マラーの死

 マラーは革命が勃発すると『人民の友』を発行し、論陣を張る。この新聞はパリ民衆の間で大きな影響力を持ったが、1793年7月13日、シャルロット・コルデにより暗殺される。カーン出身のコルデは、パリを追われて当地へと逃れてきたジロンド派国民公会議員たちに共感し、彼らの政敵マラーを殺害したのだった。

 この銅版画はクルトリー(Courtry, Charles, 1846- 1897)作で、革命期の画家ダヴィッド(David, Jacques Louis, 1748-1825)の絵をもとにしている。

 ベルンシュタイン文庫ではマラー暗殺に関連する版画を、この他にも2種類所蔵している。浴槽で刺された構図とソファ上でのものがあるが、裁判記録には「浴槽」とある。