2016.06.29 Wed
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矢野建一学長お別れの会 - 会場風景、弔辞等を掲載

4月25日に67歳で急逝した矢野建一学長の「お別れの会」(学校法人専修大学主催)が6月25日、東京都千代田区「ホテルグランドパレス」で開催され、大学関係者や友人、教え子ら約1000人が参列、教育者、研究者として専修大学の発展に力を尽くしてきた矢野学長との別れを惜しんだ。
祭壇には矢野学長の研究室での穏やかな表情の遺影が掲げられ、参列者が白いカーネーションを献花した。会場には矢野学長の在りし日の写真や研究業績が展示され、スライド画像や最後の授業となった「専修大学史」(4月18日)での音声が流れた。
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日高義博理事長、馬塲杉夫学長代行が弔辞を述べ、荒木敏夫文学部教授があいさつを行った。
日高理事長は「温和で学問に対する真摯な取り組みは最後まで変わらなかった。人望が厚く、母校の発展に誠心誠意尽力され、大学改革に取り組んできた」と悼んだ。
長野県高遠高時代の学友の発声で献杯。参加者は思い出を語り合った。最後にご遺族が謝辞を述べた。
矢野学長は文学部長(2006年~10年)を経て2013年から学長として専修大学を率いた。文学部長時代には文学部の改組、人間科学部新設の礎を築いた。学長に就任してからは神田靖国通り沿い新校地に展開する新学部・学科構想の骨子をまとめるなど大学改革に力を入れてきた。
「お別れの会」に先立ち、矢野学長に専修大学から名誉教授の称号が授与された。

日高理事長弔辞  馬塲学長代行弔辞  荒木教授挨拶
abm00010741▲会場に設置された献花台
abm00010740▲参列者が白いカーネーションを献花
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abm00010737▲スライド画像や最後の授業の音声が流れた
abm00010736▲在りし日の写真や研究業績が展示された
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abm00010732▲会に先立ち、名誉教授の称号が授与された

日高理事長弔辞 -大学発展・改革に尽力-

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矢野さんとの別れがかくも早くくるとは、思いもしませんでした。突然の訃報だっただけに、今もなお矢野さんが笑顔で訪ねてくるような気がしてなりません。思えば矢野さんとの出会いは、矢野さんが専修大学の非常勤講師を務めていた頃でした。今は亡き畏友の渡部光さんが、専修大学のOBに素晴らしい歴史の研究者がいると言って引き合わせてくれたのがきっかけでした。
文学部は、私が専修大学に入学した昭和41年にスタートしましたが、法学部の学生であった私は、文学部の学生とはあまり交流がありませんでした。当時、生田4号館の脇の坂道には列をなした八重桜の植栽があり、文学部というとなぜか華やかな八重桜の花を思い出します。文学部の3期生である矢野さんは、ほぼ同じキャンパス風景の中で学生生活を過ごしたのだと思うと、会うのが楽しみだったことを昨日のように思い出します。
矢野さんの温和な語り口と学問に対する真摯な態度は、初対面の時から最期まで変わりのないものでした。30年近い付き合いでしたが、友情と信義の下に結ばれ、共に母校の発展のため、大学改革に取り組んできました。文学部の改組、人間科学部の新設などは、矢野さんの熱意の成せる技であり、文学部長としての責務とは言え、大変な奮闘でした。
大学改革が山場を迎えるに際し、私は、人望の厚い矢野さんであれば大学間競争の荒波を乗り越えることができるという確信のもとに、矢野さんに学長職を託しました。矢野さんは、第16代学長としてキャンパス構想を練り直し、商学部の神田移設、国際系学部の新設など諸々の改革案をまとめることに尽力し、学校法人としての成案を得た矢先、帰らぬ人となってしまいました。
厳しい大学間競争の中で、共に大学改革に取り組んできた朋友を失った悲しみは深く、喜びを分かち合い、酒を酌み交わした後輩が先立ってしまったことの空しさは、諸行無常という言葉でもってしても埋めがたいものがあります。されど、創立140周年に向けたキャンパス整備、そして山場を迎えた大学改革を成し遂げなければ、創立者たちの高等教育にかけた思いを次の世代に繋げることができません。矢野さんの思いも同じだと、今は感じます。
大学改革に思いを残し、先立った矢野さんの御霊の安らかならんことを祈ります。矢野さんがこれまで母校専修大学の発展のために誠心誠意尽力されたことは、大学の歴史に深く刻まれることになりましょう。天空より、今後の専修大学の発展を見守ってください。難局の大学行政に尽力されたことに深甚なる謝意を表し、最後のお別れを申し上げます。

合掌

平成28年6月25日
学校法人専修大学理事長 日高 義博

馬塲学長代行弔辞 - 優しい眼差し忘れない -

本来であれば私より近しく、相応しい方がお話しをするべきところですが、役目柄、私より最後のご挨拶をさせていただきます。矢野先生との関係は、学長と経営学部長として、学内外の課題に取り組んだことがきっかけでした。細い眼差しの中から、優しい言葉をかけていただき、しっかりと支えていただいたことを忘れません。「もう少し矢野先生のことを知りたい」、そんな思いから、この夏は先生の故郷・伊那に息子とキャンプに行こうと思っております。
さて、最後に先生へ3つ、お伝えしたいことがございます。
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2つめに、お詫びを申し上げなければなりません。学部長として、本来学長をしっかり支えなければならない立場であったにもかかわらず、つい甘えてしまいました。矢野先生は学長としてそのことをしっかりと受け止めてくださいましたが、私たちは甘えすぎていたと、いま痛切に感じております。矢野先生を時として孤独に追いやり、学部の自我を要求してしまったような気がしてなりません。申し訳ありません。
最後に、先生はさぞ無念の中、最期を迎えられたのではないかと思っております。学長代行として先生が残されたいくつかの業務に取り組んでいるうちに、「矢野先生だったらどうなさるであろうか」と、多くのことを考えました。しかし、ご安心ください。これからやらなければならないことが簡単ではないことを、ここにいる全ての人たちが分かっております。全員がしっかりと前を向き、専修大学の未来を切り拓いてまいります。商学部の神田移転、新学部の設置、生田キャンパスの整備、そしておそらく創立150年の頃に実現する神田1・2・3号館の建替え、その後も160年、180年、200年と専修大学は存続します。矢野先生が仰っていたように、本学の教員、職員の皆さまは、大変優秀な方たちばかりでございます。皆が未来を考え、自分で判断し、先生が不安に思っていたことを必ずやしっかりとした形で成し遂げてまいります。どうか安らかに、穏やかにお休みください。
教員を代表し、私からの弔辞とさせていただきます。
専修大学長代行 馬塲杉夫

荒木教授挨拶 - 二人三脚で歩んできた -

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矢野さん、貴方とは30年の付き合いですね。貴方への弔辞をいろいろと考えてみましたが、今日は、友人として貴方と親交を深めることができるようになった偶然と必然の混ざり合った前史を語ることで、弔辞とすることを赦してください。
一 貴方は、1968年4月、専修大学文学部人文学科II類史学コースの3期生として入学し、中世史の松本新八郎先生のゼミナールで学び、そこで交友関係が今も続く多くの友人を得、1972年3月に卒業しています。
当時、本学大学院には歴史学専攻がなかったため、学びの場を求めて立教大学大学院文学研究科に進学し、そこでも良き師良き友を得て、新たな飛躍を目指していたのでしょう―そう!後に、貴方の伴侶となられる芳子さんとも出会ったのも立教大学大学院でしたよね・・・。
立教大学大学院で、神仏習合・神宮寺・東国社会等々をキーワードとして精力的に研究をすすめていた貴方の名を古代史学界に轟かせたのが1977年6月の研究誌『地方史研究』(147号)に掲載された論文「多度神宮寺伽藍縁起并資財帳」の史料的特質」です。
当時、神仏習合を物語る史料として著名であった三重県多度町に所在する多度大社所蔵の史料を調査し、史料に加えられていた加筆、改ざんの子細を明らかにしたこの論文は、可能な限り史料原本や写本にあたり、先学の指摘を吟味する歴史研究の基本を忠実に実行したもので、史料調査の醍醐味が伝わるだけでなく、貴方の研究の信頼性を深めたものであったと思います。
二 その後の貴方の研究活動や業績の生み出された年次に着目すると、1986年という年が、研究者としての貴方にとってとても重要な年であることが、分かってきます。
貴方は、1986年度から88年度までの2年間、菊地康明先生を代表とする文部省科研の総合研究「日本古代の律令神祇祭祀の成立過程と構造の研究」に参画され、調査・研究だけでなく会の事務局を担って奮闘された経験をされました。
科研総合研究の実質的な舵取りを担っておそらく相当の苦労もしたであろう事が推測できますが、貴方は、そうした状況であるにも関わらず、1986年5月に行われた歴史学研究会大会の古代史部会の報告者となって「律令国家の祭祀と天皇」と題する研究報告を行っています。
この報告は、貴方がこれまで研鑽を積んできた研究成果を盛り込みながらテーマに即した研究課題を示し、その解答を提示するものでした。報告の依頼を受けて、引き受けるには、相当の覚悟・決意があったものと推測します。
こうした歴史を経て、貴方は、1992年4月、専修大学文学部助教授として赴任することになりました。
貴方は知っていると思います。貴方が入学した1968年5月、文学部人文学科史学コースは、学会誌『専修史学』創刊号を発刊しています。創刊号の「編集後記」を書かれた土井正興先生は、「専修史学が日本の歴史学の進歩に一定の役割を果たすであろうし、これからも果たしつづけるだろうことは、自信をもっていえることができる」とした上で、「近い将来、この歴史学会で育った若い諸君の力作が、この誌面をかざることを期待したい」旨を記しています。
新設間もない文学部、人文学科、史学コースの学生らに向かってこうした熱いエールをコースの先生方は、送っていました。
貴方は、こうした期待に応えてくれた学生の一人です。「編集後記」の一文をつい最近知った私は、貴方を史学コースの教員として迎えることのできたことを知った土井先生がニコニコ顔で喜んでいたことを思い出しました。
奇しくも今年は、文学部が創設されて50年という記念すべき年です。その年に、学生に向かって「社会で羽ばたけ」と語らねばならない学長の貴方が、亡くなってしまった。とても残念です。貴方とは二人三脚で多くのことをしてきましたが、ここで二人三脚の紐は解かざるを得ません。
矢野さん、ありがとう。さようなら。どうか安らかにお眠りください。
2016年 6月25日
友人代表 荒木敏夫

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平成28年6月27日掲載
平成28年6月29日更新