2022.10.06 Thu
経済学部経済学部での学び

経済学部での学び【国際経済学科】カンボジアの「近代化」と社会変容

専修大学経済学部 稲田 十一

はじめに

 専修大学の経済学部の中に国際経済学科がある。国際経済学科は、国際経済学の基礎と応用をバランスよく学修しながら、世界各地域の経済・社会を学び国際比較の視点を持つとともに、貿易、金融、国際協力、労働力移動、地球環境、資源エネルギーに関する問題など、世界の多様な現実を学ぶ科目を設置している。

 従って、科目の内容も各教員の専門分野もいわゆる「経済学」だけでなく、世界各地域を学際的な視点から研究する地域研究者や、社会学や政治学を学問的な専門とする教員もいれば、政府や民間の研究所やシンクタンクで研究してきた経歴や国際機関での実務経験を持つ教員も少なくない。私自身も、もともとは政治学や社会学を学びつつ開発途上国や開発援助の問題を研究してきた研究者で、外務省系研究所、民間金融機関シンクタンクや世界銀行などでの政策研究にも従事してきた。
 こうした中で、国際経済学科は学生の語学力の向上にも力を入れ、将来的にグローバル社会で活躍する人材の育成を目指している。その一環として、学生に対し若いうちに海外の現実に触れてもらうことを支援しており、国際経済学科独自の「海外特別研修」や「NGO 論」、専修大学の海外留学制度など、海外の現地体験から学ぶ機会も数多く用意している。
 本稿では、私の担当科目である「海外特別研修」や「国際協力論」などでもよく取り上げる東南アジアのカンボジアについて、経済面だけでなく政治や社会の変化にも目を向けつつ、その経済社会の「近代化」について取り上げることにしたい。



1.カンボジアの「近代化」の歴史的位置づけ

 「近代化」のとらえ方には様々な解釈があり、良く知られた概念だけでも、経済的な観点から近代化をとらえる「経済発展段階論」(W.W.Rostou等)、民主社会への過程ととらえる「政治発展論」(S.Huntington等)、またその地域独自の社会発展に着目する「内発的発展論」(鶴見和子等)など、様々な見方がある。
 「近代化」は論者によって様々な意味づけがなされる概念であるが、開発論においては一般的に「前近代」の社会から産業化、資本主義化、民主化などの面での「近代社会」への移行のプロセスととらえられることが多い。これはある意味で西洋的な「近代化」の解釈であるとも言える。
 カンボジアは1975年以来の長い内戦の後、1993年にUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)のもとで選挙を実施して以来、新たな国づくりを進めて、人々の生活も大きな変化を経験してきた。この変化のプロセスをグローバル化の中での新たな「近代化」のプロセスととらえることができる。
 ただし、カンボジアの「近代化」はもう少し長い時間軸でとらえる必要があろう。カンボジアもこれまでの長い歴史の中で重層的な「近代化」の努力を行ってきており、大きな社会的変化を経験してきた。カンボジアは、アンコールワットに象徴されるクメール王朝の長い歴史を持ち、フランス植民地化およびそれに続く王国としての独立後の近代化の努力、1970年代のポル・ポト派による大虐殺に象徴される政治的混乱とヘンサムリン社会主義政権の樹立、そして1992年以降の新しい国づくりと近年の国際化の進展の中で、その社会は大きく変化してきた。
 パリ和平合意が締結された1991年から今日までのカンボジアの歴史をみると、次第に政治的安定を達成し、国際社会とのつながりの中で着実な経済発展をしてきた。
 カンボジアのGDP成長率の推移をみると、1994年以降着実な経済発展を遂げ、特に1999年以降2007年までは平均して年率10%程度の成長を達成してきた。2008年後半の国際金融危機後GDP成長率は鈍化したが、2010年には回復しその後も年率7%前後の成長率を達成している。農業生産の安定な伸び、縫製業の拡大、アンコールワットに代表される観光業の伸びなどが寄与している。
 また、一人あたりGDPの推移をみると、1998年までの一人あたり所得は年300ドル前後で停滞し世界の最貧国の一つであり続けたが、ASEANに加盟した1999年以降は、着実な発展を遂げてきた。2015年には世界銀行の分類による、「低所得国」から「低位中所得国」の水準を超え、2019年時点で1,269米ドルである。
図1.GDP成長率の推移
図1.GDP成長率の推移(注)カンボジア統計局データより筆者作成。単位:%
図2.一人あたりGDPの推移
図2.一人あたりGDPの推移(注)世界銀行データより筆者作成。単位:米ドル/年

2.民主化の後退

 他方、民主化や政治的自由については、1992年の国連暫定統治に続いて1993年以来5年毎に選挙が実施されるようになり、形式的には民主制度が導入された。カンボジアの政体と民主化度の推移を大まかに把握する代表的な指標として「Polity IVスコア」がある。図3はその過去30年の推移を示したものである。
 カンボジアのPolity IVスコアは、国連暫定統治の中で新たな国づくりに着手した1992年以降、急速に民主化し「1」の水準に達し、1997年の政変で一時的に落ち込んでいるが、1999年以降、ある程度改善された水準(+2:開放的アノクラシー[完全に民主主義でも独裁主義でもない中間的な政治体制])でほぼ横這いであった。しかし、2017年を境として急激に悪化し、2018年時点では「-5」(オートクラシー[Autocracy: 独裁政治・専制政治])とされている。
 2017年を境に急速に「独裁政治・専制政治」のレベルに落ち込んだのは、国民の支持を集めるようになっていた最大野党の救国党に対し、2017年11月に最高裁判所から解党命令を出させ、2018年7月の国政選挙で人民党が全議席を獲得する事態になったからである。
図3.カンボジアのPolity IVスコアの推移
図3.カンボジアのPolity IVスコアの推移(注)Polity IVスコア(Center for Systemic Peace, Country Report,各年版)より筆者作成。数値は-10から+10までで高いほど「民主的」。
図4.これまでの選挙における主要政党の獲得議席(議席総数123)
図4.これまでの選挙における主要政党の獲得議席(議席総数123)(注)公式結果をもとに筆者作成。救国党は前身のサム・ランシー党及び人権党の数値を合む。
 図4は、1993年以降の5年毎の議会選挙での主要政党の獲得議席数の推移を整理したものである。フンシンペック党は伝統的に国民の中に存在する国王の権威を背景に当初は大きな勢力であったが、その後政治権力の表舞台での影響力は減少した。それに代わって、社会主義的な近代化勢力である人民党の政治的影響力が増している。欧米的な近代化路線にも近い救国党などの勢力は、カンボジアが経済発展を遂げグローバル経済とのつながりを深めるにつれて勢力を増してきたが、2017年の解党命令で、いったんその勢いは途切れてしまった。


3.カンボジアの人々の「幸福度」の変化

 一方、開発論を中心に近年「幸福度」についての関心と研究が進んでいる。きっかけはブータンが「Gross National Happiness Index (GNH)」として、心理的ウェルビーイング、健康、教育、時間使用、文化的多様性とレジリエンス、良き統治、コミュニティの活力、生態系の多様性とレジリエンスなどの指標を提示し生活の質についての新たな定義を主張したことである。近年では、World Happiness Report (WHR) が2012年から「世界幸福度(World Happiness Index:WHI)」の指標の刊行を開始した。これは、国連の「UN Sustainable Development Solutions Network」が著名な経済学者であるジェフリー・サックスなどの助力を受けてとりまとめているものであり、一人当たりGDPのほか、社会的サポート、健康寿命、人生の選択をする上での自由度、社会貢献、汚職に対する意識の有用性などの評価数値をもとに総合点を計算している。
図5.世界幸福度(WHI)の比較と推移
図5.世界幸福度(WHI)の比較と推移(注)World Happiness Index (WHI)各年版 より筆者計算・作成。
 図5はカンボジアを含む東南アジアと日本の「世界幸福度(WHI)」 の変化を示した統計である。WHRの幸福度指数の計算によると、カンボジアのWHIは他の東南アジア諸国と比べてまだ低いが、2016年から2018年の間に他の東南アジアの国がフィリピンを除いて停滞しているのに対し、カンボジアの幸福度の数値は2005年から2018年までかなりの改善を示している。
 カンボジアで実施した現地住民に対するアンケート調査の結果を見ても、住民の生活環境は過去10年間改善されており、農村においてもわずか5年間の間にかなりの変化がみられることがわかった(参考文献の『社会調査からみる途上国開発-アジア6カ国の社会変容の実像』第1章を参照)。こうした変化はカンボジアの人々の「幸福度」認識の向上にもつながっているようである。
 第1節でみたように、カンボジアの人々の生活水準は着実に向上している。開発度を測る最も典型的な指標である一人当たり所得水準をみても、開発度を測るもう一つの測定基準である人間開発指数をみても、過去30年間に着実に向上をみせている。そうした生活水準の向上と将来に対する明るい期待がカンボジアの人々の「幸福度」の向上にもつながっていると考えられる。
 第2節で指摘した政治的自由の制約は、カンボジアの人々の幸福度にどのような影響を与えるのか、現時点では定かではない。図5に見られるように、2020-2021年の幸福度は人民党の一党支配下ではあるが引き続き上昇している。「生活環境の改善」がなされることが幸福度にとって最重要な要素なのか、あるいは、政治的自由を含む「生活選択の自由」も幸福度の軽視し得ない大きな要素なのか、今後も注視していく必要があろう。


おわりにー日本の近代化との比較の視点

 最後に、カンボジアの「近代化」と社会変容を考える際に、日本の「近代化」に伴う社会変容の歴史との比較の視点を追記しておきたい。
 日本自身、19世紀後半の幕末の混乱期と明治維新をへて20世紀初頭にかけて急速な(西洋的)近代化と社会変容を経験してきた。日本も米作を中心とする農村社会と武士を中心とする階層社会が基盤にあったが、西洋的近代化とともに社会の大きな変容を経験した。その様子は、例えば島崎藤村の「夜明け前」という小説でもその変化と課題が描かれている。
 20世紀初頭の国際経済は、実は経済のグローバル化が急速に進んだ時代であったと言われている。GDPに占める貿易(輸出入)額の比率は欧米諸国間だけでなく世界全体の統計で50%を超えていたとされるし、当時の日本もそうしたグローバル経済の波の中で、生糸や織物等の生産・輸出を拡大し工場労働者層が拡大し社会運動や市民意識も台頭してきた。
 1970年代から1990年代初頭にカンボジアが経験した社会変化は、日本の幕末から明治維新に相当すると見ることができる。カンボジアが1990年代以来経験している社会変化は、日本が20世紀に経験した社会変化に類似している。過去30年のカンボジアの近代化は、日本の幕末から20世紀の100年以上に及ぶ近代化過程を5倍くらいのスピードで経験しているようなものだといえるのではないか。
 日本もカンボジアも、その近代化過程は「内発的」というよりはグローバル経済の巨大な波に飲み込まれる中での急速な社会変容のプロセスであった。日本社会もまだまだ伝統的な農村社会の要素を強く残しながらも、急速な西欧的近代化を遂げてきた。その過程では戦争の混乱もあったし、米国による占領下での「上(外)からの近代化」の圧力も経験した。カンボジアも、依然として色濃く農村社会の性格を残しながらも、グローバル経済の波の中で急速な社会変容を経験している。急速な経済発展による社会のひずみや政治的な混乱も、今まさに直面している最中である。
 こうしたカンボジアの社会が経験している急速な近代化の社会変容を中長期的な視点で冷静にとらえつつ、すでに近代化を遂げた先進国である日本として、どのような支援や関与の仕方が良いのか、あらためて考えを深めていきたい。


[参考文献]

天川直子編『カンボジア新時代』日本貿易振興会アジア経済研究所、2004年。
稲田十一「カンボジアにおける近代化と社会関係資本の変容(専修大学『社会関係資本研究』),2013年。
稲田十一『社会調査からみる途上国開発-アジア6カ国の社会変容の実像』明石書店,2017年。(第1章、19-54頁)
島崎藤村『夜明け前』新潮文庫(第1部・第2部)、1955-56年(原作1929-1935年)。
廣畑信雄・福代和宏・初鹿野直美『新・カンボジア経済入門-高度経済成長とグローバル化』日本評論社、2016年。
福島清介『新生カンボジアの展望-クメール・ルージュの虐殺から大メコン圏共存協力の時代へ』日本国際問題研究所、2006年。