専修大学文学部日本語学科

専大日語・コラム

専大日語の教員による、月替わりのコラムです。

2021年2月:フィールドワークのこと

社会言語学を専門とする私は,多くの言語調査を行ってきました。個人で企画・実施したものもあれば,大規模な研究組織の一員として参加したものもありました。アンケート調査もあれば,面談・インタビューもありました。それらの調査の中で,今回は,フィールドワークについて書きたいと思います。このコロナ禍にあって,何ともミスマッチな話題ですけれども。

今回は,卒論のテーマにつながりそうな話題ではありません。エッセイです。気楽にお読みください。いつか,フィールドワークの失敗談・経験談も書きたいのだけれど,今回は,フィールドワークに大事なこと(だと私が思っていること)についてです。

フィールドワークは難しい

私にとって最初の本格的なフィールドワークは,大学院生になって参加したものです。私が通っていた大学院では,その当時,日本各地で方言を調べるフィールドワークを行うという授業がありました。博士前期課程(修士課程),博士後期課程の間,毎年履修しました。フィールドワークを実施した地域は,北海道,徳島,対馬,奄美等でした。

「フィールドワークって難しいなぁ」というのが最初に感じたこと。その難しさは,「人から何かを引き出す」ことの難しさです。調査票を作って,それに従って調査をしていくのですが,調査にご協力くださっている方が,こちらの意図通りに回答してくださるとは限りません。こちらの意図を説明し直して,引き出そうとするのですけれど,その意図が伝わらなくてなかなか引き出せない。先輩が40分くらいで調査を終えているときに,倍以上の時間を要する。その逆もあります。先輩は追加で質問を加えて詳細な結果を収集しているのに,こちらは調査票に書いてあることだけを聞いて,あっさり調査が終わってしまう。前者も後者も,後の分析で苦労することになるのは言うまでもありません。

私の大学院の指導教官も執筆している新書に,『フィールドワークは楽しい』という文献があるのですが,正直,最初は楽しくなかった。難しいとしか感じませんでしたし,苦痛と感じたことさえありました(師匠,ごめんなさい)。

フィールドワークに必要なもの

「どうしたらうまくできるのだろう」と悩んだものです。すぐに思い当たったのは,人に話す・話を引き出すテクニックです。言語のフィールドワークに限らず,さまざまな研究分野で,フィールドワークのテクニックを指南する書物が刊行されています。いちおう,そういったものもパラパラとやってみたのですけれど(パラパラかい!),どうも違う。いや,テクニックは役に立ちましたよ。確かに必要なことです。でも,それだけなんだろうか。

フィールドワークの実践で経験を積んでいくなかで,一つの答えが見えてきました。非常に単純で,当たり前のことなのですけれど。それは,言語についての知識が足りないから,ということなのです。

社会言語学や方言学は,さまざまな言語的レベル(音声,音韻,語彙,文法,コミュニケーション等)を扱います。それらの知識があって,はじめて,意図が伝えられるし,追加の質問が可能になるのです。「この調査項目のポイントは何なのか」ということを理解しているからこそ,ここで引き出したいことが引き出せるのですが,そのポイントというものはほとんど言語学的なことなのです。そのポイントを十分に理解していなかった。言ってみれば,私が意図を理解できていなかったわけですね。また,言語学的なポイントを理解しているからこそ,調査の現場で,追加で質問をして詳細な情報を引き出せるのです。言語についての“理論武装”が圧倒的に不足していたのですね。

そんなわけで,“理論武装”を徹底的にやろうと決心しました。言語に関することはもちろんのこと,言語に関わりのある分野にも手をのばして,テクニックとは別の“お勉強”をしたわけです(これはパラパラではありません,念のため)。

“理論武装”をしなかったら,いつまでも良いフィールドワークはできません。そして,それなりに良いフィールドワークができてはじめて,それを楽しいと感じられるようになっていきました(師匠,ご安心ください)。いや,フィールドワークというものは楽しいだけじゃなく,中毒性があって,フィールドワークができないとムズムズしてきます(フィールドワーカーあるあるです)。

“理論武装”の重要性は,フィールドワークに限ったものではないと思っています。例えば,このコラムを読んでいる専大日語のみなさんの中には,日本語教師を目指している方もいるでしょう。教壇実習の授業を履修した方もいますよね。そんなときに,テクニックを意識しませんか? 「どうやったらうまく教えられるだろう?」とか,「うまい教え方というものがあるんじゃないか」といったことを考えることが。もちろん,教え方も大事です。でも,(日本語教育で教える)日本語に関する知識が不足していると,うまく教えられないんじゃないでしょうか。日本語教師にとっての“理論武装”ですね。それを身につけたときには,きっと中毒性のある楽しさが見えてくるんでしょうね。

理論武装の先に見えてくるもの

このコラム(というかエッセイ)の終わりにもう少しだけ。 さきほど,大学院時代の師匠の話題を出しましたが,私にはもう一人,大学院時代の師匠がいます。その師匠も,“理論武装”についてお話ししていたことが,今でも強く記憶に残っています。それは,研究テーマを見つけるうえでの“理論武装”の重要性でした。そのお話しもしたいのだけれど,それはまたいずれ。

フィールドワーカーの禁断症状が解消される世の中が,どうか早くやってきますように。それまでの「おうち時間」で,“理論武装”の“お勉強”をもっとやっておこうと考えている,今日この頃です。

阿部貴人


<参考文献>
  1. 岩波書店編集部編(2004)『フィールドワークは楽しい』岩波ジュニア新書 [link]
<フィールドワークを知りたい方におすすめ>
  1. 呉人恵(2003)『危機言語を救え!-ツンドラで滅びゆく言語と向き合う-』大修館書店 [link]
  2. 吉岡乾(2019)『現地嫌いなフィールド言語学者、かく語りき。』創元社 [OPAC] / [link] / [link]

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