての「東アジア」という枠組みの捉え方との関連で整理した。まず、平安期から室町・戦国期の「唐物」をめぐる状況を見ていくと、「唐物」は、海を経て日本列島に舶来され、「日本」側の人々による働きかけ(先買・目利きなど)によって認識・判別されるモノであり、それは常に権力者(天皇・幕府・大名など)によって掌握・利用されることを確認した。そして、そのような「唐物」に代表されるモノに力点を置いた作業を通じて、特定の「地域」に限定しないで検討を重ねながら「東アジア」という枠組みを考えない限り、固定的な「東アジア」観は拭い去れないと考え、そのためには、各行為者間の紐帯(要素と要素を結ぶもの)としてモノを位置づけ、その範囲を特定・限定していくことによって「ネットワーク」の「境界」を見出していくことが、日本列島で「唐物」と呼ばれるモノが持つ歴史的意義を問う場合において必要であることを明示し、今後の課題へと繋げた。



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