2021.07.21 Wed
CALL教室・外国語教育研究室TOPICS
外国語のススメ【第112回】ベトナム留学のススメ
商学部教授 池部 亮
(国際分業と貿易・グローバルビジネスとトレード)
大学を卒業して日本の政府機関に勤めていた24歳の私は、上司からベトナム留学を勧められた。「ハノイ」を「ハワイ」と聞き間違えたほど、唐突な留学の話であったものの、二つ返事で引き受けたのだから動揺よりも期待で胸を膨らませていたのであろう。アジア最後のフロンティアとして日本の経済界も大いにベトナムに注目し始めた頃であった。ベトナムでの暮らしは日本で生まれ育った私にとって何もかも異質であり、驚きと発見の毎日であった。ベトナム語には六つの声調がある。声調というのはアクセントであり、日本語で雨と飴はどちらも「アメ」であるが、無意識のうちにアクセントを変えて私たちは語彙を使い分けている。つまり、ベトナム語でアメと発音する場合、六つの異なる語彙が存在するのである。さらに母音は10種ある。「アメ」を構成する「a」は3種類、「e」は2種類ある。理論上、ベトナム語の「アメ」は30種類の異なる意味をもつのだから、この言語が難解だと言われる所以である。
食べる、寝る、走るなどの生活基本用語はサンスクリット系の話し言葉として古くから話されてきた言葉であり、日本語でいうところの大和言葉である。そこへ、北の大国、中国から有史以来、文明とともに漢字が伝播した。ベトナム語の語彙の7割は漢字由来の語彙である。ただ、漢字は使わず全てアルファベット表記(表音文字化)となってしまった。
ベトナム語は発音が難しいとはいえ、基本的な声調ばかりを教室で練習していても上達しない。留学中の私は昼から町へと繰り出し、食堂やカフェで市井のベトナム人と会話をすることが重要な学習時間であった。ベトナム語は疑似家族関係の人称代名詞を使う。二人称は、相手の性別はもちろん、自分との年齢差で変化する。自分からみて相手が弟なのか、兄、叔父、伯父なのかということである。この年齢差による人称代名詞を確定できないと、ずうっと「私」と「あなた」であり続けるので、親しくなれないのである。このためベトナム人は初対面でも「あなた今年何歳になる?」と聞くことが多い。
一般の人たちに食堂やカフェで肩がぶつかる程の近さで囲まれて、矢継ぎ早の質問に答え、持ちうる言語知識を総動員してへとへとになるまで話し尽くす行為を繰り返し、言語というものは身につき骨となる。今でも当時の何気ない会話で覚えた単語が、無意識にポンッと出てくることがある。覚えた記憶のない単語が自分に内在していることに気づき、言語学習の不思議さを思うのである。

