2020.10.23 Fri
ONLINETOPICS

「学長伝書鳩」No.9
~学者の矜持について~

no9
もう35年以上も前のことであるが、私は、「会計史」を専攻分野とする研究助手として本学商学部に奉職した。1年ほど経ったある日のこと、学内紀要に投稿した論文について、同じ会計学系列の先輩教授から、叱責とも、罵倒ともつかぬ激しい言葉をもって批判されたことがある。ざっと次のような意味のことを言われたように記憶している。

「こんな内容もない論文を書くなんて、紙の無駄遣いだ。会計史という分野の存在意義はあるのか。必要とされない研究はしないほうがよい。」

今日であれば、明らかに「アカハラ」・「パワハラ」ということで、大問題となるかもしれないが、その当時、私は、まだ研究者の駆け出しの立場でもあり、内心、驚きと悔しさで、その場は黙って聞き流すほか、道はなかった。それから、しばらく時間が経って、私は、少し冷静な心で、その論文を恐る恐る見直してみた。なぜ、あんな言葉を投げかけられたのか、自分のなかで気持ちを整理しようとしていたのかもしれない。
佐々木学長02(伝書鳩用)
そのときに思ったことは、その論文の要となる主要な歴史的資料が、いわゆる「二次史料」と言って、すでに先行研究で紹介されていたものの借用ばかりであり、しかもその解釈も引用だらけで、自分自身の分析も内容的に乏しく、史料理解の程度も浅薄なものではなかったかというものであった。そして、あのときに浴びせられた厳しい言葉は、未熟な研究者である自分への叱咤激励なのだと思い直すことによって、憂鬱だった気持ちが薄まるようであった。そして、時間はかかるかもしれないが、国際標準と言えるレベルに届くような研究を目指して頑張ろうという決心もついた。その時の気持ちを忘れずに、今年、齢65歳となるまで、「会計史」という分野の研究、そして教育を続けてこられたのは、この上ない喜びである。また自分の研究について批判をうけるにしても、その理由や根拠が具体的に告げられることは、研究者の端くれとしての私の成長には欠かせないことであったと今は思っている。

先般、日本学術会議の新会員の推薦と任命が行われたが、推薦された105名のメンバーの内、6名の研究者の任命は見送られた。当初、6名が任命されなかった理由は明らかにされなかったが、後に、首相から「総合的、俯瞰的な観点」から任命しないことを判断した旨が告げられた。この文言は、内閣府の「総合科学技術会議」のもとに設けられた「日本学術会議の在り方に関する専門調査会」が検討し、平成15年2月26日に同会議が発行した「日本学術会議の在り方について」や、それに基づいて「日本学術会議の新たな展望を考える有識者会議」が取りまとめた報告書「日本学術会議の今後の展望について」(平成27年3月20日)のなかで見いだされる。そこにおいて、この「俯瞰」は、日本学術会議の役割や会員に期待される視点として述べられているようにみえる。しかし、この用語のみをもって、任命されない理由を理解せよというのは、上記の報告書を読めばわかると言われているようではあるものの、国民の目からみても難解で、結果として説明不足の感を否めない。

私が仮に、6名の研究者の立場にあったとすれば、わかりやすい理由も告げられず、日本を代表する研究者組織への加入を拒否された時点で、あたかもこれまで自分が地道に積み重ねてきた研究自体を全否定されたようにも感じられ、大きなショックを受けるであろう。研究者にとってこれほど悲しいことはない。今回の任命に関する行為が学問の自由や独立を毀損する意図を持つものではないとするならば、それを証明するためにも、任命しない理由を明示することが、学者の矜持にもかなうと信じるものである。