文学部 
哲学科
Department of Philosophy
生田キャンパス

教授・伊吹 克己_教員データ

伊吹先生
精神分析の理論によれば、人類はすべて神経症を患っています。こういう問題意識にもとづく、精神分析からの哲学(人間)へのアプローチを考えていきます。
伊吹 克己
教授
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教員データ

氏名・職位  伊吹 克己(IBUKI KATSUMI) 教授
文学部開講科目精神分析学
倫理学
西洋哲学史(現代)
ゼミナールⅠ・Ⅱ・Ⅲ  
大学院開講科目近代・現代哲学特殊講義
同演習
近代・現代哲学特殊研究
同演習
略歴1949年 北海道函館市生まれ
1968年 専修大学文学部人文学科入学
1978年 専修大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学
1981年から専修大学 実存思想協会理事・編集委員・編集委員長を歴任
現在日本ラカン協会理事
専門分野フランス実存哲学
研究キーワードフランス実存哲学 ハイデガーの存在論 ポスト・モダンの思想 共同体論 精神分析 オリエンタリズム イメージ論 日本近代思想 折口信夫の思想 文芸批評と芸能の理論
所属学会日本哲学会/実存思想協会/日本ラカン協会/日仏哲学会/日本倫理学会/専修大学哲学会

主要業績

単行本(単著)
2010年『歌舞伎と存在論――折口信夫芸能論考』専修大学出版局
単行本(共著・編著・論文集・事典など)
1996年『無根拠の時代――今あらためてリアリティ・アイデンティティを問う』(竹内整一編)大明堂
1993年『ジル・ドゥルーズの試み』(市倉宏祐・菊地健三)北樹出版
翻訳
1988年「『進化の胎動』第二章、第四章」(共著)大陸書房
1987年「実存主義的友情」「実在のパトス」実存思想論集Ⅱ
論文(雑誌・紀要・研究成果報告書など)
2007年「スピヴァクとインド――脱構築、サバルタン、サティー――」専修大学人文科学研究所月報第230号2007年7月
2005年「「言語情調論」をめぐって――折口信夫とハイデガー――」生田哲学2005年3月第9・10合併号
2004年「ジャン=リュック・ナンシーの共同体論をめぐって」専修大学人文科学研究所月報第214号
2001年「メルロ=ポンティの社会哲学――『知覚の現象学』における他者論と意識の契機」専修大学人文科学研究所月報199号
2000年「『行動の構造』におけるヘーゲル主義における他者論と意識の契機」生田哲学第6号
2000年「アンガージュマンと美的なるものの行方――サルトルとアドルノ」理想第665号
1998年「自己自身としての芸術作品――メルロ=ポンティとアドルノ2」生田哲学第4号
1997年「『知覚の現象学』序文考――メルロ=ポンティとアドルノ1-(後編)」専修大学人文科学研究所月報183号
1997年「『知覚の現象学』序文考――メルロ=ポンティとアドルノ1-(前編)」専修大学人文科学研究所月報182号
1995年「形而上学批判としての折口学」専修大学人文科学研究所月報163号
1993年「炸裂する原初と〈テクスト〉空間―─『見えるものと見えないもの』における言語論」実存思想論集(実存思想協会論集)第Ⅷ号
1992年「折口信夫の「まれびと」論と「近代批判」」専修大学社会科学年報第27号
1992年「美的経験と歴史意識――ミシェル・フーコーの「レーモン・ルーセント」と歴史意識の発生」専修人文論集第49号
1990年「「語られるもの」と「見えるもの」-ジル・ドゥールズのフーコー論におけるハイデガー哲学の位置」専修大学人文科学研究所月報136号
1987年「表象と形象――メルロ=ポンティとリオタール」専修人文論集第40号
1985年「サルトルとメルロ=ポンティにおけるフロイディスム」専修商学論集第40号
1983年「〈認識論的切断〉について――『Pour Marx』を読む」専修大学社会科学研究所月報242号
1983年「ベルクソンからメルロ=ポンティへ――「無意識的なもの」と「沈黙のコギト」」専修人文論集第31号
1983年「他界への測量図――久住十蘭のために」創樹社「文学空間」第9号
1981年「酔人問答内外[ウチソト]篇」専修大学出版局「専修人文論集」第27号
1981年「行動の構造における還元と構造」現文研第55号
1980年「『知覚の現象学』における他者論」倫理学年報第29集
1980年『サルトル年譜・サルトル著作文献目録』(共著)理想第567号
1979年「『眼と精神』覚書――時間の芸術としての絵画」実存主義第29集
1975年「『知覚の現象学』における方法の問題について」専修大学大学院「文研論集」創刊号
その他(学会発表・講演・座談会・インタビュー・書評・エッセイなど)
1975年「『知覚の現象学』における方法の問題について」日本倫理学会

ゼミ紹介

精神分析の思想
私のゼミでは、精神分析の提唱者、S・フロイトの『精神分析入門』を読みます。下巻に入っていますから、上巻は不必要です。いろいろな版が出ていますが、使用しているのは新潮文庫版です。古本屋でも買うことができますが、古いものは新しい版のものと頁数がずれているので、ゼミでは使い物になりません。注意して下さい。

内容に関する注意を言うと、参加する学生諸君はさまざまの症例やその治療技法に関心があるようですが、私はこれをあくまでも哲学的認識を問う著作だという観点から取りあげています。症例や治療技法は無視できません(もちろん、私も関心があります)が、哲学的認識(毎年、開始時に説明しています)という観点から、精神の異常を考えることがこのゼミの基本です。

次に,ゼミナールにおける学習は卒業論文で完成するというタテマエから,個人指導を重視します。具体的には,自分の選択したテーマによるレポートの発表がこのゼミでは優先されます。各人のテーマにそった文献について,当該年度にはレポートを提出しなければなりません。気をつけて下さい。

それから,合宿もしくは集中授業を行います。これについては、詳細な説明を最初の授業で行うので,受講希望者はかならず出席するようにして下さい。
学生の声

伊吹ゼミは、明るく個性あふれるゼミです。精神分析を開拓したフロイトの『精神分析入門』を新潮文庫版で読んでいます。どんなに難しいことでも、小学生でも分かるように説明しろ、説明できるはずだ、とよく言います。これはとても大変なことですが、人に自分の気持ちを伝える時も、社会に出てからも必要とされる能力だと私たちは感じてます。毎年一度行われるゼミ合宿では楽しい宴会や卓球をしてみんなで盛り上がりました。コンパなども開き、笑顔あふれるゼミです。

伊吹ゼミ

メッセージ

趣味

商店街(デパート・秋葉原等の特定地区を含む)の散歩・路上&人間観察。

心に残る光景

高校の修学旅行の時に見た京都の瓦屋根の波と東大寺大仏殿の大きさ。地中海の海の青さ(生まれ育った北海道の海は暗緑色をしています)。スイスアルプス山中ジルス・マリーアの劇的な夕焼け。

感動した舞台

立川談志の「野ざらし」(30年前の新宿末広亭)、六世中村歌右衛門の「妹背山婦女庭訓」のお三輪(25年前の歌舞伎座)、アストル・ピアソラの初来日公演初日(1982年の五反田簡易保険ホール)、カルロス・クライバーの「薔薇の騎士」(1994年の東京文化会館)、マウリッツイオ・ポリーニのショパン(2003年のパリ・シャトレ座)。

好きな映画

フレッド・アステアが踊っている映画。

好きな本

料理本とミステリー。

好きなスポーツ選手

マイケル・ジョーダン。

好きな音楽

クララ・ヌネスのサンバとドリス・デイのジャズ・ヴォーカル。ファビオ・ビオンディのヴァイオリンとパコ・デ・ルシアのギター。ピアノはマリアーノ・モーレスのタンゴとフリードリッヒ・グルダのモーツァルト。志寿太夫の清元とマーカス・ミラーのベース。

好物

イカの天ぷらとエビのガレット。スパゲッティと蕎麦。Paulのエスカルゴ。

関心のある思想家

スピノザ、ニーチェ、フロイト、ハイデガー、バタイユ、ラカン(最初の名前か最後の名前だけでことは足りますが)。そしてもう一人、折口信夫をあげておきます。

私の哲学への道

大学に入ったとき、哲学を勉強するなどということは少しも考えていませんでした。当時、私はアレン・ギンズバーグの『吠える』という詩集に心を動かされていたので、ビート・ジェネレーションのことについて勉強しようと思っていました。どういう訳か、それについて勉強するにはアメリカ文学ではなく、美学を勉強しなきゃならん、と思いこみました。それで(どういう経緯か忘れましたが)メルロ=ポンティの『目と精神』を読んだのです。そこで〈美〉とは〈真理〉であるということを理解しなければ卒業論文は書けないということに気がつきました。これで道を踏み外すことになりました。

今の仕事とこれからの仕事

哲学とは、実に細かな生活上の事柄の上に営まれるものです。大哲学者と今日呼ばれている人々も、そのような生活の中から自分の哲学を築いていったわけですが、さて凡人の私としてはその細々した生活上のことに埋もれっぱなしになっていて、身動きがなりません。これが大哲学者と小哲学者とを分けるポイントでしょう。なぜ、こんなことを言うのかといえば、このこと自体を私の研究のテーマとしていきたいものだと常々考えているからです。「共同体」、というのが目下の私のテーマです。ある意味で、現代の哲学者たちが競って答えを出そうとしてきたテーマで、それ以上に答えを出すことに意味はありません。しかし、私は答えを出すことが問題なのではなく、答えを出そうとすることが大切であると考えています。それに「共同体」(世間、仲間)というテーマは実に身近な問題で、学生諸君もそれ以外の人も、誰でも自分なりの考えを持ってアプローチすることができるし、それをすぐに実践できるものでもあります。――関心ある思想家としてあげておいた折口信夫という国文学者・民俗学者は、その「共同体」ということを、社会が必然的に持つ芸能(これがない社会はありません)という側面から考えていった非常にユニークな人であったと私は考えています。

大学院

 近代・現代哲学特殊講義演習
方針としては、現代フランス思想の文献を、ラカンを軸にして読むという授業を続けています。継続的に続けているのはアガンベン(これはイタリアの思想家ですが)をフランス語で読むことと、ラカンのセミネールを日本語で読むことです。夏か冬に実施されるゼミでは、授業で読んでいるものとは違うテキストを読んでいます。昨年はアラン・ジュランヴィルの『ラカンと哲学』を読みました(もちろん全部ではありません)。
センディ

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