2021.03.30 Tue
歴史コラム専大生と専修人

堀之内松十郎関係資料

堀之内松十郎hp(『堀之内翁の遺稿と略伝』)堀之内松十郎(『堀之内翁の遺稿と略伝』)
「堀之内松十郎関係資料」とは、明治25年(1892)に専修学校(専修大学の前身)理財科を卒業した堀之内松十郎家の実家(大分県中津市)に残されていた資料群のことです。堀之内は明治2年、現在の宇佐市に生まれました。専修学校卒業後は九州において在野法曹として活躍した人物です。弁護士活動だけでなく、大分県議、中津町長などの要職に就いたほか、中津商業学校(現・大分県立中津商業高等学校)の設立にも携わるなど、地域の発展にも尽力しました。
法律家であっても経済問題を解釈できる能力が必要である、堀之内は後年そう述べています。理財科出身の弁護士・堀之内ならではの言葉ですが、この考え方こそ法律科・経済科を併設して誕生させた創立者たちの思いを代弁していると言えるでしょう。その点で堀之内はまさに明治期の専修学校の教えを受け継いだ人物と言うことができます。
堀之内松十郎関係資料には専修学校時代の卒業写真、創立者の一人・田尻稲次郎の書のほか、日記や書簡、書籍、弁護士時代に着用した法服や法冠などが収められています。
こうした資料群は専修学校生徒の足跡や考え方などを明らかにしてくれますが、震災や戦災による被害もあり専修大学には、明治期の資料はあまり残っていません。その意味では堀之内松十郎関係資料のように卒業生の実家からこのような資料が出てきたことには大きな意味があります。
明治・大正期の専大生の多くは堀之内と同じく地方出身者でした。つまり今後も卒業生に関する資料群が地方から発見される可能性が残されているということです。
資料の存在なしに大学の歴史を振り返ることはできません。もし心当たりのある方がいらっしゃればご一報を願う次第です。
法服と法冠hp堀之内が弁護士時代に着用したと思われる法服と法冠
書簡群hp堀之内家に残されていた膨大な書簡類の一部