スウェーデン・公職選挙法セミナー開講にあたって

  昨年の4月、スウェーデンにおいて新しい公職選挙法が制定され、同年7月1日から施行されています。もちろん新しいといっても、全くの新規立法というわけではありません。既に、これまでスウェーデンには1972年に制定された公職選挙法があったからです。それにまた、新公職選挙法の多くの規定は、1972年公職選挙法(以下、只単に1972年法と称する)から移行されたものでもあるからです。したがって、ここで新しいということは、立法手続的にみて新しいということであって、必ずしも、内容的に新しいという意味ではありません。よりむしろ、内容的には1972年法の改正法といった方がよいかも知れません。

 しかし、新公職選挙法の施行と同時に、1972年公職選挙法の規定が全面的に廃止されていることを考えますと、その多くの規定が1972年の旧公職選挙法から新法に移行されているといっても、形式的には、新公職選挙法のすべての規定は新規規定と考えられなければならないのかも知れません。このような場合、新しい公職選挙法を全くの新規立法と見るべきか、それとも1972年公職選挙法の改正法と見るべきか、問題はありますが、本セミナーでは、新しく制定された公職選挙法を新規立法とよび、1972年公職選挙法を旧法と呼ぶことにしたいと思います。

 今回のスウェーデン公職選挙法の改正は、主として、今年(1998年)の9月に実施される総選挙(註1)に、特別指名投票(särskild personröst)と呼ばれる、これまでスウェーデンには存在しなかった投票方式を導入するために行われたものですが、もちろん、改正点はそれだけに限られていません。今回の法改正に際し、これまで特別法の形で存在していたヨーロッパ議会代表者選挙が、公職選挙の一つとして、公職選挙法の中に統一的に規定されることになりました。また公職選挙法の構成(後述)、そしてまた文章表現にも大幅な改正が行われました。

 これまでのスウェーデンにおける法律の文章は、カンスリー・スヴェンスカと呼ばれる官用語で書かれていましたが、今回の法改正によって、公職選挙法の規定は、誰にでもわかるようにと法文全体が口語体で書かれています。スウェーデン人に聞いてみますと、法律の文体が口語体になったことによって、公職選挙法の規定が、一般市民にとって、大変、分かり易く、且つ親しみやすくなったということですが、カンスリースヴェンスカに慣れた者にとっては、かえって読みずらくも感じられます。しかし、これからの法律の文章というものは、常に平易に、そして誰にでもわかるように書かれなければならないのかも知れませんね。

 ところで、ここに特別指名投票とは、投票に際し、選挙人が名簿式投票用紙に記載されている議員候補者の中から、自分の一番好きな候補者を選んで投票を方法ですが、ご存じのようにスウェーデンの場合、国会のみならず、県会、コミューン議会そしてまたはヨーロッパ議会代表者選挙に至るまで、すべて議員は、比例代表選挙によって選ばれることになっています。比例代表選挙では、選挙に参加している政党が選挙によって獲得した得票数に応じて議席を取得していくことになっています。そしてその場合、議席配分を受けた政党は、予め、その政党によって提示されている議員候補者名簿の中からその推薦順位にしたがって当選者を決めてゆくことになっています。スウェーデンの場合、候補者名はその推薦順位にしたがって、それぞれの政党の投票用紙に印刷されています。

 比例代表選挙の場合、その欠点として、候補者の顔が見えない、とか、選挙人に候補者を選ぶ自由がないということがよく指摘されます。比例代表者選挙の場合、候補者が政党によってノミネートされることになっているからです。したがって、比例代表選挙の場合、よしんば立候補者の中に、選挙人がこの人にと思っている人がいたとしても、選挙人にはその人を選ぶことができません。そういった意味では、比例代表選挙は、選挙人の選ぶ権利、選ぶ自由が著しく制限される選挙方法だと思います。

 選挙の方法として二つの方法があります。一つはこれまでわが国の選挙において採用されてきた、あるいはまた今でも使われているマジョリテー方式と呼ばれる絶対多数得票方式と、比例代表方式と呼ばれる選挙の方法です。スウェーデンの場合、1907年から1909年にかけてマジョリテー方式に代わって、比例代表選挙が導入され、それ以後ずっと比例代表方式の選挙が行われてきていますが、しかし、常に、比例代表選挙のウイークポイントとされている没個人性を如何にしてクリアして、選ぶ側の選択の自由を確保するかということが、スウェーデン選挙制度改正の度毎に問題として取り上げられてきました。そして最初にその問題の解決策として、1960年代に抹消方式投票個別的記名投票方式と呼ばれる二つの優先投票方式が導入されました。

 抹消方式投票とは、投票者の支持する政党から提示されている候補者名簿の中で一番先に当選してもらいたいと思っている候補者の名前がある場合に、その候補者の名前が投票用紙のトップに記載されていないとき、投票者がその候補者の上位に記載されている候補者の名前を全部、抹消して投票を行う方法です。そしてまた個別的指名投票とは、政党名のある白紙投票用紙に単独の候補者の氏名を記載して投票する方法です。尚、スウェーデンの投票用紙は各政党毎に作成され、しかもそれぞれの投票用紙の上に各政党の立候補者の氏名が、推薦順に印刷されています。

 抹消式投票の場合、名簿式投票用紙の上に記載されている上位記載候補者の名前が消されてしまっているので、その投票用紙に限って、投票者の推薦する候補者をトップ推薦者となることになります。しかし、ある候補者が政党によってトップ推薦者として推薦され、投票用紙のトップにその名前が記載されていても、多くの投票者によってその候補者の名前が投票用紙の上から抹消されてしまった場合、その候補者は当選人決定の際の当選人名簿からドロップアウトされてしまうことにもなりかねません。得票数の計算が終了した段階で、県行政府によって、各候補者の得票数が計算され、最終的に、各政党から提出されている推薦候補者の当選順位が決定されることになっているからです。

 折角、ある政党からトップ推薦者として推薦されている候補者が多くの選挙人によってノーといわれてしまってはその候補者をトップ推薦者として推薦した政党の面目もさることながら、その候補者を推薦した政党にとっても大きなマイナスであります。しかし、これまでそのことによって政党から推薦されている候補者の推薦順位に変更されたということはないということですが、裏を返せば、殆どその制度が利用されなかったということでもあります。なぜ利用されなかったかというと、その必要性がなかったからだということですが、考えてみた場合、投票者が、投票に際し、いちいち候補者の氏名を抹消して投票するという手数を嫌ったかもしれません。しかし、折角、比例代表選挙を活性化するために考えられた優先投票方式が誰にも使われないとなると何のための優先投票かということになりますし、またその必要性がないならやめてしまいという意見がでてこないとは限りません。それでは選挙の方式として、比例代表選挙を前提とする場合、優先投票方式の存在が不要かということになりますが、比例代表選挙のを継続する限り、選挙人の選択の自由と政党のノミネート権の乱用をチェックするため、何らかの形で、優先投票方式は残しておくべきだと思います。そのようなことから考え出されたのが今回の特別指名投票という積極的優先投票方式であったわけです。

 ここに特別指名投票とは、前にも述べたように、投票に際し、選挙人が投票用紙に記載されている候補者の中から、自分が一番に推薦したいと思っている候補者を選択し、その候補者名の前に置かれているチェック欄にチェックをして投票を行う方式です。この方式ですと選挙人がチェックした候補者がその投票用紙に関してはトップ推薦者とみなされ、その者の得票数計算が行われます。これまでの抹消式優先投票と異なって投票用紙の上から候補者の氏名が消えるということはありません。したがってその限りにおいて、政党のノミネート権が侵害されるということがありません。但し、特定の候補者に特別指名投票が集中した場合、他の候補者の当選順位に若干の変動が生ずることはあります。只、特別指名投票の場合、国会選挙の場合には、特定の候補者の取得した特別指名投票の得票数が、当該候補者が立候補している選挙区内で、所属政党が取得した総得票数の8パーセント以上を獲得していることが必要です。特別指名投票の得票数が8パーセントに満たない場合、特別指名投票の得票数の計算対象になりません。尚、県議会選挙の場合には、特定候補者の特別指名投票の得票数が5パーセント以上で、且つ100票以上、コミューン議会選挙の場合には5パーセント、50票以上となっています。

 スウェーデンの選挙における投票率が高いことはよく知られていることですが、一番少ないときでも86パーセント(1988年)、前回(1994年)の選挙では86.8パーセントとなっています。なぜスウェーデンの選挙の投票率がそんなに高いかというお話は、またの機会にしますが、それでも尚且つ、スウェーデン政府は投票率が低いと考えております。そこでその投票率を更に高めるために、これまでの抹消式優先投票を改めて、特別指名投票とという優先投票方式を導入したのですが、自分たちの責任を棚に上げて、投票に行かない者に罰金を課してまで投票率を上げようと考えているどこかの国に政治家とはかなりレベルが違うと思いませんか。それはともかくとして、抹消式投票に代わって新しく導入された特別指名投票方式が、今年の9月の第三日曜日に行われる総選挙にどのような成果をもたらすか、お楽しみというところです。

  わが国においても前回の衆議院選挙以来、衆参両議院の選挙に比例代表 方式が導入され、ようやく政党政治の実現に向かって一歩前進してきたように思われます。しかし、スウェーデンの比例代表選挙方式と比較してみた場合、わが国の選挙制度がどのような方向に進もうとしているのか必ずしも明確ではありませんが、まだかなり改善の余地があります。そのようなことから本セミナーでは比例代表選挙の先進国でありますスウェーデンの公職選挙法を取り上げてみました。尚、こうした形のホームページを使ってのセミナーは、はじめての試みですので、いろいろ問題があります。何かお気付きのことがありましたよろしくご教示のほどをお願い申しあげます。

(註1)スウェーデンでは、通常選挙の場合、国会、県議会、コミューン議会の選挙挙を含めて、4年目毎の9月の第三日曜日に、同時に行われることになっています。

      1998年4月7

                          以上  菱木昭八朗


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