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専大豆知識

大学の名称のいわれ

 本学の前身専修学校は、1880年(明治13)9月に開設されたが、このとき創立者は、“創立主旨” を示して“力ヲ専攻ニ致サザルベカラズ”と宣し、一科専修の専門学校をめざし、まず経済法律の2科をおき、“其他諸科ニ至テハ将サニ漸次計画スルトコロアラントス”といい、経済法律専修学校として開学した。専修学校とはこれの略称で、一科を専修し、一学を専攻して学問の蘊奥を究めさせるという方針を含意させたものである。

日本初の経済専門学校

 1880年(明治13)9月に開校した専修学校は日本最初の経済専門学校であり、私立法律専門学校であった。この当時法律学を教える専門学校は、東京大学の法学部と司法省の法学校の2つにすぎず、それぞれ英語・仏語で教授していたのに対し、わが専修学校は、邦語で教授するという画期的な授業を行った。

校章・校旗の変遷

校章

校章
  1. 校章が定められた時期ははっきりしないが、現在のところ1910年(明43)の卒業アルバムに見られる校章が一番古く、専修学校の頭文字をアルファベットのSで示し、叡智や知恵を象徴する蛇とペンを組み合わせている。
  2. 1913年(大正2)に校名を私立専修大学と改称、大正初期には「大学」の文字が中央におかれた。
  3. 1921年(大正10)に学生から募集して制定した帽章の図案が、校章としても使用された。
  4. 1979年(昭和54)の創立百年を機に再制定し、現在も使われている校章。

校旗

校旗
  1. 1916年(大正5)の卒業アルバムに初めて校章と並んで見られる校旗は、最初の校章と同じデザインで、1923年(大正12)の卒業アルバムまでこの校旗が掲載されている。
  2. 1924年(大正13)の卒業アルバムでは、1921年(大正10)の制定された校章のデザインに変えられた。校章と同じく、創立百年を記念して新たに校旗が制定されるまで長い間使われた。
  3. 現在の校旗。

発祥の地

 専修大学の前身、専修学校の発祥の地は、元東京府知事・由利公正の旧邸内にあった明治会堂別館の所在地、京橋区木挽町2丁目14番地(現在の中央区銀座3丁目、歌舞伎座裏)で、現在専修大学発祥の地碑が建立されている。しかしながら、明治会堂の改装工事が遅れ、この地で授業が行なわれたのは10月になってからであった。その間、京橋区南鍋町の簿記夜学講習校を仮校舎としていた。

勝海舟と本学との関係

 創立者の一人、目賀田種太郎夫人逸子は、幕末から明治にかけての政治家・勝海舟の三女にあたる。その関係から1890年(明治23)7月26日第9回専修学校卒業式にあたり、海舟は自筆の書を贈って卒業生を激励している。

この書には

『律増甲乙之科以正澆俗 礼崇升降之制以極頽風』

と書かれており、その意は「法律は次々に多くの箇条を増加して(これによって)人情の薄い風俗を矯正し、礼は(堂の昇り降りなど)挙措進退のきまりを尊重して頽廃した風俗を止めるものである」という意味に解される。法律と道徳が相まって風俗の乱れを正すものと教え、法学生の使命の大きいことを説いたものであろう。

 この書は創立130年を迎えんとする現在でも本学に大切に保管されている。

校外員制度

 遠方にいる人や、仕事の都合などで学校に通って講義を受けることの出来ない人のために設けられた制度で、現在でいう通信教育である。専修学校では1887年(明治20)1月に「校外員規則」を定め、法律科・経済科の校外員を募集した。入校は無試験で、教材として毎週講義筆記を発行・配布し、3年間引き続き学科を修めた人には校友証を交付した。1889年(明治22)には政治科も新設した。

創立記念日と大学記念日の違い

 専修大学の前身専修学校の開校式が1880年(明治13)年9月16日、簿記夜学講習校(京橋区南鍋町)の仮校舎で挙行されたこの日を、専修大学の創立記念日とした。また、1936年(大正11)10月30日の学制頒布50年記念祝典で、学長・相馬永胤、学監・田尻稲次郎の両創立者が教育功労者として文部大臣表彰を受けたことを記念して、この日を大学記念日としている。

「黒門祭」の「黒門」とは?

 毎年春に行われている学術文化会・生田学生自治会共催の黒門祭。この名の由来は古く、明治時代にさかのぼる。1884年(明治17)現在の神田校舎の地を買い求め、翌年自前の校舎を新築したが、1888年(明治21)入学者が急増し校舎を増築した。このときから校門を旗本屋敷の黒い冠木門(柱の上方に横木を渡した屋根のない門)にしたところから、当時、東大の「赤門」に対して「黒門」といわれ、黒門といえば専修学校を意味したことからつけられたものである。

 なお、第1回黒門祭は、1967年(昭和42)5月21、22日に生田校舎における文化サークル活動の発表の場として、学術文化会主催で開催された。

高等予備校の設置

 1903年(明治36)3月に専門学校令が公布され、多くの私立法律学校は大学部・専門部を設置して大学と改称した。しかし専修学校は、時期尚早と考えて、専門学校令により、1906年(明治39)8月4日による大学予科設置を申請した。他の私学が大学の改称する条件であった大学予科修業年限最低1年半としていたのを、専修学校は、大学と改称する意図を持たなかったため、大学予科修業年限を1カ年とする。

 高等の諸学校へ入学するためには予備の学科を修めたいという志望者に対する措置として、専修学校は大学予科の代用に高等予備校設置を東京府に1906年(明治39)8月に申請し、9月から昼間授業として発足した。

 これから専修学校の校門には、右側の石柱に「私立専修学校」、左側の石柱には「私立高等予備校」と大書きされた門札が、相対して掲げられた。

 高等予備校は、時勢の要求にマッチして、関東大震災の時は一時休校したが、1927年(昭和2)3月まで開校していた。

川島記念賞について

「泥にまみれた著名人より、善良で愛と親切に徹した社会人に」

 学術、体育の分野で優秀な成績を収めた学生に、卒業にあたって贈られる「川島記念賞」。専修大学の発展に大きな足跡を残した川島正次郎氏の寄贈基金をもって「川島記念学生表彰基金」を置き、専修大学、石巻専修大学、専修大学北海道短期大学の学術奨励と体育振興、各付属高校の生徒の学術奨励を担っている。

 同氏は1914年専修大学を卒業。東京日日新聞(現毎日新聞)政治部記者などを経て政界に転身。国務大臣や自民党幹事長、副総裁を歴任、総裁(首相)選出などで党内の調整役としての手腕が政界で評価された。教育界の発展にも貢献。母校の本学では、53年から70年まで、80歳で死去するまでの間、理事長、総長などを務めた。

 1970年3月、学窓を巣立つ卒業生に、川島総長が贈ったことばは、今なお語り継がれている。
「泥にまみれた著名人になるよりも、善良で愛と親切に徹した社会人として立派な社会づくりに参加してほしい」
 そして、「私は今年すでに80歳、おそらくふたたび会う機会はないでしょう……さようなら、さようなら!」と結ぶと場内から大きな拍手がわき起こり、いつまでも鳴り止まない。式を終えて退席する総長に、卒業生たちが握手を求めた。

100年の歴史を誇る専修大学図書館

 大正12 年に発生した関東大震災により、図書館書庫の外壁1 枚を残して校舎はすべて崩れ落ちた(『復刻版 大正十二年関東大地震震害調査報告』第三巻)専修大学図書館は、現在、書籍約170万冊、雑誌約21,000誌という蔵書数を誇る。学生や教職員だけでなく、一般への開放も行っており、まさに大学・地域にとって「知の宝庫」と言っても良いだろう。

 その歴史を紐解くと、起源は明治44年11月19日に完成した「相馬田尻記念書庫」に遡ることができる。専修学校(専修大学の前身)創立30周年と相馬・田尻両先生の還暦を記念して、卒業生たちの寄付によって設立されたのがこの記念書庫で、政治・経済や法律関係の和書、さらに洋書も含めて約3,000 冊を擁した書庫であった。

 大正2年に改正された「学則」には、大正元年に「相馬田尻記念書庫」を拡大・充実させて本学初の図書館が設立されたと記されている。「相馬田尻記念書庫」を図書館の前身と考えると、まさに今年は図書館設立100年という節目の年にあたるのである。

 明治末期から大正初期にかけて、私立学校を取り巻く環境は大きく変わってゆく。明治36年には「専門学校令」が、そして大正7年には「大学令」が公布される。慶應義塾を始めとして多くの私学は大学部を設置し、「大学昇格」を目指すという私学変革の時代であった。

 私学が大学になるためには財政状況・専任教員数・敷地面積・設備などいくつもの条件を充たす必要があった。そのため本学もこの時期、様々な改革を行っている。大正2年に校名を「私立専修大学」と改称したのもその一つである。図書館の設置はこうした拡張政策の一環でもあった。

 大正11年、専修大学は念願であった大学への昇格を果たす。翌年の関東大震災で大被害を受けるも、復興・発展を遂げ、図書館も大きく蔵書数を増やした。現在では重要文化財などを含む貴重な資料も数多く収蔵するなど、100年という長きにわたり、研究・教育・社会貢献を使命とする専修大学の中心的役割を果たしているのである。