人物紹介

ルカ・パチョーリ

パチョーリ
ルカ・パチョーリ
 ルカ・パチョーリ(Luca Pacioli 1445-1517)は、中世イタリアの都市の商人が利用し発展させた企業帳簿の記録法である「複式簿記」を最初に「書物」のなかで紹介した人物として会計史上評価されている。しかもその「書物」で明らかにされた「複式簿記」の基本的構造は、現代の企業も日々利用している記帳技術にそのまま受け継がれているのだ。
 その「書物」こそ、専修大学図書館が所蔵する『算術、幾何、比及び比例総覧』(Su[m]ma de arithmetica geometria proportioni [et] proportionalita.) 初版1494年(『スムマ』と略称)である。

 商人ごとの秘伝的扱いともなっていた「ヴェネチア式簿記法」が『スムマ』を通じて一般に公開されたという意味で、それが「複式簿記」の普及に果たした功績は計り知れないものがある。その普及過程は、イタリア国内ばかりでなく、他のヨーロッパ諸国、アメリカ、そして明治期の日本にも繋がっている。この意味でルカ・ パチョーリは「会計の父」とも称されている。
- 青年時代 -
 ルカ・パチョーリは、1445年に北イタリアのアレッツオ州の小村ボルゴ・サン・セポルクロで生まれた。15歳のときに地元の実業家フォルコ・デ・ベフォルチ家に住み込み奉公に入り、このころから商業記録法を学び始めていたという。
 その後、同郷の画家であり、イタリア・ルネサンスを代表する芸術家でもあるピエロ・デッラ・フランチェスカのもとで数学を学び始めた。ピエロに数学の才能を認められたルカ・パチョーリは、数学研究の様々な機会を与えられた。
 一つは、地元領主であったウルビーノ公フェデリコ・ダ・モンテフェルトロへの紹介によってその館に付属していた図書館の利用を認められた。ルカはその子息グイドバルドとの交流も深めた。ウルビーノ公は、芸術を庇護する援助者(パトロン)としても有名であり、ルカはその恩恵を大いに受けることになる。
ウルビーノ公 ウルビーノ公夫人
ウルビーノ公夫人
(バッティスタ・スフォルツァ)
ウルビーノ公
(フェデリコ・ダ・モンテフェルトロ)
「ピエロ・デッラ・フランチェスカ筆, フィレンツェ・ウフィツィ美術館蔵」
 またピエロが続いて紹介した建築家レオン・バッテスタ・アルベルチの指示により19歳の時にヴェネチアの大商人アントニオ・デ・ロンピアジ家の三人の子息の数学家庭教師に任ぜられた。このことが、本格的にヴェネチア商人が行っていた商業実務(簿記を含む)に触れる機会をルカに与えることになった。
 同時にヴェネチア滞在中に数学の教師ドメニコ・プラガディノの門下として本格的に数学を学び、数学者として身を立てる決意をする。
- スムマ出版へ -
パチョーリの絵文字
a丁a1の表側
パチョーリの絵文字
 1475年にルカはフランチェスカ派僧団に入るが、これ以降、団則によりイタリア各地の宮廷や大学で数学の講義をすることになった。『スムマ』のa丁のa1の表側(現代的には17頁)や番号付紙葉198番裏のページに見られる絵文字に描かれたルカ・パチョーリが修道僧の装束を纏っているのはこのためである。
 そして当時の学術論文で使用されたラテン語ではなく口語であるイタリア語によって記された『スムマ』初版第1刷は、ルカが49歳を迎えた1494年の11月10日から20日にかけてヴェネチアの印刷業者パガニーニの手によって印刷され出版された。

 『スムマ』は、基本的に数学書であったが、その第1部「算術・代数」第9編論説第11「計算及び記録に関する詳説」という表題のもとで現代複式簿記の原型である「ヴェネチア式簿記」が紹介されたのである。
 『スムマ』の「簿記」紹介部分(番号付紙葉198番裏から210番裏まで)の第1章において、ルカ・パチョーリが『スムマ』に「簿記」の紹介部分を載せた理由が次のように述べられている。

 「仁篤なウルビノ公殿下の庶民諸賢のために、或いはその必要とすることあるべき商人に関するすべての規則を会得することができるように、わたくしは本書においてすでに説明した事項に加えて、極めて必要ないま一つの特別な論説をここに執筆することにした。」(片岡義雄『パチョーリ「簿記論」の研究』増訂第2版 森山書店 45頁)

 このことは、ルカが簿記を実用数学の一部と理解していたことを示すと同時に『スムマ』出版の際にウルビーノ公グイドバルドにその物心両面の助力を受けていたことを物語っている。『スムマ』が「ヴェネチア式簿記」を紹介した根拠は次のように述べられている。

 「わたくし達は、ヴェニスで採用されている方法を記述することにする。この方法はあらゆる方法のうち、確かに推賞すべきものである。」(片岡義雄「前掲書」47頁)

 つまり、『スムマ』出版に至る約20年間、イタリア各地の宮廷や大学で滞在した際にルカは、その土地土地の帳簿記録法を相互に比較してその優劣を判断していたことになる。
- イタリア・ルネッサンス時代の芸術家として -
 『スムマ』は、1496年以降3年間、ミラノのルードヴィコ・マリア・スフォルツァ公爵家で過ごしたルカ・パチョーリが知己を得て親しくなったレオナルド・ダ・ヴィンチの研究活動にも影響を与えた。
 レオナルドの残した研究ノートには明らかに『スムマ』から転用した内容も散見される。また1498年に脱稿し、1509年にヴェネツィアで刊行されたルカ・パチョーリ著「神聖比例論」にはレオナルドによって描かれたとされる絵図が挿入されている。
 晩年のルカ・パチョーリは、生まれ故郷ボルゴ・サン・セポルクロの修道院総長代理として過ごし、1517年に72歳で亡くなった。

専修大学図書館所蔵貴重図書
Pacioli, Luca.
Su[m]ma de arithmetica geometria proportioni [et] proportionalita.
Venice : Paganinus de Paganinis, 10-20 Nov. 1494.
[8], 224, 76 leaves : ill.(woodcuts), diagrs., initials, border ; 30.5cm.(fol.)