「正倉院佐波理加盤付属文書」(鈴木靖民「正倉院佐波理加盤付属文書の解読*」1978)
〔表〕侫五
馬■(䧹+内)上一具上仕之、
尾者上仕而汚去如。
巴川村、月一日、上米四一刀、大豆二
四刀、二月一日、上米
四一刀、大豆二
四刀、三月、米四
。
〔裏〕 ]米十失受[
永忽知 朶、受二石、上米十五
七刀。六
直
、受失二石
上米十七、
一石十
、上米十三
。熱米山
、受
二石
上米一石一。
*鈴木靖民著『古代対外関係史の研究』(吉川弘文館 1985)所収。同「正倉院佐波理加盤付属文書の基礎的研究」(前掲書所収・初出は1977)によれば、この文書は、景徳王十一年(752)以前における統一新羅の村落・貢進(租税)および俸禄などに関して新羅の中央官庁が記載した公的文書で、その後反故紙となって加盤鋺の包装その他に利用され、加盤鋺と共に、おそらくは天平勝宝四年(752)日本へ舶載されたものとされている。「正倉院佐波理加盤付属文書の解読」に基づき、異体字は正字に改めた。