2021.03.30 Tue
歴史コラム専大を築いた人々

母校出身の初代総長・今村力三郎

今村力三郎hp卒業生として初めて総長に就任した今村力三郎
戦後の混乱が続く昭和21年(1946)11月、専修大学卒業生として初めて総長の座に就いたのが今村力三郎です。この年、4月には本格的に授業が再開され、戦後の教育改革により専修大学にも初めての女子学生が入学、さらに5月には戦後初めての新入生が入学するなど、専修大学は戦後の新たなスタートを切ったかに見えました。
しかしその一方で、教員の質の確保、施設の改善などを求める学生たちの学園改革運動は高まりを見せ、その要求のなかには時の総長・小泉嘉章の退陣がありました。結局、小泉はこうした事態の責任を取る形で辞任しますが、その後任として学生・教職員・卒業生たちが担ぎ出したのが、人権派弁護士として数々の大事件を手掛け、活躍していた今村だったのです。
今村が大学経営に携わるようになったのは、大正期、阪谷芳郎が二代総長に就任してからです。阪谷は理事や監事に校友の就任を求めたこともあり、この時、今村をはじめ、広く社会で活躍していた初期の卒業生が役員となります。卒業生が経営に関与することで母校を支えるというスタイルはこの時にできあがります。
多くの期待を一身に背負って総長となった今村は、その声に応えるように学校改革に乗り出します。まず経済学部・法学部の教授陣の充実を図り、戦時中に空襲で亡くなった学生たちのための慰霊祭も実施します。さらには教育と経営体制を整えるために、総長のもとに学長を、法人組織には専務理事を設けます。極めつけは財政難を少しでも補おうと自宅を売却し、そのほとんどを大学に寄付したのです。今村自身は高齢にもかかわらず、校舎の一室に居を構え、亡くなるまで総長として伊豆にあった別荘と大学を行き来しました。戦後、専修大学が様々な危機を乗り越え、今があるのは今村の尽力があったからと言っても過言ではないでしょう。
卒業証書hp今村の卒業証、専修学校(専修大学の前身)を首席で卒業した
大学葬hp今村の死後、大学で営まれた大学葬(昭和29年)