2021.03.30 Tue
歴史コラム専大を築いた人々
創立者・田尻稲次郎
創立者・田尻稲次郎専修大学の創立者の一人・田尻稲次郎は薩摩藩士・田尻次兵衛の三男として嘉永3年(1850)6月29日、京都の薩摩藩邸で生まれました。当初、田尻稲次郎は海兵を志し、薩摩藩開成所に入所。その後、上京し、慶応義塾のほか海軍兵学寮、大学南校(東京大学の前身)などで英語や法律学を学びました。
明治4年(1871)、田尻稲次郎は政府の命により刑部省の一員としてアメリカに留学します。途中、留学生への援助が打ち切られたため、地元の篤志家からの援助のもと勉強を続け、明治7年にイェール大学に入学。明治11年にはイェール大学の大学院に進み、経済学を学びました。この留学中に知り合った仲間たちと帰国後の明治13年に設立したのが専修学校(専修大学の前身)です。
田尻稲次郎は専修学校のほか、現在の東京大学や一橋大学でも教鞭を執り、多くの学生たちに経済学を講じる一方で、大蔵省に出仕。銀行局長、主税局長、大蔵次官などを歴任し、時の大蔵大臣・大隈重信や松方正義らを補佐して近代的な財政・金融制度の確立に尽力しました。
明治21年、29名の学者に対し、日本で初めて学位が授与されました。この時、経済学系の学者として唯一、法学博士を授与されたのが田尻稲次郎です。大正7年(1918)には、67歳で東京市長に就任。築港、上下水道、衛生事業などを推し進め、東京の近代的都市づくりをめざしました。大正12年8月15日に惜しまれつつ逝去。享年73歳でした。子爵。
明治4年(1871)、田尻稲次郎は政府の命により刑部省の一員としてアメリカに留学します。途中、留学生への援助が打ち切られたため、地元の篤志家からの援助のもと勉強を続け、明治7年にイェール大学に入学。明治11年にはイェール大学の大学院に進み、経済学を学びました。この留学中に知り合った仲間たちと帰国後の明治13年に設立したのが専修学校(専修大学の前身)です。
田尻稲次郎は専修学校のほか、現在の東京大学や一橋大学でも教鞭を執り、多くの学生たちに経済学を講じる一方で、大蔵省に出仕。銀行局長、主税局長、大蔵次官などを歴任し、時の大蔵大臣・大隈重信や松方正義らを補佐して近代的な財政・金融制度の確立に尽力しました。
明治21年、29名の学者に対し、日本で初めて学位が授与されました。この時、経済学系の学者として唯一、法学博士を授与されたのが田尻稲次郎です。大正7年(1918)には、67歳で東京市長に就任。築港、上下水道、衛生事業などを推し進め、東京の近代的都市づくりをめざしました。大正12年8月15日に惜しまれつつ逝去。享年73歳でした。子爵。
田尻稲次郎の講義風景
田尻稲次郎東京市長の絵葉書