2017.05.10 Wed
CALL教室・外国語教育研究室TOPICS
外国語のススメ【第74回】ドイツ連邦共和国基本法第1条第1項
外国語教育研究室長・経済学部教授 寺尾 格(ドイツ語担当)
憲法に注目が向けられている。国の政府に対して憲法違反の論議が湧き起こるとは、一種の異常事態だろう。ヒトラー独裁による悲惨な記憶を意識した戦後のドイツ連邦共和国憲法は、特に第1条第1項の冒頭部分が、例えば難民問題などの様々な社会問題への対応などに際して、ほとんど決まり文句のごとくに繰り返されることが多い。すなわち「人間の尊厳は不可侵である。」
この「尊厳」と訳される言葉はドイツ語のWürde(ヴュルデ)で、「価値」と訳されるWert(ヴェルト)と、語源的な類縁関係がある。「価値(ヴェルト)」が経済的な意味であるのに対して、「尊厳(ヴュルデ)」は「人間的な価値」と言い換えることができる。経済的な価値を測るのが「価格」という貨幣価値であり、これによってあらゆる事物や人間も比較可能となる。すなわち月給30万円の人間よりも、40万円の人間の方が「価値が高い」。
しかし経済的な価値とは異なる「価値」が、人間には存在するのではないか?すべてを貨幣価値に同質化してしまうのでは推し量れない、ひとりひとりに固有の、それぞれの自分だけが持つ本源的な価値に目を向けるとすれば、それは別の言葉で表現するしかない。そこで「人間的な価値」である「尊厳(ヴュルデ)」という言葉の出番である。
ところで英語では「憲法」にConstitutionを宛てている。動詞のconstituteは「構成する」という意味であるから、「皆で相談して作り上げる」というプラグマティックな方向性が透けて見える。それに対してドイツ語の「憲法」にあたる「基本法(Grundgesetz)」という言葉は、すべての「法(Gesetz ゲゼッツ)」の「基本・土台(Grund グルント= ground)」という意味であるから、まず「原理・原則」から考えるというドイツの国民性が自ずと感じられる。
我々の複雑な社会問題を考える際には、まず共通の「原則=土台」を確認しようという態度は、その場その場で適当にお茶を濁す「失言」を繰り返すのとは対極的な姿勢だろう。すべての「法」の基本原則である「憲法」のさらなる基本原理が、第一条第一項の「人間の尊厳は不可侵」である。
ちなみに「不可侵」と訳すunantastbarは、「触れることさえできないほどに大切な」というようなニュアンスである。従ってドイツ連邦共和国基本法第1条第1項を説明的に訳せば、「人間の本来の価値である"尊厳“は、誰も触れることすらできないほどに大切なのである。」「基本的人権」あるいは「実存」という言葉にもつながって行く格調ある宣言であろう。