近年の大学院博士学位論文 論文要旨



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永島朋子
「日本古代の服飾制度と国家・社会・王権
-装身の歴史学-」

 本稿は、8世紀から9・10世紀の文献史料にあらわれた古代の服飾品を素材に、日本古代の国家・社会・王権について論じたものである。日本古代における服飾品の制度化は、7世紀初頭の冠位十二階の制定に始まり、8世紀初頭の大宝令・養老令中に「衣服令」という形で整備・体系化される。これ以後、衣服令に規定された服飾品が身分秩序の可視的表象としての重要な意義を担っていく。本稿の目的の一つも衣服とそれに付属するかぶりもの・装飾品・髪形などに注目し、日本古代における国家や社会、王権が持つ構造的な特質を明らかにすることにある。しかしながら本稿では、衣服令に規定されず、これまで「呪術」=社会習俗の問題として扱われてきた鬘(カヅラ)・挿頭花(カザシ)・髻花(ウズ)などの身体装飾に対して、古代の身分秩序の実態がどのように可視的に表象されているのかとの視点から考察を加えた。なお、これら植物を頭部に装飾する鬘(カヅラ)・挿頭花(カザシ)・髻花(ウズ)を頭部装飾と呼称している。
 まず、第一章では衣服令で女性のみに規定された金属製の花飾りがもつ身分表示の機能について考察し、古代国家と服制についての関わりについて論じた。
 第二章では、植物と呪術をキーワードに植物の社会的機能とその古代的特質について考察を加え、植物(生花)が装身具として頭部に装飾されることの意義について論じた。
 第三章では、五月五日に装飾される菖蒲鬘に注目し、植物と身体装飾の問題を「呪術」と王権の問題として論じ、五月五日の菖蒲鬘は、王権が主導する形で行なわれた防疫・防邪の装飾として位置付いたことなどを指摘した。
 第四章「奈良・平安期における挿頭花装飾の意味と機能-貴族と身分標識-」では、9世紀末から11世紀にかけて、身分秩序の可視的表象がどのように変化・変質したのか、挿頭花を素材に検討し、8世紀には見いだせなかった差等表示機能が9世紀以降の挿頭花には付与され、花の種類によって装飾者の違いを示す身分標識ともなり、それが貴族社会の編成原理を可視的に表象する機能を担っていくことをなどを指摘した。
 第五章・第六章・付論では、第四章で取り上げた以外の宮廷の儀式・行事のなかで用いられる挿頭花について、天皇算賀を中心に考察を加え、9世紀以降の挿頭花にみられる差等表示機能が宮廷で行われた儀式・行事の全てに共通するものではないこと、儀式・行事によっては参会者が一律水平的に一種類の花を装飾することで紐帯強化を図ることを意図した儀礼が行われていたことなどを指摘した。
 第七章では、挿頭花の差等表示機能について石清水臨時祭にみられる挿頭花装飾から検討し、臨時祭の舞人が装飾する「くもゐ」の桜と、「しなをくれたる」陪従が装飾する山吹の違いは、平安貴族社会の編成原理の根幹を可視的に表象するという点において、大きな意味を持つと結論した。
 第八章「贈与と王権-女装束と被物-」では、王権の名のもとに行われる特権の付与を「贈与」の問題として読み解いていくことの重要性について論じ、贈与の中身についても女装束を素材に「家の禄」と「公の禄」との違いがあることを指摘した。
 以上、頭部装飾にみられる身分秩序の可視的表象の問題を、呪術を基点とした結合意識のシンボルから、宮廷の儀式・行事の整備に伴い差等表示が付加され、昇殿制の成立などを背景に貴族社会の編成原理を可視的に表象するという大きな流れのなかで読み解いた。その結果、頭部装飾からみた場合、植物をめぐる社会構造が、8世紀と9世紀とでは大きくことなることが明らかとなった。9世紀以降の頭部装飾をめぐる様々な現象は、8世紀の社会で行なわれていた習俗を、国家・王権の側が制度として取り込む過程で起こった歴史的な変化と考え、この変化を「呪術」をめぐる構造の転換として位置付けた。
 日本の古代では、「呪術」が天皇の身体をめぐる問題として現象している点に特徴がある。算賀の挿頭花にみられた天皇への献物として現象する「造り物」の挿頭花も、算賀の場で結合意識のシンボルとして機能する挿頭花も、あるいは防疫・防邪の装飾として五月五日節に用いられた菖蒲鬘から續命縷(薬玉)への変化さえも、天皇の身体を様々な禁忌によって文化的・社会的に「荘厳化」し、社会のしくみとして「装置化」していく過程で起こった変化なのではないかと考える。言い換えるならば、9世紀以降の国家・王権の側が、8世紀の社会で国家・王権が関与することなく行なわれていた頭部装飾さえも、社会的な機能を果たすような「制度」として構造化した点に、当該社会の国家・王権の特質があらわれているのではないかと考えた。しかしながら、本稿では社会的な諸集団と身分標識の問題、服飾制度と頭部装飾との関わり、頭部装飾の日本的特質と東アジア社会におけるそれとの違い等々について充分に論じることができなかった。このような問題を視野に入れつつ、今後も古代の可視的表象の実態についての考察を深めていきたい。




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