文学部 
哲学科
Department of Philosophy
生田キャンパス

教授・船木 亨_教員データ

船木先生
ドゥルーズ/ガタリ『千のプラトー』を読む。ポストモダンの人間と社会について考えます。
船木 亨
教授
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教員データ

氏名・職位  船木 亨(FUNAKI TORU) 教授
文学部開講科目西洋哲学史(近代)
生命の哲学
現代思想
ゼミナールⅠ・Ⅱ・Ⅲ
大学院開講科目実践哲学特殊講義
同演習
実践哲学特殊研究
同演習
略歴1952年東京に生まれる
世田谷区立駒沢中学校、東京教育大学附属駒場高校(筑波大学附属駒場高校)、東京大学文学部、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学
共立女子大学非常勤講師 熊本大学文学部哲学科教授
1999年 東京大学にて博士号取得
1999年~2000年 在ロンドン大学
2003年から専修大学教授
専門分野現代フランス哲学/18世紀哲学
研究キーワード西欧近代哲学 現代思想 生命と機械 ドゥルーズ/ガタリ メルロ=ポンティ 進化論 差異 言語と思考 構造主義 現象学 モーペルチュイ(モーペルテュイ) ベンタム(ベンサム) 功利主義 倫理学 生命政治 言語起源論 形而上学
所属学会日本倫理学会/専修大学哲学会

主要業績

単行本(単著)
2018年『現代思想講義――人間の終焉と近未来社会のゆくえ』ちくま新書
2017年『いかにして思考するべきか?――言葉と確率の思想史』勁草書房
2016年『現代思想史入門』ちくま新書
2014年『差異とは何か――〈分かること〉の哲学』世界思想社
2011年『現代哲学への挑戦』NHK出版(放送大学教育振興会)
2008年『進化論の5つの謎――いかにして人間になるか』ちくまプリマー新書
2005年『デジタルメディア時代の《方法序説》――機械と人間のかかわりについて』ナカニシヤ出版
2001年『〈見ること〉の哲学――鏡像と奥行』世界思想社
2000年『メルロ=ポンティ入門』ちくま新書
1998年『ランド・オブ・フィクション――ベンタムにおける功利性と合理性』木鐸社:博士論文
1994年『ドゥル-ズ』〈人と思想シリーズ〉清水書院
単行本(共著・編著・論文集・事典など)
2016年『哲学中辞典』(尾関周二ほか編)知泉書院
2011年『医療の本質と変容――伝統医療と先端医療のはざまで』(高橋隆雄編)九州大学出版会
2009年Merleau-Ponty and Buddhism, edited by Jin Y. Park and Gereon Kopf, Lexington Books.
2008年『カウンセリング心理学事典』(國分康孝編)誠信書房
2006年『現代倫理学事典』(大庭健ほか編)弘文堂
2005年『生命・情報・機械』(高橋隆雄編)九州大学出版会
2005年『表現の<リミット>』(藤野寛・齋藤純一編)ナカニシヤ出版
2002年『翼ある言葉――哲学の扉2』(哲学フォーラム編)青木書店
2000年『スタイルの詩学――倫理学と美学の交叉』(山田忠彰・小田部胤久編)ナカニシヤ出版
1998年『言葉が開く哲学の扉』(哲学フォーラム編)青木書店
1997年『倫理思想事典』(星野勉・三島輝夫・関根清三編)山川出版社
1997年『現代の地域と政策』(清正寛・丸山定巳・中村直美編)九州大学出版会
1991年『イギリス道徳哲学の諸問題と展開』(日本倫理学会論集)慶應通信
1989年『ヘーゲル――社会思想と現代』(城塚登・濱井修編)東京大学出版会
1986年『近代変革期の倫理思想』(小倉志祥編)以文社
翻訳
2018年P・L・M・ド・モーペルチュイ著「宇宙論」(上)『生田哲学第19号』専修大学哲学会編 平成30年2月10日 全238頁 pp.66~91
2011年P・L・M・ド・モーペルチュイ著「自然の体系」『生田哲学第12号』専修大学哲学会編 平成23年8月10日 全120頁 pp.39~67
2004年ナイジェル・ウォーバートン著『入門 哲学の名著』(監訳)ナカニシヤ出版
論文(雑誌・紀要・研究成果報告書など)
2017年「メルロ=ポンティと親鸞における「真理を語ることば」」『生田哲学第18号』専修大学哲学会編 平成29年3月31日 全130頁pp.23-47
2003年「人間がある種の機械であることはひとつのニヒリズムか?――情報ネットワークと現代の機械観」『日本倫理学会第54回大会報告集』日本倫理学会編 全114頁 平成15年9月 pp.22-28
2000年「人間にとって機械とは何か──アニメに見るロボットのイメージ」文部省科学研究費研究成果報告書『高度メディア社会における社会倫理の実証的研究』大杉佳弘編 全214頁 平成12年12月 pp.40~57
1999年「高度メディア社会を定義するもの──ネットワークにおける「素晴らしい新世界」」文部省科学研究費研究成果報告書『高度メディア社会における社会倫理の実証的研究(Ⅱ)』船木亨編 全85頁 平成11年2月 pp.5~28
1999年「序文」科学研究費研究成果報告書『高度メディア社会における社会倫理の実証的研究(Ⅱ)』船木亨編 全85頁 平成11年2月 pp.1~4
1998年「非組織型ネットワークにおける倫理的問題のありか──『情報権力論』のために」文部省科学研究費研究成果報告書『高度メディア社会における社会倫理の実証的研究(Ⅰ)』船木亨編 全73頁 平成10年2月 pp.1~19
1998年「序文」科学研究費研究成果報告書『高度メディア社会における社会倫理の実証的研究(Ⅰ)』船木亨編 全73頁 平成10年2月 pp.i~ii
1996年「社会的規制におけるコンセンサスの基盤(Ⅰ)──社会制御基礎論序説」熊本大学共同研究報告書『国際統合の進展のなかの「地域」に関する学際的研究』熊本大学人文社会科学系大学院博士課程設置準備委員会編 全581頁 平成8年3月 pp.415~423
1996年「生命倫理と倫理学──『生命の倫理学』のはしがき」『熊本大学文学部論叢』第50号 熊本大学文学会編 平成8年3月 pp.55~70
1994年「鏡像と奥行(Ⅰ)」『熊本大学文学部論叢』第42号 熊本大学文学会編 平成6年1月 pp.23~76
1990年「ベンタム的人間像における知性的なもの」『熊本大学文学部論叢』第34号 熊本大学文学会編 平成2年12月 pp.57~92
1988年「ベンタムにおける『立法者問題』──言論の自由を巡って」『イギリス哲学研究』第11号 日本イギリス哲学会編 昭和63年4月 pp.17~28
1987年「メルロ=ポンティにおける意味〔サンス〕」『熊本大学文学部論叢』第22号 熊本大学文学会編 昭和62年5月 pp.85~122
1987年「メルロ=ポンティと意味の問題」『熊本大学文学部論叢』第22号 熊本大学文学会編 昭和62年5月 pp.51~84
1986年「メルロ=ポンティと過程主義」『文部省科学研究費研究成果報告書』浜井修編 昭和61年3月 pp.50~67
1985年「メルロ=ポンティにおける私の系譜学と顕在化の哲学」『実存主義』第八十九号 以文社 昭和60年7月 pp.48~64
1983年「ベンタムと形而上学」『文部省科学研究費研究成果報告書』小倉志祥編 昭和58年6月 pp.46~52
1982年「ベンタムにおける道徳と教育」『道徳と教育』第231号 日本道徳教育学会編 昭和57年4月 pp.39~43
1980年「メルロ=ポンティにおける歴史と自由について」『倫理学年報』第二十九集 日本倫理学会編 昭和55年3月 pp.127~140
学会発表
2004年専修大学哲学会大会(専修大学)「メルロ=ポンティと親鸞における「真理を語ることば」」平成16年4月25日
2003年日本倫理学会第54回大会(静岡大学) 「人間がある種の機械であることはひとつのニヒリズムか?――情報ネットワークと現代の機械観」(シンポジウム)平成15年10月12日
1998年日本イギリス哲学会第21回大会(熊本大学)「ベンタムの言語哲学」平成10年3月30日
1990年日本倫理学会第41回大会(法政大学)「権利と功利」(シンポジウム)平成2年10月21日
1987年日本イギリス哲学会第11回大会(福岡大学)「ベンタムにおける言語論と原理」昭和62年3月28日
1986年西日本哲学会第37回大会(西南学院大学)「ベンタムと言論の自由について」昭和61年11月20日
1982年日本倫理学会第33回大会(玉川大学)「真の愛・偽の愛──メルロ=ポンティの実存主義」 昭和57年10月23日
その他(講演・座談会・インタビュー・書評・エッセイなど)
2017年出典『ことばにつなげるテーマ別漢字演習』浜島書店(『現代思想史入門』より)
2017年コラム「例外と「氷山の一角」――第4回成年後見法世界会議をとおして」3月1日「実践 成年後見」No67 民事法研究会
2016年講演「生と老病死」11月17日 於・川崎市生涯学習プラザ
2016年出典『スタディサポート/学力リサーチα』ベネッセ(『現代思想史入門』より)
2016年出典『2017――青パック』駿台文庫(『現代思想史入門』より)
2015年出典『相手に伝わる文章表現――仕事を磨く小論文講座』Z会(『進化論の5つの謎』より)
2014年講演「自由の条件と限界」11月6日 於・川崎労働会館
2011年特別寄稿「「人類の終焉」はいつでも起こりうる」10月11日「FLASH」 10月25日号 光文社
2011年インタビュー「映画「猿の惑星・創世記」とは?」10月6日 フジテレビ「めざましテレビ」
2009年講演「人は学問をどのように考えてきたか」11月6日 於・川崎多摩高校体育館
2009年講演「ドゥルーズについて」10月31日 於・放送大学茗荷谷校舎
2009年出典『公務員オール模試』早稲田経営出版(『メルロ=ポンティ入門』より)
2009年講演「フーコー《生のポリティックス》と健康」10月4日 於・熊本大学楠会館レセプションルーム
2009年インタビュー「脱・人間中心思想の基盤」日本経済新聞 1月31日(日)朝刊 「文化」欄
2007年講演「哲学」7月6日 於・徳島城ノ内高校教室
2007年講演「哲学は人間をどのように捉えてきたか(6)」3月17日 於・成徳大学
2007年講演「哲学は人間をどのように捉えてきたか(5)」2月14日 於・成徳大学
2006年講演「感覚の空間性」12月2日 於・新潟大学サテライトキャンパス
2006年講演「モバイル社会における技術と人間」(NTTモバイル研究所主催)10月17日 於・東京オペラシティータワー
2006年エッセイ「相良先生の思い出」(相良久子編『相良先生の思い出』ぺりかん社)
2006年講演「哲学は人間をどのように捉えてきたか(4)」3月10日 於・成徳大学
2005年講演「哲学は人間をどのように捉えてきたか(3)」2月19日 於・成徳大学
2004年講演「哲学は人間をどのように捉えてきたか(2)」7月24日 於・成徳大学
2004年講演「哲学は人間をどのように捉えてきたか(1)」2月25日 於・成徳大学
2003年講演「言語と思考」9月28日 於・専修大学(第37回文学部公開講座)
2000年インタビュー「ネット社会の落とし穴」佐賀新聞 11月5日(日)朝刊 「読者と記者の交差点」欄
1998年エッセイ「功利主義の倫理学」出版ニュース 1998年8月中旬号
1995年座談会「会員交遊録」若葉会会報38号 11月20日
1995年講演「ひとはなぜ勉強しなければならないのか」6月11日 於・佐賀県立致遠館高校体育館
1995年インタビュー「不確実性の時代を超えて」(alpha1995.2-3 オブスキュア・インク社) 
1994年書評「市倉宏祐・伊吹克巳・菊池健三著『ジル・ドゥルーズの試み』北樹出版」週間読書人 7月8日号
1983年インタビュー「プロフィール」共立女子大学文藝学部報第50号7月5日

ゼミ紹介

ドゥルーズ哲学研究
ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(河出書房新社)から「 第10章 動物になること」を読んでいます。バンパイアなど、ひとが動物になる話に興味ひかれるのは、ファンタジーというより、もっと根深い人間存在のあり方に関わっているからではないか、という観点から、ドゥルーズとガタリは、ベルクソニスムやスピノザ主義を援用しながら、現代の科学的世界観、人間観の盲点を抉りだしていきます。

何せ現代の常識を乗りこえようという主題ですし、解説書も出ていませんからみんな手探りですが、ゼミの進め方としては、各自興味を覚える節を選んで内容について発表してもらいます。他の参加者が同じ箇所を読んできて、疑問や意見をいい、それに発表者が答えたうえで,全員で主題になっていることがらについて、「情動とは何か」、「地図とは何か」など、テキストから離れ気味に、一般的な哲学的問題について議論をします。

テキストには文学や数学などさまざまな文献が引用してありますし,哲学用語や自然科学用語も多いので,発表者はただテキストを読んでまとめておくだけではなく,あらかじめ関連文献を探したり,辞書辞典類を調べたりすることが必要になります。自分が担当でない場合でも,陳腐なのではないかと怖れたりせず,質問したり意見を述べたりするよう努めてください。

卒業論文指導は、4月から9月まで毎月1回行い、その後は個別に最後までつきあいます。課題は強制しませんが、「いまの自分が何を考えたいか、そのために何ができるか」と話しあい、やることを微調整しながら少しずつ積み上げていって、最後に論文として完成したときの喜びを味わってほしいと思います。分野はフランス哲学以外でもOKです。
学生の声

本ゼミでは、参加している学生の興味次第で話はあちらこちらに飛んでいきます。家族とは、魔術とは、波とは、時間とは、テンポとは・・・私たちの身近なテーマから、哲学の分野に留まらず、科学・精神分析・文学・SF・音楽・映画・東洋思想・心理・神話・生命・メディアなど、様々な分野に触れていきます。逆にいえば、参加している学生のどんな関心でも、ドゥルーズ哲学を読むことのなかで、ひとつの光を帯びることができるのです。
現代哲学の最前線というだけあって、テキストは一筋縄ではいきません。それならば「ここがわからない」というところから、みんなが今持っている知識、何とか新たな知識を獲得しようとする姿勢をたよりに徹底的に考えぬいてみる。そしてある瞬間にちらっと光がさしてきて、違う世界が見え隠れする。私たちのゼミはこんなゼミです。ミルプラトーに立ち向かいながら、共に現代を乗り越えていきませんか?

船木ゼミ

メッセージ

・この写真は、1999年にイギリスにいるときに「ちくま新書(『メルロ=ポンティ入門』)には絶対必要」といわれ、やむなく撮りました(何でイギリスでフランスの哲学者の本を書いてたんだ?)。古くてすみません。この写真は、自分でアルミホイルを両手で拡げて撮ってもらったもので、肩の線にそれが出ています(見る人が見れば)。写真は自然ではありませんね(文化ですね)。イギリスの写真屋で肖像写真など撮ると、なぜかニヤニヤ笑いの、のったりとした画像ができあがってしまいます。

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・イギリスといえば、小学生から英語を教えることが決まりそうだということで思いだすのですが、ネイティヴのしゃべる英語は文法ミスだらけでした。とはいえ、われわれの日本語だってそうです。わたしの提案としては、小学生に教えるかどうかはともかく、入試を含めて一切の英語の筆記試験を禁止することです。書きことば(エクリチュール)と話しことば(パロール)は別物です。書きことば中心だと、試験で差をつけるためにトリビアルな知識ばかりが問われ、「正確にしゃべらなければ恐怖症」に陥ってしまうのではないでしょうか。

・わたしは熊本に10年以上いました。熊本は全国で一番といえそうなものがいくつかありますが、近郊にすばらしい温泉が多くあるというのは、そのひとつです。わたしはすっかり温泉フリークになり、いまでも週に1回は温泉に入らないと体調がおかしくなります。熊本では、阿蘇のふもとのほか、山鹿の「ならのさこ温泉」に通っていました(ローカルな話題ですね)。いまは町田方面に出かけていますが、ドライブの途中246の風景がいまひとつとはいえ、結構満足しています。どこの温泉か見当のついたひと、もし温泉でわたしをみかけても、「船木先生ではないですか?」などと声をかけないでくださいね。やはり、いきなり「裸のつきあい」というわけにも・・
好評につき続きをどうぞ
・「好評につき」というのは嘘です。少し見栄をはりました。

・しかし、わたしが特に書きたかったのは、そうめんのことです。5月になるとそうめんの季節です。わたしは5月から11月まで、2日に一回は昼食にそうめんを食べています。食べ終わって、いつも、そうめんほどおいしいものはないと思います。そこまでいうか、と思ったひと、あなたは作り方を間違えてはいないでしょうか。麺はどこのでも大丈夫ですが、多目のお湯で3分間煮たあと、必ず流水で1分以上洗ってください。一挙に水につけたりせず、部分から部分へと冷やすことが肝心です。めんつゆは、本返しを作っておいてください。どこの醤油を使うかが味の決め手です。わたしはフンドーダイを強力にお勧めします。その本返しに、その都度だしをあわせるわけですが、だしは混合削り節で30秒ほど煮て、少しきつい味にしておきます。そうめんそれ自体は舌触りと噛み応えであって、実はめんつゆを麺に絡めて味わうのですからめんつゆが重要です。めんつゆは作ってから3日目くらいのものを、あまり冷やさないで使ってください。味は毎日変わりますからね。・・・あしたも食べよう。

・最近、車を運転しているときに、走っている中学生を見ました。中学生はいいなあ、おとなになるとなかなか全速力で走ったりしないものだ・・・と思いながら見ていました。それを追い抜いてやがて交差点にくると、角に女性が倒れていて、すぐに例の中学生がたどりつき、「お母さん」と叫びました。その中学生は、母親が交通事故にあった知らせを聞いて全速力で走ってきていたのでした。わたしは「中学生はいいなあ」と思ったことを恥じました。事情を知らなくてそう思ったわけですが、それでも後悔した・・・そのようなものです。「思想は自由」ですが、それは政治的に自由(何を思ったかということによっては罰せられない)ということであって、倫理的にはそうではありません。何という、恥ずべき思いなしの数々・・・
好評につき続きをどうぞ
・「好評につき」でいいんじゃないか、といってくれる学生さんもいたので続けます・・・社交辞令とは思いますが。

・だれしも学校時代の同窓生に有名人がいる、ということはあるのではないかと思いますが、小学校の同窓生では、少ないのではないでしょうか。実は、イッセー尾形氏は、わたしと同年齢で、わたしと同じ福岡市立高取小学校の卒業生なのだそうです。少し自慢です。しかし、アルバムを見ても、どのひとか分かりません・・・

・中学校時代については、むしろ担任の先生を思い出します。1年のときのH先生、2年のときのM先生。わたしは典型的な優等生でしたが、H先生は、何度もわたしに「慢心するな」とおっしゃっていましたし、M先生は、授業中にいきなり「おマエは教師をばかにしとるやろ」と、出席簿で頭をボンボンと叩かれました。自己イメージが少し違うのかも・・・

・「敬天愛人」が座右銘だった国語のH先生からは、休み時間に杉田玄白『解体新書』を渡されて、読んでくるようにいわれたのを思い出します。新書くらい読みなさいという意味だったろうと思います。数学のM先生は、授業で突然「数直線上には、たとえば3分の1のように0.3333と無限に続く数があるんだから、いわば穴が開いているんだな」という雑談をされたので、ショックを感じました、そんなすごいことをいう先生だとは思っていませんでしたから・・・そこら辺が、哲学的なことを考えはじめたきっかけだったかも、と今になって思います。中学校のときの先生って大事ですね。

・なお、写真ですが、10年近く前のものです、念のため。

大学院

実践哲学特殊講義演習
モーペルチュイのさまざまなテキストを読んできた。夕方から始まって、いつ終わるとしれない(とはいえ最近は9時には9号館5階出口に鍵がかけられるようになってしまった)。
 実践哲学特殊研究演習
受講者の相談によって決定した書物を読んでいる。昨年度読んだ主なものはディドロ、カンギレム、ゴルトシュタイン、ラマルク、ラ・メトリなどであり、このように対象分野は哲学に限られてはいない。生命という大きな問題全体において、現代の流行や人気が占める位置を理解することが重要である。
センディ

センディナビ