専修大学は、1880年(明治13年)、日本最初の私立法律専門学校として発足しました。これは、相馬永胤や目賀田種太郎らをはじめとする創立者たちが、米国留学中にニューヨークで「日本法律会社」を結成し、この組織を母胎として専修学校を企画したことに始まります。
帰国した創立者たちは、アメリカ留学の成果を、外国語で教えるというそれまでの日本の学校の教授法とはちがって、直接日本語で広く若者たちに伝えようと、私立学校の創設に奔走しました。その結果、法律学と経済学を教える夜間の学校として開学することになったのです。
当時、創立者たちはいずれも実業界や政官界の要職についていました。その激務をおして、商科(商業科)を、その後に経理科を開設し、実業を志す青年たちの教育を受けたいという熱意に応えようとしました。当時、そうした青年たちの多くは、昼の間は生活のために働かざるを得ませんでした。創立者たちはその現実に配慮することが教育機関として意義のあることだと考えました。こうして専修大学は、何よりもまず昼間に大学に行くことのできない青年たちに対して門戸を開いたのです。
時を経て、専修大学も他の多くの私立学校と同様に大学へ昇格し、また、世の中に高等教育が広まって行くにつれ、教育の比重は一部(昼間部)へと移っていきました。第二次世界大戦後には、新制大学への移行と教育の大衆化という社会現象に対応するために、学部の増設などを行って、首都圏の大規模校としての地位を確立していくことになります。しかし、そうした状況にあっても、専修大学創設の理念を担った二部教育は、専門的な学問と社会との結びつきを目指すということを軸に展開され、その意義を確信しつつ今日に至っています。