2021.10.15 Fri
CALL教室・外国語教育研究室TOPICS

外国語のススメ【第113回】機械翻訳で語学不要?

                                                                         国際コミュニケーション学部准教授 八島 純 
(言語学〈統語論・意味論〉)
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 AIのディープラーニング技術により、機械翻訳は昨今目覚ましい進歩を見せている。少し前までの機械翻訳ならば、笑いを誘うほどの不自然でぎこちない訳文ができ上がったものだが、最近では一読するだけでは機械翻訳と気づかないほど精度の高い自然な訳文が得られる。
 ここまで実用性が高くなると、「機械翻訳があれば外国語の学習はいらなくなるのでは?」と思う人も出てくるだろう。実際そういう質問をよく受けるが、私の答えは「ノー」である。
 たとえば、電卓は半世紀以上前に実用化されているが、だからと言って四則演算が学校教育からなくなっていないことからも分かるように、「技術で可能」=「学習不要」という等式は必ずしも成立しない。     
 さらに言えば、機械翻訳の精度が高くなる方が、かえって高度な外国語能力を身につける必要性が出てくるとも考えられる。電卓は入力自体を誤らなければ計算結果を一応鵜呑みにすることができるが、機械翻訳の方は精度が著しく向上したとはいえ限界がある。一番厄介な点は、訳文が完璧に近い自然な文であればあるほど、その中に誤りが含まれていた場合に看過してしまう可能性が高くなってしまうということだ。
 先日私が実際に機械翻訳を使用した時のエピソードだが、“… decreased by a third.”という英文を機械翻訳で日本語に訳したところ、「…が3分の1に減少した」という訳文が提示された。高校卒業レベルの英語力を身につけた者であれば、原文の前置詞byは「差異」を表すことは承知だろう。つまり、ここは「…が3分の1に減少した」ではなく、「…が3分の1減少した」と訳すべきである。「3分の1に減少する」と「3分の1減少する」はいずれも日本語としては文法的に適格な文だが、意味するところは大きく異なる。こうした誤りは翻訳結果だけを見てもなかなか気づくことができないし、その誤りに気づくためには原文を正確に理解できるだけの語学力が必要となる。
 機械翻訳は非常に手軽で便利であり、それをひとつのツールとして使用すること自体は全く問題がない。ただし機械翻訳によって得られる結果が完璧だと過信するのは禁物である。最後に物を言うのは、やはり己の語学力だ。