明治時代に専修大学のシンボルだった「黒門」(くろもん)が、およそ100年ぶりに復元され、除幕式が3月16日、神田キャンパスで行われた。「黒門」は本学創立130年を記念し、学生のご父母で組織する育友会がモニュメントとして寄贈したもの。
式は、吹奏楽研究会の学生が「エルザの大聖堂への行進」(ワーグナー「ローエングリン」より)をオープニング演奏。「ラデツキー行進曲」(シュトラウスT世)にあわせて、「黒門」が本学の正門となった1885(明治18)年当時の衣装を身にまとった演劇研究会の学生が入場し、雰囲気を盛り上げた。
ファンファーレにあわせて日高義博理事長・学長、菅沼堅吾育友会長、学生を代表して西嶋泰史神田自治会委員長、創立者(相馬永胤、田尻稲次郎、目賀田種太郎、駒井重格)の子孫にあたる駒井一夫さん(駒井重格)らが除幕を行い、新生「黒門」が姿を現した。
あいさつにたった日高理事長・学長は「新しい『黒門』が開門したことは、専修大学創立150年に向けての幕開けにふさわしい」とあいさつした。また菅沼会長は「創立者4人の情熱、勇気、希望に思いをはせ、学生たちにその志を継いでほしいとこの黒門を完成させた。地域の皆さんにも大いに利用していただきたい」と呼び掛けた。
今回の設置は、育友会が「歴史と伝統を将来にわたって語り継げる象徴的なものを寄贈したい」との申し出があって実現。1899(明治32)年当時の黒門の写真を基に、サイズや仕様をできる限り当時のものを再現しようと試みた。高さ約3m、幅5m、奥行き1.5mで国産ヒノキ材を使用。柿渋により黒く仕上げた冠木門(かぶきもん)で、専大通りに面して建てられている。専修大学前身を表す看板の「私立 専修学校」揮ごうは書家としても活躍する仲川恭司文学部教授。モニュメント周辺には100年前の「黒門」写真と創立者のプロフィールが紹介され、専修大学の「S」を表した路面には、1970(昭和45)年まで靖国通りを走っていた都電の敷石を用いるなど、本学が神田神保町で歴史を刻んだ証しが盛り込まれている。
近隣の皆さんにも歴史を感じ、憩いの場として利用してもらえるよう、午前8時から午後9時ごろまで開放する。
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【専修大学の「黒門」とは】 |
| 1880年(明治13)9月に現在の中央区銀座で開校した「専修学校」(専修大学の前身)は、1885年(明治18)7月に神田に移転。江戸時代、このあたりは、旗本や御家人の武家屋敷の地で、その多くは冠木門といわれる両側の柱上部に冠木と呼ばれる横木を渡した屋根のない門構えだった。専修学校の正門にもそれが使われ、東大の「赤門」に対して「黒門」と呼ばれ、「黒門」と言えば専修学校を意味した。1907(明治40)年の校舎改築に伴って「黒門」はなくなった。 |