専大日語・コラム
専大日語の教員による、月替わりのコラムです。
2017年9月:日本語教育の魅力
私は、外国人に対する日本語教育にずっと関わってきました。どうしてか?
ことばに興味があったのと、多様性の少ない日本にいて井の中の蛙にならない仕事を考えたときに、日本語教育がとても魅力的に思えたのです。井の中の蛙にならないというのは、物事を見るとき、考えるときに、既成の考え方にとらわれず、できるだけ複数の視点を持つということです。
日本語の授業で、来日して間もない学生に、日本に来ておかしいと感じたこと、不思議に思ったことを話してもらいます。話す練習なのですが、日々いろいろ思っていること、感じていることがあるので、みんな一生懸命話してくれます。電車についての意見を取り上げてみましょう。
- 電車の到着、発車時間が非常に正確。
- なぜ優先席があるのか。
- 痴漢、酔っ払いが多い。
- 混んだ電車なのに、なぜあれほど静かなのか。
二つ目の意見は、なぜそういうものが必要なのかという批判です。最後の意見については、「他人に迷惑をかけないように」という自制がはたらいているという解釈がありました。それを、自分の権利より皆の幸せを望んでいてすばらしいと考える人もあれば、他人に迷惑をかけることを心配しすぎて、他人との関係を深めることができないと分析する人もいます。思い当たるところがありますか。
ことばを教えるということは、実はことばだけにとどまらないのです。その使い方も学ばなければ、本当には学んだことになりません。たとえば、謝罪やお礼の表現もそうです。日本人は簡単に「すいません」と言いますが、責任を負わされることを恐れて、簡単には言わない文化もあります。逆に、日本人は、人に恩恵を施したとき、後になっても、「昨日はありがとうございました」といった挨拶を、心の中で期待しているのではないでしょうか。お礼を持ち越さない文化も多いのですが、日本語のそうした使い方を知らないと、「あんまり気に入らなかったのかな」と、つまらない誤解を受けることになります。
自分の文化とは異なる世界で育った人が、日本語やそれが使われている社会をどう見ているか、知るだけでも面白いと思いませんか。日本にいながらにして、自分のことばや文化を相対的に見ることができる、私の日本語教育に対する期待は裏切られていません。
<参考文献>
- J.V.ネウストプニー (1995)『新しい日本語教育のために』大修館書店. [OPAC]