2015.10.01 Thu
CALL教室・外国語教育研究室TOPICS
外国語のススメ【第59回】意訳? 異訳?
文学部准教授 大久保 譲(英語担当)
翻訳というのは、原文の意味を理解し、対応する別の言語に置き換えることである。文学作品を翻訳する場合も基本的には同じことなのだが、ときには意味を移し替えるだけではすまない場合もある。
フランスにウリポ(Oulipo、「ポテンシャル文学工房」の略)という作家グループがあり、実験的な作品を次々に生み出している。代表的な作家の一人がジョルジュ・ペレック(1936-82)で、彼の最も有名な小説がLa Disparition(1969)だ。タイトルは「消失」くらいの意味で、この長編の中からはフランス語でもっとも頻繁に使用される文字であるeが消失し、ひとつも使われていない。特定の文字を使わないこうした技法をリポグラムという。
さて、このリポグラム小説を他の言語に翻訳するとどうなるか。作家ギルバート・アデアが手がけた英訳版(1994)も、やはりeを用いないで全編を通している。アデアは題名をフランス語の直訳ではなくA Voidとした。文字eがない「空虚(a void)」と、eの文字を「避ける(avoid)」という二つの意味をかけた、洒落たタイトルである。
これを日本語に翻訳する場合はさらに厄介だ。アルファベットのeが存在しないからだ。そこで日本語版(『煙滅』2010)の訳者塩塚秀一郎は、「い段」の仮名(いきしちにひみりゐ)と、それを含む熟語を使わずに日本語にする、という方法を選んだ。原文のリポグラムを日本語で再現することを選んだのだが、もちろんこれは、eを用いないというフランス語の原文「そのまま」ではない。果たしてこれは意訳なのだろうか。むしろ異なるヴァージョンを提示した「異訳」というべきではないか。いや、そもそも「い段」を用いていないのだから、「意訳」でも「異訳」でもなく、単なる「訳」なのかもしれない。
ちなみに、ペレックのアイデアに触発されたのか、日本の小説家筒井康隆は『残像に口紅を』(1989)という長編を書いた。ここでは「あ」から始まる五十音の文字が徐々に使われなくなっていき、最後にはすべての文字が消えてしまうという趣向がこらされる。たとえば「あ」が消えれば、物語にはもう「愛」も「赤」も登場しない。(最後まで残る一文字はなんだと思いますか?)この小説を他の言語に翻訳するとしたら、どんな工夫が凝らされることだろう。