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外国語のススメ(教員コラム)

本学教員からの言語にまつわるお話や、学習アドバイス、検定情報など外国語学習に関する情報を月に1回配信しています。(3・8・9月は休載)
執筆者の所属・職名は掲載当時のものです。
※ PDFファイルをご覧いただくにはAdobe Acrobat® Readerが必要です。

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【第72回】「バベルの塔」から降りてみよう

法学部教授 根岸 徹郎(フランス語担当)

 バベルの塔は、聖書の「創世記」(11章)に出てくるお話です――かつて、人々は同じひとつの言葉を話していた。彼らは天まで届くような高い塔を持つ町を作ろうと考え、建設を始めた。それを見た神は、「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているからこのようなことを始めたのだ」と考え、言葉を混乱させて互いの言葉が聞き分けられないようにしたので、人々は各地に散っていった……。「バベル」の語源は「bālal=乱れ」とも、あるいは「bāb-ili=天の門」とも言われます。いろいろな解釈ができる物語ですが、よく指摘されるのは、これは人がさまざまな言語を話すことの起源を表わしている、というものです。

 ところで、言葉がひとつだったらよかったのに……外国語なんてなければいいのに、と思ったことのある人は、けっこう多いのではないでしょうか? 高い塔なんて作ろうとしなかったら、言葉はひとつで済んだのに……。だから世の中が混乱してしまうのだ、と。実際、いわゆる脱亜入欧を目指した明治時代の日本では、日本語を捨てて西欧文化を代表するフランス語に言葉を統一してしまえ、といった議論もあったそうです。

 なるほど、言葉が分かれて混乱してしまったことからネガティブなイメージが生じるのか、ブリューゲルの有名な絵のように、バベルの塔は見捨てられた廃墟のごとき姿で描かれることもあります。もっとも聖書そのものには、とくに塔が崩れ落ちたといった記述はありませんが。 

 むしろ、この話のもうひとつのポイントは、言語が複数になったことで人々は世界に広がって行った、という結末部分にあるように思えます。つまり、ここでは垂直と水平という、ふたつの方向性が示されているのです。高さという垂直方向に向かう代わりに、各地に散るという水平方向の動きが始まった――「高める」(あるいは深める)ことと「広げる」というふたつのムーヴメントの間で、言葉がひとつではなくなったおかげで、人間は世界を広く見ることが出来るようになった。そして、その出発点には言語が複数になったことが、つまり言葉の多様性が潜んでいる……。 

 このように考えるならば、世界にたくさんの言語があるのは、なんと素敵なことではないでしょうか? そしてそれらを学んでいくことは、もちろん簡単なことではないかもしれませんが、必ず、皆さんの視野を広げてくれます。これからの学生生活、ぜひ、さまざまな言葉に、積極的にアプローチしてみてください。
 


写真:ブリューゲル「バベルの塔」
(出典 Wikimedia Commons) 


 
(2017.2.6)

【第71回】一つの外国語とスポーツと楽器と

外国語教育研究室長・経済学部教授 寺尾 格(ドイツ語担当)

 タイトルの言葉は、豊かな人生を送るための準備は?という問いの答えとして、どこかで読んで感心して、記憶に残っています。外国語も、スポーツも、楽器も、どれも新しく始めようとすると、入門の壁はそれなりに高いものがありますから、一生続ける何かを確保するためには、若いころにある程度の素養が必要!という趣旨でしょう。何事も少しでもできると楽しいのですが、奥義を極めようとするとなかなか難しい。どれかだけを二つとか、三つではなくて、それぞれを最低「ひとつ」ずつ、というのがミソでしょう。つまり外国語は知的な訓練で、スポーツは身体の鍛錬、楽器は情操の安定に役立ちます。「頭と身体と心」の三つの全体が合わさって、はじめて本当に「豊か」な人生が送れるということになります。

 当方は語学の教員なので、外国語は一応OKでしょう。スポーツは若いころは登山をしていましたが、膝を痛めた現在は水泳をやっています。残念ながら楽器は何もできません。「歌う」ことを拡大解釈すれば、何とかクリアです。留学していた頃には、いつも「♪名も~知ら~ぬ~遠き~島よ~り~♪」(「椰子の実」作詞:島崎藤村、作曲:大中寅二からの引用:以下同様)と、しみじみ歌っていました。サビの部分の「海の陽の~沈むを~見れば~、た~ぎり落つ異郷~の涙~」でジ~ンとして、最後の「いず~れの日にか~国に帰~ら~ん」にカタルシスがあって、ずいぶんと寂しさをなぐさめてくれました。

 外国語の勉強では、新しい発音の練習はスポーツの身体訓練と同じような反復が重要ですし、新しいイントネーションの練習は、実は歌を歌うのと同じく音感が大事です。スポーツでも音楽でも、リズム感はもちろん、言葉による説明や理解も不可欠です。実は外国語も、スポーツも、音楽も、それぞれの「三位一体」こそを大切にしなければならないのだと、もう一度強調しておきましょう。三つの分野で欠けているところがあれば、今からでも遅くはありません。何かを始めてみませんか。
 
写真:Deutsch Perfekt 2015年6月号(下)・11月号(上)
(CALLライブラリー所蔵)

(2017.1.17)

【第70回】留学の目的はいろいろあっていいと思うよ

人間科学部教授 岡村陽子(リハビリテーション心理学担当)

 みなさんは何のために語学を勉強していますか?そして海外へ行ったら、留学をしたら、何がしたいですか?もちろん英語を極めたいとか専門の学問を究めたいとかいうメインの目的はあるでしょう。でもそれ以外にも目的があってもいいですよね?

 2014年度に在外研究でイギリスに1年間滞在したのは、私の専門の神経心理学の研究をするためでしたが、実は他にとても楽しみにしていたことがいくつかあり、その一つは、アガサ・クリスティをたどる旅をすることでした。
 TVドラマや映画にもなっているのでご存知の方も多いと思いますが、アガサ・クリスティはエルキュール・ポワロやミス・マープルを生み出したミステリーの女王です。わたしはクリスティのミステリーを全巻もっているくらい、子供のころからの大ファンなのです。ですので、イギリスは見逃せないものでいっぱいでした。ロンドンでは『パディントン発4時50分』の電車が出発したパディントン駅、クリスティが愛したブラウンズホテルは外せませんし、やはりなんといっても訪れたいのはクリスティが生まれ育ち最後まで愛したトーキーというイギリス南西部の町でした。

 私がトーキーからグリーンウェイ(クリスティの愛した別荘)を回る旅をしたのは、帰国直前の3月でしたのでとてもあわただしい旅でしたが、それは今思い出しても胸の踊る夢のような時間でした。イギリスのリビエラとも呼ばれる保養地、アガサの生まれ育ったトーキー。グリーンウェイに向かって乗り込んだ蒸気機関車の窓から見た色とりどりの浜辺の着替え小屋。そして、駅から30分ほど歩いて丘を越えた先がクリスティの愛したグリーンウェイ。クリスティの小説で重要な舞台となるボートハウス。どれをとっても子供のころから何度も想像してきた場所ですので、長いこと思い続けていた人に会えたようなときめきと、こういう場所だったのかという新鮮な驚きを感じることができました。

 留学の目的は勉強だからそんなことは余計なことだと思う人もいるかもしれません。けれども、アガサ・クリスティに対する私の関心と知識は、イギリス滞在中に初対面の研究者と打ち解けて話すきっかけになってくれましたし、私のイギリス生活を楽しく豊かに彩ってくれました。海外の文化を楽しみ、海外の人々とつながるために、日本にいるうちにいろんなことに興味を持ってください。そして目的は一つといわず、いくつもいくつも達成してきてください。
 


写真:クリスティの別荘グリーンウェイ、ダート川を臨む瀟洒な邸宅
Copyright(C) 2016 Yoko Okamura 


 
(2016.12.10)

【第69回】お肉とお野菜のハンガリー語

経営学部准教授 櫻井 文子(英語担当)

 この1年、縁あってハンガリーの首都ブダペストを何度か訪問した。キッチン付きのアパートに滞在したので、食事はほとんど自炊だった。食材はもちろん現地で調達していたが、だいたいは歩いて15分ほどのところにある市場で買うようにしていた。お肉も野菜も果物も、スーパーより新鮮でおいしいからだ。

 ブダペストでは、おもしろいことに町の街区ごとに常設の市場がある。つまり、決まった曜日に通りや広場に屋台が現れる青空市場ではなく、立派な屋根のあるアーケードで店舗が営業しているのだ。こうなると、ほとんど食材のショッピングモールだ。業者はそれぞれ定位置があるので、「あそこはトマトの種類がたくさんあって楽しい」とか、「ここのブロックベーコンを切って焼いたらカリカリで香ばしかった」など、舌にきざまれた味とお店を関連づけやすいのだ。

 このように市場での買い物は楽しいが、問題もある。言葉だ。なぜかと言えば、こうした市場では英語は通じない上、なにもかも量り売りされるため、「○を○グラム/個/枚ください」と言えないと、目当てのものを手にするまでの道のりがぐんと長くなるのだ。ほしいものを指さして個数を指で示すだけですむトマトや玉ねぎなら簡単だが、手前から3列目の右から3番目の茹でハムを6枚切ってほしい、というような時は大変だ。「これ?」(ちがうちがう、もっと左)「これ?」(あ、おしい。その右)というゲームのようなやり取りをした上で、「6枚」というシンプルな情報を伝えるためだけに、指を6本見せてから、かたまりのハムをスライスする身ぶりをしないといけないのだ。これはこれで楽しいが、毎日の買い物となるとしんどいし、後ろに人が何人も待っている前で繰り返すのは、なかなかに度胸がいるものだ。

 日々のジェスチャー・ゲームのプレッシャーに負けた小心者の私は、食材を手に入れるためだけという不純な動機でハンガリー語を習うことにした。入手した初級会話のテキストを見ると、ありがたいことにかなりはじめの方の章に、市場での買い物を想定した会話例があった。そしてそこには、お肉は10グラム単位で注文するという習慣の説明や、「注文は以上です」という表現、100までの数字の発音など、私が求めてやまなかった情報が満載だった。次のブダペスト訪問までの期間、私はこの章の会話をそれは熱心に練習した。その他にも、代金の金額を聞き取れるように9000までの数字をおぼえたり、オンライン辞書を駆使して、テキストには載っていない果物やハムの名前も片っ端から調べた。

 どれだけ食いしん坊なのだと自分でも思う特訓ぶりだったが、その成果はまずまずだったのではと思う。骨つき肉からとった、びっくりするくらい濃厚なスープや、ピリリと辛いパプリカ、チョコレートみたいに甘いサクランボを味わうことができたのだから。
 
写真:牛骨つき肉でスープから作った力作のカレー。骨つき肉は、500gと注文したつもりが800gはあった。ブダペストの肉屋は豪快である。
Copyright(C) 2016 Ayako Sakurai

(2016.11.7)

【第68回】ミュージック・ビデオの世界へ

経営学部准教授 佐久間 由梨(英語担当)

 洋楽とミュージック・ビデオ(MV)は、英語や社会問題を学ぶのに最適です。たとえば、マイケル・ジャクソンの“Black or White” (1991)という楽曲には“It don’t matter if you are black or white”(きみが黒人か白人かどうかは問題ではない)という歌詞があります。「あれ、“It don’t matter”じゃなくて“It doesn’t matter”が正しいのでは?」とひらめいた人は鋭い!マイケルはあえて黒人英語で“It don’t matter”と歌い、黒人の立場からコメントしていることを明らかにしているように感じます。MVには人種や民族が多様な人々がマイケルと一緒にダンスをし、人々がそれぞれの違いを超えて共生する世界の理想が表現されています。

 2012年に“It doesn’t matter whether~”(~かどうかは問題ではない)という表現でアメリカを語った人物といえば、オバマ大統領です。

 It doesn’t matter whether you’re black or white or Hispanic or Asian or Native American or young or old or rich or poor, abled, disabled, gay or straight. You can make it here in America if you’re willing to try.
"あなたが黒人でも白人でも、ヒスパニックでも、アジア系でも、ネイティヴ・アメリカンでも、若者でも高齢者でも、裕福でも貧しくとも、健常者、障がいを持っていても、同性愛者でも異性愛者でも関係ありません。もしあなた方が進んで挑戦するならば、ここアメリカでは成功することができるのです。"


 オバマ大統領の言葉に、マイケルのMVが映し出す多様性と平等の理想を読み取ることは難しくはないでしょう。でも、あくまでも「理想」で、「現実」とは程遠いと感じる人もいるでしょう。

 2010年代のMVには、いまだに続く差別や偏見の現実に応答するものが多くあります。“Happy”が世界的に大ヒットしたファレル・ウィリアムスは、グラミー賞のパフォーマンスで、白人警官に銃殺された黒人青年の恰好をしたダンサーたちと登場し、いまだ改善されぬ人種暴力に抗議しました。ビヨンセは “Pretty Hurts”という曲で、「美しくあること(プリティーであること)」に伴う女性の「痛み」を歌います。マックルモアとライアン・ルイスの “Same Love”という楽曲には、「同性愛」と「同じ愛」という二つの意味があり、差別されてきた同性愛が、男女の愛や、親子の愛となんら変わりのない「同じ愛」なのだと伝えます。これらの楽曲のMVは秀逸なので、興味のある人はぜひ視聴してみてください。

 人種、性別、性的志向、宗教、世代などが異なっていても、みな同じ人間だ。アメリカという多文化社会においては、このような心に触れるメッセージが音楽と映像を通じて発信されています。
 
写真:MVはDVDやBlu-rayでも発売されています
(執筆者所蔵メディア)

(2016.10.3)

【第67回】ナチュラルなスペイン語?

文学部教授 井上 幸孝(スペイン語担当)

 外国語を学び始めた時、皆さんは何を理想や目的として思い浮かべるでしょうか。きっと「現地人のようにカッコよく話したい」と考える人も多くいることでしょう。「アメリカ人みたいに話したい」とか、「フランス人みたいに発音したい」と思うのは、語学を始めた人にとって、ある程度、自然な欲求なのかもしれません。

 私が授業を担当しているスペイン語は、世界20以上の国や地域で4億を超える人々が母語としています。スペイン語を公用語とする国は、ヨーロッパ、アフリカ、北米、中米、カリブ、南米と実に広範囲にあります。そのため、「現地人のように」という時の「現地人」が実に多様なのです。
 身近なところで喩えてみましょう。もし日本語を話すこの日本列島が複数の独立国家だったならどうでしょうか。その場合、唯一の「標準日本語」は存在しません。実際には日本は一つの国なので関東方言に基づいた「標準語」なるものがあるわけですが、もしも複数の独立国家だったとしたら、例えば関西国の首都大阪では「関西語」が標準語、東北国の首都仙台では「東北語」が標準語となっていることでしょう(それは当然、関東国の首都東京の「関東語」とは異なるわけです)。つまり、「正しい」日本語がいくつも存在することになってしまいます。
 ちょうどこんな具合で、スペイン語圏には「スペインのスペイン語」もあれば、「メキシコのスペイン語」、「アルゼンチンのスペイン語」、「キューバのスペイン語」などがあります。「ネイティヴのように話したい」と日本人学習者が思ったとしても、その「ネイティヴ」は実に多様なわけです。

 私が日常生活で喋るスペイン語はメキシコのスペイン語ですが、自分のスペイン語と違うスペイン語を話す人に会うと、常に「どこのスペイン語だろう」と想像します。数か月前、世界遺産として有名なマチュ・ピチュに行く機会がありました(写真)。この遺跡やその手前の都市クスコでは、観光地ということもあって世界各地のスペイン語を耳にしました。背後から聞こえてくるのはどう聞いてもアルゼンチン人、あちらはきっとキューバ人、次に出会った若者たちは明らかにメキシコ人、その後に見かけた親子連れはスペイン人…。会話を少し聞いただけで、どこから来たかわかってしまうほどの違いがあります。

 こう言ってしまうと、スペイン語を学習する皆さんは、何を基準にしてよいのやら困惑するかもしれません。でも、ことばは与えられた数式を解いて一つの解答にしか結びつかない類いのものではありません。スペイン語の世界には多様な現実が存在しています。もしかすると、ただどこかの国の「ネイティヴみたいにスペイン語を話す」よりも、スペイン、メキシコ、アルゼンチン、キューバ…などの「多様性が理解できる日本人スペイン語話者」になる方が、ずっと「カッコいい」のかもしれないと思ったりします。
 
写真:世界遺産マチュ・ピチュ(ペルー共和国)にて
Copyright(C) 2016 Yukitaka Inoue

(2016.7.6)

【第66回】達人の外国語学習法

法学部講師 八島 純(英語担当)

 ハインリヒ・シュリーマン(1822-1890)という考古学者をご存知だろうか。子供の頃に父親から聞かされたホメーロスの詩『イーリアス』に感銘を受けたシュリーマンは、空想上の産物と考えられていた伝説の都市トロイアが実在したにちがいないと考え、その信念を裏付けるために不撓不屈の精神で資金稼ぎと勉学に励み、見事にトロイアの存在を発掘によって実証したことで知られている。

 シュリーマンはまた、十数ヶ国語を操る語学の達人だったことでも名高い。自伝『古代への情熱』で自身の語学学習方法について述べている件があるので、ここで紹介したい。


「(…)私はどんな言語でもその習得を著しく容易にする方法を編み出したのである。その方法は簡単なもので、まず次のようなことをするのだ。大きな声でたくさん音読すること、ちょっとした翻訳をすること、毎日一回は授業を受けること、興味のある対象について常に作文を書くこと、そしてそれを先生の指導で訂正すること、前の日に直した文章を暗記して、次回の授業で暗誦すること、である。」
(『古代への情熱—シュリーマン自伝—』(シュリーマン著、関楠生訳、新潮文庫)より)



 語学の天才と呼ばれる人物も意外に地道な努力をしているのだな、という印象を持たれたのではないだろうか。実際、シュリーマンは、オリヴァー・ゴールドスミスの『ウェークフィールドの牧師』やウォルター・スコットの『アイヴァンホー』といった外国語の作品を全て諳んじてしまうほどまで、こうした地味な作業を延々と続けたのである。

 私はシュリーマンのような語学の達人ではないが、学生時代にシュリーマンと同じような方法で地道な作業を続けた結果、アメリカの大学院に留学した時には少なくとも英語で困ることはなかった。

 あなたがもし語学の学習に行き詰まりを感じたら、外国語学習は一朝一夕にして成果が出ないということを思い出して、上述の方法をしばらくの間辛抱して続けてみてほしい。半年、一年、と続けていくうちに驚くほど上達していることだろう。
 


写真:ハインリヒ・シュリーマン
(出典 Wikimedia Commons) 


 
(2016.6.4)

【第65回】パラグラフ・リーディングのススメ

文学部教授 末廣 幹(英語担当)

 英文の読解法のひとつであるパラグラフ・リーディングについては皆さんも耳にしたことがあると思います。しかし、高校の恩師から「パラグラフ・リーディングなんかインチキだ!万能ではない」という話を聞いたことがあるとか、「受験英語に限ったテクニック」という否定的なイメージのほうが強く、大学における英語学習には不向きだと思っている人が多いのではないでしょうか。それはとんでもない誤解です。たとえば、英語圏の大学に留学すると、毎週学術書を数十頁から数百頁読んでおくことが課せられることがあります。そのときに日本語に逐語訳しなければ課題図書の内容が理解できないようではとうてい準備が追いつきません。パラグラフ・リーディングによって著者の主張を的確に、効率よく把握することが必要になります。

 パラグラフ・リーディングでは、冒頭のトピック・センテンス=問題提起、サポーティング・センテンス=具体的な例証や論証、コンクルーディング・センテンス=結論やパラグラフの議論の要約という英文のパラグラフの構造や論理展開を念頭に置いた上で、全文を読まずとも、どこに焦点を当てて読めばよいか判断することになります。但し、パラグラフ中に逆接の接続詞や副詞を含むセンテンスがあると、議論の流れが変わってしまうこともありますので、経験に基づいた判断力が必要とされます。パラグラフ・リーディングに関する初心者向けの参考書は、成田あゆみ・日比野克哉著、『標識に従えば英語はスッキリ読める』(増進会出版社、2003年)です。

 私は毎年大学の英語の授業で、パラグラフ・リーディングによって学術書を読む試みをしていますが、優れた研究者はパラグラフ・ライティングの点でもルールを抑えた優れた書き手であることが確認できます。「本当かな?」と疑問を抱いた人は、Linda Colley, .Britons: Forging the Nation 1707-1837 (2nd Ed. New Haven: Yale University Press, 2005)やJohn Dower, Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II (New York: W. W. Norton & Company, 1999)の1頁でもよいので読んでみてください。パラグラフの冒頭にトピック/センテンスが明示されていることが確認できるはずです。英語圏の大学へ長期間留学することを考えている人はぜひパラグラフ・リーディングに挑戦してみましょう。
 
写真:文中で紹介のEmbracing Defeat: Japan in the Wake of World War II (専修大学図書館所蔵)と英字新聞


 
(2016.5.9)

【第64回】対訳多読のすすめ

ネットワーク情報学部准教授 神白 哲史(英語担当)

 外国語学習法の1つに「多読」が挙げられます。たくさん外国語を読めば、トレーニングになるというのは自明です。ですが、外国語をたくさん読むのは骨が折れることでしょう。「内容がわからなくても眺めているだけでよいのか?」「わからない単語や表現は調べるべきか?」「自分なりの勝手な解釈でよいのか?」など、様々な疑問や不安を持つことにもなると思います。

 一般的には「多読」をする際には、「辞書を引かないでも理解できる程度の教材を使用する」ことが望ましいとされています(そもそも、辞書をいちいち引いていたら「多量」に読めません)。ですが、それらの教材を探すのは結構大変ですし、第一、それが自分の読みたい本なのか、という問題が出てきます。

 そこで、「日本語の対訳」で理解を補いながら、外国語に多量に触れるための「多読」をすることを1つのトレーニング方法として提案したいと思います。外国語学習のトレーニングの方法には質的なトレーニングと量的なトレーニングが考えられます。前者は「正しく使うこと」、後者は「スラスラ使うこと」を主眼として行います。「多読」は後者の量的トレーニングの1つで、「スラスラ使うこと」が目的になります。ですが、1文1文の理解に時間がかかってしまうのであれば、「スラスラ使う」練習にはなりません。多量の言葉や表現に触れることが慣れの形成には重要です。ゆっくりじっくりでは少量の言葉や表現にしか触れることができません。

 対訳多読は、1ページ毎、できれば1章毎で行います。まず、日本語で1ページ分ストーリーを理解します。そのあと、それがどのように外国語で表現されているかを理解するために音読します。黙読よりは音読のほうが外国語学習の練習になります。何より、音を発していますから眠くなりにくい。辞書を引きたくなる気持ちはぐっと抑えて、「読み切る」ことを目標にします。この時に「この文はさっき読んだ日本語のあそこだな」と意識することが大切です(意味も分からない呪文をいくら唱えても、外国語はいつまでたっても使えるようにはなりません)。

 最初から読んだ外国語の表現をきちんと解析することは難しいかもしれません。ですが、様々な語彙や表現に触れる機会を確保することになり、繰り返し出てくる単語に「慣れる」ことができます。「こういう意味の時にはこういう表現がよく出てくるなぁ」という認識が持てるようになるだけでも大きなことです。

 実際の物語の中で言葉を学ぶことはとても重要です。なぜなら、ストーリーがあることで「エピソード記憶」という記憶の形につながるからです。文脈がわからないまま言葉を学んでも、実際にどこでどのように使えるのかがわからず、結局表面的な理解にとどまってしまいます。表面的な理解しかない記憶は、定着せずにすぐに忘れられてしまいます。映画やドラマのセリフをなんとなく覚えてしまっていること、ないでしょうか。ストーリーがあることは、言葉を学ぶために有益ですね。ぜひ、自分にとって読んだら面白い本で、言葉を学ぶ機会を得るようにしてください。

 CALL自習室のライブラリーの活用をお勧めします。 
 


写真:CALL自習室ライブラリー蔵書の多読本&対訳本の一部
…「クマのプーさん」「くまのパディントン」「思い出のマーニー」など

(2016.4.2)

【第63回】カメルーンで運動会

文学部教授 樋口 淳(フランス語担当)

 2012年にカメルーンの首都ヤウンデで、子どもたちの運動会が開かれました。日本の小学校では当たり前の運動会は、ヤウンデでは初めての試みです。入場行進に始まって、綱引きや組体操、そしてなんとソーラン節まで飛び出して子どもたちは大活躍しました。この運動会を企画したのは、シニアボランティアの山本文子さんです。

 山本さんは、大学を卒業後、川崎市の小学校で教鞭をとっていましたが、退職後のある日、発展途上国の役に立とうと考えました。そして国際協力機構JICAのシニアボランティア制度に応募して、カメルーンに派遣されることになったのですが、出発までにカメルーンでの活動に必要とされるフランス語3級を取得しようと決心しました。山本さんは、大学で初級の授業を受けただけでした。そこで週1回2時間の個人指導を受けて、忘れていたフランス語のブラッシュアップをはかり、みごと3級に合格し、JICAの事前研修も受けてカメルーンに出発しました。

 フランス語3級というのは、専修大学の場合でも、努力すれば在学中なら2年生終了程度でパスできる程度の資格です。がんばる学生は2年生の6月に合格することもあります。山本さんは、カメルーン滞在中にフランス語を磨きながら、カメルーンの初等教育に足りなかった体育や音楽、図工という情操教育に力を注ぎ、現地教員や教育委員会などにその必要性を訴え、ノーハウを伝え、JICAのジュニアボランティアや現地スタッフと協力し、子どもたちが生き生きと学ぶ教育の普及に努めました。山本さんの努力は評価され、2年のカメルーン滞在の後に、今度はJICAの要請でモロッコに旅立ち、現在は地中海のアラブ文化圏小学校の情操教育改革に取り組んでいます。

  大学でフランス語などの第二外国語を学ぶことは、ともすればただの「教養」と思われがちですが、立派に役に立ちます。山本さんのように2年生の中級までいかず、初級で断念した場合でも、あとで思い出して努力すれば、立派にビジネスに使えるし、社会の役に立つこともできると思います。とくに、21世紀に入って、コンピュータの翻訳や辞書の機能が発達したり、やっかいな動詞の活用や単語の綴りが、自動変換で、ただ選ぶだけで正確に入力できるようになると、初級修了程度の知識があれば、ビジネスレターが書けるようになります。事実、私は独学の韓国語を使って、韓国の友人とメール交換したり、学会発表のパワーポイントを作ったりしています。

  CALL(Computer Assisted Language Learning)なのは、教室だけではありません。私たちは今、コンピュータや人工知能(AI)と一緒に暮らしています。私たちが、山本さんのようにやる気を出して、必要を感じたり、目的をもったりすれば、大学で週2回の外国語の授業も、立派に役に立つし、あなたのスキルアップ、キャリアアップにもつながります。山本さんのように長期滞在しなくても、初めて訪れるパリやソウルや上海で、地下鉄に乗ったり、ホテルの予約をしたり、アポイントメントをとったり、レストランのメニューを読んだり、小さなことに役に立ち、あなたのストレスを解消して、ビジネスや観光に集中させてくれるでしょう。

 あなたの知らない身近な世界へ、一歩踏み出しましょう。外国語の学習は、その時きっと役に立ちます。
 
写真:上から綱引き、組み体操、ソーラン節、音楽授業風景の様子。
Copyright(C) 2016 Fumiko Yamamoto(2012年JICA海外シニアボランティア)

(2016.2.3)

【第62回】美しきロシア語

外国語教育研究室長・経済学部教授 寺尾 格(ドイツ語担当)

 2015年8月末に短期間、ロシア旅行をする機会があった。せっかくなのでロシア語のイロハぐらいは・・・と思って、NHKロシア語講座4月号のテクストとCDを購入して、張り切って聴いてみた。ところが、おでんの中のゆで卵のごとく、全く頭に入ってこない。常日頃、「覚えるのは、集中と反復だ!」と学生諸君に繰り返し言っている身としては、かなり情けない有様となった。とはいえ、ザルで水をすくうような思いで、ヒタスラ、ひたすらに繰り返すうちには、少しずつ染み込んでくるものではある。入門レベルの勉強とはいえ、還暦過ぎの脳髄と20歳のそれとの相違を始めとして、興味深い事実が幾つも見つかるのであった。

 例えばロシア語特有のキリル文字は、発音との親和性が高い。その点はドイツ語も同じだが、ロシア文字のX(ハッ!)は、ドイツ語の感嘆詞Ach! のchと同じ発音。P(エル)も、ドイツ語の「巻き舌のr 」と同じ。Ш(シャー)は、ドイツ語のschと同じく、「ウ」の口から発音される発音記号「∫(シュ)」と同じ。極めつきなのが Ы の文字であって、これは「イ」の口の形で「ウ」と発音するので、初心者は???となるはずなのだが、実はドイツ語のÜ が、Uの変音(ウムラウト)で、「ウ」の口の形で「イ」と発音するので、ちょうどロシア語と反対ということになる。ドイツ語を勉強していると、もしかしたらロシア語もかなり楽なのではないか、と思わせてくれるのである。

 ところで「これは誰のペンですか?これは私のペンです。」という超・初歩的な例文は、英語でもドイツ語でも、クソ面白くも何ともない文章であるのだが、し・か・し、これがロシア語では、「チィヤァー エータァ ルーチカァ? エータァ マヤァー ルーチカァ」となるので、実に美しい「韻」のリズムが感じられる点に、妙に感心しているこの頃なのである。
 
写真:モスクワ赤の広場にある聖ワシーリー寺院(Saint Basil's Cathedral)
Copyright(C) 2015 Itaru Terao

(2016.1.6)

【第61回】外国人日本語学習者のことば

経営学部兼任講師 杉浦 由紀子(日本語担当)

 いくつかの機関で日本語、日本事情等を担当してきた。心に残る外国人学習者のことばがたくさんある。

 ギリシャからの女子留学生がクラスにいた。熱心な学生で、授業のときに、授業用とは別にブルーの表紙の厚手のノートを抱えてきていた。あるとき、「先生、これ、私の気に入った日本語を書いて、溜めてるんです」と見せてくれた。几帳面な字で、「さすが」とか「負け惜しみ」、「大らか」、「ひなびた」、「意地を張る・意地っ張り」等々の表現が何ページかに亘って書かれており、さらに彼女が嬉しそうに「今一番気に入ってるのが、この言葉!」と指さしたところには、「反面教師」とあった。「日本人はこういう言葉でなんでも『先生』にして、習うから偉いですねぇ。こういう考え方があれば、なにからでも学べるんです」と感心し切った様子であった。当時私は、難しい現実を「反面教師」としてはあまり受け止めていなかったので、彼女に教えられたと思った。あれから十年以上が経った。ギリシャの経済危機のニュースに接するたびに、彼女は今どうしているかなぁと想い出す。

 イタリア人の成人男子留学生がいた。日本人の高校生にインタビューして「日本の高校生の生活と意見」を知りたいということであったので、高校生の息子さんがいる知人を紹介した。暑い夏の一日、一時間近くかけてその高校生の家を訪ねて行き、一時間ほどのインタビューをし、その後それをレポートにまとめ、授業で発表した。恥ずかしそうに、大汗をかきながら、どのような話をしたのかプレゼンしたその最後に彼は言った。「○○さんは、高校二年生で恥ずかしい人でした。私も恥ずかしい人-彼の言う「恥ずかしい」は、'shy'のつもりである-です。恥ずかしい人が恥ずかしい人をインタビューしたので、タァイヘンでした」と。クラス中が大笑いした。この人は、今イタリアの某大学の教授になっている。

 箱根に旅行した英語圏の学習者。帰ってきてから、「『ようちょうのしょうけい』(羊腸の小径)って面白いですね」という。観光バスの中でガイドさんが歌ってくれた「箱根八里」の中の、この僅か9拍の、漢字を用いるならばたった5文字の表現の中に 'the narrow roads that wind like sheep's intestines ' の意味があるのをしきりに感心していた。日本語が漢字を取り込み、さらに「オン」と「くん」の両方で使えることがいかに有難いかをこちらも改めて感じた。

 現在のクラスにいる中国人留学生。私が、風邪をひき、体調のよくなかった日の授業のはじめに「伸び放題の髪、しゃがれた声、鼻の下の皮が赤く剥(む)けていて見苦しい恰好で・・・」とちょっと言い訳をしたところ、すかさず「いえいえ、先生。なかなか いけてますよ」と。思わず、「座布団三枚!」と言いそうになったのであった。
 
イラスト:箱根の「羊腸の小径」
Copyright(C) 2015 Yukiko Sugiura

(2015.12.10)

【第60回】心と体で飲む英語

経営学部准教授 佐久間 由梨(英語担当)

 Hash House Harriers(ハッシュ・ハウス・ハリヤーズ)というランニンググループをご存じですか。1930年代のマレーシアでイギリス人たちが週末にランニングを始めたことがその起源ですが、現在では日本を含めた各国に2,000以上のグループがあります。ハッシュはただのランニンググループではありません。最大の特徴は、競争しないことと、ランニングの途中でビールを飲む休憩所があることでしょうか。走ると飲むを繰り返しながら、大人たちが少し羽目を外して交流しています。

 大学院時代に留学していたアメリカで、私もハッシュに参加していました。楽しくおかしいハッシュのメンバーと一緒に、「パイレーツ・ラン」では海賊の恰好で街を走り、「レッド・ドレス・ラン」では男女ともに真っ赤なドレスで遊園地と試合中の野球場を走ったりしました。こんなにも不思議な集団が走っていても、多くのアメリカ人がフレンドリーに応援してくれたことは驚きでした。白い目で見られたことも少しはありましたが。

 さて、ハッシュのランニングコースは参加者には知らされておらず、小麦粉で書かれた暗号を頼りに進みます。たとえば、→(矢印)は進むべき方向、CB(“Check Back”)は戻って再確認、“On-On”は進め進め、BN(“Beer Near”)でビールが近くにあるよ、BC(“Beer Check”)はビール休憩所という意味です。地面に小麦粉で書かれたBCの文字を見ると、知らず知らずのうちにますます喉が渇いたものです。

 このコラムのタイトルは「心と体で飲む英語」にしました。いかなる言語においても、言葉は物を描写・説明するだけではなく、私達の心と体に何らかの反応をひきおこす力を持っています。「うなぎ」と聞くとよだれがでるけれど、“eel”だと何も反応しない。日本語だと心と体が感じるのに、英語だとそうはいかない・・・。ハッシュに参加するまでの私にとって、「ビール」は「ビール」であって“beer”ではありませんでした。ハッシュに参加してから数カ月を経て、私にとっての「ビール」は“beer”になり、「前に進んでいこう」という気持ちは“On-On”になりました。私の心と体が “beer”や“On-On”という英語を感じ、反応するようになったころようやく、私は英語と友達になれたのだと思いました。

 私は英語を学び続けていますが、その目的はコミュニケーションのためだけではなく、英語を心と体で感じることにあります。英語の文学や音楽を、心と体で飲むように味わってみたいのです。
 
写真上:「レッド・ドレス・ラン」では赤いドレスで街中を走ります。
写真下:「パイレーツ・ラン」では海賊になって走りました。
Copyright(C) 2015 Yuri Sakuma

(2015.11.9)

【第59回】意訳? 異訳?

文学部准教授 大久保 譲(英語担当)

 翻訳というのは、原文の意味を理解し、対応する別の言語に置き換えることである。文学作品を翻訳する場合も基本的には同じことなのだが、ときには意味を移し替えるだけではすまない場合もある。

 フランスにウリポ(Oulipo、「ポテンシャル文学工房」の略)という作家グループがあり、実験的な作品を次々に生み出している。代表的な作家の一人がジョルジュ・ペレック(1936-82)で、彼の最も有名な小説がLa Disparition(1969)だ。タイトルは「消失」くらいの意味で、この長編の中からはフランス語でもっとも頻繁に使用される文字であるeが消失し、ひとつも使われていない。特定の文字を使わないこうした技法をリポグラムという。
 
 さて、このリポグラム小説を他の言語に翻訳するとどうなるか。作家ギルバート・アデアが手がけた英訳版(1994)も、やはりeを用いないで全編を通している。アデアは題名をフランス語の直訳ではなくA Voidとした。文字eがない「空虚(a void)」と、eの文字を「避ける(avoid)」という二つの意味をかけた、洒落たタイトルである。
 
 これを日本語に翻訳する場合はさらに厄介だ。アルファベットのeが存在しないからだ。そこで日本語版(『煙滅』2010)の訳者塩塚秀一郎は、「い段」の仮名(いきしちにひみりゐ)と、それを含む熟語を使わずに日本語にする、という方法を選んだ。原文のリポグラムを日本語で再現することを選んだのだが、もちろんこれは、eを用いないというフランス語の原文「そのまま」ではない。果たしてこれは意訳なのだろうか。むしろ異なるヴァージョンを提示した「異訳」というべきではないか。いや、そもそも「い段」を用いていないのだから、「意訳」でも「異訳」でもなく、単なる「訳」なのかもしれない。

 ちなみに、ペレックのアイデアに触発されたのか、日本の小説家筒井康隆は『残像に口紅を』(1989)という長編を書いた。ここでは「あ」から始まる五十音の文字が徐々に使われなくなっていき、最後にはすべての文字が消えてしまうという趣向がこらされる。たとえば「あ」が消えれば、物語にはもう「愛」も「赤」も登場しない。(最後まで残る一文字はなんだと思いますか?)この小説を他の言語に翻訳するとしたら、どんな工夫が凝らされることだろう。

(2015.10.1)

【第58回】おいしいイタリア語

経済学部兼任講師 横田 さやか(イタリア語担当)

 さあ、書き取りの練習です!「スパゲッティ」、「ジェラート」、「カプチーノ」とイタリア語で書いてみましょう。いかがでしょうか。イタリア語の綴りに集中する前に、トマトソースのスパゲッティや、アルプス山脈よろしく高々と盛られたあのアイスクリームや、きめ細やかな泡にハートが描かれたカプチーノを想像して思わずヨダレを垂らしそうになってはいませんか!?片仮名では「スパゲティー」とも表記されたあの“麺”は、“spaghetti”。すっかり日本語にも定着した「ジェラート」は“gelato”。同じく人気の「カプチーノ」は“cappuccino”です。次は、「ティラミス」、「パンナコッタ」とイタリア語で書いてみましょう!いよいよお腹が空いてきましたね。正解は“tiramisù”、そして“panna cotta”。食べ物のことばかり考えて現を抜かしているわけではありませんよ。イタリア語の綴りに特徴的なポイントを学習しているのです!

 では、ポイントをまとめましょう。(1)カキクケコの音には“h”(アッカ)が入ります。“spaghetti”の“ゲ”の音に注目してください。濁音でも同様に“h”が置かれます。(2)子音が重なるとスタッカートになり、「ッ」を入れて読みます。“cappuccino”は「カップッチーノ」、はっきりと口をカプカプさせて読みましょう。(3)子音の“j, k, w, x, y”は、イタリア語では使用されず主に外来語を表記するときにのみ使われます。「ジェラート」には要注意、“jelato”とは書かず“gelato”と綴ります。(4)アクセントは、基本的には後ろから2つ目の母音に置かれます。“panna cotta”はひとつ目の“a”と“o”にアクセント。ちなみにこれは「名詞(生クリーム)+形容詞(火の通った)」の構造をしています。もちろん、例外も多数あります。“tiramisù”では、最後の母音にアクセント記号が付いています。これは、ここにアクセントを置くという印です。「ティラミス!」と最後の母音までひと息に読みます。

 こんなふうに、身近な「おいしそうな」単語に注意を向けてみるだけで、イタリア語学習の第一歩を踏み出せることがわかります。さて、今年度より「選択イタリア語」が開講されました。本学における記念すべきイタリア語学習者第一期生たちが、今まさに着々とこの新しい言語を習得しています。
 
写真:バールでいただくイタリアの朝食3セット、甘いクロワッサンとカプチーノと日刊紙。
Copyright(C) 2015 Sayaka Yokota

(2015.7.3)

【第57回】CALL学習のすすめ

商学部講師 宮田 宗彦(英語担当)

 外国から日本に来た相撲力士が、数年間日本で生活しただけで、あっという間に日本語を学び、上手に日本語を操っているのをテレビなどのインタビューでご覧になったことがありますか。どうして彼らはあんなにはやく、上手に日本語を覚えることができるのでしょうか。

 外国語を学ぶ時の重要な条件の一つに学習環境が挙げられます。最近の研究によると、理想的な学習環境とは、学習者が学んだ外国語を日常的に繰り返し使うことができる環境だと言われています。 外国から日本へやって来る若いお相撲さんたちは、おそらく母国語の全く通じない相撲部屋で、親方、おかみさんや兄弟子たちからすこしずつ日本語を学び、毎日の生活でどんどん日本語を使っているうちに、すごいスピードで日本語を習得してしまうのでしょう。このような学習環境は外国語を学ぶのに理想的で、日本に来る若手外国人力士が数年間という短い間に日本語を吸収してしまう決定的な理由のひとつだと考えられます。

 はたまたその一方で、私たちは小学校、中学校、高校、大学と、10年以上も英語を学んでいるのに、いっこうに英語が上手になりません。長年勉強したってちっとも上達しない原因は、全くおなじ要因によるものなのではないでしょうか。日本における一般的な英語の授業では、読んだり、聞いたり、あるいは言葉についての知識(文法や語彙など)を学ぶ環境は整えられていますが、肝心の「使う」環境がなかなか整備できません。言い換えれば、英語についての知識を一生懸命増やしても、英語を使う場所がないので、上達するために練習する機会がないのです。どうすればこの問題を解決できるでしょうか。

 実はこの学習環境の問題を解決する良い方法の一つがCALL学習なのです。CALL学習を利用すれば、これまでの日本での英語の授業ではではなかなか実現できなかった「英語を使う」環境がネットに擬似的に創造できるので、ネット上で存分に英語を使う練習ができるのです。テレビ電話、チャット、SNSなどの双方向メディアをはじめ、学習プログラムソフトウェア、映像メディアを利用したコミュニケーションツールなど、様々な種類の学習メディアが開発され、より良い外国語学習方がどんどん紹介されていますので、皆さんも機会を見つけて、CALL学習を上手に利用してみてはいかがでしょうか。きっと上手に英語が使えるようになりますよ。
 
写真:本学学生が利用できるe-learning教材「Net Academy2」の学習画面とCALL自習室

(2015.6.4)

【第56回】オルゲルの響き

外国語教育研究室長・経済学部教授 寺尾 格(ドイツ語担当)

 「オルガン」と言えば、桜散る小学校の校庭に響く足踏みの音色(古い!)の連想があり、「風琴」と書けば、さらに雰囲気が高まります。本来は「パイプオルガン」のことで、英語のorganは「臓器」の意味も含むように、ドイツ語のOrganは「臓器」で、楽器の「オルゲルOrgel」とは区別しています。

 ヨーロッパの街をうろついて歩き疲れると、必ず教会があります。一休みついでに中に入ると、見上げるような高さの石の柱と天井の向こう正面に十字架の祭壇があり、外の喧騒が嘘のように静かな薄暗がりに、蝋燭の炎がチラチラと揺れて、長椅子に座ってお祈りをしている人も見受けられます。通常、祭壇の反対側(つまり入口)あたりには、銀色のパイプが大小さまざまに並んだOrgelが設置されています。

 南部のカトリック教会ではバロック風の絢爛豪華さが目立ちますが、北部のプロテスタント教会では、かなりシンプルな造作となります。オルガン・コンサートもしばしば開催されますし、運よく誰かが練習をしていると、これが実に良い時間になります。石造りの広い空間は残響の効果が素晴らしく、全身を震わすような重低音と、輝くように多彩な高音の疾駆と、まるで息吹のような弱音の繊細さとが、次々と果てしなく重ねられて、ほとんど忘我の経験となります。

 Orgelの演奏が終わって、ハッと我に返ると、また以前のままの静かな薄暗い空間です。かすかに消えてゆく残響の記憶は、華やかな音に包まれた身体の記憶と呼応して、眼で見ることのできない「何か」の気配を、しっかりと感じさせてくれるかのようです。教会という石造りの「空間」は、パイプオルガンという「臓器」を含んだ、大きな「楽器」とすら言えるかもしれません。

 ちなみに私の一番のオススメは、ナウムブルクのヴェンツェル教会で、バッハも演奏したことのある1746年製作の古いオルガンは、ほとんど信じがたいほどの音色によって、わざわざ再訪させるほどの魅力がありました。
 
写真:ナウムブルク・ヴェンツェル教会とオルガン

Copyright(C) 2015 Itaru Terao
(2015.5.7)

【第55回】アラビア語を通して

経済学部兼任講師 小野 純一(アラビア語担当)
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 こんな一日は不自然ですか。朝はシュガーかシロップを入れてコーヒーを飲み(私は入れませんが)、昼下がりにシャーベットを食べ、カフェでマガジンをめくり、夜はソファでアルコールを飲む。そして、そういう現代生活を支えるために、アルジェブラ(代数学)やアルゴリズムが必要なことをあなたは知っている(やはり不自然な流れかな)。

 ここに片仮名で書かれている10単語、アラビア語起源です。それを通して私はこう思います。我々の日常は、近代以前にアラビア語文化圏が生み出した豊かな物質文化や精神文化に支えられている。世界のどの言語、文化、国も、もちろんアラビア由来だけでなく、もっともっと多様な内なる他者で満ちていて、アイデンティティすら実は異他的なものから成立している。他なるものを受け入れることと、生とは切り離せない。ちなみに、珈琲はもはや私のアイデンティティの一部です(酒ではなく)。

 アラビア語は、漢語やサンスクリットやラテン語と同様、世界中の言語に学術用語を提供してきた数少ない古典語です。長い間、ヨーロッパから、北アフリカ、中央アジア、中国、インドネシアまで、国際語として極めて重要な地位にありました。長大な時間と広大な空間が生み出した豊穣な知的財産を文字化した膨大な量のアラビア語文献があります。それを前にして、人は自分の無知や非力さを実感し、謙虚になり、そのような文化を生み出した営みに敬意を感じるでしょう。

 語学の目的は、知識を増やすことだけではないのです。別の言語を少しでも学び、異文化の豊かさを知り、そこで獲得した新しい視点で、よく知っていると思いこんでいた母語や自国の文化を見つめなおすと、今までと違った新しい面が見えてきます。また、日本語や英語中心に世界を観ることで凝り固まった精神がほぐれ、自分の無知や世界の広さ多様さに気づかされ、自己認識も深まります。

 異文化交流には、語学だけでなく、他者を受け入れる柔軟な精神や敬意が重要です。何しろ、交流を深めるとは、語学力を誇示することではなく、相手を知り共に生きることだからです。逆に、異なる言語や文化を学ぶことは、柔軟な心や様々な敬意を感じる心の細やかさを養う機会、自分とは異なる人や文化を敬う精神を磨く切っ掛けを与えてくれます。現在も国連と二十以上の国と地域の公用語であるアラビア語は、そういった無限の可能性へ無数の通路を現在形で開いています。一つの異言語を学ぶと、それは絶えず、学ぶ人を外に向けて視野を広げ、内には新しい風を起こしてくれるものなのです。
 
写真:「私の日常的非日常」香辛料入り珈琲と思想書

Copyright(C) 2015 Junichi Ono
(2015.4.7)

【第54回】語学はスポーツ!

外国語教育研究室長・経済学部教授 寺尾 格(ドイツ語担当)
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 外国語の学習には大きな「つまずきの石」が数多くあります。文法は難しいし、覚えることはたくさんある(ありすぎる)し、テストは毎回だし、先生はこわいし・・・特に入門レベルで???となるのが、固有の「発音」と「イントネーション」で、これが習い始めの大きな障害となっています。語学に限らず、**学の知識とは**学に固有の「用語(難しく言えば概念)」を理解して「言える」ことで、おおむね1000語程度が「基礎語=基礎知識」になります。覚えるためには「口」で何度も反復することが大切ですから、新しい「発音」の基本は避けて通れません。

 別にネイティヴと同じでなくても良いのですが、そこを間違えたら通じないというポイントがあります。これは独学では難しく、良いコーチの下で、実際に声を出し、何回も間違えながら、少しずつ修正を繰り返す「身体化」の作業が不可欠です。

 例えば日本語の「アップル」は「3音節」ですが、英語の「apple」は「a」だけが「母音」で、残りは「子音」となり、全体は「1音節」となり、日本語とは全く異なる「イントネーション」です。「言えない」ものは「聴けない」のですから、「文字」で説明されるよりも、実際に「声を出しながら」練習するしかありません。未知の外国語は、未知の身体操作と向き合うことであり、自分の身体の新たな可能性を開拓することなのです。

(2014.02.10)

【第53回】ABCニュースシャワー

文学部 教授 片桐 一彦(英語担当)
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 本物の英語に徐々に慣れるための具体的方法の例を一つ紹介する。

 「ABCニュースシャワー」という番組がNHKのBS1にて火曜日から土曜日まで放映されている。アメリカABC Newsで放映された英語によるニュースの一部(約40~50秒くらい)を抜粋し、1回目は英語字幕付きで、2回目は日本語訳字幕付きで、3回目は字幕なしで繰り返し放映され、その後英語に関する簡単な解説があって、最後の4回目にもう一度英語字幕付きで放映されて終了する5分間の番組である。取り扱われる内容は毎日変わり、アメリカの政治・外交・経済・文化・芸能・事件・日常生活等多岐に渡る。また生のニュース番組を教材にしているだけあって、その時の最新でホットな話題を扱っている。

 BS1にて放映されたまったく同じものが、NHKのホームページ上でも動画として無料で視聴することができる(http://www6.nhk.or.jp/kokusaihoudou/abcns/)。また動画とは別に、ニュースで読まれた英語の原稿とその対訳、さらにキーワード解説までが掲載されている。

 米国の視聴者向けに作られたニュース番組の一部抜粋なので、その英語のスピードは我々日本人英語学習者にはとても速く感じられ、また扱っている内容も馴染みがないことが頻繁にある。だからこそ日々5分間視聴していると、英語(特にリスニング)の学習になるしまた幅広い情報を得ることができる。

(2014.01.15)

【第52回】個人旅行だから楽しい

経営学部 准教授 奥村 経世(経営管理総論担当)
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 私と妻は、3~4年に一度ほどヨーロッパを旅行しますが、パックツアーを使ったことはありません。妻がヨーロッパ史の研究者なのでガイド役、私は海外での運転に慣れているので、レンタカーの運転手役になります。そして旅行先は、ほとんどがヨーロッパ各国の田舎です。特にフランスには「フランスの最も美しい村」(Les plus beaux villages de France )という組織があり、ここに登録されている村々を主に回っています。

 たとえば2013年に訪問したペルージュはフランス西部にあり、人口はわずか50人ほどですが、14世紀頃の町並みがそのまま残っています。大都市のリヨンからバスなどを利用して1時間ほど。自家用車でなければなかなかいけないところにあります。しかし、「フランスの最も美しい村」に登録された約150の村の中でも特に美しいといわれていて、リヨンでサミットが開かれた際には、各国首脳が見学に訪れたそうです。私たち夫婦は、中世貴族のお屋敷そのままのホテルに泊まり、伝統的な料理を食べ、早朝から、鶏の鳴き声がする人気のない村をのんびりと散歩しました。

 パリやモンサンミッシェルのように有名な観光地には、有名になるだけの理由があり、行けばやはり感動します。しかし、名所を見て「テレビで観たとおりに美しい」と思ってしまうよりも、予想もしない感動が田舎にはあります。古い家並みはもちろん、かわいい形をした看板、その土地でしか食べられない料理、そして地元の人たちと片言英語どうしでの会話。そこから、文化や歴史を肌で感じ取ることができます。それは個人旅行だからこそ得られるものなのです。万が一現地で小さなトラブルがあっても、ポジティブシンキングでいけば、それも楽しい経験になります。

 また、旅行を自分たちで計画するのも大きな楽しみです。ネットで探せば、小さな町のホテルが予約できる日本語サイトがあります。多くの国の観光局が日本語のホームページを持っていて、たくさんの情報が得られます。「言葉ができないから」と心配する必要はありません。スペイン、フランス、イタリアなどの田舎では、全く英語の通じないことがあります。でも、「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」「美味しい」という簡単かつ必須の単語と、1から10までの数字が現地語で言えるように準備し、あとは身振り手振りで切り抜けてきました。そうやって、私たちは個人旅行を楽しんでいます。

 社会人になると、個人旅行をする時間と心の余裕を持つことが難しくなります。個人旅行をゆっくりと楽しめるのは、学生の特権だと思います。
 
写真:ぺルージュの広場

Copyright(C) 2014 Tsuneyo Okumura
(2014.12.06)

【第51回】大人になってからの外国語学習

経済学部 講師 松田 智穂子(英語担当)
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 3年半前からスペイン語を習っています。30代で新しい外国語を学ぼうと思い立ったのは、何年もかかりきりだった博士論文の執筆を終え、なにか新しい事を始めたかったのと、スペイン語ならば私の専門である英語圏カリブの演劇と文学を研究するにあたり、読める資料が増えると思ったためです(カリブ海地域では、英語のほかにスペイン語、フランス語、オランダ語などをベースにした言語が使われています)。

 ネット検索して最初に出てきた近所の語学教室にアポをとり、翌々日には初回の個人レッスンを受けました。大学時代は、第二外国語はフランス語を選択していたので、スペイン語にはまったくなじみがなく、アルファベットの「アーベーセー」からのスタートです。
 考えなしに飛び込みましたが、アラサーで始めたスペイン語学習は思わぬ効果をもたらしました。スペイン語をシステマティックに学習することで、英語力もアップし、英語の教え方にも余裕が出ました(このころは他大学で英語の授業を担当していました)。
 なにより、語学学習の基本姿勢を思い出すいい機会でした。「言語を習うときは、その言語をそのまま受け容れなければならない」と、私のスペイン語の先生は口を酸っぱくして言います。習い始めのころ、私は得意な英語との文法や単語の類似点を探し、他言語に置き換えようとしてばかり。そのたびに、英語や日本語に翻訳しようとせず、スペイン語をスペイン語として「無条件に」受け容れなさいと、先生から叱られました。

 これまで、本学や他大学で英語ライティングを数クラス担当してきました。きちんとした英語を使って、TPOに合わせて文章を書けるようになることが達成目標ですが、日本語を第一言語とする学生にとって、一から十まで英語で書く事は容易ではありません。たとえばフォーマルな文章を書くときは「and」や「but」といった接続詞を文頭に置くのは避けるよう指導しますが、期末レポートではほとんどの受講生がこれらの単語から始まる文章を書いてしまいます。これらの単語は、日本語ではそれぞれ「そして」と「しかしながら」の意味に相当しますし、日本語ではフォーマルな場合でもこれらを文頭に置くことは可能です。しかし、英語の「and」と日本語の「そして」は「同じ」単語ではありません。意味は同じでも、文法的なルールが異なることを見落としてしまうために起こるミスです。
 他言語を自分の知っている単語に置き換えるだけでは、きちんと意味の通る英語の文章は書けません。それをすれば、英語力アップの妨げになります。スペイン語をスペイン語として受け容れることが、私にとって上達の近道でした。英語と日本語の類似点を探すのではなく、英語がほかのいかなる言語とも違うことを忘れずに学習することが、大学で他言語を勉強する学生の皆さんにとっても近道になるのではないでしょうか。
 
写真:決まった教科書はなく、先生の説明やプリントを基にノートに書きためる

Copyright(C) 2014 Chihoko Matsuda
(2014.11.03)

【第50回】相手に「あなたと話をしたい」と言ってもらうことを目指しましょう

商学部 教授 高橋 裕(ビジネスモデルシュミレーション他担当)
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 私はイギリスに1年間研究で滞在しました。そんなことを言うと、「さぞや英語が上手なのでしょう」と勘違いをしてもらえることが多いです。しかし、私自身は長いこと強い苦手意識にさいなまれてきました。今でも長い話を英語でした後には、緊張の糸がプツッと切れるようで、ものすごい疲労感に襲われることがあります。

 そんな私の外国語人生ですが、励まされることもありました。あるアメリカの親しい先生と長い会議をした後、リラックスした雰囲気になった時に、「私と話すのは(他の語学堪能な先生と話すのと比べて)くたびれるでしょう。すみませんねぇ。」とやや自嘲的に言いました。すると、相手の先生は「あなたは経済や経営のコンピュータシミュレーションが専門ですね。しかし、文化や政治にわたっていろいろ見識があることが話の中にあらわれていて、まさにprofessorらしい話をしてくれるので、むしろますますお話をしたくなりますよ。」とおっしゃってくださいました。これには励まされました。確かに、私は「英語がうまい」と言われることはあまりないのですが、「話が面白い」と言われることはしばしばあります。そこで、どうして英語下手なのに話をほめてもらえるのか考えてみました。

 第一に気づいたのは、私はとにかくいつも「必死になって」コミュニケーションを取ろうとしていることでした。例えば、国際学会では自分の研究成果を必死で売り込みます。留学の引率では学生たちに不利益がないように必死になります。提携校の先生方を回って専修大学を紹介して歩く時も、専修大学の営業だと思って必死です。とにかく、こちらにポジティブな関心を持ってもらうよう、伝え方を工夫します。それは単にプレゼンテーションの仕方というだけではなく、会う相手の興味やバックグラウンドなどをよく事前に調べ、それにマッチした話ができるようにするということも含みます。第二に、「みっともない内容を話しては、専修大学が、あるいは日本の学者のレベルが低いと思われてしまう」と「勝手に日本代表」状態の心情になってしまいます。それで、なるべく知的な話をできるように、普段から経済経営の話以外にもよく触れるようにしています。こうした話すネタを十分に蓄えておくのは大切だと思ってはいましたが、期せずしてはっきり上のような褒められ方をしたので、「私の戦略に間違いはなかった」と安心したというわけです。

 もし「語学ができない、つらい」と思っている人がいましたら、人が聞きたくなるようなネタを日頃から増やし、自分の話の内容の充実に努めてみませんか。そして、その話に使うであろう言葉や、しゃれた言い回し、正確な表現を調べてみてはどうでしょうか。話し相手から話の内容を褒めてもらえるように頑張ってみるのは、単に会話ができることを目指すよりもやる気が出ますよ。
 
写真:滞在したBristolの街並み

Copyright(C) 2014 Yutaka Takahashi
(2014.10.01)

【第49回】外国語修得には、国語と一般教養が効く

商学部 教授 大林 守(マクロ経済学担当)
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 日本の小・中・高を卒業した学生ならば、国語を12年間、英語は6年間は勉強している。単純に考えると12年間勉強した日本語の器に6年間の英語を入れていると考えることができる。こう例えたのは、日本語の器が小さいと、入れる事のできる英語も限定されてしまうからである。

 英語が苦手だとか、英語が分からないとか言う前に日本語を見直してみることが重要だということに気がついて欲しい。留学を志してTOEFLなどの点数を上げようとしている学生、そして英語を一生懸命に勉強しているのになかなか点数が伸びない学生には特にである。

 この当たり前すぎることに気がついたのは、44歳になってイタリアのシエナ大学で研究する機会を得て、イタリア語学校に通った時である。英語とイタリア語の言葉の起源は異なると言われている。しかし、英語にabove allという言葉がある。「何よりも」と訳されることが多い。これをイタリア語ではsopratuttoと言い、sopra=above=上, tutto=all=全てとなっている。人間の考えることは語源を別にしてもよく似ていると同時に、遅蒔きながら日本語の語彙がなければ分かりようがないということに気がついたのである。

 次の段階は文化を知ることである。日本語に雨の表現が豊富であることがよく知られているように、言葉は背景にある文化と密接な関係にある。したがって、文化を知ることと外国語を理解することには表裏一体の関係がある。例えば、英語の文化を知るためには芋づる式に考えて、アメリカ合衆国を中心とする英語圏文化、その前には英国文化、その前にはヨーロッパ文化やイスラム文化、さらにはキリスト教成立段階にたどり着き、そして旧約聖書のユダヤ教文化、さらにはエジプト時代へと歴史を降りていくことになる。そういった歴史・文化の中で生まれた文学、芸術、哲学、思想などいわゆる一般教養の知識が重要となる。

 こう言うと、底なし沼をのぞいているように思えるかもしれない。しかし、底なし沼をのぞいていると考えるか、満天の星を仰ぎ見ていると考えるかは気の持ちようである。しょせん、全ての星を知ることは不可能なのに、月を見たり、星座をみたりしてロマンを感じることができるように、興味のあるものをひとつひとつ知ること、知ろうと努力することが大事なのだ。
 
写真:シエナの街並み

(2014.07.01)

【第48回】「三単現のエス」幻想

文学部 教授 三浦 弘(英語担当)
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 学生の皆さんは中学や高校の英語の授業から「正しい英語」というものがあるという幻想を抱かされていて,なかなか英語が話せないようです。しかし,そんなものは世の中には存在しません。学校の英語では標準英語の用法を学習するために,試験のときに標準的でない英語を解答すれば得点出来ません。三人称単数現在形のエスを落とせば,バツになります。

 英語の諸方言を比べてみると,三単現のエスだけを用いている方言は少数派です。標準英語だけとみなしてもかまわないほどです。イギリスのイースト・アングリア方言,アメリカの黒人英語,カリブ英語等では,現在形はすべての人称で原形のままです。逆にイギリスのバークシャー方言では,すべての人称でエスがつきます。英語の発達史を振り返れば,17世紀以降の標準英語のもとになったロンドン英語では,14世紀には複数人称には -enがつき,単数の場合は,-e, -est, -ethと3種類ありました。15世紀には,複数と一人称単数の語尾が落ちて,二人称単数の -estと三人称単数の -ethの2つだけになりました。やがて,二人称単数語尾も消えて,三人称単数の -ethが -(e)sに変わりました。

 スコットランドの伝統料理「ハギス」(haggis)は,マッシュしたカブ(turnip)とジャガイモ(potato)を一緒に食べます。写真(2011年8月筆者撮影)のハギスはグラスゴーにある有名レストラン(the Ubiquitous Chip)のもので,羊肉ではなくシカ肉を使っています。スコットランドではこの料理を「ハギス・ニープス(neeps)・アンド・タティーズ(tatties)」と呼びます。そう,スコットランドではジャガイモはpotatoではなく,tattieなのです。

 言語は使用されることによって変化します。つまり,コミュニティーごとに変わっていきます。その単位は二人から始まります。方言というのは,地理的な隔たりがあると思われがちですが,実は家族や仲間という集団ごとに異なります。ですから,全く同じ言語を話すヒトなど一人もいないのです。ましてや正しい英語などというものはありません。文法ばかりを気にせずに英語を話しましょう。
 
写真:Haggis, neeps & tatties

Copyright(C) 2014 Hiroshi Miura 
(2014.06.02)

【第47回】都市の国イタリア

商学部 准教授 飯田 巳貴(商業史担当)
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 イタリア半島では5世紀後半から19世紀の半ばまで統一国家が形成されず、この間の約1400年間、大小様々な複数の国家が群雄割拠していた。こうした歴史的背景をもつイタリアでは、現在でも人びとの帰属意識は、国家よりも、全土で8,000以上ある「コムーネ」にある。コムーネは、「コミュニティー」の語源で、中世に北・中部イタリアで誕生した自治都市・都市国家を母体としている。つまり「イタリア人」より、むしろ「ローマ人」「ミラノ人」といった帰属意識が非常に強いのだ。「自分がイタリア人だなあと実感するのは、ワールドカップサッカーでイタリア代表を応援する時だけ」というセリフもあるくらいだ。地元のサッカーチームに対する熱愛ぶりは強烈で、試合時間、どの家の窓からも試合の中継音声と歓声(あるいは悲鳴)が聞こえ、街角のバールでは街頭テレビの前に常連が陣取る。町の中央広場にはパブリックビューイングが設けられ、試合が勝利に終わると、街に繰り出して大騒ぎである(もちろん一切無関心な住民もいる)。

 各コムーネは自立性が高く、各々の自然環境や社会システム、歴史が反映されている。当然コムーネの独自性は言語にも及ぶ。イタリア半島各地では方言(=地方語)が現代まで色濃く継承され、地方語辞書の出版も盛んである。筆者がかつて2年間留学生活を送ったヴェネツィアは、なかでも訛りが強い地域のひとつである。ヴェネツィア大学で日本語を専攻し、東北地方に留学したイタリア人によると、日本でいうズーズー弁に近い感じらしい。筆者はヴェネツィアでイタリア語会話を耳から習得したが、前述の友人に、「10年ぐらいヴェネツィアにいる人かと思った」と言われてしまった。

 方言の使用程度は人によって異なるが、話し手の教育水準や家庭環境も影響している。イタリアは現代でも階級社会の伝統が強固に残り、例えば大学教授などは代々学者を輩出している家柄の出身者が多く、あまりきつい方言を使うことはない。とはいえ特に歴史学に関しては、コムーネを基盤とする、現代の基準でいうならば地方史が主体で、研究者も地元出身者が多い。私的な集まりなどでは、興が乗ってくると次第に方言が出る先生もいて、そうなると筆者の様な外来者は話についていけなくなる。またヴェネツィア名物のゴンドラ漕ぎは周辺の小島出身者が多く、大運河の「渡しゴンドラ」(庶民の足だが、混むと立ち乗りなので、慣れないと揺れて怖い)に乗る時などいくら耳をそばだてても聞き取れなかった。古文書館で読む中世の商人文書も、方言を基にした綴りで書かれていることが多く、字の書き癖とともに、未だ頭痛の種である。
 
写真:ヴェネツィアのサルーテ教会とプンタ・デッラ・ドガーナ(税関岬)

Copyright(C) 2014 Miki Iida 
(2014.05.07)

【第46回】e-learningでの外国語学習をLL教室でなく、「CALL教室」で!

外国語教育研究室長・経済学部教授 寺尾 格(ドイツ語担当)
CALL教室B

 「LL教室」は1964年に「専修大学視聴覚教室」として発足し、そして1981年から現在の1号館地下の「視聴覚教室(LL教室)」となりました。LLとはLanguage Laboratoryの略ですが、「視聴覚室」が先に来ていることからもわかるように、もともとは視聴覚機器の利用を促進する意図で設置されたものです。昔昔、まだ貧しくて、ミゼラブルな教育環境の時代に、せめて外国語教育ぐらいは、音声教材などの利用の必要があるとの判断でした。ちなみにウン十年前の私の学生時代には、DVDもCDもカセットテープもなくて、当時リンガフォンと言われていたレコード(!)しかありませんでしたが、とても学生の買える値段ではありませんでした。

 その後の情報機器の発展は、ご存じのようにすさまじいものでした。10号館等における普通教室の視聴覚機器およびインターネット環境も劇的に改善されて、一昔前のカセットやCDの音声からDVDの映像利用へ、さらにPCやスマホのインターネット利用へと、外国語教育に限らず、大学教育の全体が、PCやインターネットを活用する教育へと大きく変貌しつつあります。1996年にはLL教室でもPCを導入し、そして今年の4月からは最新のWindows8.1にヴァージョンアップすると共に、情報科学センターとも完全に統合して、各自のアカウントでCALL教室の利用も可能となります。この機会にLL教室も、単なる「視聴覚機器利用」を思わせる旧名称から、「CALL教室(Computer Assisted Language Learning)」へと正式に名称の変更を行いました。要するに「外国語優先コンピューター教室」ということですが、単なるコンピューター利用にとどまらず、「社会」「文化」「思想」「経済」「生活」「生命」等と直接に、多様に関わるのが、「外国語」というシロモノです。

 「視聴覚」を特別視した「LL(Language Laboratory)教室」の旧名称は、ひとりひとりがブースに籠もって機器と向き合う「閉じた個人作業」のニュアンスが強いようです。今や完全にアナクロニズムと化しており、関東近県でも「LL教室」の名称を残している大学は非常に少ないのが現状です。むしろ視聴覚機器とコンピューターやインターネットとを統合して、自立した学習を「開かれたコミュニケーション」へと結びつけるような「コンピューター支援による外国語教室」をめざすという趣旨です。紙と鉛筆だけで受け身に学ぶ外国語から、耳と口と手足をフル活用しながら、相手と全身で向き合う態度が「語る」「聴く」「考える」というアクティヴに外国語を学ぶ行為です。
 
 さて、情報科学センターとの統合の利点として、ひとつだけ宣伝させてください。4月からは、専修大学の学生であれば、三種類のe-learning英語教材が、使い放題となります。これは国際交流センターなどでのTOEFL対策講座として、従来は限られた利用しかできなかったものを、インターネット環境さえあれば、「誰でも」「いつでも」「どこでも」「何度でも」「無料で(!!)」勉強できるようになりました。もちろんCALL自習室でも利用できます。
 
 まずは簡単な実力診断テストを受けて、自分の実力に合ったレベルから始められます。一定の量の英文が提示されて、それに対する大意のヒアリングや、語彙や文法等々、様々な質問に答えながら、何度も何度も繰り返し、間違えたところはさらに繰り返し、同じ英文を読み返し、聞き返している中で、実践的な表現力が蓄積されていきます。語学力とは、要するに反復の「汗の量」ですが、それを自然に続けられるように工夫されていて、なかなか良く出来ています。さしあたりは三種類の教材を用意しました。詳しくはHPやポスターなどで確認してください。今後は、内容をさらに充実させたいとも思っていますので、学生諸君の利用の感想などをお寄せ下されば、まことにありがたいです。

(2014.04.01)