• Twitter
  • Facebook
  • LINE
  • Google+
2018.08.22()
管理者用(広報課専用)専修大学TOPICS在学生ゼミ文学部SNS教育・ゼミTOPICSTOPICSTOPICSFacebook

満員の観客立ち上がり熱烈な拍手
「素劇 楢山節考」ルーマニア公演に同行して 小林恭二文学部教授

20180810小林恭二教授寄稿_大使館主催のレセプション-挨拶をする劇団1980-代表柴田義之氏-後方左から小林教授、大使ご夫妻、参事官ご夫妻

▲大使館主催のレセプション 挨拶をする劇団1980 代表柴田義之氏、後方左から小林教授、大使ご夫妻ら

6月中旬、国際交流基金の招待で劇団1980のヨーロッパ公演に同行した。ヨーロッパ公演はパリ公演を皮切りにルーマニアのシビウ国際演劇祭参加、その後ルーマニアの首都であるブカレストで最終公演と続くのだが、わたしは日程の都合でシビウ以降の参加となった。

劇団1980というのは、映画監督の故今村昌平氏の教え子が中心となって立ち上げた劇団で、映画人にも近い。今回の公演演目は「素劇 楢山節考」。深沢七郎の「楢山節考」の舞台化である。原作は日本で著名だが、今村監督が映画化し、これがカンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)を受賞したため、世界的にも有名である。

20180810小林恭二教授寄稿01_深夜シビウに到着したホテルのロビー

▲夜シビウに到着、ホテルのロビーで
ルーマニアといわれて何を思い出すだろう。有名なのはドラキュラ伝説。実際、わたしもルーマニアに行く前はドラキュラ映画でおなじみのおどろおどろしい風景を思い浮かべていた。しかし現在のルーマニアはよく整備された農業国家で、バスで移動する限り、ドラキュラ的な底暗さは微塵(みじん)も見えない。

ただそれでもブカレスト空港からシビウに向かう途中の山中で、ロマの踊り子を見かけたときは異様な印象を受けた。ロマというのはかつてジプシーと呼ばれた放浪の民族で、主として芸能を生業としている。ヨーロッパ各国で差別の対象となってきた。
それでも現在は定住率が上がっており、一部の犯罪集団を除けば近代市民の暮らしに溶け込んでいると聞いていた。しかしルーマニア山中で見たロマの踊り子たちは、誤解を恐れずにいえば全身から妖気とでもいいたいものを漂わせており、彼らは踊りながら歩いているだけで、これまで普通に見えていた山野に異様な生気が吹き込まれたように思えた。彼らがそこにいるだけで、そこはすでに舞台であった。

シビウは長い渓谷を抜けた先にある美しい町である。街並みには濃く中世が残っている。到着したのは8日の11時過ぎのことである。この時期ヨーロッパは昼が長い。9時くらいまではごく普通に明るく、10時を過ぎてもしばらくは暮れなずんでいる。だがさすがに11時になると夜らしくなる。シビウは観光都市でもあり、この日は町中に美しい篝火を焚いて旅人を迎えていた。ホテルに到着すると二人の若い日本人女性が待っていた。深夜の到着だというのに嫌な顔ひとつせず長旅をねぎらってくれた。部屋の手配やスケジュールの説明などをてきぱきとこなしている。その手慣れた様子に現地で長く生活している留学生かと思ったのだが、彼らは我々の少し前にシビウ入りしたばかりのボランティアと聞いてとても驚かされた。人間、責任を持たされると変わるのだ。
ちなみに演劇祭の期間中、全世界から観光客や演劇人が、この小さな町に集まってくる。それに対応するボランティアも全世界から集まる。ボランティアというと使命感に溢れたストイックな人たちを思い浮かべるが、シビウで出会った若いボランティアたちはみなとても楽し気で、しかも仕事もいきいきとこなしていた。ボランティアの仕事は深夜過ぎまで続くのだが、その後一服した彼らのために飲み食いやダンスができる会場があり、終夜演劇関係者やボランティアたちで賑わう。彼らにとってそれは生涯の思い出になるはずである。おそらく東京オリンピックでもこうした光景が見られるだろう。興味ある学生諸君は語学を磨いてこうしたボランティア参加するのもいいかもしれない。

シビウでいくつかの芝居を観たり、インタビューを受けた後、いよいよ「素劇 楢山節考」の招待公演が行われた。町外れの劇場で、なおかつ夜10時開演という条件だったにもかかわらず、客の入りは超満員だった。しかも各国のボランティアたちが口コミで集まり、通路もボランティア章を首から下げた若者で埋め尽くされた。

20180810小林恭二教授寄稿02_篝火に包まれたシビウの街

▲篝火に包まれたシビウの街
「楢山節考」について多少説明する。本作は深沢七郎原作の小説であることはすでに述べた。舞台となるのは信州の寒村。この村では七十になる老人は食糧難から逃れるために自ら命を絶つ風習がある。これを村では「山行き」と称している。いわゆる「姥捨(うばす)て」だが、長野県人の名誉のためにいうならこれはあくまで小説上の設定で、そうした風習は長野にはない。しかし飢饉(ききん)の年には似たような悲劇はあったはずで、決して作家の妄想とはいえない。寒村の極度の貧困を通して描かれるのは、意外なことに人間の在り方に対する根源的な問いと、死と自然が渾然一体(こんぜんいったい)となった荘厳な美だった。

20180810小林恭二教授寄稿03_ブカレストオデオン座

▲ブカレストのオデオン座
こうした非人間的な風習は果してヨーロッパで認められるのか。本作を映画化した今村監督はカンヌでパルムドールにノミネートされたことを知りながら、ヨーロッパ人はこの映画に嫌悪を示すだろうと考え、会場に行きもしなかった。しかしカンヌは本作をスタンディングオベーションで迎え、最高賞を贈った。
とはいえ映画と演劇はまた別のものである。まして今回の公演は映画版のカンヌ受賞から三十年余が経過しており、観客の代替わりも進んでいる。シビウの観客が本作にどのような評価を下すか、関係者は固唾(かたず)をのんで見守った。

しかし結果は大成功だった。芝居が終わった瞬間、観客たちはバネ仕掛けの人形のように立ち上がり、熱烈な拍手を送り続けた。その中にはヨーロッパの著名な演劇評論家や駐ルーマニア全権大使夫妻の姿もあった。彼らは終演後も興奮さめやらぬように、劇場ロビーのあちこちで劇の感想を述べ合っていた。
その二日後、劇団は最終公演地であるブカレストに向かった。パリのオペラ座を模したオデオン劇場という美しい劇場で行われた最終公演もまた大成功だった。シビウでも観劇した駐ルーマニア全権大使夫妻はまたも劇場に現れ、そればかりか劇団員の労をねぎらうレセプションを主催してくれた。そこには大使のみならず参事官夫妻やブカレスト在住の演劇人が集まり、きわめて豪華な雰囲気となった。もっとも団員のほとんどは舞台上そのままのみすぼらしい装束(しょうぞく)で、豪華な劇場ボールルームにいきなり信州の寒村の住人が舞い降りたような不思議な光景となった。和やかな雰囲気に包まれた。

(こばやし・きょうじ)作家。専修大学文学部教授。1957年兵庫県生まれ。東京大学文学部卒。84年『電話男』(海燕新人文学賞)でデビュー。『カブキの日』で三島由紀夫賞。ほかに『宇田川心中』『俳句という遊び』など。

20180810小林恭二教授寄稿02_レセプションでの、おりん婆さん(主役)役の水木千秋さん(右)と少女役の関根真帆さん(左)

▲レセプションで出演者の2人

20180810小林恭二教授寄稿05_ブカレストの打ち上げ

▲ブカレストでの打ち上げ

関連情報

センディ

センディナビ