2021.03.30 Tue
歴史コラム専大生と専修人

専大初のオリンピアン‐矢澤正雄と中野千代人‐

昭和11年10月、ベルリン・オリンピックから帰国した中野千代人、矢沢正雄選手らを迎え上野精養軒で開かれた帰国歓迎会(『専修大学体育会50年史・人国記』より転載)hpベルリンオリンピックから帰国した矢澤・中野両選手を迎え上野精養軒で開催された帰国歓迎会(昭和11年10月、『専修大学体育会50年史』)
令和2年(2020)7月24日から第32回オリンピック競技大会(「東京2020」)は始まる予定でしたが延期となってしまいました。残念ではありますが、今回は東京2020応援企画として、専修大学から初めてオリンピックに出場した二人の校友をご紹介します。
一人目は矢澤正雄です。矢澤は、専修大学が箱根駅伝において初優勝を飾った第20回大会(昭和14年)の主将を務めた人物で、昭和10年(1936)の日本陸上競技選手権大会200mにて優勝。さらに昭和12年の同大会100mと200mで優勝しています。
もう一人はボクシングの中野千代人。矢澤と同様、戦前期の専大スポーツをけん引した人物で、昭和9年と同11年の全日本ボクシング選手権のフライ級で優勝を飾っています。この二人がともに在学中に出場したのが1936年、ドイツのベルリンで開催された第11回オリンピック競技大会でした。
日本人が初めてオリンピックに出場したのは、1912年の第5回ストックホルム大会で、以後、次々と日本人オリンピアンが誕生します。その多くは矢澤や中野のような大学生で、この時期、日本のスポーツ界を席巻していたのは、大学の体育会だったのです。専修大学もその一翼を担っていました。
オリンピアンの輩出は、専修大学にとっても悲願でした。開催半年前の昭和11年1月には、オリンピックに選手を派遣する基金募集のためのボクシングとレスリングの公開試合を愛知県豊橋市で開催しています。当然、中野も出場しており、全学挙げての応援体制を敷いていたことがわかります。彼らのオリンピックでの結果を紹介すると、矢澤は200mと400mリレーに出場するもともに失格。中野はフライ級に出場するも2回戦敗退と、残念ながらメダルには届きませんでしたが、それ以降の専大オリンピアンの道をつくったのは間違いなく彼ら二人だったのです。
日本陸上競技選手権大会での矢澤正雄hp日本陸上競技選手権大会での矢澤正雄選手
中野千代人hp専修大学で開催された関東選手権にて(前列左から二番目が中野千代人選手)