国際シンポジウム参加記:

21世紀におけるフランス革命史研究の現状と課題

 

                                 仲松優子

 

 2005618日(土)・19日(日)の両日、専修大学において、専修大学大学院社会知性開発研究センターおよび歴史学研究センターの主催により、国際シンポジウム「21世紀におけるフランス革命研究の現状と課題」が行なわれた。シンポジウムの目的は、21世紀においてフランス革命を研究することの意義を考えることであった。

 シンポジウムでは、第1日目に、リン・ハント氏(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)、ジャン=クレマン・マルタン氏(パリ第一大学)、マティアス・ミッデル氏(ライプツィヒ大学)、ロイド・クレーマー氏(ノースキャロライナ大学チャペルヒル校)が報告を行ない、第2日目に、浜忠雄氏(北海学園大学)が報告を行なった後、近江吉明氏(専修大学)がコメントをし、最後に全体討論が行なわれた。以下は、その要旨である。

まず、リン・ハント氏の報告、「1789年の人権宣言−目指したもの、もたらされたもの−」である。近年の議論では、フランス革命が否定的に評価される傾向があるが、ハント氏は、フランス革命の近代への積極的貢献を強調することが重要になっているとする。報告では、人権宣言が多くの問題を抱えていたとしてもなお、近代の人権の概念の起源であるとされ、まず人権宣言に先立つ特に1760年代以降の人権に関わる議論に焦点があてられた。そしてその概念が政治的諸権利を含意するものに変質し、人権宣言というかたちで普遍的概念に結晶化されたことが示された。そして、人権宣言の後に、具体的な人々や集団の権利、例えばプロテスタント、ユダヤ人、女性などの権利について議論が生じた過程をおった。このように、人権宣言は抽象的で問題を抱えるものであったとしても、その後様々な人々や集団の権利を議論の対象とする方向に刺激を与えた。ハント氏は、その点に人権宣言やフランス革命の意義があると評価した。

ジャン=クレマン・マルタン氏の報告は、「フランス革命の恐怖政治を読み直す−暴力と政治闘争−」であった。恐怖政治は、それがもたらしたものからフランス革命が評価されるほど、フランス革命研究のなかで重要なテーマである。しかし、恐怖政治そのものの定義や時期区分について研究者の意見は様々であり、また恐怖政治の結果のみが強調されてきた。報告は、「大恐怖政治期」と称される1794年の5月〜7月の3ヶ月に焦点をあて、研究史では軽視されてきたこの時期の歴史的事実を詳細に検討することによって、恐怖政治を再考するものであった。ロベスピエールは恐怖政治の責任者として断罪される傾向があるが、この時期を詳細に検討すると、ロベスピエールは暴力をコントロールしようとし、様々な人物や党派との間で政治的妥協を模索していたことが明らかとなる。また、恐怖政治には一貫したシステムというものは存在せず、複雑な状況化になされた不断の決定の積み重ねであったことは明白である。マルタン氏は、ロベスピエールは失脚後にその恐怖政治の責任を負わされたと結論づけた。

マティアス・ミッデル氏の報告、「トランスナショナルな展望に見るフランス革命−比較と文化移転−」では、歴史叙述の問題が扱われた。1950年代以降、マルクス主義歴史家や社会学的方法を取り入れた歴史家によって、フランス革命研究の領域に、比較という方法が適用されてきた。しかしこの方法には当初から様々な批判がなされてきた。特に1990年代以降には、マルクス主義の危機という時代状況のなかで、比較研究も大きな転換点をむかえた。それは文化移転という視点の導入である。そこでは、どのように他国の経験がそれぞれの国の文化や社会に組み込まれるかという文化の受容が問題とされた。さらに、近年では、国際関係からフランス革命を問い直し、あるいはヨーロッパの革命と南北アメリカの革命の関係を分析するなど、世界史におけるフランス革命の位置づけを問うという視点が積極的にとられているという指摘がなされた。

ロイド・クレーマー氏の報告は、「フランス革命と近代的ナショナリズムの誕生」であった。報告によれば、フランス革命は、主権のありかを国王から国民に移行させ、国民と国家の概念を自由と平等の権利に関係付けて再定義した。そして人民に新しい国民となる政治教育をほどこすために、儀式や祝祭が執り行われた。そのなかで形成された国民としてのアイデンティティは、1792年から1815年にいたる絶え間ない戦争の期間を通じて、さらに強化された。クレーマー氏は、こうしてフランス革命は、両義性をもつ近代的ナショナリズムが誕生するのに貢献したと主張した。すなわち、フランス革命は、一方では人権と国家的独立という新しい思想を、他方では個人的諸権利の抑圧と戦争の正当化の道具を提供したのである。

最後に、浜忠雄氏より「ハイチから見るフランス革命」について報告がなされた。浜氏によれば、ハイチ革命の側からフランス革命をみてみると二点の問題が浮上するという。まず第一に、人権宣言の限定性である。奴隷制廃止決議は人権宣言の論理必然的な帰結ではなく、その間に生じた1791年のサン=ドマングの黒人奴隷の蜂起が重要な意味をもっていた。第二の問題は、フランス革命が19世紀の植民地主義的膨張の起点となっている点である。自由の創始者であり守り手であると自己認識するフランスの歴史には、「植民地化」を「文明化の使命」とするイデオロギーが通底しているさまがみてとれる。そして最後に、ハイチの独立と引き替えにフランスに支払われた「賠償金」の問題が取り上げられた。これは、現在のハイチの「低開発」と「貧困」を引き起こした最も重要な歴史的要因であった。報告は、21世紀は「植民地責任」を問い、「人道に対する罪」を償うことが求められ、ここにフランス革命において掲げられた理想の実現という課題があると結ばれた。

 報告の後、コメンテーターの近江氏から、フランス革命200周年以降の研究状況の概観と問題が指摘された。近江氏の問題提起と参加者からの質問を受けて、全体討論では、フランスとイギリスの「権利」概念の相違、国民/市民/人民の概念、文化変容と文化受容などの個別の問題から、フランス革命研究の現状やフランス革命を研究することの今日的意味まで、活発な意見の交換が行なわれた。

 以上のように、シンポジウムでは、フランス革命がアクチュアルな問題を提起し続けていることが、様々な視点から明確に提示された。筆者には修正主義の問題が興味深かった。フランス革命の歴史的意味を軽視する議論は再考する必要があるだろうが、フランス革命の時期に形成された相矛盾する理念と状況については、さらなる詳細な実証的研究と論理的考察が必要になるだろうと思われた。