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2017.07.15()
管理者用(広報課専用)専修大学TOPICS研究社会知性開発研究センター研究TOPICSTOPICS

古代東ユーラシア研究センターが神田校舎で2017年度第1回シンポジウムを実施

201707古代シンポ

社会知性開発研究センター/古代東ユーラシア研究センター(研究代表:飯尾秀幸文学部教授)の今年度1回目のシンポジウム「古墳時代の渡来人―西と東―」が7月15日、神田キャンパスで行われた。日本の古代国家形成期にさまざまな形で地域の発展に寄与した渡来人の足跡を、遺構の造りや遺物の出土状況をもとに土生田純之文学部教授をはじめ3人の考古学者が語り、研究者や古代史ファンなど380人を超える参加者が聴き入った。
福岡大の武末純一教授は、北部九州における弥生時代から4世紀までの日韓交流について解説した。「農業の始まりや壱岐の国づくりに渡来人と渡来文化は大きな役割を果たしたが、フロンティアを求めて来た一面もあるのでは」と分析し、やがて朝鮮半島南部の鉄を入手するため弥生人も行き来するなど人の流れは双方向になったと述べた。
岡山理科大の亀田修一教授は、5~8世紀の西日本の渡来人について語った。朝鮮半島の混乱を背景に5世紀には渡来人が大量に流入し、鉄器、須恵器、かまど付き住居、馬の飼育をもたらしたと説明。「個々の地方豪速と渡来人の交流に5世紀後半ごろから畿内の倭王権が規制を強め、渡来人を王権中枢に取り込んでいった」と語った。
東日本の渡来人を取り上げた土生田教授は西毛(群馬県高崎市)、遠江(静岡県浜松市)、北信濃(長野市)にある5世紀後半の遺跡や古墳群の相違点を説明した。北信濃では渡来人と在来の倭人の墓が同じ形状(丸型積み石塚)であるとして、「北信濃ではそれ以前からリーダーに率いられた百済などからの技能集団が入り、共生が進んでいた。交流を規制する王権の影響がなかったと考えられる」と述べた。
講演後は高久健二文学部教授の司会で3氏が活発な議論を繰り広げた。
ユーラシア大陸の東側で展開された、人や集団の流動と土着化を考察する研究プロジェクトは4年目に入り、「古代東ユーラシア来日外国人データベース」と「渡来系遺跡・遺物データベース―東日本編―」という二つのデータベースの公開も始まった(いずれも試験公開)。
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