ルイ16世の遺言書

 革命の激化に身の危険を感じた国王ルイ16世らは、国外逃亡を図るがヴァレンヌで捕捉されパリに連れ戻される。チュイルリー宮殿を追われた国王一家はその後タンプル塔に幽閉されていたが、ルイ16世は国民公会での票決により「死刑」を宣告され、1793年1月21日、革命広場(現在のコンコルド広場)においてギロチン刑にかけられる。

 死に臨むルイの口述による遺言書は1792年12月25日付けで2通作成されている。この遺言書の内容は今日でもよく知られるところであるが、遺言書の最後にルイは「・・・神の御前で次のことを明らかにし、神の御許にまいる準備を整えることにする。私が犯したとされるいかなる罪も身に覚えはない」。

 本学のベルンシュタイン文庫には3様のデザインのルイ16世の遺言書が所蔵されている。