考古学関連ゼミ
- 出土状況を通してみた土偶の意義
- 中期古墳の竪穴系埋葬施設について
- 墳丘築造規格からみた広域首長関係の研究―畿内と遠江の首長墓を比較して―
- 力士埴輪の定義と役割の検討
- 北関東における鶏形埴輪の性質
- 生出塚埴輪窯産人物埴輪の表現・製作方法の変遷
- 紀ノ川流域における横穴式石室の様相
- 横穴式石室からみた地域間交流−関東の終末期古墳を中心として−
- 六道銭の選択と銭貨の埋葬について
- 織田・豊臣政権における金箔瓦
- 古墳時代後期と古東海道および古東山道―横穴式石室と装飾付大刀を通して―
- 北九州地域における石室の系統と変遷
- 古墳時代の甲冑
- 関東地方の小銅鐸
- 松菊里遺跡の調査成果と問題点
- 伽藍配置と舎利荘厳具からみる王興寺跡と弥勒寺跡の関係
- 栄山江流域の古墳文化−伏岩里3号墳と新村里9号墳を中心に−
- 沈没船からみる東シナ海を巡る交易
- 西夏王陵三号陵とその出土遺物について
- 風納土城出土の瓦について
ヨーロッパ史関連ゼミ
- 1883年疾病保険法と扶助金庫―ビスマルクの政治的操作に焦点をあてて―
- 帝政期ドイツにおけるアルザス―1911年州憲法制定をめぐる議論―
- アンシャン=レジーム期におけるアカデミズムの台頭とその意義について
- 1789年のバス−ノルマンディーにおける食料蜂起−ファレーズの農民たちは何を求めたか−
- 第1次対仏同盟から見るフランスとヨーロッパ〜フランス革命の急進化の動きについて〜
- フランス革命期における女性の権利をめぐる動きとその限界−国民公会期までを中心に−
- フランス革命前半期における黒人奴隷廃止をめぐる論争
- ナポレオン期における教育システムの特徴とその歴史的位置
- クヌート期におけるアングロ・サクソン人の対ヴァイキング認識
- オルヌ県におけるふくろう党蜂起
- フランス革命政府の救貧政策―理想と現実―
- ピーテル=ブリューゲル絵画に見る画家の農民思想とその社会
- カトリック両王国の「スペイン」―異端審問とエルマンダーを中心に―
- サッチャー政権下のイギリスにおける教育政策と非ヨーロッパ系マイノリティ
- 第二帝政期フランスにおけるパリ都市改造
- ヴァイマル期のドイツのナショナリズム−黒い汚辱キャンペーンを通じて見るドイツの人種問題と国民意識−
- ホロコーストにおける強制労働の経済的意義―ナチ党・IGファルベン・ユダヤ人の三者の関係に着目して―
- 東ドイツにおける監視と国民の対応―国家保安省の活動が与えた影響を中心に―
- ヴィクトリア朝イギリスにおける衣服改革運動と女性運動―参政権運動と合理服運動の関係を中心に―
- 19世紀イギリスにおける売春統制とジョセフィン・バトラー
- 19−20世紀転換期のイギリスにおける「帝国意識」の覚醒―The TimesとPunchにおけるボーア戦争報道の分析を中心に―
アメリカ史関連ゼミ
- クリーク族にとっての文明化
―1807年から1813年まで―
- アイルランド系移民とアメリカ社会
―「ニューヨーク徴兵暴動」の新聞報道を通しての再考―
- 再建期における「黒人コミュニティ」の形成
―ニューオーリンズのクレオールとアングロ系黒人―
- 解放民の自立意識
―再建期南部の教育観を通して―
- 世紀転換期における移民たちにとってのハル・ハウス
- 「クリステーロスの乱」から見るメキシコ革命―革命期三者の動向に注目して―
- 太平洋戦争前後における日系人の「アメリカ化」の再考
- シカゴへ再定住した日系人の定着過程―1942年から1946年にかけて―
- ミシシッピ州のメドガー・エヴァーズ
―公民権組織の枠を超えて―
- 公民権運動と南部白人社会―ミシシッピ州における三人の失踪事件―
- ミシシッピ州における「ブラック・パワー」スローガン
―草の根運動からの再考―
- 「公民権運動活動家」ジャッキー・ロビンソン―「作られた」黒人か否か―
- 1970年代黒人女性解放運動におけるNBFO
- ニューヨーク市警の事例に見る警察官の正義
- ヴィンセント・チン殺害事件におけるアジア系アメリカ人
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日本史関連ゼミ
- 日本古代銭貨について
- 摂政の成立
―清和天皇と藤原良房の関係―
- 壬申の功臣の歴史的意義について
- 遣唐使の発遣儀礼と住吉・垂水
- 古代の清掃官司の変遷
- 知太政官事考察
- 日本古代律令制下における墓制と営墓
- 古代日本元日朝賀儀礼からみる皇太子
- 吉野国栖の再検討
- 月次祭の再検討
- 日本古代の清掃
- 一言主神からみる役小角と葛城氏、加茂氏の関係性
- 国家と国分寺
- 遣唐使派遣計画の推移
- 法師陰陽師の実態
- 海上交通と貢納
- 伊勢斎王と斎宮寮
- 古代の賭博と年中行事の関係について
- 富豪浪人の活動について
- 上野三碑の多胡碑について
- 郡雑任と出挙制―出挙木簡を中心に―
- 古代安房国の貢納
- 戦国期甲斐国武田氏の棟別役と郷村の把握
- 中世山寺立石寺の信仰と権力
- 豊臣政権期における常陸佐竹氏の権力構造の転換
- 惣村・菅浦と文安相論
―支配階級と他村に焦点をあてて―
- 信濃国志久見郷における市河氏の支配
- 秀吉の茶の湯について―主に文化的側面の考察―
- 今川氏の不入権と三河進攻
- 『小田原衆所領役帳』について
- 『武蔵国鶴見寺尾郷絵図』の表現と空間
- 近世の雛形本から見る文字文様の流行
- 霊元院の御幸について
- 赤穂浪士における名誉意識と武士道
- 日本近世の理想の女性像について
―『女訓抄』を中心に―
- 安永・天明期の江戸大名庭園における動物の様相―宴遊日記を中心に―
- 徳本行者と江戸について
- 道中日記からみる庶民の旅
―武蔵国を事例に―
- 幕末の武州日野宿における農兵と名主
- イザベラ・バードが見た日本近代初期の女性の姿
- アジア・太平洋戦争期の官製婦人団体について―千葉県国防婦人会を中心に―
- 「精神病者看護法」下の群馬県における精神病者処遇
- 明治初期における村会と戸長の性格
―東京府荏原郡碑文谷村の事例より―
- 地方名望家における「名望の広域化」について―相模国大住郡上粕屋村山口左七郎を事例に―
- 戦後横須賀・横浜における日米混血児の教育
- 明治・大正期の陸軍気球隊の活動
−所沢飛行場での活動期を中心に−
- 大正期における専修大学の商業教育
- 有田八郎外相期の「東亜新秩序」政策と蘭印問題
- 戦後日本における関節リウマチの患者運動
- 1964年東京オリンピックに伴う東京都市整備と立ち退き問題
―オリンピック関連街路整備に関する土地収用裁決を中心に―
- 光田健輔の経歴と初期ハンセン病政策への関わり―東京市養育院および全生病院を中心に―
- 日中戦争と子ども向けラジオ番組「子供の時間」
アジア史関連ゼミ(日本史関連ゼミを除く)
- 秦漢時代の爵と刑―性差を中心に―
- 『史記』滑稽列伝の成立
- 中国古代国家の統治構造の再検討
―天との関係を中心に―
- 前漢における女性と財産
- 唐代における藩鎮の存在と役割
- 北海道の炭鉱における中国人強制労働の実態―朝鮮人労働者と比較して―
- 植民地政策としての「産米増殖計画」
- 植民地朝鮮における皇民化政策期の日本語普及について
- 日韓国交正常化交渉と竹島/独島問題
- 大韓帝国および植民地期朝鮮における憲兵設置の過程
- セントルイス博覧会に見る「日本人」の「アイヌ観」
- 汪兆銘政権の清郷工作―理念と実態―
- 朝鮮半島の分断の固定化過程について
―モスクワ協定への南朝鮮の左右勢力と米軍当局の対応を中心に―
- 柳宗悦における植民地批判の再検討
- 正祖の天主教対策と政治闘争の関連性について
- 劉向の性観念と女性の役割
- 軍功爵と民爵の区別
- イギリス東インド会社支配による地域の変容―ベンガルを例に―
- イギリス植民地下インドにおける政治と宗教―全インド=ムスリム連盟の歴史的役割をめぐって―
- インドにおけるスーフィズム
- 1919‐1922年の民族運動におけるG.D.ビルラーとそのナショナリズムの性格
- 軍事視点から考察するオスマン帝国興亡史―イェニチェリの誕生から活躍、変容、廃止まで―
- 「不可触民」解放運動―イギリス植民地支配期からインド独立後まで―
- インド藩王国の統合過程
―インド独立前後の動きを中心に―
- インド・パキスタン分離独立
―ジンナーの主張と独立交渉―
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